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自分を苦しめるものに気付いたとき

やっと、罪悪感が薄れて来たのが二年目の夏。
「自分は悪くない」って思えたのもその時。

自分の場合はだけど、

苦しい、苦しい、毎日苦しい、お金もないし、冷房つけられないし身体的に苦しい。
みんな周りの人は良くしてくれてるのにすごく苦しい

なんでこんなに苦しいんだ?

いや、だってそれは自分が能無しでお金なくてクズだから

いや?冷静に考えれば冷房付けない方が非効率的だよね…?だいたいお酒には金かけてるじゃん

じゃあ、お金の問題じゃないな。一応なんとか暮らせてるぐらいには稼いでるぞ…

なんで自分はこんなに苦しいんだ?

じゃあ逆に考えると、私は自分に苦しんで欲しくないのか?

いや、私は自分に苦しんで欲しいわ!自分死ねって思ってる!自分大嫌い

もしかして、私は自分を苦しめたくて苦しい状態にしてる?

……?なんで?

自分がクズで生まれて来てすみませんって思ってるから

なんでそう思ってる?

親の望む通りの人間になれなかったからすみませんって…

ここまで来て、ハッとした。
いやいやいや!??
なんで親の望む通りに生きなきゃいけないの!?
それでなんで私「すみません」とか思ってるの!?


喜怒哀楽

「喜怒哀楽」って、感情を手に入れる順番な気がする。

毒親育ちの中には自分の感情がわからない、掴めない、自覚できない、人が多いような気がする。
それが「失感情症」と名前が付くかどうかは置いといて。

解毒本を読むと大体、「感情を自覚できるようにしましょう」とかそんなのがよくあった。
で、結構頑張って、自分の感情を拾い集めたり自覚しようとしてきて、約2年半。
解毒のスピードとしては早いのかもしれないと思いつつ、他に比較対象が無いのでよくわからない。

最近、ちょっと(というか結構大きく?)転換点があったので、久々に解毒の整理をしてみる。
ていうか、そもそもこのブログは解毒のために作ったのに全然更新してない。
自分の気持ちや考えを吐き出す訓練をしようと思って作ったのに(あえて手間をかけてブログ開設すれば書くかなって思った)
全然更新しなくなった。
ツイッターも含めて今何個作って、何個放置してんだ。

さて、じゃあ遡って感情収集の遍歴を見てみようかな。

「喜」は結構最初からあった(気がする)
それはよかった。

「誰かに褒められると嬉しい」とかそんな感情であってるかな?
(感情に自信ない)
ん〜思い出すと、褒められて素直に嬉しかったのって、多分ネットでだ。
作品(主に文字)に対してのコメントが嬉しかったなあ。
あれは心から嬉しいと感じた。
これで「喜」はOK?

次、「怒」これは遅い。つい数年前の事。
親に対しての「怒り」

これを捕まえるまでにはその前段階が必要だった。
それは「自分は悪くない」
その更に前もあったな。
これが最初の山場かもしれない。
「罪悪感を乗り越える」
親を置いて一人暮らしした罪悪感で潰されそうになったのが一年目の夏。
親と距離を置いてもチクチクとしか心が痛まなくなった冬の時に、お酒飲みながら泣いて怒った。
「くっそーー!!ちくしょう!!お前はやっぱ酷い事してたんじゃん!!」
家で一人で飲みながら、声を抑えて言った。

この辺のことは、気が向いたら書きます。
一旦書いてたらめっちゃ長くなったので。

次は「哀」
悲しみ。
「あんたのせいで…あんたのせいで自分はこんなことに…。なんで自分はあんな風に扱ってもらえなかったんだ…」
これは心から「悲しい」って感じた。

ていうか、一人暮らしするまで「怒」も「哀」も感じたことがないか自覚がないかだったと思う。
誰かにイライラすることは思い出してもない。
なので他人の「イライラした」エピソードに共感できない。
何かされても言われても、
「いやまあ世の中そんなもんだろ」ぐらいしか感じなかった。
「悲しい」も同様によくわからなかった。

じゃあ自分の中にある感情は何か?と考えたら、「恐怖」だった。
怖い、とにかく怖い。
怒られたらイライラより怖い。とにかく怖くて頭が真っ白になって他に何も感じないし考えられない・
それが理不尽でも。
ていうか理不尽が普通だから、別にって感じ。
理不尽に対して怒るとか不快に思うってことが理解できなかった。
でも無条件で「怒られるという行為」は怖い。これも謎だった。

「悲しい」の自覚の話しに戻るけど、
これは次の年の夏と冬だったかな。一人暮らしから二年目の夏。
ただ、この時の夏はぶり返しの「罪悪感」とも戦ってて中々情緒不安定だった。
怒ったり、ごめんなさい…って思ったり、それでも悲しんだり。

冬になると罪悪感はほぼ消えて、
ただただ悔しくて悲しくて。やっぱり泣いた。

最後、これはつい一か月前。
「楽」
楽しい。

じゃあ今までは楽しくなかったのか?と言われると…よくわからない。
というか多分「わかりたくない」だと思う。
あんまり昔を思い出したくないブレーキが働いてる気がする。
「楽しい」+何かモヤモヤした感情が混ざってた状態かな?とは思う。

例えば、他人と話してて半分楽しくても、
半分は「自分変な事行ってないかな?この人、自分のこと変な人って思ってないかな?」て怖くなったり不安になってたり。
あとは楽+罪悪感だったり。

あるときふと気づいたけど、
今まで私は何かを「楽しもう」と思った事がなかった。
これは…ないな。

自分が何かを「楽しめる」と思ってなかったし、「楽しんじゃいけない」と思ってた。
「楽しむ」ことは自分には「贅沢品」な気がして。
「楽しめる」と思ってなかったのはなんでだろう…今度考えてみよう。

で、その後思った。
今まで「人生は辛いものだし、この世は地獄」って思ってずーっと生きて来て、
「一度しかない人生、楽しもうよ♪」なんて言ってる輩には、「は?何言ってんの?温室育ちの脳内お花畑頭ゆるふわ野郎」とか心の中で毒づいてたけど、

そのそも、自分で「楽しんじゃいけない」って思ってたんだな。

もちろん本当に状況が苦しくてこの世が地獄な人もいるだろうけど、
少なくとも現在今自分は家とご飯はあるのに。
将来は置いといて。

現実を客観的に見れてなかったのは、これが「認知の歪み」というやつなのかな。

今思ったけど、そういや「怒」の感情はなかったけど、嫉妬は他人にめちゃくちゃあるじゃん。これは昔からだ…。
なんでだろう。
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