拝啓、愛しのお兄様へ
お兄様、お元気ですか?
私(わたくし)は元気です。
でも、お兄様に会えないからちょっぴり毎日寂しいです。
私お兄様に会うために頑張りましたの。
お兄様に釣り合う女になれるよう、毎日頑張りましたのよ。
お兄様が男子校に行かれると知った日から今日まで。
私はお兄様を忘れた事はございません。
お兄様が華麗なフラダンスを踊れない人間とは付き合えないと、私をふったあの日から…
私今まで血を吐くほどの練習を重ねました。
今では、日本フラダンス連盟から賞を貰える程になりました。
きっと、お兄様もこれで私を好きになってくれるハズです。
この会えなかった何年間、本当に辛かったですわ。
手始めに、お兄様の学校お父様に言って買収させて貰いました。
これで、私とお兄様を隔てるモノはございません。
お兄様、私は早く貴方に会いたいです。
屋上にて、
腰みのふってお待ちいたしております。
愛しのお兄様へ
軽部杏
ぐしゃり。
川下憲伸(かわしたけんしん)は手の中の物を音をたてて、くしゃくしゃに丸めた。
ジトリ…、とその厳つい顔の額には脂汗もかいている。
体は小刻みに奮え、顔色も悪い。
「ん?憲伸どうしたんだ?急に顔色悪くして…」
憲伸の異変に、友人・小暮が気付き声をかけても憲伸はその場に突っ立ったまま。
小さく身体を震わせながら、口をぱくぱくと動かす。
「…か、帰って来たんだ……あいつが……」
「…?あいつ?」
憲伸の表情は硬く、異常とも言える。
普段は無表情の、柔道部主将のこの男が珍しい…。
それも”なにか”に怖がっているようだ。
「…だ、だが…ここには来れないハズ…。
…だってあいつは…あいつは…」
「おにいさまぁー」
不意に、騒がしい声が聞こえてきた。
バタバタとした足音。
憲伸は反射的に逃げようと、声とは違う方へ身体を向ける。
「おにいさまぁー」
「ふごぉ…」
しかし、声の主の方が憲伸よりも反応は早く……
気付いた時には憲伸は、声の主にガッチリと抱き着かれていた。
クルクルと巻き毛が可愛い美少女に。
「おにいさま、わたくし、ただいま戻りました」
ニッコリと少女が可愛らしく微笑む。
憲伸はその笑みで絶望にも似た立ちくらみがした。
川下憲伸。高校二年生。
柔道部主将。
ガッチリとした2メートル近い肉体に男らしい身体。
キリリとした眉に鋭い目はいかにも体育会系らしいワイルドな男だ。
少し、ゴリラなんかにも似ているかもしれない。
真面目で努力家。
しかもこの男、柔道部主将なだけあってやはり強い。
この学校では誰も勝てないほど、”無敗”記録も持っている。
得意の一本背負いは、今まで一度も外した事がないらしい。
普段無口な憲伸の視線はそれは怖いもので、学校内ではこの男は密かに恐れられていた。
そんな憲伸だが、たった一つ苦手なものがある。
それが、目の前にいる”美少女”だ。
「…杏…どうして…」
憲伸は少女を身体に貼付けたまま、動揺を隠せぬように言う。
少女はニコニコと嬉しそうに微笑みを浮かべながら、会いにきちゃいました、等と言っている。
少女の名前は、軽部杏。
先程、憲伸に手紙を出した人間だ。
「…な、んで…お前…」
「酷いです、お兄様。私ずっと屋上で待っていましたのに……放置プレイですかっ!それとも焦らしプレイですかっ」
うるうると目を潤ませながら、憲伸のシャツを握りしめ上目遣いをしながら見つめてくる杏。
その姿、どこぞのアイドルよりも数倍可愛い。守ってあげたくなるような、可憐な雰囲気がある。
少し垂れ目がちな大きな瞳。子供のような少し童顔な顔。
クルクルとした巻き毛はまるで人形のようだ。
憲伸は、真っ赤に赤らむ頬をそのままに必死に杏から顔を背けた。
「か、帰れ……。ここは、男子校だ。女のお前がここに来る事など……」
憲伸は絞り出すように杏へ咎める言葉を口にする。
元々、憲伸は口下手だ。
しかも、目の前にいるのが自分の苦手な少女だと尚舌が回らなかった。
そもそも、この少女がふわふわしていて人形のように可愛すぎるのもいけない。
憲伸は強い男だが、なにぶんモテない。
なにせ、くそ真面目で顔も厳ついからだ。
面と向かって憲伸に突っ掛かる《少女》などこの杏くらいなものだ。
「大丈夫ですわ。お兄様。私手紙にも書いた通りお父様に言って、この学校買収しましたの」
「何…」
「だから、ずっと一緒にいられますわ」
幸せそうに微笑む杏。
憲伸は思わず頭を抱えた。
「あのなぁ…」
「あ、私まだ入学手続きがあるんでしたわ。すいません、お兄様。後で屋上で…。私腰みの振ってお待ちいたしておりますわ」
杏はそういうと、ペコンと頭を下げバタバタと足音をたてながら姿を消した。
来るときも突然だが消える時も突然だ。
まるで、嵐のようだ。
憲伸は、杏が消え去った方向を向いてハァ、と深い溜息を零した。
「なぁ…、あの子って誰さ。お前にあんな子がいたとはなぁ…」
ニヤニヤ、と今まで黙って事を見ていた友人・小暮が馴れ馴れしく憲伸の肩に手を置く。
憲伸は若干眉を吊り上げながら、幼なじみだと小さく零した。
「うへぇ…あんなカワイコちゃんが幼なじみなの?
お前みたいなくそ真面目柔道命な硬派ゴリラが」
「………」
「正直、お前は余りにも女っけないから俺はお前をホモだと思っていたゼ?」
小暮はアリスの物語に出て来るチャシャ猫のように、からかうようにニヤァと笑みを浮かべる。
憲伸はそれを呆れたような目線で見、それから自分のクラスの教室へ何も言わずに入っていった。
「なぁ、お兄様って呼ばせているなんてずいぶんむっつりなのネ。憲ちゃんは」
「………」
「何々?どうなの?彼女とは?どんなお付き合いしてるのさ」
教室に入っても、立て続けに質問をしてくる小暮。
憲伸はそれをうるさそうに顔をしかめながら、自分の席の椅子をひいた。
小暮も当然のように、憲伸の前の席のクラスメートの席を勝手に座った。
「んで、なんであの子はここにいる訳?ここは男子校どころか外部生も入れないハズなんだけど」
小暮はニマニマと笑いながら質問を続ける。
相変わらず、憲伸はむすっとしたまま机に肘をつけそっぽを向く。
「なぁなぁ、どうなのさ…」
「……買収、したんだろ…」
「ヘェ。買収ねぇ…。凄いじゃん。
彼女。お金持ちなの?」
「……あぁ、島一つくらい軽々買える程な……」
「島!うへぇー。んじゃ学校なんか簡単に買えんじゃん。」
「そだな……」
憲伸は心あらず…というように適当に小暮の質問に返事を返す。
頭に占めるのは、杏の事だ。
杏は昔から、憲伸が言う事全てをやってきた。
テストで百点から始まり、可愛くないと駄目まで。
フラダンスを華麗に踊れないやつとは付き合えないといえば完璧にマスターし、やってくるし……
とにかく、杏は憲伸が好きで憲伸の為なら何でもしてくるのだ。
例え、それが自分の身を盾にしても。
現に、今だって杏は自分に会いたいが為に学校を買収した…、と言っていた。
ここは、外部生入学など出来ないにも関わらず、だ。
「はぁ…。お前の為に学校買収しちゃうなんて…
なんてーの?健気?ていうか世間知らずというか……」
「それが、杏だ……」
「はぁ…。んじゃ何?
買収されたここはお前と幼なじみちゃんの《恋愛学園》になっちゃうわけ?」
うへぇ、やめてくれーといいながら舌を出す小暮。
案の定、小暮の仕種に機嫌を悪くした憲伸は気難しい顔をし眉を寄せた。
このチャラチャラとした小暮と憲伸は親友同士なのだが、如何せんタイプが違う。
憲伸は度々、この小暮の軽い感じについていけない時がある。
「…杏とは、恋人ではない……」
「は?」
「…杏は、俺の事を好いているらしい………だが俺は……」
憲伸は気難し気に唇をへの字に曲げる。
小暮はそんな、憲伸の表情に目を丸めた。
先程、憲伸に抱き着いてきた少女は大型でカタブツな憲伸なんかが抱きしめたら潰れそうなくらい、愛らしく可憐な少女だったからだ。
そんな少女にこのゴリラは思われ、尚且つ好きではないと言っている。
遊び人な小暮でさえ、あんな美少女付き合いたくてもなかなか付き合えないのにだ。
「お前は好きじゃないの?
あんな超スーパーカワイコちゃんを?」
「それは……」
憲伸は小暮の攻めるような口調に、口ごもる。
そして突然、イライラと小指で机を叩きはじめた。神経質そうに。
「な、なんだ…?」
「お、俺は……正直わからんのだ……。
そ、その。恋というものを……」
「はぁ…」
小暮はもごもご口ごもる憲伸に、思わず呆れたように言葉が漏れた。
恋をしらない?
いや、カワイコちゃんが「私、恋知らないの……だからぁ、教えて?」なんて言えばそれは可愛いだろう。
だが、しかし。
目の前にいるゴツく厳つい男が顔を赤らめそんな事を言っても……
全く持って可愛くない。
むしろ、寒いだけだ。
「あ、あの……憲」
「お、俺の事をあいつは……か、カッコイイなどと言うのだ……。
そ、側にいるとドキドキすると……」
「は、はぁ……」
「お前は俺にドキドキするか?」
「はぁ?そんな…滅相もない……」
その憲伸のコワモテから喰われるんじゃないかドキドキと思うときはあるけどね……。
小暮はひっそりと心の中で付け足す。
「だ、だよな……。杏が言うにはそれは杏が俺を好きだかららしいんだが……」
「なんだ、ノロケか」
「違……。
俺はどうしたらいいかわからないんだ……その、杏に対して……」
「はぁ…」
嫌いじゃないなら付き合えばいいんではないか?
小暮がそう聞くと、憲伸は首を横にふる。
「だ、男女交際とは……もっと礼儀正しく気持ちを重んじるものだ…」
と。
小暮は憲伸の返事に口をぽかんと開ける。
今時、そんな事言う男がいたのか…と。
「じゃあ、好きでも何でもないなら、そのままにしてたら?あ…いっそ嫌いって言えばいいんじゃないか?」
そして、泣いているところを俺が優しく慰めてやるよ。
小暮がそう呟けば、憲伸は眉を吊り上げ小暮を睨んだ。
その氷のような視線は軽く、人を殺せそうだ。
一般人ならこの目線だけで、気絶するだろう。
普段見慣れている小暮ですら、その視線には一瞬たじろぐ
「冗談だってば…。でもそんなに反応するんだ。お前だって杏ちゃんの事が気になってんじゃねーの」
「それは………」
「あーもうウダウダと…お前はどうしたいんだよ!」
「それが困っているからお前に聞いているんじゃないかっ!」
憲伸は唇を尖らせ、恥ずかしそうにそっぽを向く。
だからお前がそんな仕種したところで、可愛くないんだって……と小暮はうんざりと肩を竦めた。
「お前の正直な気持ちを言えよ。そしたら俺も的確なアドバイスをしてやる」
「正直な…?」
憲伸は縋るような視線を小暮に送る。
小暮はそんな憲伸を安心させるかのように、こくりと一つうなづいた。
憲伸はその仕種に安堵し、ゆっくり唇を開く。
「…俺は…、正直杏を可愛いと思っている………
だ、だが…俺はこんなだし杏とは釣り合えないと思っている。
恋をしているかと言われればわからないが、杏は嫌い…ではない。む、むしろ好きな方だ」
「へ〜」
この硬派で厳つい男がそんな風に思っていたとは。
憲伸を恐れている男達が見たらどう思うか。
考えるだけで、爆笑ものだ。
小暮は、特に憲伸を怖がっているこの学校の不良を頭に描く。
あんぐり、とした顔が簡単に想像がついた。
「そ、それでアドバイスは……」
ちらり、と上目遣いで小暮を伺う憲伸。
小暮は憲伸に、にっと微笑むと
「ま。恋愛なんてもんは頭で考えるより本能のままでいけばいいんだよ」
そういい放ち、ピン、と憲伸のデコにデコピンをする。
憲伸はデコを押さえながら、「本能…?」と首を傾げた。
「そうそう。あれこれ考えるよりも、突っ走った方がいいんだぜ?
ウダウダと言っている時間が無駄無駄。恋愛ってのはね、頭より体。気持ちで動くんだよ」
「……そういうもの……か」
「そういうもんだ」
「…そう…か」
憲伸は若干、顔を緩ませふんわりと笑う。
何故こうもこの男は厳ついのに仕種は可愛いのだろうか……
小暮は苦笑し、憲伸に親指を立てた。
「ま、頑張りたまえよ。若造」
「あ、あぁ」
「おにいさまー」
バタバタと騒がしい音。
杏が帰ってきたみたいだ。
「私正式に明日からお兄様と一緒にこの学園に通えますのー」
手をブンブンと振りながらこちらへやってくる杏。スカートを翻しながらずかずかと走ってくる姿は生足がチラチラと見え、刺激的だ。
杏の白い太もも。
杏は憲伸のもの、とわかっていてもついつい小暮は男のサガでひらひらと揺れるスカートばかり見てしまう。
「杏…そんなに走ると転ぶぞ」
「なぁに?おにいさ……きゃっ…」
「「杏」」
憲伸が言ったすぐ側から杏は体制を崩す。
憲伸と小暮は慌てて杏に近寄り……
数秒早かった小暮が杏を抱き留めた。
「……え……」
瞬間、小暮の右手手の平に有り得ない《物体》の感覚がする。
小暮の右手は、丁度腰を支えようとして失敗しあらぬ部分を触っていた。
そう、大事な……
ピーーー(放送禁止用語)
小暮はまさか…と思い、右手を動かす。
ぐにゅ。
ある。
あるのだ。
女になくて、男にあるのが
目の前の《少女》杏には。
「へ、へへ変態!!」
杏は思いっきり小暮を平手打ちにする。
そして逃げるように、憲伸の腕をとり教室を出た。
「おにいさま、あいつ変態です…あ、あろう事かぼく……私の…!
あいつ、きっと露出狂に将来なりますわ」
「いや、あいつは露出よりストーカーになりそうだぞ」
(変態はどっちだ!いや、それよりも憲伸!お前俺の事なんだと思っているんだっ)
小暮は廊下で大声で悪口を言っている二人に心の中で突っ込む。
そして、いまだに触った感触が抜けず固まってしまった右手を見つめた。
「男……だった……」
スカートの下に確かにあった《モノ》
それに、よくよく考えれば杏の声は女のものよりもハスキーな感じだった。
「…杏ちゃんは……」
軽部杏。
そこいらの美少女より可愛らしいお人形。
そして…
「男だった……」
可愛らしい男の子。
小暮は悩む。
ただでさえ、奥手でカタブツの親友にあんなアドバイスしても良かったものだろうかと……。
硬派な厳つい男・川下憲伸。
憲伸命で女装し、半ば本気で憲伸のお嫁さんになりたいと思っている軽部杏。
彼等の学生生活は始まったばかりである。