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自己否定があると人は何もできないのではないか

"できなくなる"?
どっちがいいかなあ。

ここ数ヶ月、色々考えてても文章化しないときが多くてやや勿体なかったなあと思いつつも、
そもそも思考のアウトプットって誰でもなんでもエネルギーいるのかな?

というのも、
私は自分の文章を見たくない。
文章にしてアウトプットしたくない。
自分の思考を、自分で見たくないし、認識したくない。
むしろ気持ち悪さを感じる。
「生理的に無理」という言葉が一番しっくりくる。
 
ていうか、
「自分の全てが嫌い」

20代前半の頃のブログを読み返すと、大体自己嫌悪で苦しんでる。
この世で一番嫌いな存在=自分
が、一番身近にいることが嫌で嫌でたまらない。
さっさと死んでほしい。
この大嫌いなゴミが。

自分への嫌悪感と否定でいっぱいだった。
自己嫌悪は学童期、思春期、青年期前半まで結構自覚してたし、自己分析のテーマだったけど(なぜ自分はこんなに自己嫌悪が強いんだ…?)

自己否定は実家出てから気づいた。

そっかー、私は私の全てを否定したいのかー。
現在進行形でそういう願望があるのかー。

例えば、
私は私の思考を否定したい。
「こんなこと考えてバカじゃないのーーwwww」って言ってる自分がいる。

「考えてること」には、
「将来の希望」「明日の予想」「読んだ本の解釈」「自分の理解(現実とか本とか)」など、頭を使うことの大体がここで否定される。

「こんな風に感じて、アタマおかしーんじゃないのwww」って言う自分もいる。
こんなことされて悲しいとか、悔しいとか。
「嬉しい」と感じてる自分キモいとか。
感情の大体がここで否定される。

あとは願望。
「こんなことしたいなんて、クソなんじゃないか。痛々しいんじゃないか。許されないんじゃないか」
ブスの癖におしゃれしたいとか、マジキモww身の程を知れww
頭悪い癖に勉強好きとかwwwキモッッ
人並みに生活したいとか、何言ってんのゴミの癖にw
と絶えず言ってる自分がいる。

ここまで適当に書いたけど、あとは否定されてないものはなんだろう?

強いて言えば、「自分をキモがる自分」は否定されてない。

不思議なもので、
自分の一番大きい欲求は自己否定な気がする。
欲求ゼロじゃないのが不思議。

自己否定の延長(拡張?範囲内?)で「死にたい」があるのかもしれない。
自分の存在も否定したい。

そんなゴチャゴチャ屁理屈言うだけのゴミなら、今すぐさっさと死ねば良いのにねー。

という感じで、
自己否定が強ければ強いほど、人は何もできなくなるんじゃないか?と。

人や世間のために生きよう……と思って、頑張って生へブーストかけようとしても、
「は??????お前が???誰かのために何か出来ると思ってんの???アホなの??」て言ってくる。

最終的に「死」になるんだよね。
「死」が一番迷惑かけないのかどうかはわからないんだけど…。

最近(?)、「自己肯定感」という言葉をよく聞くようになったけど、

自己肯定感がない=自己否定ではないよなと思った。

自己肯定感0が自己肯定感がない、みたいな。
自己肯定感がマイナスになったら自己否定なんじゃないかなと思う。

自己否定感が強い人間は
自己肯定感を育てる前に、
頑張って自己否定→自己肯定感0まで自分を引き上げなきゃ始まらない。

自己肯定感0まで来て、初めて自己肯定感を積み上げることができるのでは


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