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バタヤンの思い出

 昨日の嵐は何だったのかと思うくらい、今日は見事な快晴。ポカポカ陽気で春らしくなったね。

 イーサンが集金で忙しいと言うので、スタミナたっぷりのお弁当を作って持っていった。眼鏡をかけ、ピンクのシャツを腕捲りしてて、なんか、なんかいい男じゃないの?と思って、じっと見てたら「熱あるんじゃないか?」と私のおでこに手を当てる彼。熱なんか出してないわ。見とれただけよ(笑)。


 バタヤンこと田端義夫さんが亡くなられたんだってね。いやー、懐かしいひとだ。今も現役でステージに立ってるのは知っていたけれど、94歳だったそうな。
 うちの両親がバタヤンが好きでよく聴いていた。NHKの歌謡ショーや、懐メロ番組の大トリと言えばバタヤンでしたな。両親が夢中で観ているものだから「(裏番組の)ピンクレディー見せて!」なんて言えなかった。

 あれは私が五、六歳ぐらいの頃だったろうか。農協で一年に一度、盛大なお祭りがあり、ホールで歌手のコンサートが行われている。農協の組合員は無料チケットが貰えるので両親が楽しみにしていた。
 その年のコンサートはバタヤン!母はお気に入りのワンピース姿、父はワイシャツ姿で、長姉が運転する車で農協のホールに。なぜか私も両親とバタヤンのコンサートを観ることになり、父の膝に乗ったり、母の膝に乗ったりして観てたのだが、悲しい歌ばっかりで飽きてきた(笑)。
 ステージもそろそろ終盤、バタヤンが歌いながらステージから降りて来て、私たち親子の席に近づいたと同時に曲が終わった。バタヤンは長いギターのコードとマイクのコードを引っ張りながら歩く。今みたいなワイアレスじゃなかったからね。
 バタヤンがいきなり「お嬢ちゃん、可愛いね!おじいちゃんおばあちゃんと来たんか?幾つ?」と、私にマイクを剥けたので精一杯大きな声で「これはお父さんで、これはお母さんだよ!」と答えた。会場は爆笑(笑)。父を見ると今にも雷が落ちそうなくらい赤く染まった顔で私を睨んでいた。すると、バタヤンは「あ、ゴメン!お父ちゃんお母ちゃんな!じゃ、お詫びに握手。おーい、このお嬢ちゃんにジュースを持ってきてや!」と両親とわたしに握手してくれ、スタッフの人から瓶のリボンオレンジを貰ったけれど栓抜きがないっていう(笑)。
父の赤い顔はいつの間にか、元に戻っていた(笑)。
 帰りの車で父が「バタヤンがじいちゃんっていっているのに、そうだって答えりゃいいのを、バカか!」と怒り始めたところで母が「まだ小さいんだから、そう言わないで…」となだめて丸く治めたのだった。
 父としては、四十代半ばで出来た私のことをはずかしかったのだと思う。でも私のお陰でバタヤンと握手出来たんだからいいじゃん!(笑)
 バタヤンとの懐かしい思い出だった。日本で初めてリッケンバッカーを弾いた男、毎晩違う女性と寝ていた…など伝説は数知れず。これからは天国で楽しませてくれるだろう。ご冥福をお祈りいたします。

 他にもチータ(水前寺清子)、淡谷のり子、など歌謡曲のスターと似たような思い出が…(笑)。






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誕生日 11月8日
地 域 福島県
職 業 マスコミ・芸能
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