受けていた電話の通話を終えて受話器を置いた。ちらりと私を見た部下と一瞬だけ目が合う。
「また彼が来たみたいですよ」
「彼?」
セツは手を止めないし、視線も手元のままだ。
「ルーセン。首狩りの」
「それは会えなくて残念です」
セツは言葉とは裏腹に笑みを浮かべた。
「残念ですか。なんだか妬けますね」
セツは特定の誰かと長く関係することはなく、いつも冷めた態度を取っている。私とも労働契約より他の関係はない。
ルーセンはその例外。
「嬉しいこと言っていただけるんですね」
「羨ましいですよ。ルカはいなかったみたいですけど」
「ああ…、あれは噂でしょう」
「ルーセンの隠し子って噂もあるんですよ?」
ルーセンは警察では人気者だ。
噂はあっという間に広がる。有ることも、無いことも。
時には殺人犯にも人格を認める警察の良心は堅固なものであり、私たちは常に正義を糾し悪を断罪し続ける公正者であろうとしている。その警察が見放した人間を手に掛けるのがルーセンたち首狩りだ。
皆無権者や全無権者と呼ばれる人間ですらなくなった『モノ』の首を狩って警察に献上する。
だから首狩り。
警察は首狩りが好きだ。
全ての権利は無いと見做され国土を自由に歩くことも安全に生存することも許されない全無権者に懸けられた懸賞金は非常に高額である。危険に晒されながらも警察とともに犯罪者を裁く首狩りは、しかしそれもやはり正義を通す公正者だから当然と言えば当然だ。
ルーセンは優秀な首狩りだった。
この懸賞金は課税されないのだからその収入は計り知れない。
ルーセンが首を持ち込む度に、警察では情報が飛び回る。
「そうですか」
呟かれたのは、しかし最上級に内容のない相槌だった。
「……」
私は溜め息を飲み込む。
セツが興味を示すルーセンですら、この程度なのだ。
すると突然ドアが開いた。ノックがないから彼方だろうと思って振り返ると、やはり彼がいた。
「帰りましたー」
「…お帰り」
彼方の挨拶にセツがほんの僅か手を止めて返事をした。
「お帰りなさい。ソロウはどうでした?」
「シラきってます」
「それでさっさと帰ってきたの?」
セツの安い挑発に、彼方は乗った。
「なんだよその態度は。だったらテメェで行け!」
セツはうっすらと笑っただけだった。
彼らは相性が悪いわけでもない筈だけれど会話がすぐ喧嘩腰になる。面白がって皮肉るセツも悪いけれど彼方の気が短すぎるのも難点だ。
「はい、はい。彼方は報告書よろしく」
「課長ってセツに甘くないですか」
紙の外出報告書とそのファイルを机に置くと、彼方は切ない表情をして私を見た。
「カナタにも甘いつもりだけど?」
「……そうですか…」
彼方は俯いて頭を掻いた。
「それで首狩りにも甘いのかしら」
「はい?」
「首狩りにも、殺さない首狩りにも、ハイエナみたいな予備登録者にも」
なるほどね。
殺さない首狩り。
首狩りは正確には国家資格の保有者だ。対象が全無権者とは言え、外形的には人殺しを公的に許可された異端の人間である。
その首狩りと違い、殺さずに全無権者の有力な情報を提供して小遣い稼ぎをする人間を予備登録者と言う。
予備登録者は警察には好かれない。
偽証や共謀が少なからず繰り返されているから警察としては信用できないというのがその理由だろう。
有力な情報提供を重ねて首狩りの資格を与えられるのはごく僅かだ。
ルカは既に首狩りの資格を保有している。しかし首狩りとしての実態がない。
資格があるのに、殺さない。
殺さない首狩り。
ルカはにいつまでも予備登録者のように活動しているから、首狩りだけれど警察では嫌われていた。
「彼だって、協力者だよ」
私の言葉をセツは嗤った。
「そうですか」
セツはそもそも全無権者やその報奨の制度を支持しない警察での少数派だ。懸賞金が高額であることや、『偽善を翳した』首狩りや予備登録者が嫌いらしい。
顔は笑っているけれど、内心ではまだ毒づいているかもしれない。
「私は甘いのが好きなんですよ」
「でしょうね」
「……」
「課長にその態度は無礼だろ!」
彼方が机を叩いて怒鳴った。
彼方は組織を最重要視する警察を嫌悪しながらそれを構成する縦社会という枠は大切にしている。家庭の事情がそうさせるらしいけれど詳しいことは話さないしこちらも詮索しないのが礼儀だと心得て黙っている。
「カナタ、報告書」
「…糞、」
ごく小さな声でついた悪態には目を瞑ることにした。
「カナタも課長も甘いわね」
セツは呆れたように言った。斜向かいの彼方が報告書の束を繰るのをちらりと見る。
「なあ、それって、」
「なんですか」
「…またルーセンが来たわけ?」
「そうらしいですよ」
「よく働くなー」
「貴方と違って、ね?」
「んだと!?」
互いを睨み付けている様は警察というよりチンピラみたいだ。上司として恥ずかしいというより、学校か何かの先生になった気分だ。
「カナタ。それは、良いことですよ」
宥めてはみたけれど2人はまだ睨み合っている。
「……分かってます」
本当の意味では分かっていないと思う。
首狩りが警察の助けになっている。警察官僚は仕事ばかりをしていられない。
良いことなのだ。
彼方は報告書のファイルを脇に寄せると新しい紙に記入を始めた。顔はまだ不服そうだ。
「ここは総務部ですから」
「総務部総務課庶務係って、雑用って意味なんですか。俺は書類作るために警察に来たんじゃありません」
いつもより機嫌が悪いらしい。
彼方の視線が逸らされて私の両目を捉えた。鷹揚に笑って見せても余計に彼を苛立たせることは知っている。真っ直ぐな視線は若くて力強いけれどそれ故の危うさもある。
「良いと思いますよ。時間潰しも」
セツがまた皮肉を言った。
「幹部になりたいからって仕事を首狩りに任せて自分たちは時間潰しかよ…」
彼方はそう呟いてから報告書の記入を始めた。
端から見てもそうと分かるように粗雑に報告書の欄を埋めている。ガリガリと鳴る音は彼の心まで乱暴に傷付けている気がする。
私は彼方のすぐ隣に椅子を動かして座った。
「我慢、してください」
彼方もセツも、上層からお預かりした大切な卵だ。
警察官僚の卵。
彼方は記入を止めないけれど、耳を傾けてくれているのは分かる。返事が貰えなくても私はその場を離れるつもりだったけれど、彼方は私にだけ聞こえるように囁いた。
「課長が言うなら」
私は愛想笑いして立ち上がった。
「ありがとう」
肩を掴まれた。添えるように置かれた手は優しいから、態度とは裏腹のこの手が本当の彼を表しているように思えて嬉しくなる。
分かってくれていたのだろうか。
彼方は瞬きもせずに続けた。
「本気ですから」
何が、とは聞かなかった。
その真意は理解しなくて良いのだと思う。
気の短い彼方が私の言うことには従って我慢してくれる。それは助かる。大切な身体を私が駄目にするわけにはいかないのだから。この調子でもう少し我慢強くなってくれれば、とまでは願わない。
少なくとも彼方を採用した上層や元同僚に顔向けできる。
「ありがとう」
もう一度言って頷いて彼方を見上げると、彼は困ったように笑ってから静かに座って机に向き直った。
「甘くて溶けそう」
セツの声は、彼方には届かなかった。