今まで、私の中では、フランという単語と、遊ぶという単語が結びつかずにいた。フランが遊んでいる姿が想像できないというか。違和感ありありだった。

そして最近、その理由に気づいた。

フランって、生まれてこの方、普通の子供みたいに遊んだことがない。
おままごともかけっこも人形遊びもかくれんぼもおえかきもやったことがない。

フランは生まれてからほとんどすぐに働きはじめ(この文章はちょっとおかしいが、これ以外に書きようがない)、以降は同年代のいない職場でひたすら仕事の毎日。同僚はおばちゃんや、せいぜいがお姉さん世代ばかり。主人は老人。
というか、フランが同年代の子供に初めて出会ったのって、アルナーに来てからだし。

同僚の赤ん坊の面倒を見ることはあっただろうし、休憩中は同僚とおしゃべりしたりしてただろうし、ラザと和気藹々したこともあったろう。でも、上に挙げた遊びをやる相手はいなかった。そういう遊びを教えてくれることもなかっただろう。
何よりも、フランは遊ぶ時間があるなら菓子を食べる子供だった。

だからつまり、「フランが遊ぶ」という文面に違和感を覚えるのは仕方ないことだった。


話ちょっと変わる。
あの世界では、15歳で成人するのが一般的(諸民族による差違はあり)なのだけど、働きはじめるのはもっと前からでも良い。
(「成人」は、結婚可能な年齢に達したという意味で使われている。ただし、実際結婚するのは18〜20歳な人が多い)

大抵の子供は、物心ついた頃から段々と家の手伝いを覚えたり、あるいは勉強を習ったりする。
だから、フランの年齢できちんと働きはじめることは、少し早いと思われることはあれど、常識外れなほど早いわけじゃない。
ロジーは、近所の赤ん坊(てかイルの子)の子守をしながら他の子供らと遊んでいる。
ユリウスの孤児院のメンバーは、(成人したら叩き出されるけど)成人するまでは孤児院で一般知識や集団生活を学び、社会に出る準備を整えている。

子供だけど労働者、というのは珍しくない。
ただし、フランみたいに「子供らしくいられた時代」が全く無いのは珍しい。