(第78話)
「何だ、あいつ……」
アルフレッドは呆気に取られていた。ヴィックのリズムに付いていけない。ケティとの事を指摘されて戸惑ってしまっているのもあるが、どうもあの男には翻弄されてしまう。
「ヴィックさん……何を見ていらっしゃったんでしょうか……」
ケティに言われて、さっきまでヴィックが立っていた場所に目を向ける。蔦状の薔薇が地を這うその場所は、何やら他の場所とは違って見える。気のせいだろうか一一アルフレッドがそう思いながら眺めていると、不意にケティが動いた。つかつかとその場所に歩み寄り、ヴィックの立っていた足元の薔薇の茂みをを覗き込む。すぐにはっとしたように右の手のひらで口を覆い、その場にしゃがみ込んだ。その只ならぬ様子に、アルフレッドはケティの側に駆け寄る。そしてその横に片膝を付いて、ケティの視線の先を見た。
「これは……」
アルフレッドは絶句する。蔦状の薔薇の花々が覆い尽くしたその下に、荒野の山中で時折見かけるものが、ぽつんと存在していた。
「墓石……」
百年程前までは、死者はドームの中に埋葬されていた。しかし人口の増加によって墓を建てる場所がなくなり、いつの頃からか人が死ぬと、その遺体は、荒野に住む“墓堀人”と呼ばれる職業の者達に依頼して、荒野の山中に埋葬してもらうようになったのだ。もちろん“墓堀人”は、それに寄って報酬を得る。れっきとした職業である。
荒野の山中の墓に参る者はいない。遺族は、死者の遺髪を小さな祭壇に祀って、弔うのだ。アルフレッドは、定期的に荒野を視察していた。これは補佐官の中で、彼ひとりが行っていた任務外の自主的な仕事であった。誰も好き好んで、危険な荒野になど出ては行かない。それに、ドームに住む者は、荒野の様子になどには興味を抱(いだ)かない。だが、アルフレッドの考えは違った。荒野の環境も、そこに暮らす人々も、ドームの住民も、互いに影響し合って生きている。ドーム間の情報を運ぶ連絡員は、その業務を遂行するに当たって、荒野の住民の協力者を何人も抱えているし、ドーム間に物資を運ぶのは、荒野の“運び屋”である。ドームの生活は、彼ら荒野の住民によって支えられているといっても、過言ではないのだ。だから常に、荒野の状況を把握していなければならない。それ故の視察であった。
その折、主に山中の道端に、人の頭大の石が無造作に置かれているのを見た。初めて案内人から、これは墓石だと聞かされた時は、少なからず驚いた。ドームに暮らす人々は、墓石がどんなものか知らない。だが報酬を払って埋葬してもらうのだ。それなりのものだと思っているだろう。しかし現実は、粗末な石に名前が彫られているだけの、吹けば飛ぶような代物なのだ。墓堀人の中には、骸を地中に埋めるのみで、墓石すら立てない輩もいるらしい。墓石を置いてもらえ、尚且つ名前を彫ってもらえる方が少ないだろう。何しろ名前が彫っていなければ、ただの大きな石ころにしか見えないのだ。そして、遺族はそれを知らない。
ケティと覗き込んだ先にあるものは、紛れもなく墓石であろう。やはり人の頭大の寸法だが、アルフレッドが荒野で見かけた墓石よりも形が丸く整っていて、自然に転がっている石ころには見えない。そしてその表面には、きちんと名前が彫られている。だがその文字は、消えかけていた。
「ずいぶん古いものだな……風雨に晒されて名前が削られているみたいだ」
「そうですわね。ここは気象が自動的に設定されているって、ジョルジュアさんが仰ってました。だから長年の間に、石の表面が浸食されたのでしょう」
だがこんな風に文字が削れるまでには、何十年もの月日が必要であろう。この墓石は、この場所にそれだけの期間、存在している事になる。だとしたら、ヴィックの祖先であろうか。彼は間違いなく、この墓石を見つめていた。数十年、もしかしたら百年も前に亡くなった祖先の墓を、未だに守っているというのか。だがヴィックの背中から漂ってきた悲しみは、見も知らぬ祖先を偲んだものとはとても思えない。あれは近しい身内か、恋人を亡くした者が醸し出す悲しみの感情だ。とすると、やはりヴィックも一一。
「長官様、文字はまだ読めますわ。ほら、名字が……ロ……」
「ロイ?」
「まあ……長官様と同じ名字ですわ」
アルフレッドは消えかけた文字を、まじまじと見た。確かにそこには、ロイという名字が刻まれている。
「ロイという名字は、ありふれたものだよ。こんな所で目にするのは奇遇だが……」
ロイを名乗る人間など、この惑星上にはごまんといるだろう。中には中央のロイ家にあやかろうとして名乗っている者もいるかもしれない。だが、その名をこんな所で見る事は、妙な奇遇だと思ってしまう。
「上の名前も……読めそう……」
墓石に顔を近づけて、目を凝らしたケティが、かろうじて読める文字を口にした。
「ン……アン……アンだわ。女性ですわね……まあ!何て事!」
名前を読み上げてからケティが放ったのは、悲痛な叫びだった。アルフレッドは驚いてケティを見る。
「どうしたんだ?」
「名前の後ろの享年齢が……20歳なんです!私よりひとつ下……若くしてお亡くなりになったのね……」
ケティの声は震えていた。アルフレッドは改めて墓石の文字を見る。アン・ロイという名前の後ろに、小さな数字が刻みつけられていた。これは、埋葬された死者が亡くなった年齢である。墓石には、フルネームと共に刻まれるのが一般的なのだ。
目の前の墓石に刻み込まれている数字は20一一即ち、この下に葬られているアン・ロイという女性が、20歳で亡くなった事を示しているのだ。
若くして亡くなるのは、荒野では決して珍しくはない。体に害を成す太陽光に晒されている荒野の住民の平均寿命は、ドームで暮らす住民より短いのだ。だがここはドームの中である。普通にドームに暮らす人々の平均寿命は、それほど短い訳ではない。ここに葬られている女性が、荒野の住民であるかドームの住民であるかは、定かではないが一一。
「ヴィックさんは、この墓石を見てらしたんですよね。ずいぶん古い墓石ですから、お知り合いではないでしょうが……まるで死別した親しい方のお墓を見つめてるみたいでしたわ。恋人……とか……ああ、まさか!」
ケティは、自分の見た印象を言ったのだろうが、即座に笑って否定する。
「ご存知の筈ありませんよね。もう大昔に亡くなられた方ですもの。多分ヴィックさんは、忘れ去られた墓石の主を可哀想に思われて、お参りをなさっているのでしょう。お優しい方ですね。昨夜も助け船を出して下さいましたし……」
ケティは、夕食の席での事を言っているのだ。メリッサのケティへの攻撃を、巧みに逸らしたヴィックの言動に気づいていたのだろう。そして墓石に関しては、ケティの意見が常識的である。だがアルフレッドはこの数日で、自分の常識が悉く覆される経験をしていた。常識など通用しない気がする。少なくともこのドームではだ。
アルフレッドは立ち上がって後ろを振り向いた。森の中に消えたヴィックの姿は、もちろん見る事は出来ない。だが眼光鋭く見据える先に、あの背中が浮かぶ。
(ヴィックは……ヴァシュアだ。このドームには、滅んだ筈のヴァシュアが生存している。長い長い寿命を持つ異種族……ならばこの墓石の下に眠る女性を知っていても不思議ではない。ひょっとしたら、ヴィックが埋葬したのかもしれない。そして、やはり恋人だったのか……)
アン・ロイという女性は、恐らく人間であろう。ヴァシュアに関する資料に、ヴァシュアには名字がないと書いてあった。人間とヴァシュアが共存していたこのドームでなら、異種族同士の恋愛もあったであろう。そしてその恋愛の結末は、寿命によって引き裂かれる。人間同士でも死による別れは必ず訪れるが、寿命の長さが違い過ぎる異種族同士の死別は、残されるヴァシュアの人生の長さを考えると、あまりにも辛いものである。愛する者が亡くなった後、気の遠くなるような月日を、想い人を偲んで過ごすヴァシュア一一全てのヴァシュアがそうだとは言えないが、ヴィックの背中はそれを伝えている。もちろん、全てアルフレッドの想像に過ぎないのだが、何故か間違いではないような気がするのだ。
「長官様……」
ケティに呼ばれて振り返る。その緑色の瞳が、何かを訴えかけていた。細い指が、墓石の上に被さるように生い茂る、蔦状の薔薇を指さしている。アルフレッドは再びしゃがみ込んだ。そしてケティが指差す方を覗き込む。
「薔薇の……棘が取ってあるんです。この墓石の周りの薔薇の花の棘が……。ヴィックさんでしょうか?」
一一薔薇の花束でも作って、贈ってあげて下さい。その際は、棘を全部取るんですよ。ケティさんが怪我をしちゃいますからね一一。
「ヴィック……」
アルフレッドは薔薇の茎から目が離せなかった。棘が取られた痕は、新しいものと、取られて時間が経過したものとがある。彼はいつも、新しく延びてきた薔薇の茎から、棘を取っているのだろう。
この下に眠る一一アンという女性の為に一一。
ふと足を止めて空を仰ぐと、木々の枝葉の間から射してくる陽光に、目を細める。
「あなたはいつも空を仰いで、何を見ているの……よくそう訊かれたな……」
ヴィックはそう呟くと、今度は俯いた。そして脇に垂らした右手を上げる。その拳は、強く握りしめられていた。
「百年後も愛し続ける……か……」
拳が開かれた。現れたのは何十個もの、薔薇の棘一一。その棘に寄って出来たらしい赤いひっかき傷から、少し血が滲んでいる。
「あなたには、薔薇の花は似合うけど、棘は似合わない……だって本当に優しい女(ひと)だから……」
ヴィックが開いた手のひらを返すと、棘がパラパラと地面に落ちた。それを追う黒瞳が、例えようもない悲しみに暗く陰る。
そして、呟きは続く。
「あなたの骸は私だけのもの……誰にも決して渡さない……」
誰に話しかけるでもない一一小さな呟き一一。
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暗闇でダンス 第4部ー63