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東京駅に行った話

東京駅にはずっと行ってみたかった。
大学時代、4年間、通学の乗り換えに使っていたけれど。
あのときは大分精神衰弱状態、体は重くて怠くて半分くらい寝ながら歩いてた。
乗り換えだけなのでその経路以外は知らない。
周辺も知らない。駅弁屋があったかどうかも知らない。
そんなの気にする余裕はない。

卒業後知ったんだけど、普通大学生は遊ぶらしい。
折角の大学への通り道なんだからもっと寄り道して見ればよかった。

あのときは乗り換えの電車を待っているときも、電車の出発を待っているときも疲れていた。
くたっと窓に頭をもたれかけて、なんかよく知らない大都会を見てた。自分とは全然関係ない場所。
好きな音楽を聴いていた。
流行っていたか、少し流行遅れか、そんな曲。
ラブソングとかじゃなくて、テンポは早いけど歌詞がアンニュイな曲。
そんな曲を何曲か聴いてた。

大学を卒業した後もその曲を聴くと、東京駅のホームや車内で疲れきって、
「この先に自分の希望する将来なんて来ないけど今はやるしかない。」
「自分が悪いから。」
「なんで私だけ」
「ごめなさい」
「がんばろう。もしかしたらもしかして。」
みたいなことをぼんやり考えてた気がする。

書いててびっくりしたのが、もうあんまり覚えてないこと。
昇華できたのか、単に月日で忘れただけか。
どうでもよくなったのか。

でもあのとき音楽があってよかった。
それまでは音楽と言えばクラシックとか勉強のBGMにいいやつ限定。
集中力があがるとかそんなの。
大学に入って、自分の好きな曲というものが出来て、自由に聞けてた。

東京駅の思い出はこんな感じ。

で、解毒進んで東京駅に行ったらどうなるかなって前々から思ってたわけ。
いや行ったんだけど、行ったけどやっぱり乗り換えとか何かで、あんまり歩き回ったりしなかった。

で、そんなことを「いつかやってみたい」にしてた最近、全然関係ない動機で東京駅へ行った。
好きな作品のグッズがほしくて、ノリと勢いで。
行こうと思ったときに「昔のことを何か思い出すかどうか」をやってみたいとも思った。
思ったけど、それよりその場のパッションで行動することをやりたかった。
今、行けるんだからグッズ買いにいきたい。
やった後悔よりやらない後悔。

偶然、大学のとき使ってた路線。あのときのホームに着く。
時間が経ってるので改装とかしてたけど、大体同じ、わかる。
あ、違うのは時間か。
あのときはいつも昼か夕方だった。夜はない。その時間はバイトしてるから。

あのときと同じエスカレーターに向かって、あのときと同じ下の階に着くとワクワクした。
私はここから先を知らない。
そして、楽しみにしてたことが待ってる。

楽しかったことの詳細は省くけど、結論、めっっちゃ楽しかった。
楽しすぎた。
買わなくてもどんなお店があるのか見て歩くの楽しい(目当てのグッズは買った幸せ)

辛い思い出が上書きされたとは思わない。
上書きされなくていいし、正直したくない。
本当は忘れたくもない。

それでも、今日は楽しかったし忘れたくない日だなと思った話。

対話

さっき記事を書いて思ったんだけど、たぶん私が文章を書くときは「対話」だ。
ずっと頭の中で自分と話して、自分に話しかけてる。
しかも、自分が話しかける側と聴く側を両方同時にやってる。

画面に文字が入力されていくのを見るのは不思議だ。
自分が打っているのだから当たり前なのだけど、例えば、勝手に画面に文字がズラズラ打たれて異ったら、たぶん誰かと通信してる
気分になると思う。
チャットみたいに。
いや怖いな。なんもしてないのにめっちゃ文字並んだらこわっ。
でも、まあ、半分くらいそんな気分。

私の半分は私のもう半分に語りかけてる?質問してる?し、半分は書かれる文字を見てる。
みんなこんなもん?考えるって。

で、ここ数年感じてた「考えられない」「自分を認識したくない」ですが、もしかして「やろうと思えばできるけどしないだけ」ではなくて「できない」なんじゃないかなあと。
根拠はなくて、ただ反対に考えてみただけ。

できないのはなんで...?
昔は結構できたのに。

できない理由が見つかったら、できるようになるかな?
と思って考えてみてる。

思い当たるのは、また私は自分の感情を否定してんのかな。
○○とおもってるのを認めたくない、みたいに。
それが脳みそ全体のノイズになってたら堪ったもんじゃないけど。
そうなのか...?

秋が嫌いだった話

秋が嫌いだった。

ずっと秋が嫌いだったなーとふと思い出した。

秋の空気好き!!楽しい!冬になりかけワクワクする!
っ街路樹見ながら歩いてる時に思った。

いや、秋はずっと地雷だった。いつからだろうなあ。
たぶん、大学受験に落ちたとき...?
うーん、でも誕生日がある季節だから嫌いって可能性もある。

私は自分の誕生日が嫌い。
クソ無能コミュ障が生まれた日の何がめでたいんだって思う。
「お誕生日おめでとう」なんてクソくらえ。

親が祝ってくれたことを「毒親育ちの中でも恵まれてる」とは考えたくない。
苦しさに貴賤も上下も付けたくない。
みんな違ってみんなつらい。

話が逸れちゃったけど、なんか色々あって秋が嫌いになってた。
小学生の頃は好きだった気がするんだよなあ。
中学受験...?中学校...?
その辺にありそう。

大学受験の高校生のときもそうだけど、思春期が人生に大きな影響を及ぼすの、人間のクソ仕様だなあ。
リセット可にしろよ。
任意のタイミングで。

リセットはできなかったけど、やっぱり時間の力というのは偉大だな。
無自覚に知らないうちに、秋の地雷がなくなって季節の空気を楽しめるようになってた。
歳とって良いことしかない。

たぶん、単に時間が経つ、歳を重ねるだけじゃこうはならなかったとは思う。
なんだろ、スタートは実家を出たときからでそれから色々感情を育てて楽しさを獲得して。
実家出られたのは幸運だし、頑張ったけどその後も運がとにかくよかった。
あとは本読んでよかった。
小説読んだし毒親本とか心理学も読んだ。

よかったなー。
もう過去になったのか。
秋を嫌いだったことは。
でも過去にはあったのか、そんな時期と自分が。

「忘れない」と「今を生きる」のバランスって難しくない?




思い出せるようになりつつある

トラウマの話とかでは無いんだけど「思い出せる」というか、振り返れる?

過去が嫌なんですよ。
もう数日前も嫌。

実家を出た当時のことも思い出しなくない。
なぜか。
理由は心当たりあるけど、はっきりとは意識したくない。

うん、自分の過去や心を覗くのを全力で拒否してる。
自分を認識したくない。
はっきり見たくない。

過去だけじゃなくて未来も見たくない。
なーんも見たくない。
気持ち悪いから。
自己嫌悪の一種なのかな。

明日の計画も考えたくないし明日が来るとか思わないで酒飲んでふっと意識飛ばして寝たい。

と、いうここ数年の状態でしたが、少しずつ少しずつ、自分を見れるようになってきた。
なんだろ? 「自分を見れる」状態ってなんか言葉あるのかな。

少しずつなんだけど。

逃避が攻撃と並ぶ2大ストレス反応だとしたら、やっぱストレスだったのかな。

劣等感が邪魔

環境は違うんだけど前も思ったことがある。
いや、邪魔だわ。

そんなとき「劣等感なんかに邪魔されれてる〇〇という気持ちが弱い」「〇〇が強ければそんなこと気にしないはず」って言われそう。一部言われた。

劣等感というか「人の目」なんだよね。
他人(=自分以外の人間)が私をどう思ってるのかが怖い。
気になるというより、その先の「怖い」
いや、まあ気になるけど。
気になるのは怖いからだと思う。

「怖い」が先か劣等感が先か。

根拠はないんだけど「劣等感」が先な気がするなあ。
自分以外の人間より私は劣ってるから、他人が怖い。
自分以外の人間より私は劣ってる=劣等感
か?

と、すると劣等感を解消すれば人の目が怖い⇒人の目が怖くて動けない(考えられない)
が解消されるのか……?

とも思うけど本当にそうなのかは不明。
劣等感ってどっから来てるの…?
親? ほんとに? 納得できるものは?(自分が)
逆にむしろ人が怖いから劣等感になってるんじゃないの…?

そんなことしてる場合かとか、それが最善かとか、
それより具体的な悩みを吐き出せる相手を作る方が解決早いのでは?
とか色々思うけど、
今の私が思いつくことを書いてる。

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