『マルドゥック・スクランブル 新改訂版』
冲方丁
2003年5、6、7月にハヤカワ文庫JAより刊行された『マルドゥック・スクランブル(全三巻)』に大幅な加筆訂正を施した合本版です。
元のは読んだことがありません。
別冊マガジンで連載していた漫画はちらちら見ていましたが、大まかなストーリー以外はうろ覚えでした。後半は特に。その分、ビジュアルを脳内で浮かべつつ読めたから良かったです。
「死んだほうがいい――」
これは、全てを失った少女の再生の物語。
疑問が反響する/ぐるぐる回る=「どうして私なの?」
答えを知る為に少女は戦う。
「死にたくない――」
様々な人達との出会いの中で、少女は生きる力を手に入れる。
やがて鏡の向こう側で、腐った卵の中身=答えが示される。
終始緊張感のあるストーリー/相手が子供だろうと構わず容赦無く突き付けられる現実/そして絶望の淵から立ち上がって駆け出す主人公――と『シュピーゲル』シリーズから冲方丁に入って行った私にとっては馴染みある要素ばかりでした。
また、全てを奪われ「どうして私なの?」と疑問を繰り返す姿は、全てを与えられて「何で俺なんだ」と問い続けた『光圀伝』の光圀を彷彿とさせました。『マルドゥック・スクランブル』の方が先に書かれた作品ですが、この『新改訂版』が『光圀伝』と同時期に発売されていたことも考慮しなければなりません。鏡合わせの命題、もう一つのアプローチだと私は考えます。
そして捲土重来、不屈の主人公の姿は『天地明察』や『はなとゆめ』とも重なりました。
私が冲方氏の作品が好きなのはこういう部分です。作品の根底に流れる、マグマみたいな想い。作品によっては若さ剥き出しの勢いがあったり、老成していたりしていたりもしますが、ぶれないんです。
色々述べましたが、シンプルに言うとこうです。
絶望しても諦めない、立ち上がって戦う主人公の姿は最高に格好いいって思いませんか?
追記から感想です。
ネタバレ注意です。
さて。
ひょっとしてこれは少女とネズミのラブストーリーなのではないでしょうか。
冗談半分、本気半分でそう思っています。
煮え切らない男(金色のネズミだけど)と、愛されるなら誰でも良かった少女が出会って、相互に良い影響を及ぼし合う関係性となる過程が丁寧に書かれていました。
最初はウフコックがリードするのかと思ったのですが、彼もバロットに気付かされることがあって、単にする/される関係でなくて、補い合う関係でした。やがて終盤ではバロットが「愛するなら貴方だけがいい」と言い、煮え切らなかったウフコックがとある選択をします。この相補的関係の構築が良かったです。
ストーリーに対する印象はこんな感じです。
序盤――「よくこんな変態集団を思い付いたなぁ」という感のある畜産業者の登場/エロさとグロテスクさでキャッチーな話運び。
中盤――反省/後悔/自己を見つめ直す/再起/カジノという新たな戦いの舞台へ。
終盤――目的の達成=自分のゲームの決着/だがそれとは別の決着=ボイルドとの対決。
(クランチ文体を使いこなせるようになりたい)
キャラクターについては、「バロットが虚無に飲まれた姿」を示唆するボイルドという敵を登場させる一方で、バロットの成長の目標としてベル=ウイングという老婦人を登場させるという構造がいいなと。冲方氏の作品はろくでもない大人も一杯登場するのですが、迷う主人公に道を示してくれる、頼もしい大人もちゃんと登場します。いつも「大人らしい大人」が書かれているんですね。
これはドクターの書かれ方に顕著だった様に思います。ドクター=イースターは常にバロットを気遣っていました。ぎこちないながらも徐々に距離を縮め、カジノのレクチャーがきっかけで打ち解けるのが微笑ましかったです。個人的には、ブラックジャックの時、バロットにチップを託すドクターが特に格好良かったです。
冲方氏の作品はこれからもどんどん読んで行きたいです。とりあえずこの人の作品なら読みます。
『テスタメントシュピーゲル』も楽しみです。完結したらシリーズ既刊全部を一気読みする所存。