※好きな女の子を天使とか言う男
※病みかけのアプローチ
一目惚れほど信用できないものはない。断言してもいい。ただし、一目惚れした女が、自分が惚れるべき要素を兼ね備えている、ということは稀にある。
「野球のチケットがあるんだけど、観に行かない?」
俺は目の前に座っている村井に言ったが、村井が野球に興味のないことはリサーチ済みである。そして、村井の隣に座る遠藤は、野球が好きであることもまたリサーチ済みである。
「どこの試合?」
そう言ったのは、やはり遠藤だった。
「巨人中日。今度の水曜のナイトゲーム」
「ドームの試合だ。いいな〜」
遠藤は羨ましそうにそう言った。
そうだろう。勝てば首位がひっくり返るかもしれない試合だ。巨人ファンの遠藤が気にならないはずがない。
余程羨ましかったのか、それとも自覚してやっているのか、遠藤は甘えた声で言った。恍惚の嘆息である。それは遺伝子レベルで俺の心をくすぐるように仕組まれている。
こういう女らしさを嫌う男が時々居るが、彼らは誰にでもそういう声を出す女の貞操を嫌っているだけだ、というのが俺の見解である。独占欲が損なわれるから男のプライドが傷付く、ということは俺にも十分理解できる。もし自分にだけ甘えた声を出されたら、彼らだって容易に籠絡されるだろう。
俺には、遠藤がこういう声を出すことさえ想定通りだ。だからむしろ嬉しくて笑いを堪えられない。
俺はにっこり笑って村井を見た。
「来る? 2枚だけあるから、色んな人を誘う訳にもいかなくて」
村井は「うーん」と唸った。
当然だ。村井はボールとファウルの違いさえ分からないのだから。
困った顔をした村井は遠藤を見た。
「遠藤行ったら? 遠藤じゃダメ?」
「え、なんで? 村井くん、行かないの?」
遠藤の驚いた顔、可憐だ。
「ありがたいんだけど、その日はちょっと予定あって」
興味がないとは言わなかった村井の断り文句は大人だった。講義に出る以外は引きこもりの村井には、月に1回の予定さえないことがざらなのに。こんな断り方をするとは感心だ。野球好きな遠藤に遠慮したらしい。俺はちょっと村井を見返した。
「いやー…」
遠藤は、もちろんここで餌に食い付くほど卑しい女ではない。何かを食べたいとか、何処かへ行きたいとかいう要望は、自分からは滅多にしない。グループ内でもそういうキャラクターで通っている。
俺は遠藤と初めて会った時に殆んど直感で遠藤を好きだと思ったけれど、遠藤の内面を知ってからさらに好きになったのだ。
俺はちょっと考える振りをした。そして言った。
「俺も、遠藤みたいな可愛い女の子が来てくれたら嬉しい」
「そういう…」
遠藤は批難がましく俺を見たけど、俺は素知らぬ振りして笑顔を見せた。
「どうする?」
「じゃあ、行かせてもらおうかな」
「オッケー。じゃあ水曜の講義終わったら連絡ちょうだい」
遠藤は想定通り、ゆったり笑って頷いた。垂れ目の目尻が下がるので、とことん善人そうな表情になる。俺はその顔がとても好きだ。
俺はそれからもまめに教室や食堂で遠藤と居る時間を作り、夜遅くなった時にも紳士的に見送り、偶然を装って二人きりになることを繰り返した。これまでこの手を使って、上手くいかなかったことは無い。
二人にだけわかる話題を作ること、それが親密になる為の第一歩だ。
半年ほどはそうやって距離を縮めて、俺は今日も遠藤を付けていた。
家庭教師のバイトがある日だ。中学生に2時間教えて、夜は大学に戻って図書館で勉強する。ここ2か月ほどはそのスケジュールだ。今日もそうだろうと思っていた。
遠藤は白っぽいスカートに燕脂色のセーターとデニムのジャケットを着ている。それは遠藤の淑やかさと穢れなき清廉さを体現するようで素晴らしく遠藤に似合っていた。俺は遠藤の姿を写真に何枚も納めて、彼女がバイトを終えるまでの間それを眺めて悦に入った。
マンションから出てきた遠藤はいつものように携帯をチェックしながら駅に向かった。
遠藤はどんな風に教えるのだろうか。
先生、って呼んでみたい。
俺は自分が中学生の時に遠藤が家に来てくれるという妄想を楽しみながら後を付けた。しかしその日、遠藤は大学に戻らなかった。
ここは何処だ?
大学の最寄り駅を通り過ぎ、見知らぬ駅で降りた。遠藤の足取りには迷いがない。住宅街を進んで、遠藤はマンションの中へ入っていった。高級そうな外観だが、それほど広い間取りのあるマンションには見えない。例えば、一人か二人で住むような、そういうところなのではないか。
新しいバイト先?
こんな時間から?
そうだ、もう20時を回っている。
エントランスの先はオートロックで、遠藤が何階の部屋へ向かったのか、分からなかった。ポストを見ても特にヒントは無い。表札の付いている部屋は半分も無かった。
いつから?
分からない。火曜日に後を付けたのは3週間振りだから。それとも、バイトではない用事があって、ここへ来たとか。
いつから?
分からない。知らない。俺の知らない遠藤なんか、知る訳がない。分からない。思い当たらない。
俺は目の前にあった公園で、マンションのエントランスが見える場所を探してベンチに腰掛けた。天気が悪くて今にも雨が降り出しそうで、そこは凍えるように寒かった。風が吹くと枯葉が舞って、俺をこの場所から追い出そうとしているみたいだ。
遠藤の女友達?
うちの大学のやつじゃない。
高校からの友達?
それはあり得る。同じ高校を卒業した村井なら知っているかもしれない。今でも連絡を取っている友達がいると言っていたし。それくらい普通だ。
こんな時間に訪ねるのだから、かなり仲が良いらしい。夕食はまだだから手作りの料理を振る舞うのか、ご馳走になるのか。
その後は?
俺は何時まで待つ?
待っていられる?
道路側に面しているバルコニーから光が漏れて、男が一人出て来て煙草に火を点けた。室内を禁煙にしているらしい。ホタル族というやつだ。嫌煙家の彼女か家族でもいるのだろうか。この寒い中、可哀想に。
俺の手はバッグを探った。煙草を吸おうとしていた。俺はその欲求に従った。
遠藤に会いたい。
もっと早くちゃんと告白すれば良かった。
でも、それでは遠藤が手に入らない。リサーチして、遠藤に好かれる男になって、それから初めて告白するのでなければならない。本当の、ただの俺では興味を持ってもらえないから。
それで遠藤は幸せなのか?
そんなの俺には分からない!
俺はまた煙草を出して火を点けた。軽くなったソフトケースはカバンにしまわず、ポケットに入れた。足元を見ると煙草の吸い殻が落ちている。たぶん俺が捨てて足で火を消したのだろう。よく覚えていないけど。
一日に3本までと決めていた煙草。夜になると無性に吸いたくなるのは、高校の頃の悪い仲間の所為だ。癖が体に染み付いて、夜とストレスが煙草と関連付けられている。
短くなった煙草を挟む指は次を求める。あの頃みたいに。
俺は新しい生活を始めたのに。
好きになる女は徹底的に調べているのに。
遠藤なら、大丈夫だと思ったのに。
遠藤に会いたい。遠藤に親しい男友達がいる訳じゃなく、高校時代の女友達と楽しい夕食を食べているだけだから、きっとそうだから、俺は明日にでも、或いはもっと早く、遠藤に気持ちを伝えて、それで恋人同士になろう。
バルコニーの男を見上げると、居なくなっていた。
当たり前か。寒いもんな。
あの男、背が高くて、体格も良さそうだった。女にモテそうだ。カーテンの隙間から漏れる光の先には遠藤がいて、あの男に「煙草なんて吸わずに、早くこっちに戻って」なんて呼び掛けているのかも。
そんな筈ない!
でも、根拠は無い。
指が震えて上手くライターを使えない。動揺しているからだ。俺の知らない遠藤と、自分の薄っぺらさに。
或いは本当に凍えているのかも。
空になった煙草ケースを捻って、ゴミ入れに投げてみた。ゴミ入れの1メートル近く手前に虚しく落下したそれは、大した音も立てなかった。中身のない煙草ケースは、俺にそっくりだと思った。
必要とされたくて、必要とされるものが何かを調べて、それを用意して、提供して。でも提供するものが無くなると、捨てられる。
ニコチンのない煙草。
煙草の入っていない煙草ケース。
すかすかで中身が無い。
ああ、もう、泣きそうだ。遠藤の所為だ。遠藤が俺のことを好きになってくれないから。遠藤が俺の知らない交友関係を持つから。遠藤の所為だ、遠藤の。
「ポイ捨てはダメだよ」
そう言われて顔を上げると、天使みたいに可愛い女の子が居て、俺を見ていた。
遠藤だ。
俺が何も答えられずにいると、その女の子は落ちている吸い殻を拾い始めた。
それは、俺が吸った煙草。
「ごめん」
その言葉がしっかり遠藤に聞こえたかどうかは分からない。でも遠藤は俺を見ると笑って一つ頷いた。その笑顔は余りに綺麗で、宗教画に描かれる聖女のようだった。近付き難く神聖で輝いていた。
別れを告げられるのだろうか?
確かに、遠藤と俺とでは釣り合わない。
遠藤は立ち上がるとゴミ入れに向かった。落ちている煙草ケースまで拾って、吸い殻と捻れたケースをゴミ入れにぱらぱらと捨てた。その仕草はとても優し気で、そうか、その優しさが俺みたいな人間にも分け与えられているのだ、と急に腑に落ちた。
「遠藤、おれ……」
遠藤は「うん」と優しく頷いた。
「遠藤、なんで、こんなとこに居るの?」
自分の捨てた吸い殻を片付けてもらっておいて、俺は、遠藤の交友関係を明らかにすることを一番気に掛けているらしい。自分でも情けないが、紛れもない本心だった。
遠藤はくすっと笑った。
「寒いから、中に入る?」
「遠藤の家?」
「違うけど、ここは寒いから」
俺は遠藤を見上げた。遠藤は相変わらず穏やかに笑っていて、垂れた目と長い睫毛が可憐だった。俺はこの天使みたいな女の子のことが知りたくて、カバンを持って立ち上がった。
遠藤は先程のマンションに入ると、エントランスで702号室を呼び出した。すると応答もなく自動ドアが開いた。
俺は横目で702号室のポストに表札がないことを確認した。
誰の部屋なんだ。
エレベーターで7階まで上がって、702号室の前に立つと、遠藤は一度俺を振り返った。覚悟はできたか、とでも聞かれているようで、俺にとってそのドアは地獄の門のように禍々しく見えた。
ドアを開いて、部屋の中に居たのは、男だった。
「あの。亜沙子、そちらは……」
「ただいま。こちらは、同じ大学の、上林君」
男は俺をじっと見た。敵意とまではいかないまでも、不審がるような、探るような目をしている。しかし、おそらく、その男の姿より俺は遥かに不審な姿をしているだろう、という自覚ぐらいはある。
「なんで連れて来たの?」
「外は寒いから」
「俺、どっか行ってた方がいい?」
「行かなくていい。いいよね?」
遠藤は俺に同意を求めたが、なんて答えるべきか分からなかったので、曖昧に笑うしかなかった。
「あ、そう。じゃあ……、とりあえず煙草吸わせて」
男はそう言うと許可の言葉を待たずにテーブルにある煙草とライターを手にして、バルコニーのある大きな窓に向かって行った。
俺は気付いた。
この男は、公園から見上げたあの男だ。
背が高くて、体格が良くて、モテそうな。
男はバルコニーから外を見下ろしながら、煙草にホタルの光を灯している。ここはあの男のテリトリーなんだとはっきり分かる。そしてふと振り返って、俺と目を合わせた。
俺は途端に悲しくなった。我慢していたものが込み上げたのかもしれないし、降って湧いたのかもしれないし、ずっとあったものを初めて認識したのかもしれない。
遠藤は、あの男に笑い掛けていた!
そして遠藤は、あの男に「亜沙子」と呼ばせている!
「ごめん。帰る」
俺が言うと遠藤は「えっ」と驚いた。その変な声が面白くて、普段の俺なら笑ってそれを楽しんだけれど、今の俺にはそんな余裕がある筈もなかった。
「待ってお兄ちゃん捕まえて!!」
俺が廊下を抜けて靴を履こうとした時、遠藤は聞いたことのない大きな声でそう叫んだ。
遠藤の叫び声。
それはおっとりした調子が抜け切れていなくて、なんだか可愛いと思った。
遠藤、なんでそんなに可愛いんだ。大好きだ。穏やかで、緩やかで、垂れ目の奥は優しさで満ちている。柔らかい腕、しっとりした太もも、茶色がかった瞳、桃色の爪、笑うと天使のように可憐な遠藤。どうして俺のことを好きだと言ってくれないのだろう?
俺は靴を履き終える前に、馬鹿みたいに強い力で腕を掴まれた。
もちろん、あの男が掴んだ。
「ごめん。まだ帰らないでもらえる?」
ここは地獄だ。そうでなければなんだと言うのか。男は俺の腕を掴んで離さず、解放する積もりは微塵もないらしい。差し詰め彼は、地獄に堕ちた罪人を見張る閻魔だろうか。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「いいけど。部屋ん中に煙草持って来ちゃったよ」
「ごめん」
「いいけど」
男は火の点いた煙草を手に持っていた。火も消さずに俺を追いかけて来たらしい。有り難くもない話しだ。
「ほら、上林君、上がって」
「すみません、もう付き纏わないんで。帰ります」
だって、俺は邪魔者だろう。
「上林君、亜沙子のこと好きなの?」
なんだって?
「亜沙子は上林君のこと好き?」
この男は、何を言っているのだろうか。
唐突に質問をした男を俺は見上げた。男の方は俺の腕を掴んだまま、もう片方の手で煙草を吸っている。その煙を一瞬でも羨んだ暢気な自分を、俺は心の中で罵った。
買わなければ煙草も無い。
はあ。
何故、遠藤はこんな男の部屋を訪ねているのだろうか。
全く分からない。
分かりたくない。
「まあ、好きですよ。遠藤、俺、遠藤のこと好きだよ」
言葉にすると安っぽくなるのは、俺がそれだけ薄っぺらいからだ。俺に人間としての深みが無いからだ。だからいつもあれこれ工夫して、誤魔化して、粗末な自分でもそれらしく見えるように装って欺いてきた。
それが、どうだ。
台無しだ!
台無し、何が?
俺にも分からないよ、そんなの。
情け無い片想いは終わってしまった。
遠藤への気持ちを認めれば、俺はここから離れられると思っていたのに、地獄を支配する閻魔はそれを許さなかった。遠藤の反応を確かめる気力も勇気もなかった俺は、取り敢えず靴紐を結び続けることにした。
「亜沙子、いいのか。上林君、帰っちゃうよ」
「良くない」
俺は遠藤が俺を引き留める言葉を聞いて、手を止めた。現金だとは思うけど、好きな女の子に「帰って欲しくない」なんて言われて、そのまま帰る男なんていない。
暫くしてから、男が俺の腕を離した。
代わりに遠藤が俺を掴んだ。
「上林君、さっきの……」
「さっきの?」
「さっきの、本当?」
「本当だよ。もう付き纏わない」
「そっちじゃなくて」
分かっているよ。
「ごめん。遠藤のこと好きだよ」
今となっては虚しい言葉だ。たったこれだけの言葉にどんな想いを込めて伝えようかと夢見ていたのに、言えば言うだけ遠藤に嫌われそうで、今は怖い。
男と比べると触るだけみたいに弱々しい遠藤の手は、俺のことを本気で引き留める積もりが無いのだ、とさえ思えてしまう。俺はそれだけ今の状況に絶望していた。
「上林君、私も好き」
はい?
なんだって?
「あの、だから、私と、付き合う?」
なんだって?
俺は後ろを振り返った。遠藤は真っ赤な顔で俺を見ている。
これは夢だろうか?
「え?」
俺は無意識のうちに男を目で追っていた。あの男がいるのに、俺が遠藤に好かれる訳がない。
遠藤も俺の目線を追って男を見た。
遠藤の顔はさらに真っ赤になった。
「上林君が私のことを好きで、私も上林君のことが好きだから」
だから?
俺のことを見る遠藤の目は、くりっと大きくて、のんびり垂れていて、とろんと潤んでいて、俺のことが本当に好きだとでも言うように煌めいて、とても現実のこととは思えない。
もし現実なら、今直ぐ遠藤を抱き締めたいのだけれど。
俺はまた男の方を見た。
煙草を片付けたらしい男は、腕を組んで壁に凭れながら気怠げに俺達の様子を眺めている。犯人が分かり切った推理小説の結末を確かめるような非常に詰まらなそうな表情をしている。
「だって。あの人は……?」
遠藤とあの男は、付き合っているのではないのか。
「えっ、なんで。お兄ちゃん?」
遠藤は垂れ目を一杯まで見開いた。その目を豊かな睫毛の並んだ瞼が何度も往復する。天使みたいに可憐で、その姿を録画して何度も繰り返し見たいと思った。
はあ、溜め息が出る。
お兄ちゃん?
そんなことは知っている。遠藤があの男のことを何度も「お兄ちゃん」と呼んでいたから。
「遠藤は、あの人と付き合っているんじゃないの?」
「違うよ!」
俺は猜疑の目で遠藤を見た。
「じゃあ、あの人の前で俺が遠藤のことを亜沙子って呼んでキスして抱き締めてもいいの?」
「へっ? えっと、それは意味が違うし。お兄ちゃんの前で、そんなのダメじゃん。でも好きだし、お兄ちゃんはお兄ちゃんだし」
何言ってるの?
「じゃあ今から二人きりになれる場所に行く? それからならしてもいいの?」
遠藤は燃えるように顔を赤くして、頷いた。
その姿は余りに可憐だった。
余りに可憐で、愛らしくて、彼女こそ世界で一番魅力的な女の子だと確信した。これで100回目くらいの確信だけど。
遠藤は思わず手で触れたくなるような不思議な引力を持っている。俺は遠藤の軌道上を回る衛星みたいなものかもしれない。ビッグバン並みの爆発でもない限り、彼女からは離れられない。
ああ、もう。
遠藤、本当にごめん。
俺は遠藤を抱き締めた。あの男の前では嫌だと言われたばかりだけれど、俺にはその衝動を抑えることなどできなかった。できる筈がなかった。
私は普通の女の子です、って顔をした天使は、驚くぐらい温かかった。
この女の子は人間だ。間違いない。
俺は遠藤と同じ時代に同じ国に同じ人類として生まれられたことを心から感謝した。母と、神様みたいな存在に。
「こんな変な男でごめん」
俺がそう言うと遠藤は俺を見上げて首を傾げた。
「変じゃないよ。好き」
遠藤の口にする「好き」という言葉は、戦争をさえ終結させる兵器のようだった。そこには物理的な質量を確かに感じた。
その破壊力たるや、人を殺しうる。
「変だよ。今日だって遠藤の後を付けて、ここまで来たんだ。他にも、まあ、色々あるし。遠藤の趣味を調べたりして。野球なんか、本当は観戦するの初めてだし」
「なんでそんなことするの?」
「好きになってもらう為だよ」
「そんなことしなくても好きになったよ」
遠藤は腕の中で優しく笑った。
俺は、しかし、笑えなかった。
「そう? そんなの分からないよ。今までずっとそうやって来たし、どっちみちもう変えられない。たぶんまた後を付けたり調べたりする。好かれたいし、好きだからやっちゃうんだ」
丸でストーカーみたいに。
変えられない。
変われない。
別れた女は皆それを嫌がった。けれど、それでも止められなかった。女が変わっても同じことの繰り返し。俺はきっとまた繰り返す。
「大丈夫よ」
大丈夫だろうか。
今まで大丈夫だったことが無いから俺には分からない。
俺は遠藤を見詰めたかったけど、遠藤のことが好き過ぎて、眩しくて、恥ずかしくて、できなかった。物陰からなら幾らでも見ていられるのに。隠し撮りした遠藤なら、何時間でも見ていられるのに。
「ごめん。ありがとう」
仕方ないから、他にしようがないから、俺は遠藤を抱き締める腕に力を込めた。
遠藤、ごめん。俺は遠藤のことを手に入れたいんだ。
本当、ごめんね。
「上林君。大丈夫だよ。誤解させたね、ごめんね。私もね、ちょっと変なの。後を付けられるのもGPSを付けられるのも大丈夫だよ。上林君は、上林君の好きなように私を好きになっていいんだよ。私を振り向かせる為にやってたんじゃなくて、好きでやってたんだね。だったら、大丈夫だよ。私は大丈夫」
本当に?
俺は遠藤を見た。
遠藤は垂れ目を細くして破顔した。
なんてことだ。
俺のことを、受け入れてくれた!
遠藤を好きになって良かった。相手が変わっても俺は変われないと分かっていたから。変わった振りをしても、いつかはボロが出るから。
曰く、“相手変われど主変わらず”。