心の色を、淹れたての珈琲ではなくて、クレヨンで塗りたくった画用紙の毛羽立ちだと思う夜が、ミルフィーユの断面みたいにいくつもいくつも重なって、けれどその一枚一枚には違う絵が描いてあるから、連続したフィルムのようだけれど、それらをぱらぱらめくってみても、本当は何も繋がらない。ばらばらだから、機械で処理できる。ばらばらだから、良いこともある。けれどもそれらがばらばらなのは、アナログみたいに生きていたら、困るからだ。僕を食べようとする気まぐれな怪獣は、それならそれできちんと食べ尽くしてくれればいいのに、それにも飽きてしまうから心だけが潰されて、体だけが次の夜の断片まで、目を逸らさずに見続ける。まぶたも閉じることなしに。