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祖父母の家を探した話

罰当たりと思われるかもしれないけど、私は祖父母の葬式に行っていない。
いや、なんかもう家族親族の話全部忘れたくて…。
自分に家族はいなかったものとしたい。無から生まれたことにしたい。

母から連絡をもらって、「行かないの?」って言われたら余計にいきたくなくなった。
正直、祖父母のことは好きだし、思い出せば良くしてもらった思い出ばっかりなんだけど、もうなんか子供時代も忘れたいんだよな。
あとはまた別に母からちょっとあることを言われて祖父母と疎遠になってたことも理由にあるんだけど、それは個人的要素強すぎて身バレが怖いのでここには書くのやめます。

両親と繋がりがあるものは全て嫌いになってるの、こじらせ過ぎている。

でもまあ、先程書いたように祖父母の優しかった楽しかった思い出はあるわけですよ。おばあちゃんちいくの、好きだった。
で、記憶を頼りに祖父母の家を探しに行きました。
昔々に携帯に祖父母の住所登録してたけど、実家を出たと同時に両親、兄弟の連絡先と共に消した。親族の情報一切なくした。

駅も知らない。まあ無理ゲー。
しかも確か、母があの家さすがに取り壊すとか言ってた気がする。時期は知らんけど。
だから、見つかるとは思ってたかったんですよね。

とまあ、なのに探しに行ったのは、ベタに昔を思い出したかったから。
今の自分は過去の記憶を悪い方向に修正しすぎてる気がする。
でも、家族で楽しい時もあったじゃん。
と思い出したいと思った。
現地行けば何か懐かしさでいっぱいになるかなとか。というか「懐かしい」を良いものにしたかったんだろな。

私にとって子供時代は嫌な記憶だから「懐かしい」を良いものだと思えない。あれ?思いたくない…のか?
うん、過去が嫌なものであって欲しいや。
そうすれば、今の自分がこうなっている理由にできるからかもしれない。
楽しい子供時代を過ごさせてもらったのに、性格が歪んで成長してしまった…と思うと、環境はまったく関係なく、私という人間の性格が生まれつき悪いことが原因に思えて悲しくなる。
そんなことはないのは分かってるけどー。
誰のせいでもないし、環境も出来事も性格も複雑に相互作用しあった結果が今なんだよな。本で読んだ。
過去の改悪願望は、自動思考で自分を悪にすること防止かもしれない。

話が逸れた。戻ります。
今思い返せば、そんな理由で祖父母の家を探しに行ったのですが、普通に見つからないよね。
でも母に連れられて確かこんな感じの駅で降りたなとか、道を右に曲がった気がするとか、祖父母の家の近くにお店あった気がするとか、今まで忘れてた記憶を思い出したのは、意外というか、もっと思い出すの脳が拒否すると思ってた。
実家に居た頃のこととか思い出したくないなって意識して閉じ込めてるとこあるし。

あと、祖父母の家見つけれられなかった(というかもう取り壊してるかも)のはなんかすっきりした。
ああ、もう本当に私の、親族という意味で自分のルーツでもあって、幼少期の家庭的な思い出の場所はないんだなって。
吹っ切れたというか。

これで実家が消滅したら本格的に「帰る場所がない」になれるんだけど。
まだ実家ある。

なんだろな。私は自分のルーツやら帰る場所やらが消えて欲しいとも思ってるんだろうか…。
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