最近、いろんな人からTwitter始めたら?って勧められている。私も一時やろうかなと思っていたが、一記事140文字しか書けないのがつまらん。やはりボリュームたっぷり書きたいタチなので、私にはブログがいちばん合うように思う。呟くことも毎日長いしね(笑)
十代の頃お世話になっていたノンフィクション作家の女性Wさんから、久しぶりにお手紙が届いた。彼女とは15年ぐらい前までは手紙を頻繁にやり取りしていたが、いつの間にか年賀状のやり取りどまりだった。
手紙を読んで、ただただ絶句している。Wさんは近年、乳ガンを患い闘病していたのだが、ついにガンが全身に転移してしまったという。余命幾ばくもなく、来週はホスピス探しで忙しくなるとか。
で、なぜ私に手紙をくれたのかというと、“私はまもなく死ぬから追悼文を書いてほしい”というのである。今までかかわり合った人たちに、自分宛に手紙を書いてもらい文集にしたいと思っていらっしゃる。
そんな、そんな悲しい執筆依頼は初めてだ。いつも元気いっぱいで悩める子どもたちに温かい眼差しを送っていた彼女が、病を受け入れ死ぬ準備をしているのである。
彼女との出会いを振り返る。私が中学生になるころ、映画化された吉岡紗千子著『ロックよ、静かに流れよ』を読んで感動した私は、著者にどうしても手紙が書きたくて出版社に、著者の住所を教えてほしいと手紙を送ったら、出版社の代表で返事を下さったのがWさんだった。
Wさんは学童グラブを運営しながら、子どもたちのルポルタージュを書いていた。特に十代の悩める連中に目を向け、悩み相談や子どもたちの叫びを本にしてたくさんの大人たちに訴え、それは内外の人たちに衝撃を与えた。
私がWさんと本格的に手紙をやり取りするようになったのは、尾崎豊の急死直後だったと記憶している。中学生ぐらいから(ありがちだが)生きるとはなにか、私はなぜここにいるのだろうか、自由っていったいなんだい?…的な漠然とした悩みを持っており(笑)、Wさんはそういう若者に対して丁寧に真摯に受け止めてくれた。
そして私の作家になりたいという夢を応援し、編集長とともに才能を認めてくれた。とにかく当時の私は何かを表現したくてウズウズしていた時期だった。
そのWさんからの最後のお願いを、お世話になった恩返しとして書くべきなのだろうが、今はショックでどう書けばよいか困っている。とにかく時間がないから原稿をなるべく早く送ってほしいらしい。今まででいちばん書きづらい執筆になりそう。
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