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まほろば死街譚 第2章ー33


(第78話)


「何だ、あいつ……」

 アルフレッドは呆気に取られていた。ヴィックのリズムに付いていけない。ケティとの事を指摘されて戸惑ってしまっているのもあるが、どうもあの男には翻弄されてしまう。

「ヴィックさん……何を見ていらっしゃったんでしょうか……」

 ケティに言われて、さっきまでヴィックが立っていた場所に目を向ける。蔦状の薔薇が地を這うその場所は、何やら他の場所とは違って見える。気のせいだろうか一一アルフレッドがそう思いながら眺めていると、不意にケティが動いた。つかつかとその場所に歩み寄り、ヴィックの立っていた足元の薔薇の茂みをを覗き込む。すぐにはっとしたように右の手のひらで口を覆い、その場にしゃがみ込んだ。その只ならぬ様子に、アルフレッドはケティの側に駆け寄る。そしてその横に片膝を付いて、ケティの視線の先を見た。

「これは……」

 アルフレッドは絶句する。蔦状の薔薇の花々が覆い尽くしたその下に、荒野の山中で時折見かけるものが、ぽつんと存在していた。

「墓石……」

 百年程前までは、死者はドームの中に埋葬されていた。しかし人口の増加によって墓を建てる場所がなくなり、いつの頃からか人が死ぬと、その遺体は、荒野に住む“墓堀人”と呼ばれる職業の者達に依頼して、荒野の山中に埋葬してもらうようになったのだ。もちろん“墓堀人”は、それに寄って報酬を得る。れっきとした職業である。
 荒野の山中の墓に参る者はいない。遺族は、死者の遺髪を小さな祭壇に祀って、弔うのだ。アルフレッドは、定期的に荒野を視察していた。これは補佐官の中で、彼ひとりが行っていた任務外の自主的な仕事であった。誰も好き好んで、危険な荒野になど出ては行かない。それに、ドームに住む者は、荒野の様子になどには興味を抱(いだ)かない。だが、アルフレッドの考えは違った。荒野の環境も、そこに暮らす人々も、ドームの住民も、互いに影響し合って生きている。ドーム間の情報を運ぶ連絡員は、その業務を遂行するに当たって、荒野の住民の協力者を何人も抱えているし、ドーム間に物資を運ぶのは、荒野の“運び屋”である。ドームの生活は、彼ら荒野の住民によって支えられているといっても、過言ではないのだ。だから常に、荒野の状況を把握していなければならない。それ故の視察であった。
 その折、主に山中の道端に、人の頭大の石が無造作に置かれているのを見た。初めて案内人から、これは墓石だと聞かされた時は、少なからず驚いた。ドームに暮らす人々は、墓石がどんなものか知らない。だが報酬を払って埋葬してもらうのだ。それなりのものだと思っているだろう。しかし現実は、粗末な石に名前が彫られているだけの、吹けば飛ぶような代物なのだ。墓堀人の中には、骸を地中に埋めるのみで、墓石すら立てない輩もいるらしい。墓石を置いてもらえ、尚且つ名前を彫ってもらえる方が少ないだろう。何しろ名前が彫っていなければ、ただの大きな石ころにしか見えないのだ。そして、遺族はそれを知らない。
 ケティと覗き込んだ先にあるものは、紛れもなく墓石であろう。やはり人の頭大の寸法だが、アルフレッドが荒野で見かけた墓石よりも形が丸く整っていて、自然に転がっている石ころには見えない。そしてその表面には、きちんと名前が彫られている。だがその文字は、消えかけていた。

「ずいぶん古いものだな……風雨に晒されて名前が削られているみたいだ」

「そうですわね。ここは気象が自動的に設定されているって、ジョルジュアさんが仰ってました。だから長年の間に、石の表面が浸食されたのでしょう」

 だがこんな風に文字が削れるまでには、何十年もの月日が必要であろう。この墓石は、この場所にそれだけの期間、存在している事になる。だとしたら、ヴィックの祖先であろうか。彼は間違いなく、この墓石を見つめていた。数十年、もしかしたら百年も前に亡くなった祖先の墓を、未だに守っているというのか。だがヴィックの背中から漂ってきた悲しみは、見も知らぬ祖先を偲んだものとはとても思えない。あれは近しい身内か、恋人を亡くした者が醸し出す悲しみの感情だ。とすると、やはりヴィックも一一。

「長官様、文字はまだ読めますわ。ほら、名字が……ロ……」

「ロイ?」

「まあ……長官様と同じ名字ですわ」

 アルフレッドは消えかけた文字を、まじまじと見た。確かにそこには、ロイという名字が刻まれている。

「ロイという名字は、ありふれたものだよ。こんな所で目にするのは奇遇だが……」

 ロイを名乗る人間など、この惑星上にはごまんといるだろう。中には中央のロイ家にあやかろうとして名乗っている者もいるかもしれない。だが、その名をこんな所で見る事は、妙な奇遇だと思ってしまう。

「上の名前も……読めそう……」

 墓石に顔を近づけて、目を凝らしたケティが、かろうじて読める文字を口にした。

「ン……アン……アンだわ。女性ですわね……まあ!何て事!」

 名前を読み上げてからケティが放ったのは、悲痛な叫びだった。アルフレッドは驚いてケティを見る。

「どうしたんだ?」

「名前の後ろの享年齢が……20歳なんです!私よりひとつ下……若くしてお亡くなりになったのね……」

 ケティの声は震えていた。アルフレッドは改めて墓石の文字を見る。アン・ロイという名前の後ろに、小さな数字が刻みつけられていた。これは、埋葬された死者が亡くなった年齢である。墓石には、フルネームと共に刻まれるのが一般的なのだ。
 目の前の墓石に刻み込まれている数字は20一一即ち、この下に葬られているアン・ロイという女性が、20歳で亡くなった事を示しているのだ。
 若くして亡くなるのは、荒野では決して珍しくはない。体に害を成す太陽光に晒されている荒野の住民の平均寿命は、ドームで暮らす住民より短いのだ。だがここはドームの中である。普通にドームに暮らす人々の平均寿命は、それほど短い訳ではない。ここに葬られている女性が、荒野の住民であるかドームの住民であるかは、定かではないが一一。

「ヴィックさんは、この墓石を見てらしたんですよね。ずいぶん古い墓石ですから、お知り合いではないでしょうが……まるで死別した親しい方のお墓を見つめてるみたいでしたわ。恋人……とか……ああ、まさか!」

 ケティは、自分の見た印象を言ったのだろうが、即座に笑って否定する。

「ご存知の筈ありませんよね。もう大昔に亡くなられた方ですもの。多分ヴィックさんは、忘れ去られた墓石の主を可哀想に思われて、お参りをなさっているのでしょう。お優しい方ですね。昨夜も助け船を出して下さいましたし……」

 ケティは、夕食の席での事を言っているのだ。メリッサのケティへの攻撃を、巧みに逸らしたヴィックの言動に気づいていたのだろう。そして墓石に関しては、ケティの意見が常識的である。だがアルフレッドはこの数日で、自分の常識が悉く覆される経験をしていた。常識など通用しない気がする。少なくともこのドームではだ。
 アルフレッドは立ち上がって後ろを振り向いた。森の中に消えたヴィックの姿は、もちろん見る事は出来ない。だが眼光鋭く見据える先に、あの背中が浮かぶ。

(ヴィックは……ヴァシュアだ。このドームには、滅んだ筈のヴァシュアが生存している。長い長い寿命を持つ異種族……ならばこの墓石の下に眠る女性を知っていても不思議ではない。ひょっとしたら、ヴィックが埋葬したのかもしれない。そして、やはり恋人だったのか……)

 アン・ロイという女性は、恐らく人間であろう。ヴァシュアに関する資料に、ヴァシュアには名字がないと書いてあった。人間とヴァシュアが共存していたこのドームでなら、異種族同士の恋愛もあったであろう。そしてその恋愛の結末は、寿命によって引き裂かれる。人間同士でも死による別れは必ず訪れるが、寿命の長さが違い過ぎる異種族同士の死別は、残されるヴァシュアの人生の長さを考えると、あまりにも辛いものである。愛する者が亡くなった後、気の遠くなるような月日を、想い人を偲んで過ごすヴァシュア一一全てのヴァシュアがそうだとは言えないが、ヴィックの背中はそれを伝えている。もちろん、全てアルフレッドの想像に過ぎないのだが、何故か間違いではないような気がするのだ。

「長官様……」

 ケティに呼ばれて振り返る。その緑色の瞳が、何かを訴えかけていた。細い指が、墓石の上に被さるように生い茂る、蔦状の薔薇を指さしている。アルフレッドは再びしゃがみ込んだ。そしてケティが指差す方を覗き込む。

「薔薇の……棘が取ってあるんです。この墓石の周りの薔薇の花の棘が……。ヴィックさんでしょうか?」


一一薔薇の花束でも作って、贈ってあげて下さい。その際は、棘を全部取るんですよ。ケティさんが怪我をしちゃいますからね一一。


「ヴィック……」

 アルフレッドは薔薇の茎から目が離せなかった。棘が取られた痕は、新しいものと、取られて時間が経過したものとがある。彼はいつも、新しく延びてきた薔薇の茎から、棘を取っているのだろう。


 この下に眠る一一アンという女性の為に一一。






 ふと足を止めて空を仰ぐと、木々の枝葉の間から射してくる陽光に、目を細める。

「あなたはいつも空を仰いで、何を見ているの……よくそう訊かれたな……」

 ヴィックはそう呟くと、今度は俯いた。そして脇に垂らした右手を上げる。その拳は、強く握りしめられていた。

「百年後も愛し続ける……か……」

 拳が開かれた。現れたのは何十個もの、薔薇の棘一一。その棘に寄って出来たらしい赤いひっかき傷から、少し血が滲んでいる。

「あなたには、薔薇の花は似合うけど、棘は似合わない……だって本当に優しい女(ひと)だから……」

 ヴィックが開いた手のひらを返すと、棘がパラパラと地面に落ちた。それを追う黒瞳が、例えようもない悲しみに暗く陰る。
 そして、呟きは続く。

「あなたの骸は私だけのもの……誰にも決して渡さない……」

 誰に話しかけるでもない一一小さな呟き一一。




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この話にリンクするストーリーはこちら↓

暗闇でダンス 第4部ー63

 

まほろば死街譚 第2章ー32


(第77話)


 ケティと腕を組んで、森の中を進んだ。豊かな緑の木々の茂った葉の狭間から、日の光が差し込んでいる。先程、温室に入った時は、あまりの眩しさに目が眩んでしまったが、緑の葉を経て差し込む陽光は、目に優しい光であった。
 それにしても、森が深い。もう建物を何回も往復した距離を歩いている筈だ。何とも不思議である。

「ほら、森を抜けますわ。私はここまでしか来た事がないんですよ」

 ケティが指差す先には、また明るい日差しが差している。もう光に目が慣れたので、出て行っても大丈夫だろう。アルフレッドはそう思いながら、つい苦笑を漏らしてしまった。たった2日しかいないのに、目が暗さに慣れてしまっている。たまにここに来て光に目を慣らさないと、このドームの外に出る度に、あんな反応をしてしまう。
 森を出ると、また草原が広がる。だがこの草原は、入り口に広がる光景よりはこじんまりとしている。周りに木々が多いせいか。少し落ち着いた気分になった。あまり広大な景色には、気圧されてしまう。情けないが、ドームの中で生活する住民の性質であろう。

「長官様、羊ですよ。あの向こうには、牛小屋もあるんです」

 見ると、木の柵がある。その向こうの草原に、数十頭の羊が群れを成して草を食(は)んでいた。

「寄って行きます?」

「いや、次の機会にしよう。君はここを見たんだろう?今日は君が見ていない湖と薔薇園に行こう」

 アルフレッドがそう返すと、ケティはにっこりと笑って小さく頭を下げた。

「お気遣いありがとうございます。本当にお優しいのですね」

 そう言われると、妙に気恥ずかしくなる。アルフレッドは自分が優しい男だとは、思った事もないのだ。少なくとも、昨夜のメリッサに対する態度は、優しいどころか自分でも冷淡だったと思う。

「じゃあ、湖に行きましょう。あの小さな森を抜けてすぐですわ」

 ケティがアルフレッドの腕を引っ張った。その無邪気な様子に、思わず笑みが零れる。そしてすぐに、戸惑いを感じた。今まで女性に対して抱(いだ)いた事のない感情に対してである。アルフレッドはケティを“可愛い”と思ったのだ。

(どうかしている……)

 ここに来てから様々な出来事に翻弄されて、冷静な判断が出来なくなっているのか一一そう思い、気合いを入れねばと唇を噛んだアルフレッドであったが、それが恋をする一歩手前の、当たり前の男の反応であるとは気づかなかった。数多くの女性を魅了してきた凄腕の俊英も、存外奥手なのだと、かのポール・アイゼンシュタインなら言いそうである。
 次に入った森は、それ程深くはなかった。二人はすぐに出口に辿り着く。そして、森を抜けたその先には一一。

「まあ!」

「ほお!」

 二人は同時に感嘆の声を上げた。目の前に広がる光景は、そうさせるに値する見事なものであったのだ。

「綺麗……」

 陽光を受けてキラキラと輝く湖水が広がっている。やはりこの建物の中には、到底収まり切れない広さである。だがそれは今更であろう。今まで歩いてきた草原や森も、とてもではないが収まり切れない広さなのだ。
 その湖も見事だが、それよりも目を惹いたのは、一面の薔薇の花々であった。色とりどりの薔薇の花が、湖の畔に咲き誇っている。背の高いもの、低いもの、地を這うもの、大きさも様々一一色々な種類の薔薇の乱舞が、目の前に繰り広げられているのだ。

「これは……凄い……」

 アルフレッドの母親も花が好きであった。特に薔薇の花を好んで庭に植えていたが、この見事さには適わない。ここの薔薇は、実に生き生きとしている。そう言えば母親が、土が痩せて栄養がないから、花に元気がないとよく嘆いていた。ドームの土は死んでいるとも言っていた。それならば、ここの土は栄養のある“生きた土”なのだろうか。

「あら……長官様、あれは……」

 アルフレッドの腕をケティが引いた。ケティの視線の先に目をやると、そこには見覚えのある後ろ姿があった。

「ヴィック……」

 くすんだ金髪が俯いている。背中は少し猫背気味で、昨夜までの陽気で明るい補佐官の雰囲気とは打って変わっていた。その背中から伝わってくるのは、途轍もない寂寥感か一一はたまた悲しみか。肩を落とした寂しげな背中が、アルフレッドの胸に迫る。
 ヴィックは自分の足元を見ているようだった。地を這う蔓状の薔薇が、その足元に咲き乱れている。

「なんて……寂しそう……昨夜とは随分違いますわね」

 ケティの受けた印象も同じようである。二人は声をかける事も出来ず、暫くヴィックの背中を見つめていた。
 するとその視線に気づいたのか、ふいにヴィックが振り返った。その黒瞳が、アルフレッドとケティを捉える。途端にいつもの満面の笑みが広がった。

「あれぇ!アル・ロイとケティさん!こんな朝早くから、デートですか?」

 相変わらずの明るい口調一一だがアルフレッドは見逃さなかった。振り返った瞬間のヴィックの表情は、その背中から受けた印象と同じ悲しみが張り付いていたのだ。すぐに笑顔の下に隠れたその表情に、ヴィックの真の姿を垣間見たような気がした。
 だがヴィックは、何事もないかのように二人に近づいてきた。二人の表情が硬いものである事にも気づいている筈だが、全く気にした風もない。

「熱々ですねぇ」

「馬鹿を言うな。ただの散歩だ」

 アルフレッドがそう返すと、ヴィックは手を伸ばして、アルフレッドの肩をポンと軽く叩いて首を振った。

「駄目ですよ、アル・ロイ。それじゃケティさんが可哀想でしょ。女性をエスコートして散歩するのは、立派なデートですよ」

 そしてケティに目を向けて、にっこりと笑いかけた。

「ケティさん。アル・ロイは恥ずかしがり屋なんですよ。許してやって下さいね」

 ケティは頬を赤く染めて、小さく首を振った。

「いいえ……これは私がお誘いした散歩なんですよ。デートだなんて、長官様にご迷惑です」

「あ……いや!迷惑なんて事は……」

 アルフレッドは慌ててケティの方を向いた。そして気づいた。いつの間にか、ケティの腕が外されている。

「しょうがないですねぇ……ちゃんとフォローするんですよ、アル・ロイ。孤児院の慰問は午後からですから、まだ時間はたっぷりあります。薔薇の花束でも作って、贈ってあげて下さい。その際は、棘を全部取るんですよ。ケティさんが怪我をしちゃいますからね」

 ヴィックはそう早口でまくし立てると、唖然としている二人に背を向けて離れていく。だがすぐに立ち止まり、振り返って言った。

「ああ、そうそう……孤児院には俺も行きますから……俺が荒野で保護した子供達が居るんですよ。久しぶりに会いたいですから……」

 そして右手を上げて、

「ごゆっくり」

 と言い残して、足早に森の中に消えて行った。後には呆れた顔で立ち尽くすアルフレッドとケティが残された。


 


まほろば死街譚 第2章ー31


(第76話)


 翌朝、アルフレッドは朝食の席で、ケティに散歩に誘われた。

「温室?」

「はい。ヴァシュアの遺された設備なんですが、それは見事に人間のドームの自然が再現されているんです。森とか草原、川や湖……そんなに大きな建物じゃないのに、中は信じられないくらい広くて、その仕組みは解明されていないらしいですよ。このドームは太陽が出ないから、偶には日光浴しないと体に悪いので、皆さん定期的に散歩しています。室内の電気を太陽光線に設定出来ますけど、それじゃ味気ないですからね」

「なる程……毎日、曇り空ばかりじゃ、モヤシみたいになってしまうと心配していたが、そんな便利な施設があるのなら大丈夫そうだな……だが……」

 アルフレッドは首を傾げた。

「ヴァシュアというのは、太陽の光を忌む種族……そんな設備はいらない筈じゃないのか?」

 ヴァシュアにとっては、太陽光は有害だと伝えられている。光より闇を好む一一それはその体質から来ている。だからヴァシュアのドームには、太陽が昇らない。

「このドームではその昔、ヴァシュアと人間が共存していたそうです。ヴァシュアの領主は、人間の為に温室を造ったらしいですよ」

「ヴァシュアと人間が共存?互いに相容れない関係だったと伝えられているのに?」

 伝承では、ヴァシュアと人間の間では、争いが絶えなかったと伝えられている。結局ヴァシュアは衰退し、この惑星では人間が生き残った。

「このドームの領主であったヴァシュアは、人間との共存を謳った数少ないヴァシュアであったと聞いています。ヴァシュアの主食は人間の血液……そして人間がこの惑星で生きていくにはヴァシュアの科学力が必要であった。お互いなくてはならない存在であるから、力を合わせなければって……」

 ケティの説明に、アルフレッドは頷く。争いの末に、ヴァシュアは滅びた。最後まで誇り高いヴァシュアは、人間に屈する事はなかったという。その滅亡の過程に未曽有の危機が訪れて、それを阻止したのがヴァシュアと人間の混血であるジェルミナ卿と英雄達であるのだが、その詳細は謎のままである。

「君は……随分詳しいな」

 食後のコーヒーを運んできたケティに、アルフレッドがそう言うと、穏やかな笑みを浮かべてケティは応えた。

「レステラの宿は、このドームの一部みたいなものですから、伝承は聞かされています。あ、でも……温室の事はジョルジュアさんに聞きました。ここの管理は、全てジョルジュアさんがやっているんですよ。知らない事はないみたい」

 コーヒーを啜りながら、アルフレッドは頷いた。確かにジョルジュアは、この長官府の管理人のようだ。否、長官府ではなく、ジョルジュアにとっては居城なのか。アルフレッドの疑惑は確信に変わりつつある。あの老人はヴァシュアだ。滅亡した筈の異種族一一だが、完全に滅び去った訳ではないのではないか。ハモン達、ヴァシュアのダンピールが生き延びているのだ。純粋なヴァシュアが生き残っていても、何ら不思議ではない。とすると、ハリィやヴェルナール、その妻のマリカも怪しい。そして一一。

「長官様?」

 ケティの呼びかけに、アルフレッドははっとして顔を上げた。見ると、ケティが心配そうに彼の目を覗き込んでいた。

「ああ、すまない……ちょっと考え込んでしまった。そうだな、午前中は時間が空いているから、日の光を浴びてくるか。その設備にも、興味があるしな」

 そう言うと、ケティは嬉しそうに笑って、空になったコーヒーカップをアルフレッドから受け取った。

「ヴェルナール先生の奥様に聞いたんですが、綺麗な湖があって、その畔に見事な薔薇園があるらしいんですよ。薔薇の花が好きだから、楽しみだわ」

 ケティの嬉しそうな様子を見て、アルフレッドは安堵した。昨夜は不快な思いをさせてしまって申し訳ないと思っていたのだ。だが、メリッサの示した明らかな蔑みを、この若い娼婦は実に見事に受け流していた。大したものだとも思う。






「……」

 アルフレッドは陽光の中に立ち尽くしていた。その顔には、驚愕が浮かんでいる。

「長官様!」

 弾むようなその声の方向に目を向けると、足元に明るい花々をまとわりつかせたケティが、満面の笑顔で彼を見ていた。

「どうなさったのですか?湖はあちらですよ。森を二つ抜けたら辿り着くって、マリカさんが言ってました。行きましょう!」

「あ……ああ……」

 そう返事をしたものの、俄には動けない。それ程、目の前に広がる光景に、驚かされていたのだ。
 するとケティが近づいてきて、いきなりアルフレッドの腕に自らの腕を絡ませた。このドームに到着した夜の大胆な行動以外は、どちらかというと控え目な態度であったケティにしては、積極的な行動である。だが、ケティのこの動きのお陰で、アルフレッドは冷静さを取り戻す事が出来た。彼はケティに笑いかけた。

「あまりにも見事なんでね。驚いてしまった。これだけの光景は、人間のドームでもお目にはかかれない。昔はあちこちに自然公園があったらしいんだが、人口が増えて居住地に変わってしまったからね。しかし……外から見たら、それ程大きな建物には見えなかったんだが……」

 ケティと腕を組んで歩き出したアルフレッドの言葉に、ケティが頷いて応えた。

「そうでしょ?何か仕掛けがあるんでしょうが……」

 朝食の片付けが済んでから、ケティに案内されて居城の側の廊下の大きな窓から外に出た。曇り空なので明るくはないが、それでも暗い廊下よりはマシである。降り立った場所は、中庭のようだった。そして一一。

「長官様、あれですわ」

ケティが指差す先に、白く四角い建物があった。温室である。

「あの中に湖があるのか?小さくはないが、湖が収まるような広さには見えないんだが……」

「それが長官様……中にお入りになったら驚きますわよ。私も初めて入った時には、呆けてしまいましたもの」

 そう言いながら先を行くケティの後に続いたアルフレッドが、温室のドアの前にたどり着くと、ケティが脇にずれてアルフレッドにドアを指し示した。

「長官様、どうぞお開けになって下さい」

 少しおどけた仕草のケティに笑いかけてドアを開けたアルフレッドだが、いきなり飛び込んできた光のシャワーに、目が眩んでしまった。

「……!」

 すると後ろから背中を押された。ケティである。背後でドアが閉まる音がする。そして耳元に、ケティの囁きが聞こえた。

「目をお開けになって下さい。大丈夫ですから……」

 そう言われて、少し気恥ずかしくなった。アル・ロイともあろうものが、何とも情けない体たらくである。そう思いながら目を開けたアルフレッドだが、結局取り繕う余裕もなく、目の前の光景に驚愕して呆けてしまう。情けなさ全開である。
 だが無理はなかった。そんなに大きな建物ではないのに、目の前には有り得ない光景が広がっていたのだ。
 見渡す限りの広大な草原一一咲き誇る花々に、点在する豊かな緑の森、見上げると抜けるような青空が果てしなく頭上を覆い尽くしている。その色を見た時、アルフレッドの脳裏にシャンティの笑顔が浮かんだ。あの陽気なヴァシュアのダンピールが纏っていたマントと同じ色が、そこにはあったのだ。


空色はシャンティのマントの色一一。


 

まほろば死街譚 第2章ー30


(第75話)


 窓を開け放して下を見たグルッシェンカは、渡り廊下を執務室に向かって出勤するセイアスの姿に目を留めた。いつもこの時間に窓から見下ろせば、彼の姿を見れる。セイアスは時間には正確だった。以前はそんな彼の後ろにぴったりと付いていたのはアルフレッドだった。今は見知らぬ男が後ろを歩いている。
 セイアスが指名した正体不明の男一一シャンティ・ブロア補佐官。どこの馬の骨か知れぬこの男が主席補佐官になると通達があった時の、最高議会の面々の狼狽ぶりは見物だった。闇雲に怒鳴り散らす者、オロオロとただ歩き回る者、あちこちに確認の電話を入れまくる者一一そんな中、グルッシェンカの上司であるテリー・サモネだけは、落ち着き払って冷静に事を見ていた。そして議長不在の議会を纏めあげたのだ。
 セイアスを巡って、姉のヴェラニーナと衝突した。取り合った訳ではない。グルッシェンカがどんなにセイアスを想っても、かれの心はヴェラニーナに向かっていた。姉がそれを受け入れていたら、潔く諦めただろう。だがヴェラニーナは、何故かセイアスの愛を受け入れないのだ。それがグルッシェンカは許せなかった。だからセイアスを自分のものにしたかったのだ。半分は意地だった。家を飛び出す前の晩、自宅に居たセイアスを訪れた。コートの下には衣服を纏わず一一そして全てを晒して抱いてくれと迫ったのだ。
 結果は一一当たって砕け散った。セイアスはグルッシェンカの肩にコートをかけて、優しく、しかし断固として諭した。

『君が好きだよ……でも、愛する事は出来ない。妹みたいに想っているんだ……もっと自分を大切にしてくれ……こんな……自分を貶めるような事はしないで欲しい……』

 次の日、止めるヴェラニーナを振り切って家を出た。あんなに愛されているのに、何故応えない一一姉のその姿勢が、納得出来なかったのだ。
 友人の部屋に転がり込んで、最高議会議員の秘書募集に申し込んだ。セイアスの敵陣地に入り込んで、彼と対立したかった。単純に、彼と姉を困らせたかったのだ。
 そんな彼女を、ギルバート議長が秘書に採用しようとした。流石にあの蝦蟇蛙の秘書となると、とてもじゃないが生理的に受け付けない。弱り果てていた所を救ってくれたのが、テリー・サモネだった。議長に睨まれるのを承知の上で、グルッシェンカを秘書に採用したのだ。それは半ば、強奪に等しかった。その後、ギルバート議長からは幾度かの嫌がらせがあったが、それはサモネの働きにより跳ね返された。結局、ギルバートはサモネの力を必要としているのだ。だからそれ以上は、嫌がらせをしてこなくなった。ギルバートにとっては、サモネがセイアス側に付かれる事が、最も危惧する事態である。だから機嫌を損ねてはならないのだ。
 だがグルッシェンカは思う。果たしてサモネはセイアスの敵なのだろうか。確かにサモネの働きにより、最高議会側が優位に立つ場合がよくあった。だがそれによって、立場が逆転する事はない。相変わらずセイアス側が力を持っている事に違いはないのだ。それは最高議会が優位に立つと必ず、議員の誰かがへまをして、議会の信頼を失墜させている事がよくあるからだ。グルッシェンカは、それにはサモネが関わっているのではないかと推理している。となると、サモネは必ずしも議会の味方ではない。
 正体の知れない、だが凄腕の人物なのである。だがグルッシェンカは、そんな事はどうでもよかった。サモネの秘書という仕事はやりがいがあったからだ。サモネが何者であろうと、そんな事は気にならなかった。そして忙しく仕事をこなす内に、あの焼け付くようなセイアスへの想いが、薄れてきているのに気付いた。そしてその代わりに、テリー・サモネという男に、上司に対してではない、違う感情が芽生えて来ている事にも気付いた。
 グルッシェンカは窓から離れて、サモネの机に近付く。そして引き出しを開いて、中から平たい小さな木の箱を取り出した。箱の蓋を開けると、現れたのは大きめの手帳サイズの額縁だった。中には一枚の絵が収まっている。
 以前サモネが居る時に、偶然この箱を見つけて中を見てしまった。その時に、サモネは寂しげに笑いながら教えてくれた。

『ずっと前に亡くした……妻と息子だよ……』

 サモネによく似た三歳位の少年と、二十代の半ばに見える女性の絵であった。濃い金髪に琥珀色の瞳を持つ女性は、少年を抱いて優しく微笑んでいる。見る者を安心させる柔らかな美貌を持つ女(ひと)一一それがサモネの妻だった。額縁の裏に、その名が刻まれている。

 リタとジェンダ一一。

 サモネは若くして亡くした妻と幼い息子を、今でも愛おしんでいるのだ。それは彼の口調から伝わってきた。
 絵を眺めていると、少し胸が痛んでくる。そしてサモネの心の中に、今でも大きく存在するであろうリタという女性に、微かな嫉妬心が湧いてくるのが分かった。

(負けないわ……)

 もうこの世にいない女(ひと)になんか負けない。亡くなった者は、思い出の中にだけ存在するのだ。この現実で、きっとサモネを振り向かせる。
 グルッシェンカは額縁を箱に戻して、引き出しに仕舞込んだ。そして、今夜のサモネとの晩餐の予約を取り付ける為に、机の上の受話器を取り上げてた。





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この話にリンクするストーリーはこちら↓
空色のけもの 3〜『箱庭の中で金褐色の花が咲く』12

 


まほろば死街譚 第2章ー29

 
(第74話)


 長官居住区から出たメリッサがすぐに足を止めた。ハリィは気に留める風もなく歩き去って行ったが、ヴィックは振り向いてメリッサに声をかけた。

「どうしたの、メリッサちゃん?忘れ物?」

 メリッサはヴィックを睨みつけた。その目が少し潤んでいる。両の拳(こぶし)は、関節の色が白く変わる程、握りしめられていた。

「何よ……!みんなで私を馬鹿にして……恥をかかせて……。あんたもあんたよ!日頃はあんなに私に付きまとってるくせに、娼婦の味方なんかして!見損なったわ!」

 実際には、ヴィックが具体的にケティの味方をした訳ではないが、自分を注意したアルフレッドを褒めた行為が、メリッサにはそう映ったのだろう。

「メリッサちゃん……ケティさんに対しては、ちょっとやり過ぎだよ。辺境では、娼婦はそんなに蔑まれている訳じゃないんだ。あんな事してたら、今に周りから睨まれちゃうよ。俺はメリッサちゃんにそんな目に遭って欲しくないんだよ……」

「うるさい!もう、大嫌い!」

 ヴィックの言葉を耳に入れずに、メリッサはそう叫んで走り去って行った。後にはぽつんとヴィックが取り残される。
 暫くぽつねんと立ち尽くしていたヴィックだが、次第にその肩が震えてきた。やがて、全身に震えが広がる。そして一一。

「あはははは!」

 いきなりの大爆笑であった。暗い廊下に、ヴィックの笑い声が響く。おかしくてたまらないという風に、体を揺らして笑う。
 ひとしきり笑った後、ヴィックは笑みを顔に貼り付かせたまま、前方を見やった。先程までは誰もいなかったそこに、今は人影がある。

「ジョルジュア……そんなところで眺めるなよ。相変わらず足音を立てない奴だなぁ」

 そこに立っているのは、昨日は副長官としてアルフレッドを迎えた一一今はどうやら、旧ヴァシュアの居城の“執事”であるジョルジュアであった。穏やかな笑みを浮かべて、静かに佇んでいる。

「ご婦人を泣かせてはいけませんよ。お可哀想に……メリッサさん、泣いてらっしゃいました」

 どうやら走り去って行ったメリッサを見かけたらしい。ヴィックはふんっと鼻を鳴らして肩をすくめる。

「あんな馬鹿女の事なんか知るか。憧れのアル・ロイの前で恥を晒したんだ。ざまあみろだ。少しは堪えただろう」

 ずっとメリッサにすり寄っていたとは思えない、打って変わった態度であった。

「あれ程、メリッサさんにご執心なご様子なのに、それはないのでは?」

 ジョルジュアがそう言うと、ヴィックの笑顔が消えた。彼は嫌悪感も露わに、眉を歪める。

「ああいう人間が、今の世界を駄目にしているんだ。高飛車で高慢で自分の我さえ通れば、他はどうなっても構わないという輩(やから)がね。だからあの女には、挫折を味わってもらう。せいぜい持ち上げて、高みに舞い上がったところで、叩き落としてやるんだ。あんな女を生かす為に……あの方は身をボロボロにしてまでこの惑星を守っているんだ。あんな人間の為に……!」

 ヴィックが歯を食いしばる。すると、唇の端から見えるのは、何と小さな尖った牙だった。犬歯にしては鋭いその切っ先で唇を咬むと、赤い血が滲む。それをペロリと舐めた彼は、それまでの怒りとは違う悲しげな表情を浮かべて、ジョルジュアを見て尋ねた。

「あの方のご様子はどうなんだ?少しは具合が良くなったのか?」

 その問いかけに、ジョルジュアは否定とも肯定ともつかない会釈をして答える。

「ご気分はよろしいご様子です。お薬が効いているのか、痛みも治まっていらっしゃるようで……ただ……」
「ただ?」

 ヴィックが身を乗り出す。

「もう……ご自分の足で歩く事は出来なくなりました。首から下が動かなくなるのも、時間の問題かと……」

 ヴィックが後ずさった。その体から、力が抜けているのが分かる。先程の大爆笑とは正反対の、深い深い悲しみが全身を覆う。

「そうか……もう限界か……そうだよな。当たり前だ。よくここまで保ったよ……それも全て陛下の為に……」

 ヴィックは天を仰ぐ。ついとその黒瞳から、涙が溢れて流れる。

「あの方が逝ったら……俺も再生は止める……ハモン様には悪いが、俺にとっては、この惑星の行く末なんかどうでもいいんだ。ただ、あの方が生きているから……俺は存在しているんだよ。だから、あの方がいなくなったら、俺は存在を止めるよ……」

 ジョルジュアが廊下の端に寄った。ヴィックの目の前に、暗い道が開(ひら)ける。諦めたような、悟ったような笑いを浮かべて、その暗い道にヴィックは歩みを進めた。
 ジョルジュアの傍らを過ぎた時、執事の耳に小さな呟きが聞こえた。それは誰かに囁くような呟き一一まるで歌の一節のようだった。

「アニー、アニー……君の為に……」



 君の為に、僕は生きる一一。
 
 
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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型