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対話

さっき記事を書いて思ったんだけど、たぶん私が文章を書くときは「対話」だ。
ずっと頭の中で自分と話して、自分に話しかけてる。
しかも、自分が話しかける側と聴く側を両方同時にやってる。

画面に文字が入力されていくのを見るのは不思議だ。
自分が打っているのだから当たり前なのだけど、例えば、勝手に画面に文字がズラズラ打たれて異ったら、たぶん誰かと通信してる
気分になると思う。
チャットみたいに。
いや怖いな。なんもしてないのにめっちゃ文字並んだらこわっ。
でも、まあ、半分くらいそんな気分。

私の半分は私のもう半分に語りかけてる?質問してる?し、半分は書かれる文字を見てる。
みんなこんなもん?考えるって。

で、ここ数年感じてた「考えられない」「自分を認識したくない」ですが、もしかして「やろうと思えばできるけどしないだけ」ではなくて「できない」なんじゃないかなあと。
根拠はなくて、ただ反対に考えてみただけ。

できないのはなんで...?
昔は結構できたのに。

できない理由が見つかったら、できるようになるかな?
と思って考えてみてる。

思い当たるのは、また私は自分の感情を否定してんのかな。
○○とおもってるのを認めたくない、みたいに。
それが脳みそ全体のノイズになってたら堪ったもんじゃないけど。
そうなのか...?

秋が嫌いだった話

秋が嫌いだった。

ずっと秋が嫌いだったなーとふと思い出した。

秋の空気好き!!楽しい!冬になりかけワクワクする!
っ街路樹見ながら歩いてる時に思った。

いや、秋はずっと地雷だった。いつからだろうなあ。
たぶん、大学受験に落ちたとき...?
うーん、でも誕生日がある季節だから嫌いって可能性もある。

私は自分の誕生日が嫌い。
クソ無能コミュ障が生まれた日の何がめでたいんだって思う。
「お誕生日おめでとう」なんてクソくらえ。

親が祝ってくれたことを「毒親育ちの中でも恵まれてる」とは考えたくない。
苦しさに貴賤も上下も付けたくない。
みんな違ってみんなつらい。

話が逸れちゃったけど、なんか色々あって秋が嫌いになってた。
小学生の頃は好きだった気がするんだよなあ。
中学受験...?中学校...?
その辺にありそう。

大学受験の高校生のときもそうだけど、思春期が人生に大きな影響を及ぼすの、人間のクソ仕様だなあ。
リセット可にしろよ。
任意のタイミングで。

リセットはできなかったけど、やっぱり時間の力というのは偉大だな。
無自覚に知らないうちに、秋の地雷がなくなって季節の空気を楽しめるようになってた。
歳とって良いことしかない。

たぶん、単に時間が経つ、歳を重ねるだけじゃこうはならなかったとは思う。
なんだろ、スタートは実家を出たときからでそれから色々感情を育てて楽しさを獲得して。
実家出られたのは幸運だし、頑張ったけどその後も運がとにかくよかった。
あとは本読んでよかった。
小説読んだし毒親本とか心理学も読んだ。

よかったなー。
もう過去になったのか。
秋を嫌いだったことは。
でも過去にはあったのか、そんな時期と自分が。

「忘れない」と「今を生きる」のバランスって難しくない?




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