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空色のけもの〜『巡礼の地で花を植える』4 最終回


 パズは走った。もっと早く起きる筈だったのに、昨日の出来事のせいか疲れから寝坊をしてしまった。夜明けが近い。シャンティはまだ居るだろうか。
 やがて初めてシャンティと出会った場所に辿り着く。すると、前方にふたつの影が見えた。

(ハモンさんだ……)

 ハモンが立っているその足元にシャンティが居た。

(花を……植えているんだ……)

 シャンティは花を植えていた。ひたすら穴を掘り、花を植える。今のパズには、それが無駄な行為には見えない。


 花を植えて、すぐに枯れてまた植えて……何年も何年も繰り返したら、きっといつかは根付く――。


 ハモンの声が聞こえる。彼はシャンティに懇願しているようであった。

「なあ、シャンティ。頼むから戻ってきてくれ。ミリアム様もそれを望んでいらっしゃる。ご嫡男のサタスウェイ様は……“癒やし人”なんだ。まだお小さいからそうでもないが、その内……疲弊される……お前の力が必要だ。助けて差し上げてくれ」

 それは必死の懇願であった。パズはふと思う。

(ミリアム様って……たしか今の総督閣下の名前……?そのお子様が“癒やし人”って事?)

 パズは昨日、シャンティが彼とバーバラに言った事を思い出した。
 シャンティはバーバラを見ながらパズにこう言ったのだ。

『このお嬢さんは“癒やし人”だ。“癒やし人”は人々を癒やす度に、自分は疲弊していくんだ。パズ、お前が側にいて支えてやれよ。お前には素質がある。きっと力になる』

 その意味するところは分からなかったが、シャンティは“癒やし人”である女神様の側にずっと付いていたという。“癒やし人”を支え続けたシャンティと同じ力が自分にあるのなら、その力でバーバラを支えてあげたい。
 シャンティが花を植え終えたのか、袋を集めて道具を仕舞い始めた。そんなシャンティに向かってハモンは続ける。

「お前のその姿を見たら、ソニア様は悲しむぞ。いつまで囚われているんだ。そんな事は望まれていない。きっと悲しむ」

「悲しみゃしねぇよ」


 シャンティがきっぱりと答えた。力強い声であった。揺るぎない信念を秘めた声。

「約束なんだ。ここを花で覆い尽くす。外側から惑星(ほし)に力を注ぐ。それが内側から生まれ変わろうとしている力を助けるんだって……」



 花を植えよう、シャンティ一一。



「まだ帰らねぇよ。この辺境にはソニアがし残したことが沢山ある。パズみてぇな子供がわんさかいるんだ。お前達は中央で政治体制を整えてくれ。おいらは辺境で救える命を救う。喩え微々たるものでも、救うんだ。それがおいらに出来る唯一の事だ。ソニアの為に……」

 ハモンは深い溜め息をついた。おそらく何度もついたであろう溜め息。これは何度目の説得になるのか。その度に返ってくる断固たる拒否。
 ふとハモンの目が、シャンティの右手首に留まる。灰色の服を身に付けた彼の手首に結ばれた翠色の布。引き裂かれた服の切れ端であろうその布が、シャンティの唯ひとつの拠り所であり、呪縛でもあるのだ。
 ハモンの脳裏に浮かぶ翠色の影は、今でも優しい微笑みを称えている。赤い縁取りに囲まれたその笑顔を思い出す度に、胸を刺す鋭い痛み。
 シャンティの感じている痛みは、この比ではない筈だ。あの時、亀裂の縁で聞いた胸を裂かれるような慟哭は、今もこの耳にまとわりついて離れない。
 その時、ハモンはこちらを見ているパズの姿に気付いた。
 真っ直ぐにこちらを見据える瞳。

(まるで……初めて会った時のシャンティのようだな)

 この少年と同じ年頃だったシャンティと、初めて会った時の事を思い出す。まるで鋭い切っ先を常に向けてくるような少年。5歳の時に人間である母親をこの荒野で亡くした――その傷はいかに深いものだったろうか。それを癒したのがあの方だった。
 シャンティの笑顔の源は、今も彼を支えている。ハモンは時々、シャンティの側に幻影をみるのだ。
 ハモンが愛した微笑みは、今もシャンティの側にいる。





 パズは黙って去っていくハモンの背中を見つめた。パズを見て懐かしそうに微笑んだ彼は、パズの中に何を見い出したのだろうか。

「よお、パズ!」

 シャンティが手を上げてパズを手招いた。パズは彼の側に駆け寄る。シャンティの足元には沢山の花が並んでいた。

「どうだ、綺麗だろう?花は小振りだが、群生したら見事だぞ」

 そう嬉しそうに言うシャンティにパズは呟く。

「2、3時間後には枯れるね……でも!」

 パズはシャンティの目を覗き込んだ。平凡な灰色の瞳。でも今までにこんな優しさを称えた瞳を見た事がない。きっと女神様も同じ瞳をしていたに違いない。

「枯れたらまた植えて……繰り返し繰り返し植えたら……きっと根付くよね」

 それを聞いたシャンティが、パズの頭を引き寄せて抱き締めた。シャンティの胸は暖かかった。遠い昔、面影さえも覚えていない父親も、こんな風に暖かい胸をしていたのだろうか――。

「ありがとうな。正直おいらもめげる時がある。枯れていく花に申し訳ないと思うんだ」

 シャンティはパズの髪を撫でた。それがパズには心地よかった。このままずっとこの胸の中で微睡(まどろ)んでいたい。叶わない事だけど――。
 シャンティとは生きる時間の流れが違うのだ。

《ヴァシュアのダンピール》

 周りの人々が死んでいく中、生き続けなくてはならない存在。

(俺は確実にシャンティより先に死ぬ)

 この底抜けに優しい微笑みで人々を魅了しながら、親しい者の死を見送る。

 何人も――。
 何人も――。

 何回も――。
 何回も――。

 それでも彼は笑う事を止めない。そんな彼に笑顔を与えたのが、女神様なのだろう。

(祈ろう、女神様に……。祈りは無駄じゃない)


 シャンティがパズを離して立ち上がる。次第に明るくなっていく空を見上げて4、5歩歩いて行き、振り返ってこちらを見た。

「花と少年――いい構図だ。アルフレッドならいい絵を描いただろうな」

 そう楽しそうに笑うシャンティを見ながら、パズは思う。

(アルフレッドというのも見送った人なのかな?俺の事も、こんな風に楽しそうに思い出してくれたらいいな)

 シャンティは少し猫背気味の体を手すりに預けた。暗い空間が徐々に明るい光に満ちてくる。


 その時――。


(あ……)

 パズは思わず立ち上がった。そしてシャンティを見つめる。その目が驚きに見開かれていた。
 シャンティの隣に人影が浮かび上がってきたのだ。それは次第にはっきりとした形になっていく。

(ええっ!そ、そんな……)

 パズは自分の目が信じられなかった。シャンティの隣に――赤い髪の女性が立っている!
 翠色のドレスに身を包んだしなやかな体――。あの、翠色はシャンティの手首に結ばれている布と同じ色だ。それに――ここからでもはっきりと分かる澄んだ緑色の瞳は、シャンティと同じような優しさに満ち溢れていた。緩やかな曲線を描く真っ赤な髪は、流れるように背中を覆っていた。これが――。

 “癒やし人”ソニア――。

 人々が女神と崇める女(ひと)は、パズを見てにっこりと微笑んだ。

(幻……幻なの?でも……たしかに見える……でも……シャンティには……)

 シャンティには見えていない――。

 誰よりも会いたい女(ひと)が隣に立っているのに、シャンティは気付かない。

「シャンティ……あのさぁ……」

「ん?何だぁ」

 シャンティがパズの方を見る。すぐ真横に会いたい女(ひと)がいるのに……!

「横に……」

 女神様が……。

 パズがそう言いかけた時、赤い髪のその女(ひと)がパズを見て、人差し指を立てて唇に当てた。

(シィ……)

(えっ……)

 黙っていろと?黙っていろというの?
 会いたいのに。誰よりも会いたいのに。

 その女(ひと)は笑っている。穏やかに笑っている。シャンティに寄り添って幸せそうに笑っている。

(ああ、そうか……)

 いつか会えるその日まで――。
 シャンティが自分で気付くその日まで――。

 女神様はそれを待っているんだ――。


「どうしたんだ?変なものでも見たような顔をして……」

 シャンティがそう言って笑う。女神様も笑う。


 同じ笑顔――。


 パズは流れそうになる涙をこらえた。シャンティに寄り添う女神様の体が、明るくなるに従って次第に薄くなっていく。その姿が完全に見えなくなった時、パズはシャンティに向かって叫んだ。

「シャンティ!俺さ、学校に行くよ!でさ……植物学者になるんだ!この荒れた土地や気候にも耐える花を、必ず育てる!貧乏だけど、働いて働いて……勉強して、きっと学校に行くから……」

 昨日の夜、バーバラが言っていた。花の研究をするなら植物学者になればいい。
 こらえていた涙が零れる。次から次から溢れては流れる。


 お前も頑張れよう。諦めなければ願いは叶うんだ。生きてりゃ何とかなるもんだ――。


「いつか……ここで花が咲いているのを見たら……俺を思い出して!時間はかかるし、俺、途中で死んじゃうかもしれないけど……必ず咲かせるから……」

 その時にきっと、シャンティは会いたい女(ひと)に会える筈だ。その為にきっと花を咲かせる。

 シャンティが笑う。女神様と同じ様に笑う。

 そうしてずっと笑いながら――。







 空色のけものは、巡礼の地で花を植え続けるのだ――。







空色のけもの〜『巡礼の地で花を植える』

       ―完―


空色のけもの〜『巡礼の地で花を植える』3


 男は苦しそうに足をバタバタさせていた。決して小柄ではない男の体を軽々と持ち上げているシャンティの腕は、そんな男の動きにもビクともしない。
 シャンティの絞り出すような声がパズの耳に届いた。

「死にたいんなら……てめぇだけで死にな。あの子の未来を潰す権利なんて、てめぇにはねぇんだ……何なら……」

 シャンティが男の首を締め上げる。男が苦悶の呻き声を上げた。

「俺が殺してやろうか……但し……ここじゃない別の場所だ……ここで死ぬ事は絶対に許さねぇ……」

 パズの肩に遮蔽マントが掛けられた。バーバラがパズの横にしゃがみ込む。

「あれは……誰?」

「シャンティだよ……空色シャンティ」

「空色は……シャンティのマントの色……」

「えっ……?」

 そう呟くバーバラに、パズが不思議そうな視線を向ける。バーバラの碧眼がパズを見る。その瞳の中に自分の姿を認めたパズは、改めて生きている事を実感して身が震えた。

「シスターが、話してくれたの。女神様の側にいつも寄り添っていた若者の事を……。恋人でもなく家族でもない……でも固い絆で結ばれていた従者……その従者の名前がシャンティ。そしてシャンティが身に付けているマントの色が空色……あの水色の事を空色って呼ぶのは、そこから来ているのよ。空色はシャンティのマントの色……」

 パズはシャンティを見た。マントが亀裂から吹き上げてくる風になびいている。


 空色シャンティ一一。


 パズはバーバラを振り返って首を振る。

「30年も経ってるんだよ。そのシャンティじゃないよ。もしそうなら、ちっとも年を取ってない事になる……」

「ヴァシュアのダンピール……」

 バーバラはそう続ける。その手がいつの間にかパズの腕を縋るように掴んでいた。

「かつてこの惑星に君臨したヴァシュアとの混血児……30以上年前に滅亡したヴァシュアの血を継ぐ者達……人間より遥かに長寿だったヴァシュアの混血児よ。30年位経ったって、年を取ってるようには見えないでしょうよ」

 ぽかんとしてバーバラを見ているパズに、呆れたようにバーバラが笑う。微かな笑いであったが、パズの胸に安堵感が広がった。バーバラの笑顔を見ると、いつも穏やかな気持ちになれる。

「あんたったら、シスターのお話はちっとも聞かないし、授業にも出ないから、何にも知らないんじゃない。いいこと?今から30年以上前にこの惑星の根底を揺るがす危機が起こったの。その危機を救ったのが初代総督閣下とその令夫人、そして5人の従者達よ。初代総督閣下と5人の従者達がヴァシュアのダンピールだったらしいわ」

 パズは拗ねたように言った。バーバラの口調がいつもの説教じみたものになってきている。

「少し位なら知ってるよ。でもあんまり詳しく伝えられてないんだろ?」

「そうなのよ。そんなに昔の事じゃないのに……伝えられている事……公表されている事が少ないわ。ただ……ヴァシュアのダンピールは今の総督閣下のお側に仕えているのよ。今の総督閣下は初代総督閣下のお子様よ。でもひとりだけ……」

 バーバラはまだ男を吊し上げているシャンティを見た。男の足がシャンティを蹴っている。だがシャンティは微動だにしない。

「初代総督閣下の令夫人……ソニア様に仕えていたシャンティだけは……行方不明になったって……」

 男の口から苦しげな呻き声が洩れる。ここでは死なせないといいながら、あのままでは絞め殺してしまう。パズがシャンティに声を掛けようとした時、後ろから、

「シャンティ、止めろ!そのままだと死んでしまうぞ!」

 という制止の声が響いた。その声にシャンティがこちらを向く。その視線はパズとバーバラの後ろに向けられていた。

「ハモン……」

 シャンティの口から呟きが洩れる。パズとバーバラが後ろを振り返ると、そこにはひとりの男が立っていた。

「ここで殺してどうするんだ。頭を冷やせ、シャンティ」

 男はそう諭すと、シャンティに近付いていく。途中、パズとバーバラの側を通り過ぎる時に、にっこりと安心させるように微笑みかけた。バーバラの頬が赤く染まった。パズはむっとして男を見上げる。
 肩までの栗色の髪を風になびかせた男は、なかなかの美男子だった。年の頃は30前位であろうか。シャンティ程長身ではないが、すらりとした均整のとれた体に、纏ったマントは濃い碧色。髪と同じ色の瞳は片方が少し違う輝きを持つ。

(左目が……なんか違う……)

 パズの視線に気付いたのか、男がその左目を閉じてウィンクした。バーバラの頬がますます赤くなる。パズが面白くなさそうに呟く。

「何だよ……ちょっといい男を見るとこれだよ……いってぇ!」

 パズの腕に痛みが走った。バーバラがつねったのだ。パズは涙目になりながらバーバラを睨んだ。バーバラもまた、膨れっ面をしてパズを睨む。パズはそんなバーバラを見て、パズの胸に幸福感が湧く。

(いつものバーバラだ……)

 さっき、男がクスリにやられていると分かった時、真っ先にバーバラの父親の事を思い浮かべた。中毒者になった父親に、家族を殺されたバーバラ。そのバーバラが今度の事で傷つくのは絶対に嫌だった。

(護らなきゃ……俺がバーバラを護らなきゃ!)

 それまで抱いた事のない感情がパズの胸に湧き上がる。辺境の地では、長生きをするとは限らない。それ故に子供は早くから自立する。精神的に大人になるのが早いのだ。パズがバーバラに抱く感情は紛れもなく恋慕であったが、パズ自身はまだその事には気付いていない。

「シャンティ、そいつを離せ」

 男がシャンティの側に近付いて言った。シャンティの腕が下がる。次の瞬間、中毒者の男の体は地面に投げ出された。

「いいタイミングでご登場だな、ハモン」

 ハモンと呼ばれた男はにやりと笑ってシャンティの肩に手を乗せた。その様子は喜びに高揚しているようにも見えた。シャンティも嬉しそうに笑っている。今朝方見た同じ人懐っこい笑顔。

「全く……お前ときたら、あちこちウロウロして、なかなか捕まらないんだからな」

 男――ハモンが呆れたように言うと、シャンティがはっと鼻で笑った。

「素早い情報収集を誇る《疾風ハモン》が何を言う……おいらは別に逃げ隠れしているわけじゃねぇぜ」

「疾風ハモン……」

 バーバラがはっとして呟いた。パズはバーバラを見る。彼女は碧眼をキラキラさせていた。

「パズ!《疾風ハモン》よ!あの人もヴァシュアのダンピールよ」

 パズは改めてふたりに視線を向ける。自然に寄り添い笑い合う空色と碧色のマント。長い信頼関係が醸し出す深い絆。誰よりもお互いを知り尽くした者同士のみが交わす笑顔であった。

「こいつを連れて行って、矯正施設にぶち込んでくれ。辺境にはこんなのがゴロゴロしてやがる。子供を道連れにしようなんて……」

 そうハモンに告げて、シャンティはパズとバーバラに向き合った。

「大丈夫かぁ?怪我はないだろうな?」

 そう言いながら近付いてきたシャンティは、ふたりの前にしゃがみ込んだ。
 そういえば――今朝方もシャンティーはパズの目線に合わせてしゃがみ込んで話してくれた。大人はみんな上から見下ろしながら高圧的に話す。シャンティはそんな大人とは違った。同じ目線で話してくれる。

「大丈夫だよ……ありがとう、シャンティ……」

 シャンティの顔に満面の笑みが広がる。心底嬉しくて堪らないと言わんばかりの微笑みに、つられてパズとバーバラまで笑っていた。
 その様子をハモンが眺めていた。どこか寂しげにシャンティを見つめている。
 足元の中毒者が、呻き声を上げて身じろぎした。ハモンはちらっと見ると、素早く蹴りを入れた。男が白目を剥いて気絶する。
 徐々に日が高くなってきた。またこの荒野の過酷な一日が始まる。ハモンはマントのフードを被って、笑い合う3人の所に歩み寄って行った。



空色のけもの〜『巡礼の地で花を植える』2


 《祈りの会》はこの巡礼の地で非業の死を遂げた“癒やし人”ソニア・ガイナンが、辺境の貧しい流浪の人々を救済する為に作った組織である。
“癒やし人”とは、人の心を敏感に感じ取り、自らの心を相手に伝える精神感応力に秀でた者の事である。彼らはその能力を使って精神的に傷ついた人々を癒やす事を本能的に行う。ソニアの元には数名の“癒やし人”が集まり、過酷な惑星に生きる人々を精神的に癒やしていた。
 ソニアは惑星の初代総督夫人であったが、その地位に驕(おご)ることのない、実に控え目な女性であったといわれている。彼女が特に力を入れたのは、辺境の貧しい小ドームに住む人々や、そのドームにさえ住めなくて、過酷な環境のドームの外に生きる人々を救う事であった。常に辺境を廻り、そういう人々を見つけては、様々な救済措置を行う。ソニアの元に集まった“癒やし人”達も、それぞれ辺境に散らばり、そういう活動をしていた。
 ソニアに関しては、様々な逸話が伝えられているが、その中に彼女の側に、常に寄り添っていたひとりの若者の存在がある。
 ソニアの影になり、彼女を支えた若者は、その終焉と共に姿を消した。

伝えられているのは、ソニアの死を目の当たりにした若者の、けもののような雄叫び――。


 それから30年の月日が流れ、“祈りの会”はその規模が縮小されて細々と活動していた。





「どこに行ってたのよ!シスターが心配してたわよ!」

 パズはお決まりのお小言をおとなしく聞いていた。彼に小言を言うのは、この会の中で彼の次に若い少女である。

「聞いてるの!?」

「聞いてるよぉ……あんまり大きな声出すなよ、バーバラ……」

 少女――バーバラ・スワンはパズより4つ年上の12歳である。やはりパズと同じ孤児で、幼い頃に“祈りの会”に引き取られた。パズに対してはいつも姉のように接し、それがパズには時に鬱陶しく感じられる。

「ちゃんと祈りは捧げたの?」

「うるさいなぁ……そんなんしたって何にも変わらないだろ」

 パズがそう言い捨てると、バーバラの頬が紅潮する。

「でも……でも、祈らなきゃ!女神様に祈らなきゃ!」

「だからぁ……!その女神様が何をしてくれるっていうんだよ!何にもしてくれやしないよ!もう死んじゃってるんだから!」

 バシッ!

 バーバラの右手がパズの頬を叩(はた)いた。パズが密かに好きな碧眼に涙が溜まっている。彼は決まり悪そうに叩かれた頬を押さえて、遮蔽テントから駆け出て行った。

「何も……変わらないか……」

 バーバラの後ろから静かな声が聞こえた。振り返るとフードを被った初老の女性が立っている。

「祈るだけでは何も変わらない……そう言って若者達は“祈りの会”から去っていくわ……」

 彼女の悲しそうな顔を見たバーバラが、涙を拭って力づけるように言う。

「シスター!あたしはずっと居るから!シスターになって“祈りの会”を護るんだ!」

 老女はそんなバーバラを見て優しく笑った。

「ありがとう。バーバラは“癒やし人”の素質があるからね。とても貴重な存在なのよ。貴女がいると安心だわ」

 バーバラは照れくさそうに笑った。そして尋ねる。

「シスターは女神様をご存知ですからね」

 老女は頷いて記憶を辿るように目を閉じた。


「……燃えるような赤い髪を持つ、美しく慈悲深い方だった……私は他の“癒やし人”に付いていたのだけど、時々お会い出来たわ。あの方の癒やしの力は……桁違いだった……側に居るだけで穏やかな気持ちになれるの……あの方が生きていて下さったら……」
 老女は目を開けた。そして遮蔽テントの低い天井を見上げた。しかしその瞳はもっと遠い空を見ているようにバーバラには感じられた。
 ふと、老女は我に返って心配そうに言った。


「パズったら……マントも装置も持たないで行ってしまったわ……」

「しょうがない子ね。シスター、あたし探してくる」

 バーバラが遮蔽マントを身に付けて、パズの脱ぎ捨てられたマントと二人分の生命維持装置を持って、テントを出ていった。老女はその後ろ姿を不安そうに見送る。
 ここは人間が生身で生きるには過酷過ぎる地――。
 両手を胸の前で組んで、老女は祈る。

「女神様……どうか子供達をお護り下さい……」





 パズは亀裂の縁を早足で歩いていた。バーバラに叩かれた頬が疼いている。

(だって……だってさ!本当の事じゃないか!何が変わるっていうんだよ!)

 そう思いながらも、バーバラの涙が溜まった碧眼を思い浮かべると、胸が痛む。

(あれ……?)

 パズは前方に人影を認めて立ち止まった。最初、シャンティかと思ったが、マントの色が違う。その時初めて自分がマントを身に付けていない事に気付いた。

(しまった……これからの時間は危険だ……マントを被らないと……)


 パズが慌ててテントに戻ろうと振り返った時であった。いきなり後ろから抱き上げられたのだ!

「……!」

 腰を強い力で締め付けてくる。耳元に生暖かい息を感じて首を回して見ると、見知らぬ男の顔があった。

「離せよう!」

 パズはバタバタと暴れたが、男の腕は彼を抱えて離さなかった。

「パズ!?」

 聞き慣れた叫び声がした。見るとマントを抱えたバーバラが目を見張って立っていた。

「パズを離しなさいよ!」

 バーバラは男に叫んだ。そしてこちらに走りよろうと一歩前に進んだ。

「バーバラ駄目だ!危ないから!」

 そうパズが叫ぶと、バーバラの足が止まる。パズは気付いていた。男の様子がおかしい。息遣いも荒く、目の焦点が合っていない。

(クスリを……やってる……)

 最近、辺境に出回っているある野草から作られる麻薬。貧困にやむを得ずその麻薬を売る人々は、いつしか自らも手を出し、中毒になっていった。
 一瞬の快楽と引き換えに破壊されていく理性――。
 背後の男は間違いなくクスリに冒されている。

「バーバラ!逃げろ!こいつは中毒者だ!」

 バーバラは動けなかった。パズを抱えた男はじりじりと亀裂に近付いている。クスリに冒されてた者は、強烈な自殺願望に支配される。自分ひとりだけで死ねばいいものを、大半の中毒者が周りを道連れにして死にいくのだ。その殆どは家族である事が多い。

(お父さん……)

 バーバラの父もまた、中毒者であった。貧しさから麻薬の売人になり、いつしか自らもクスリに冒された父。幼い弟と母を道連れにした父。ひとりだけ家に居なかった為に難を逃れたバーバラ――。
 あの日の事は忘れない。
 ドアを開けたバーバラの目に飛び込んできた光景――。
 首を裂かれた赤ん坊だった弟。その弟を庇うように抱えた母もまた、首を裂かれていた。
 その向こう側の梁からぶら下がるロープの先にぶら下がる父の体。
 ぶらぶらと、小さく左右に揺れる体。
 その目は見開かれ、真っ直ぐにバーバラを睨みつけていた。

(お前も……連れていきたかった……)

 今でもバーバラは夢に見る。そう言う父の言葉で目が覚める。止む事のない悪夢。

「……パズ!パズ!」


 バーバラは泣き叫んだ。パズが殺される。お母さんと小さいジョジィみたいに殺される。
 男は亀裂の手すりに背中を押し付けた。乗り越えるのは造作ない。パズは絶望的な目でバーバラを見る。

(祈ったって……祈ったって……何にもならないだろ!?)

 男がパズを抱えたまま、手すりの方に身を捩った。パズの目に、亀裂の中が見える。どこまでも深い深淵――。
 吸い込まれるような、呑み込まれるような感覚――。
 30年前に、人々の希望を呑み込んだ裂け目に、今パズも呑み込まれようとしている。
 バーバラの悲鳴が聞こえる。

(バーバラ……いつも逆らって……ごめんよ)


 パズはバーバラが好きだった。綺麗な碧眼が、くすんだ金髪が、笑うと覗く白い歯が……。

(ずっと……一緒に居たかった……)

 パズの体が亀裂に近付く。共に身を投げようと、男が手すりから身を乗り出したのだ。

(もう……駄目だ……)


 パズは目を閉じた。


 刹那――。



 一瞬の風が吹く――。




 パズは男の腕から引き離された。気が付くと目の前にバーバラの姿――。

「バーバラ?」

 バーバラはパズを見ていなかった。パズは彼の肩越しに固定された視線を追って、後ろを振り返った。

「シャンティ?」

 そこには怒りの形相のシャンティーが、両腕を真っ直ぐ上に伸ばして立っていた。腕の先にはあの男がぶら下がっている。



空色のけもの〜『巡礼の地で花を植える』1


《巡礼の地で花を植える》

それはあの女(ひと)への祈りの言葉――。



 亀裂は果てしなく続いているように見えた。大地を裂いた深い傷。底からは悲鳴のような風の音が響いてくる。
 その亀裂に沿って落下防止の柵が、これもまた果てしなく続いているように見える。

 ここは《巡礼の地》一一。

 昼間は灼熱の太陽、夜は極寒の大気――。
 人間が生身で居られるのはほんの短い間だけの世界。
 遮蔽マントと簡易生命維持装置が必需品。それを身に付け、人々はこの地を訪れる。

 かつてひとりの女性が居た。人々に癒やしと安らぎを与えた赤い炎のような癒やし人。


 ここは彼女の終焉の場所一一。


 いつしか人々は、この地に花を植え始めた。固く乾いた大地――植物が根付く筈もない死んだ大地を、時折、電磁嵐が過ぎていく。
 そんな大地に花を植える。すぐに枯れる。また植える。


 果てしない繰り返し――。


 それでも人々は花を植える。
 彼女の言った言葉を信じて――。


『大地は生きている』


 いつか根付く日を信じて――。


 花を植える――。







 少年は亀裂に沿って歩いていた。振り返ると、大人達が固まって祈りを捧げている。彼は口を尖らせて前を向くと、また歩き始める。
 巡礼の地を訪れるのは嫌ではなかった。ドームの中ばかりにいたら、窮屈で仕方ない。少年の住むドームは小さなもので、大きなドームに比べたら天井が低い。だからいつも押しつぶされるような感覚に襲われる。だから外に出られる定期的な巡礼の地への旅は、楽しみのひとつだった。
 けれど大人達は、ただひたすら祈るばかりで、その他には何もしないのである。同じ年頃の子供もいない。自分と遊ぶには小さ過ぎるか大き過ぎる年頃ばかりである。

(外に出られるのはいいんだけど、退屈なんだよな)

 ぶかぶかの遮蔽マントを体に巻きつけて、腰に装着した簡易生命維持装置から伸びた管の先に付いたマスクを口に当てている。

(こんなのも邪魔で鬱陶しいよ)

 夜明け前は、最も環境が安定する比較的安全な時間帯である。電磁嵐も発生しない。防寒用にマントは必要だが、簡易生命維持装着は付けなくても別に構わない。だが、念のためと大人達はいつも装着させるのだ。
 少年はマスクを外した。冷たい空気が口腔に侵入する。だがそれが心地よかった。少年の栗色の髪を、微かな風が揺らす。同じ色の瞳が暗い空を眺めた。
 ふと前を見ると、亀裂の縁に何かが動いている。目をこらすと、それはしゃがみ込んだ人間のようである。

(何してるんだろう)

 少年はそっと近付いて行った。すると突然、


「こんな所をひとりで歩いてっと危ねぇぞ、ぼうず」

 と声を掛けられて、思わず体を固くした。見ると前方でしゃがみ込んでいた人間が、立ち上がってこちらを見ている。

「下からの突風が意外に強いんだ。よろけて落ちちまうぞ」

 背の高いシルエットだった。細身の体に明るい色の遮蔽マントを身につけている。夜明けが近い。徐々に明るくなって浮かび上がってくるその人間――若い男である――の姿が、少年にも見えてきた。
 明るい色と見えたマントは水色である。髪は灰色で、あまり手入れをしていないのかボサボサしている。決してハンサムとはいえないが、人懐っこい満面の笑顔を浮かべたその顔を見て、少年は警戒心が少し緩むのを感じた。

「祈りの会の巡礼か?」

 男が尋ねる。今時こんな場所を訪れるのは、祈りの会くらいしかいないや、と思った少年だが、男の明るい口調に引き込まれるように頷いた。

「うん……あっちでみんな祈ってる……」

「お前は参加しないのか?」

 男はそう聞いてきたが、責めるような感じは全くなかったので、少年は素直に答えた。

「だって退屈なんだもん」

 大人はいつも『祈りなさい』という。言うことをきかないと、ひとしきり説教が始まるので、少年はとりあえず形だけは祈りを捧げる。しかし少年にとっては信仰の対象である“女神様”は見知らぬ女性に過ぎない。あの女(ひと)に祈って何が変わるというのだろうか。死んだ両親が還ってくるわけでもなし、貧困が解消されるわけでもなし、祈る事は少年にとって無意味な行為なのである。
 少年の少し拗ねたような言葉を聞くと、男は愉快そうに笑った。

「あはは!素直でいいな、ぼうず。確かに子供にゃ退屈な巡礼だ」

「俺、ぼうずじゃないよ。パズっていうんだ。パズ・ブラウンだよ」

 男が少年――パズに近付いてきた。辺りは随分と明るくなってきている。男はパズの前に立つと、しゃがみ込んだ。男の目の位置が、パズのそれと同じになる。
 髪と同じ灰色の瞳であった。茶目っ気たっぷりにパズを見ている。鼻の上にはそばかすが少し散っていた。

「パズってのか。いい名前だな。おいらはシャンティだ。よろしくな」

 そう言って右手を差し出してきた。パズはそっとその手を握る。大きくて暖かい手の平であった。ふと見ると、手首に布が結びつけられている。着ている灰色の服とは違う色の布。それは裂かれた服の切れっ端のようであった。ボタン穴のようなものが見受けられるところを見ると、袖の部分か。

「名字は?シャンティ何っていうの?」

「名字はねぇよ、ただのシャンティだ。空色シャンティって呼ばれているけどな」

「空色…?」

 男――シャンティは自らのマントを摘んだ。

「この色が空色だ。遥か昔の故郷の青空の色。ある女(ひと)が言ってくれた。シャンティには空色がよく似合うってな……」

 綺麗な呼び名だと思った。そしてぴったりだとも思った。

「ねぇ、シャンティ。さっきまで何をしていたの?」

 パズはさっきまでシャンティが座っていた場所を見ながら尋ねた。

「ん?ああ……これな」

 シャンティが指差す。見ると、丸い袋が何個か転がっている。彼はその袋を持ち上げて中身をパズに見せた。

「……土?」

 その中には黒々とした土が詰まっていた。シャンティは頷いて、もうひとつの袋を見せる。パズの目に緑が飛び込んでくる。

「何これ?草?……あ、花もある……」

 袋の中には詰まっているのは、色んな種類の草や花だった。

「この袋は、中の植物を数日間新鮮なままに保存出来るんだ。本来は野菜用だな。この草と花は、山とか谷の比較的安定している土地に自生してるもんだ」

 そう嬉しそうに説明するシャンティを見て、パズはまた尋ねた。

「で……これをどうするの?」

 シャンティは金属製の移植鏝(こて)を手に取り、おもむろに地面を堀始めた。水分を含まない固い大地は、なかなか掘り起こせないが、シャンティは少しずつ穴を広げていく。

「この亀裂の縁に、花を植えるんだ」

 パズはシャンティを見た。こんな荒れた大地に花を植える?気候も植物が生息するには過酷すぎる。子供の彼にも分かる。ここではいかなる植物も根付かない。

「無理だよ!すぐに枯れるよ!」

 それでもシャンティは手を止めない。ひたすら穴を掘り続ける。
 やがてある程度の大きさの穴が出来た。その穴に土を入れて小さな紫色の花が咲いた植物を植える。そして上から水を撒いた。夜明けの光に水を浴びた紫色の花がきらきらと輝く。シャンティは嬉しそうに笑ってパズを見た。

「どうだ、綺麗だろう。この花は中部の結構荒れた所に咲いていたんだ。日陰に咲いていたんだが、その内ひなたにも慣れる」

「無理だよ……」

 パズはもう一度言う。シャンティの笑顔が妙に腹立たしかった。

「すぐに枯れるって……」

 だがシャンティは笑顔を浮かべたまま、また穴を掘り始める。

「無理だって!」

 パズは堪らなくなって、その手にしがみつく。シャンティは彼を見て、困ったように笑った。

「邪魔しないでおくれよ。おいら、明日には発たなきゃなんねぇんだ。それまでに全部植えとかないと……」

「何で!すぐに枯れるのに!無駄だよ!」

 シャンティはそっとパズの手を外した。そしてまた、穴を掘る作業に戻る。

「あのなぁ、パズ……」

 作業を続けながら、彼は呟くようにパズに話し掛けた。

「世の中にゃ、無駄な事なんかないんだよ。こうやって花を植えて、すぐに枯れてまた植えて……何年も何年も繰り返したら、きっといつかは根付く。この惑星(ほし)は内側から修復していってるんだ。だから外側から助けてやらないとな」

 そうしてシャンティは掘った穴に土を入れて、花を植えた。
 パズは訳がわからなかった。どう見ても無駄な事である。それに世の中には無駄な事なんかたくさんある筈だ。どんなに足掻いても、孤児の彼には明るい未来なんかない。足掻くだけ無駄なのである。
 そんな彼の心を読んだかのように、シャンティが言った。

「お前も頑張れよう。諦めなければ願いは叶うんだ。生きてりゃ何とかなるもんだ」

 その時、向こうの方から呼ぶ声がした。いつの間にか居なくなった彼を、誰かが探しているらしい。
 パズは、また黙々と作業を続けるシャンティから離れて、声の方へ歩き始めた。



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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型