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とにかくずっとつらい

何が辛いかをブログに書きたい気持ちと、その辛さの周辺情報を書くのが嫌な気持ちと、ごちゃごちゃになって何も書けない。

とにかく辛いがまだ衝動的に死ぬまでじゃないから前よりは生きてそう。

前より生きてそうでも、前より辛いくないかと言われるとどうだろう。
でも前より全然布団から出られる。
なんで…??あのときと何が違うんだろ。

「〇〇さんって自己開示しないよね」と言われたことがあるんだけど確かに。
ネットで自己開示そこまでするものかどうかもあるけど、
だからと言って現実が怖くないかと言えばそうじゃないし。
現実だと目の前の相手が、喋った瞬間に攻撃してくるじゃん。
ネットも拡散の怖さはあるけど、そもそも誰にも見られないって安心感はある。
現実はやだなー。直接その人の前に存在して話さなきゃいけない。やだやだ。
誰も私を見ないで欲しい。

あ、意志がなくなってきてるから辛いんだ。意欲??
セルフ・ネグレクトに近づいてる気がする。
自分がどうなってもいい。
どうでもいい。
死んでもいい。
生きてもいい、とは思わない。
生きるのは辛いじゃん。

ヤケクソ。

祖父母の家を探した話

罰当たりと思われるかもしれないけど、私は祖父母の葬式に行っていない。
いや、なんかもう家族親族の話全部忘れたくて…。
自分に家族はいなかったものとしたい。無から生まれたことにしたい。

母から連絡をもらって、「行かないの?」って言われたら余計にいきたくなくなった。
正直、祖父母のことは好きだし、思い出せば良くしてもらった思い出ばっかりなんだけど、もうなんか子供時代も忘れたいんだよな。
あとはまた別に母からちょっとあることを言われて祖父母と疎遠になってたことも理由にあるんだけど、それは個人的要素強すぎて身バレが怖いのでここには書くのやめます。

両親と繋がりがあるものは全て嫌いになってるの、こじらせ過ぎている。

でもまあ、先程書いたように祖父母の優しかった楽しかった思い出はあるわけですよ。おばあちゃんちいくの、好きだった。
で、記憶を頼りに祖父母の家を探しに行きました。
昔々に携帯に祖父母の住所登録してたけど、実家を出たと同時に両親、兄弟の連絡先と共に消した。親族の情報一切なくした。

駅も知らない。まあ無理ゲー。
しかも確か、母があの家さすがに取り壊すとか言ってた気がする。時期は知らんけど。
だから、見つかるとは思ってたかったんですよね。

とまあ、なのに探しに行ったのは、ベタに昔を思い出したかったから。
今の自分は過去の記憶を悪い方向に修正しすぎてる気がする。
でも、家族で楽しい時もあったじゃん。
と思い出したいと思った。
現地行けば何か懐かしさでいっぱいになるかなとか。というか「懐かしい」を良いものにしたかったんだろな。

私にとって子供時代は嫌な記憶だから「懐かしい」を良いものだと思えない。あれ?思いたくない…のか?
うん、過去が嫌なものであって欲しいや。
そうすれば、今の自分がこうなっている理由にできるからかもしれない。
楽しい子供時代を過ごさせてもらったのに、性格が歪んで成長してしまった…と思うと、環境はまったく関係なく、私という人間の性格が生まれつき悪いことが原因に思えて悲しくなる。
そんなことはないのは分かってるけどー。
誰のせいでもないし、環境も出来事も性格も複雑に相互作用しあった結果が今なんだよな。本で読んだ。
過去の改悪願望は、自動思考で自分を悪にすること防止かもしれない。

話が逸れた。戻ります。
今思い返せば、そんな理由で祖父母の家を探しに行ったのですが、普通に見つからないよね。
でも母に連れられて確かこんな感じの駅で降りたなとか、道を右に曲がった気がするとか、祖父母の家の近くにお店あった気がするとか、今まで忘れてた記憶を思い出したのは、意外というか、もっと思い出すの脳が拒否すると思ってた。
実家に居た頃のこととか思い出したくないなって意識して閉じ込めてるとこあるし。

あと、祖父母の家見つけれられなかった(というかもう取り壊してるかも)のはなんかすっきりした。
ああ、もう本当に私の、親族という意味で自分のルーツでもあって、幼少期の家庭的な思い出の場所はないんだなって。
吹っ切れたというか。

これで実家が消滅したら本格的に「帰る場所がない」になれるんだけど。
まだ実家ある。

なんだろな。私は自分のルーツやら帰る場所やらが消えて欲しいとも思ってるんだろうか…。

自分が嫌いになっていく

生きるにつれて、どんどん自分が嫌いになっていく。
歳を取れば取るほど、自分が嫌い。気持ち悪い。

普通の人はなんでこうならないんだろう。
あれ?逆になんで自分はなるんだ?

確かに解毒で激しい自己嫌悪は減ったけど、一日一日自分に対しての「嫌悪感」は増えて積み重なっていく。
改めて考えるとなんでだろう...。

よく聞くのが「自分のダメなところにばかり目を向けてしまうから」
うーん、それはあるな。

じゃあ積極的に「良いところ」見ればいいかというと、それも気持ち悪い。
「良いところ」を認める...より前の認識すらしたくないので思考から消す。
いわゆるホメ療法が気持ち悪くて仕方ない。

というか、この「気持ち悪い」を嫌悪感という言葉に当てはめてあってるのかわからないけど、どうなんだろ。

自分の全部が気持ち悪い。
......という訳じゃないな!???
今書いててびっくりしたわ。

ここのブログはそこまで気持ち悪さを感じないし、自分の創作物は寧ろ好きだわ。
あれ???

今自分が気持ち悪いと思ってるのは、今日一日の自分を客観的に見たときの自分の姿だ。
分かりにくいけど、例えば今日のお昼に何やってたかな、とそのときの自分を思い浮かべると気持ち悪い。
いや、きもっ。

今日の考察(という程でもない)はここまでにしておこう。
自信のある人間になりたい。
ハキハキ喋れる人間は何を考えてるんだろうか。
笑われたり、暴力振るわれたこと無さそうだな。
安心があっていいな。
今は練習あるのみなのかな。
は〜、するか練習。前よりは前進してるよ。
おっ、褒められるじゃん自分。
若干キモイけど。

特効薬は没頭

今色々重なって、劣等感でしんどいです。
いや、正確に言えば劣等感そのものだけではなくて、恐怖もあるかな。

能力無さ過ぎて迷惑掛けたら怖い。
「迷惑掛けたらどうしよう」じゃなくて「怖い」
たぶん、迷惑掛ける=悪=死ね、なんだろな自分の中で。

ていうか「恐怖」が大半なのかもしれない。
「不安」…じゃなくて「恐怖」

ずーっと、恐怖の感情に付きまとわれてるな。
なんなんだろ…。

そんな劣等感と恐怖で死にたくなる24時間毎分毎秒の中でも、それを忘れられる時がある。
何かを作ってるとき。

私は文字を書くのともう一つが趣味なのですが(身バレ防止のためぼかします)
それをやってるときは何もかも忘れて没頭できる。
「没頭」…とは本当に「目の前の事象以外何もない」という状態。
考えられない…というか視界に無い。

それとは別に好きな漫画とかアニメにわくわくするのもあるけど、それはちょっと違うと思うんだ。
自分の場合は。
それはそれで最高に楽しいし生きてるって気がする。
それで現実や生きることに引き戻してくれたりもする。
人生サイコー!!!って思える。

うん、でもそれとはまた別。
また別で、達成感とか自分を取り戻した感あるんだよなあ。
今こうやって、ブログの文章を書いてるのも好き。

欲しいのは「許し」

自己肯定感とよく聞くけど、正直ピンと来なかったのもあって「自分にとって自己肯定感とはなんぞや?」とずっと考えてた。
で、ふと思いついたのが、
「肯定してほしい/肯定したい」ではなく「許されたい」なのでは。

私は自分の感情、行動、思考、自分の存在そのものを否定してきて、実家出て解毒始めて少しずつ肯定できるようにはなってきたんですが。

例えば、
苦しんで”いいんだ”
楽しいんで”いいんだ”

とか。「〇〇していい」と思うことを、「自己肯定」だと思ってた。
いや、今これ書いてて思ったけどやっぱ「許し」だな。

苦しむことに許しが欲しいし、楽しむことに許しが欲しい。
「許されたい」のか「許可が欲しい」なのかはまだわからない。

あー、自分の存在は「許されたい」だな。
自分で自分を肯定したいのではなくて、自分以外の他者(や世間)に「許されたい」

「楽しんでいい」と他人に許されたい/許可が欲しい。
自分が感情を持つことを許可されたい。

なんで、他人に自分の許可を求めてるんだろうなあ。