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感情に勝てるのは感情

もちろん感情だけではないけど。知識とか普段の行動から変えることもできるけど。

ある感情を消すには倒すには、一番の方法は別の感情をぶつけることだと思う。
自分の中で。

「死にたい」VS「親に植え付けられた自己否定や無能感で死ぬのは悔しい」
(死にたくないわけじゃなくて、悔しい思いが勝った)

「無能(無力)感」VS「恐怖」
(自分は無能だから何もやる気しないけど、このままだと怒られる。怒られるのは怖いからやる)

あんまり前向きな実例が思い浮かばないけど、こんな感じです。

認知行動療法とか行動や知識を得ることで考え方、感情を変えることができると思って、今まで知識を詰め込んできたけど、
感情の最大の敵(変える相手?)は別の感情かもしれない。

今までの解毒への努力の結果もある。
ちゃんと感情を認められるようになったのは知識のお蔭。

次は「人間怖い」の感情を倒したいな。
「倒す」んじゃなくて「和らげる」ぐらいなのは分かってるんだけどさ、「倒したい」と思ってしまう。

恐怖の感情を倒すには、何の感情をぶつければいいんだろう。

「怒り」もいいな。あれは人間の感情の中でもエネルギーが高いらしい。
「恐怖」は人間の感情の中でも根幹にあるらしいから、こいつを倒すには感情をぶつけても一筋縄ではいかなそうだ。
セラピーとかカウンセリングとか時間かけてやってるやつだし。

気長に行くしかないなあ。

自信がないと人は死ぬ―2

最近、色々あって自信を付けている。

なので、今だから分かる。
自信がないと、何もできない。
「生きよう」と思うことも。

「自分と他人が同じレベルだと思う」こともできない。
そうすると、他人と会話できない。
いや、適当な会話ならできるわ。
今日のニュースとか、天気とか。
友達にはなれない。
「この人は偉い人、普通の人。頭おかしい私は、機嫌を損ねたら怒られる」
と思うから、相手を喜ばす方法しか知らない。それだけでコミュニケーションをとってきた…と完全に言えるわけじゃないけど。穴があるかもしれない。

怒られるのが怖い。
年上、年下、同年代関係なく。
嫌悪感を少しでも持たれるのが怖い。いつでも疑ってる。
「この人は今、私のこの発言にイラついたんじゃないか」って。

毒親育ちあるある。
人の顔色を伺って生きてる。

少し自信を持ててから、世界が変わった。

私は「頭おかしく」ない。
「心身共に3歳児レベル」じゃない。
ちゃんと大人だ。
「一人暮らしなんてしたらストレスで3日で死ぬメンタル弱い人間」でもない。

親のレッテルは嘘っぱちだ。
そう頭でわかってても、心が全く追いつかない。
だからね、自分はすぐ死ぬと思ってたんだよ。
20代で自殺するか30代でホームレスになるかで。

でもね、生きてるよ。
あんたが3日で死ぬって言った子は何年も生きてるよ。

そういう自信があって、
自分は何か能力(生きる能力含む)があるって自分で思えたときに、初めて他人と対等に話せるんじゃないかなあ。

だって、私は「ちゃんとした人間」の資格があるから(そもそも生きてる人間全員無許可に人間だけど)目の前の人に意見言っていいはず。
あと、私はこの人に嫌われても機嫌損ねても死なない。
もちろん、だからと言って傷つけたり不快にさせていい訳じゃない。
それが嫌だったのは、私もよく知ってるはず。

そうやって初めて、他人と関係が結べるんだなあ。
行動にしても、他人と関係を作るにしても、全部「自信」が必要なんだなあ。
そうやって、初めて他人の尊厳を考えられる。

一人暮らしするまで「失礼」の意味が本気で分からなかった。
「礼を欠くな」って自分で言うの??恥ずかしくない??
一個人にそんなに礼を払うレベルの価値ある??
そう本気で思ってた。
怒られるのが怖いから、丁寧に対応してたけど。
そうじゃない。人間は生まれたときからすべからく、礼儀を払われるべき人権を持ってる。
それに気づくのに成人してから随分かかった。
ああ、その遅さが嫌だなあ。

ここで言う「自信」とは「自分は〇〇だ」と自分で思えることです。
「自分は"生きてていいん"だ」とか、
「自分は"生きる能力があったん"だ」とか。

生きてても苦しむしかないと思ってた世界に、なんの未練があるのか。
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