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無我夢中の日々

 こうしてブログを書くのは本当に久しぶりな気がする。数日間お休みさせてもらっている間、無我夢中で父の葬儀のために兄姉たちと忙しく過ごし、悲しみと疲労でおかしくなりそうだった。

 画像は若い頃のメアリ父。まだ私が産まれる前で、大好きだった軍鶏を抱いてる。この写真が私はとっても好きなのである。

 10日の朝、朝食を食べているとき心臓が止まったらしく、キッチンの椅子にもたれながら安らかに眠るように亡くなった。チィ姉の人工マッサージや救急車の手当ての甲斐なく死因は心筋梗塞だった。
 私は前日から具合が悪くて、なぜかとっても変な感じだった。あの日は東京でのライヴへ行くつもりでいたから、今思うと父が私を引き留めるためだったのかなと思い始めている。去年危篤になったとき、持ち直したから病院へ行けば元気に帰ってくると思ったけど、父は命を吹き返すことなく逝ってしまった。冷たくなってしまった体に触れたとき、私たち家族は大声で子どものように泣いた。火葬場で骨を拾ったときも変わり果てた姿を見て、本当につらかった。

 父が逝ってしまってから、我が家には兄姉たちとその子どもたちで、必死に葬儀の準備に追われた。親戚や知人たちも大勢訪れて、悲しむ時間すらないほど。色んな人たちが来てくれたが、誰もが父のことを大好きだったとか、いつも助けてもらったとか、そんなことばかり言っていて父が分け隔てなくみんなに接し、困ったときに手を貸していたことがわかり、父の偉大さを改めて実感した。けして人の悪口も言わず、家族を全力で守り、何でも出来て頼れ、思いやりがあり強かった父。男の中の男だった。あんな男の人は他にはいないんじゃないかと思うほどである。
 
 私は七人兄弟の末っ子で、晩年の父と兄弟の誰よりも近くに長く過ごせたことを、今は何より幸せに思っている。いろんな話も出来たし、たくさんのことを教えてもらった。いつも夕方から二人でニュースを観ながら話をしていた。お笑い番組を観ながら二人で爆笑したり…。その父が今、この世にいないことがとても耐え難く、これからボケている母とどうやって生きていけばいいのか不安になってる。父が何でもやってくれたから、これから自分が無力なのを思い知らせる瞬間に出くわせることが多くなるだろうと思う。

 父が亡くなって、私が後悔したことは、生きている間にお嫁に行けなかったこと。身障者の私は、未だ独身で父に安心させられなかったのだ。父とバージンロードを歩くのが子どもの頃からの夢だっただけに、もうその夢は叶わなくなったのが悲しい。しかしこれもご縁であり、父と過ごすためだったのかもしれないとも感じる。

 不思議なことに、父が亡くなってから兄姉たちのいざこざが消えて和解した。義理の兄弟もみんな血の繋がっている兄弟のように、正直な気持ちで何でも話せる雰囲気になってきている。これはきっと父がそうさせてくれてるに違いないと確信している。

 今は父に感謝の気持ちでいっぱい。波乱万丈な79年間だったけれど、父の人生は実りが大きくたくさんの人たちに愛されていたことが私の誇り。あんな風に生きれたらどんなにいいだろう。少しずつ元気になりたい。



 それから、父のためにたくさんのお香典、お花と弔電をいただき、ありがとうございました。友人たちから、これほど頂くとは思いもしませんでした。ここでお礼を言わせて下さい。本当にありがとう!
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プロフィール
メアリさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 11月8日
地 域 福島県
職 業 マスコミ・芸能
血液型 A型
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