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暗闇でダンス 第2部ー44


(第110話)


 静かな時間が流れる。月の光は、ふたりの心を穏やかにした。
 やがてジェルミナが、静寂を破る。

「ねぇ、ソニア……」

「ん?」

 ジェルミナの問いかけに、ソニアが首を傾げて応える。

「さっきの歌……全部聴かせて欲しいな」

「私が?」

 ソニアは困ったように笑う。ジェルミナが、そんなソニアの手を取って、その甲にくちづけた。

「僕の歌姫の歌が聴きたい……」

 ソニアは静かに微笑んだ。優しい笑み一一。

(ここにいるのは、僕だけの歌姫……)

 ソニアが息を吸った。そして吐息と共に、歌声が放たれる。


あなたと巡り会えた奇跡を一一
この月明かりに感謝しよう一一






 うつらうつらとしていたハモンの頭に、突然歌声が響いた。驚いて飛び起きる。

「何だ……これは、奥方様の声?」

 そう呟いて傍らを見ると、レステラが背中を向けて座っていた。その背中が、微かに震えている。

「レステラ?」

 レステラは泣いていた。嗚咽を堪えながら、手の平で顔を覆って、泣いている。
 ハモンは後ろから、そっと震える体を抱き締めた。

「……知ってる……」

 レステラの呟きを、ハモンの耳が捉える。

「何?」

「私……この歌知ってる……」


好きな人とキスしよう一一


「辺境の……娼婦達が歌ってるの……キスは愛する人とだけ……」

 レステラの口から、嗚咽が漏れる。ハモンは思い出した。

 唇は処女なのよ一一。

 レステラはそう言って、絶対に唇を許してはくれなかった。今でもそれは、変わらない。

「娼婦達は……体は許しても、唇は本当に愛する人の為にとっておく……だから、私も……」

「レステラ……」

 ハモンの胸が痛む。レステラは、本当にジェルミナを愛しているのだ。その想いが一一痛い。

「ねぇ……ハモン、約束しよう」

 突然、レステラが力強く言う。ハモンは驚いて、肩越しにその顔を覗き込んだ。
 アイスブルーの瞳は、まだ涙に濡れていたが、レステラは微笑みを浮かべていた。

「約束?」

「私……あんたに、理想の女(ひと)をくっつけたげる。だから、あんたは私に、飛びきりのいい男を娶せてよ」

「はあ!?」

 レステラがくるりと振り返って、ハモンを見る。もう涙はない。そこには、満面の笑顔があった。

「ソニア様みたいな女(ひと)を探すのは大変だけど、きっと見つけるわ。約束する。だからあんたも……」

「お館様みたいな男は、そうそういないぞ。無茶言うな」

 そうハモンが言い放つと、レステラはカラカラと笑った。

「何年でも待つわよ。先は長いのよ。お互いに長生きしなくちゃね」

 そんなレステラを見て、ハモンも笑いが浮かんでくる。
 互いに笑い合いながら、肌を合わせる。男と女として出会う前に、同志として出会った。愛し合う事は出来ないけれど、いたわり合う事は出来る。


キス、キス、キス……キスしよう一一






 ヴェルナールは思わず立ち上がった。突然、頭の中に歌声が響いたのだ。


故郷を遠く離れて一一
孤独なふたりが出会えた奇跡を一一


「ソニアだ」

 シャンティの声に振り向くと、少年はベッドから身を起こして笑っていた。

「奥方様の……歌声が頭に響いているぞ。これは、何だ?」

 ヴェルナールは混乱していた。耳から聴こえるのではなく一一直接、頭に響いているのだ。

「ソニアの癒やしの力だよ。静かに聴いてみてよ。安らぐ筈だよ」

 そう言われてヴェルナールは、息を整える。すると、歌声がそっと、心の襞を揺らすように一一触れてきた。

 懐かしい感覚一一。

 いつの間にか目を閉じて、歌声に聴き入るヴェルナールを見ながら、シャンティは小さく呟いた。

「ソニアだけ……」

 指がそっと、唇に触れる。


出会えた喜びを一一
このキスに込めて一一






「ソニア……?」

 ダイアンはベッドの上で起き上がった。昼間の騒動のせいか、はたまた慣れぬ部屋のせいか、寝付けずに悶々としていたのだが一一。

「ソニアが歌ってる……」

 ベッドから降りて、窓に向かう。裸足の足が板張りの床に触れて、ひんやりと心地よい。
 観音開きの窓を開けると、小さなベランダに出た。そして、夜の闇に目を凝らして、耳をすます。
 歌声は頭に響いている。それは分かっていた。ソニアの声は、癒やしの力を含むと、頭に直接届くのだ。だがつい一一耳をすませてしまう。
 ふと一一視線を感じて横を見た。

「……!」

 隣の部屋のベランダに、佇むのは黒衣の影一一。

(キリアさん……)

 部屋が隣り合わせだと知った時は、妙に嬉しかった。特に不思議はない。このフロアには、ダイアンを入れて4人しかいないのだ。自然に部屋は寄ってくる。現に、ダイアンの部屋と、廊下を挟んだ向こう側には、レステラとハモンの部屋がある。
 キリアは、ダイアンを見つめていた。ソニアの歌声に惹かれて出て来たのだろうか。いや一一。

(ずっと……いたみたい……)

 寝着に着替えていない。昼間の黒衣のままだ。上着にズボン、中のシャツまで黒ずくめの姿が、ベランダの手摺りを掴んで、ダイアンを見つめていた。
 その黒瞳は穏やかで、優しく微笑んでいるように見える。
 ダイアンは、急に息苦しくなって、顔を背けて部屋に駆け込んだ。急いで窓を閉め、ベッドに俯せに倒れ込む。
 心臓が、壊れそうなくらいに高鳴っていた。

「男なんか……男なんか嫌いよ」

 そう呟いて、唇を噛む。
 ダイアンの男嫌いの原因は、父親であった。
 第5ドーム総督主席補佐官であり、防衛軍の長官一一フレドリック・ロイ。
 ダイアンは、類い希な統率力を持ちながら、親友のロベルト・ガイナンの実力を認めて、補佐官に徹するこの父親を、世界で一番、尊敬していた。それと同時に、妻がありながら、他の女と関係を持ち、ダイアンとたった3日違いの異母弟を産ませた父親を、世界で一番、軽蔑していた。

(好きなんかじゃないわ……誰が男なんか、好きになるもんですか!)

 そう思いながら、心臓の高鳴りを抑えきれない一一。


好きな人はあなただけ一一






 慌てて部屋に駆け込む後ろ姿を目で追いながら、キリアはふっと笑いを浮かべる。そして一一耳をすました。
 その唇から、微かな呟きが漏れる。

「懐かしいですね……」

 少し間をおいて、同じ唇から漏れる呟きは一一。

「ああ、懐かしいな……」

 まるで会話をするような、ふたつの呟きが、同じ唇から漏れる。


いつまでも変わらぬこの想いを一一






 暗い廊下を、足音もたてずに歩む足が止まった。
 ジョルジュアは、頭を巡らせて、宙を見詰める。


あの月に誓おう一一


「ソニア様……」

 ふと、背後に気配を感じて振り向くと、そこには、静かに佇むマリカの姿があった。

「マリカか……いや……」

 ジョルジュアは小さく首を振ると、小柄な女官に向かい合い、深々と頭を下げた。

「奥方様……」

 マリカが微笑む。
 マリカでない誰かが、微笑む。

「久しぶり、ジョルジュア……元気そうね」

 マリカの声で一一マリカでない誰かが、ジョルジュアに声をかける。
 ジョルジュアは顔を上げて、マリカを一一マリカでない誰かを、見詰める。

「この感覚は……懐かしいわね……」

 マリカが一一マリカでない誰かが、響いてくる歌声に耳をすます。

「はい……心に直接触れる感覚……あまりの懐かしさに、涙が出そうでございます」

 ジョルジュアの言葉に、マリカが一一マリカでない誰かが、頷く。

 次の瞬間一一。

「ジョルジュアさん……ソニア様が歌ってます……」

 マリカがそう呟いて、涙を流していた。
 ジョルジュアは、ふっと笑って、マリカを見る。もうそこには、マリカしかいない。

「何だか……懐かしい感じがします……」

 マリカがそう言うと、ジョルジュアは小柄な姿に笑いかけた。

「お前はこの惑星で生まれたから、母なる星は知らない筈だが……遺伝子が覚えているのかな。心に響くこの感覚を……」

 マリカが不思議そうに、ジョルジュアを見た。ジョルジュアは、そんなマリカにまた、笑いかける一一向こう側の誰かにも一一。


故郷を遠く離れたこの地で誓おう一一






「ソニア……」

 ジェルミナが声をかけると、ソニアは歌うのを止めた。そして、はにかんだように頬を染める。

「下手でしょ……おば様みたいには歌えないわ……」

「ソニアの声は綺麗だよ。不思議だ……歌声が頭に響いてくる……」

 これが一一癒やし人の能力(ちから)一一。
 ジェルミナは改めて、ソニアが類い希な女(ひと)である事を知るのであった。
 母であるハーミリオンよりも、生命力に満ちた歌声は一一おそらく、このドームの隅々まで、響き渡ったであろう。

 独占してはいけない存在一一。

 だが一一。

「ソニア……押し倒していい?」

 ジェルミナの囁きに、ソニアは慌てて首を振った。

「駄目よ、こんな所で……。誰か来たらどうするのよ……」

「大丈夫……ここは、夜間立ち入り禁止だ」

「え?」

「ここは、アテナス卿と奥方の……逢瀬の場所だったらしいよ。だから今でも、夜間は出入り禁止なんだ」

 かつて一一仲睦まじいふたつの影が一一この場所で、逢瀬を重ねた。
 今また一一ふたつの影が重なり合う。

(僕だけのソニア……)


 月の光に照らされて一一。
 草の褥(しとね)に横たわり一一。
 愛を交わす一一。



あなたと巡り会えた奇跡を一一
この月明かりに感謝しよう一一
好きな人とキスしよう一一
キス、キス、キス……キスしよう一一

故郷を遠く離れて一一
孤独なふたりが出会えた奇跡を一一
出会えた喜びを一一
このキスに込めて一一

好きな人はあなただけ一一
いつまでも変わらぬこの想いを一一
あの月に誓おう一一
故郷を遠く離れたこの地で誓おう一一

キス、キス、キス……キスしよう一一
これからずっと、ずっと先一一
年を取ってもずっと、ずっと一一
月明かりに照らされながら一一
キス、キス、キス……キスしよう一一







『暗闇でダンス』第2部
一一End一一



第3部へ続く一一。




暗闇でダンス 第2部ー43


(第109話)


「ああ、残念だ。今夜は満月じゃないな」

 ジェルミナの声に、ソニアが顔を上げると一一。

「……!」

 目に飛び込んできたのは、懐かしい光一一。

「月……」

 満月に少し欠けた月が、ふたりを照らす。手を伸ばせば届くかのような距離に、それは優しく輝いていた。
 ソニアは周りを見回す。木々に草原に羊の群れ一一。ここは、昼間来た温室であった。

「さすがに月の光は、ヴァシュアには明る過ぎるんだ。だから、温室に再現している。見たい時は、ここに来ればいい」

 ジェルミナがそう言うと、ソニアは嬉しそうに笑って、その腕にしがみつく。

「アテナス卿と奥方様は、とてもお優しいのね。人間の為にここまでして下さるなんて……」

 ジェルミナがソニアをそっと抱き締めた。そよとした夜風が、ふたりを心地よく包む。

「アテナス卿は、人間との共存なくして、ヴァシュアの未来はないと仰られていたそうだよ。今の最高議会が人間への強行策をとらないのは、アテナス卿夫人がいるからだ。夫君の遺志を継いでいるんだ。とても仲睦まじいご夫婦だったらしい」

「アテナス卿夫人に……お会い出来るかしら?」

 ソニアが不安そうに言うと、ジェルミナはソニアの顎に指を添えて、そっと上を向かせた。そして、その緑色の瞳を覗き込んで、優しく笑いかける。

「会いに来て下さるよ。そして、きっとソニアを気に入って下さる。ソニアはアテナス卿夫人によく似ているよ」

 昼間シャンティも言っていた。


 ソニアは何となく雰囲気が似てるよ一一。


「そうだといいな……」

 そう言って微笑むソニアに、ジェルミナがそっとくちづける。月の光と微かな夜風一一昼間と違い、静寂に包まれた空間が、ふたりの周りを取り囲んでいた。
 ジェルミナは、ソニアの柔らかい唇の感触を確かめるように、何度もくちづける。初めて触れた時から、彼はその感触が好きだった。

「君を奥方に迎えたら……一晩中、こうしていたいって思っていた……」

 そう言いながら唇を重ねてくるジェルミナであったが、ソニアは笑いながら顔を背けた。

「一晩中キスしてたら、唇が腫れちゃうわ」

 背けた顔を、また正面に向かせて、ジェルミナが、

「いいよ、腫れたって……」

 そう囁きながら、再び唇を重ねようとした時、

「キス、キス、キス……」

 ジェルミナの耳が、ソニアの小さな呟きを捉えた。

「何?」

 ジェルミナがソニアを見る。ソニアは笑いながらも、今にも泣きそうに目を潤ませていた。

「どうしたの?」

 不安になったジェルミナが訊く。ソニアに、こんな表情をさせてはいけない一一。

「あのね……こんな歌を知らない?」

 ソニアが小さな声で歌い出した。


キス、キス、キス……キスしよう一一
これからずっと、ずっと先一一
年を取ってもずっと、ずっと一一
月明かりに照らされながら一一
キス、キス、キス……キスしよう一一


 軽快なメロディーだった。だが、口ずさむソニアの顔は少し寂しげで、ジェルミナは胸が苦しくなる。

「聴いた事ないよ」

「ハーミリオンおば様がいた劇団のお芝居に、“月明かりに照らされて”っていうのがあるの。その主題歌なのよ。とても面白いお芝居で、今でも他の劇団で上演されてるわ……」

「そうなんだ……母上がそんな陽気な歌を歌うのは聴いた事ないよ……いつも物悲しい歌を歌っていたから……」

 ジェルミナの言葉に、ソニアは、はっとして顔を歪ませる。
 思い出させてはいけない事を、思い出させてはしまったのか一一。
 そのソニアの顔を見たジェルミナが、慌てて言葉を続けた。

「大丈夫だよ。辛い事ない……今は君がいるから幸せだ……幸せだよ、ソニア」

 ソニアが手を伸ばして、ジェルミナの頬に触れる。何かを言いたげなその表情を見て、ジェルミナは問いかけた。

「それで……?何か言いたいんだろ?話してごらん」

 ソニアがまばたきした。そして小さく笑うと、ジェルミナの頬をさすった。

「私が年を取っても……あなたはこのままなんだなぁって……まるで、おばあさんと孫みたいになっちゃうなぁって……」

 生きる時間の速度が違うふたり一一。
 目の前の美しい夫は、自分の若さがなくなっていく間も、ずっと変わらぬ姿で存在するのだ。
 ソニアは不安になる。果たして自分は、それに耐えられるのか。そしてジェルミナは、年老いていく妻を、変わらず愛する事が出来るのか。
 すると、ジェルミナがクスクス笑い出した。

「何だ……そんな事かぁ……」

 その軽い口調に、ソニアはムッとする。

「そんな事って……。真剣に悩んでいるのよ」

「あはは、ごめん。それなら心配いらないよ。僕もソニアと一緒に年を取るんだ」

 ソニアはきょとんとした。ヴァシュアとの混血であるジェルミナの寿命は長い。人間と一緒に年を取る事は、有り得ない筈だ。

「もっとも外見だけなんだけど……治療師の能力に、外見を変えるというのがあるんだ。レステラは髪の色や、目の色を短時間で変える事が出来るよ。劇的に顔形が変わる訳じゃないけど、まるで別人みたいになるよ。その応用で……外見を徐々に老いさせる事が出来る。短時間で変えるのは治療師しか出来ないけど、徐々になら僕にも出来る。分かる?僕もおじいさんになるんだよ」

 ソニアは驚いて目を見張る。そんな事が出来るなんて一一。

「あなたがおじいさんに?」

 ソニアはジェルミナをしげしげと見る。月明かりに照らされた完璧な顔(かんばせ)は、いつもより美しく、神秘的にさえ見える。

「想像出来ないわ……でも……」

「でも……?」

「あなたはきっと、素敵なおじいさんになるわね」

 それを聞くとジェルミナは、声を上げて笑った。

「あはは……素敵なおじいさんか……。体力は若いままだから、君がよぼよぼになっても、抱えて歩けるよ」

「まあ!よぼよぼだなんて、酷いわ……」

 ソニアが頬を膨らませて、そっぽを向いた。ジェルミナがその頬に、キスをして、

「君は、おばあさんになっても、きっと可愛いんだろうな」

 と囁く。ソニアは、はにかむように笑った。笑いながらも、その瞳からは、涙が零れる。
 零れた涙を指で拭いながら、ジェルミナは困ったように言った。

「おばあさんになっても、きっと泣き虫だ」

「幸せなのに……泣けちゃうの……」

 流れる涙をジェルミナの指に託して、ソニアは嬉しそうに言う。

「おじいさんとおばあさんになって、たくさんの孫達に囲まれて……いつも笑って過ごしたいね」

 月の光の下(もと)一一ささやかだけど、そんな未来を夢見る。
 迫り来る悪意や邪心、闘いの予感を一一暫し忘れて、ソニアは夢見る。
 愛する男(ひと)に抱かれながら、平穏な未来を一一夢見る。



暗闇でダンス 第2部ー42


(第108話)


 ソニアがジェルミナの腕の中で身じろぎした。見下ろすと、穏やかに笑いながら、彼を見つめている。
 ジェルミナは力を抜いた。ソニアの微笑みは、いつも安らぎをくれる。

「ジェルミナ……私はお母さんになりたいの……あなたの子供の、お母さんになりたいのよ……」

「ソニア……」

 ジェルミナは思う。ソニアはきっと優しい母親になる。子供を腕に抱(いだ)くソニアを、この目で見てみたい。自分の血を引く子供なのだから尚更だ。だが、子供とソニアなら一一ジェルミナは迷う事なく、ソニアを選ぶ。大切なのは、ソニア唯ひとり一一。

「ねぇ……私にはお母さんがいないわ……でもニーナがいた……私はニーナみたいなお母さんになりたいのよ」

「君を……喪うのは、嫌だ……」

 そう苦しげに言うジェルミナの背中に手を回し、安心させるようにソニアは抱き締めた。

「大丈夫よ。万全の体制で私を生かしてくれるんでしょ?だから大丈夫……もっとも……」

 ソニアはジェルミナを見上げて、儚げに笑う。

「授かるかどうかは、わからないわ。私はこんな体だし……。無理なら諦める」

 そんな寂しそうな顔をしないで一一。

 ジェルミナの胸が痛む。自分は、愛する女(ひと)の望みを叶えてあげる事が出来ないのか一一。

「ソニア……ヴァシュアと人間との間には、子供が出来にくい……。これまで、何十もの組み合わせがあったけど、生まれたのは10人に満たない。そして、育ったのはたった5人だ……それでも……」

 ジェルミナはソニアを抱き締める。唯ひとりの大切な女(ひと)の望みならば一一。

「授かるなら、君に似た……女の子がいいな」

「ジェルミナ……」

 ソニアは、ジェルミナの肩に頭を預けた。
 そよとした風が、ふたりの体に触れる。ソニアは顔を上げると、ふと窓の外を見た。
 そして一一。

「あ……」

 驚いたように声を上げた。ジェルミナもつられて窓の方向を見るが、特に変わった様子はない。レースのカーテンが、微かな風に揺られているだけであった。

「どうしたの?」

 ジェルミナがそう訊いた時だった。
 ソニアが突然ジェルミナから離れて、ベッドから降りた。そして窓に駆け寄ったのである。

「ソニア!?」

 ジェルミナがソニアに呼びかけたが、ソニアは、開いた観音開きの窓から上を見上げて、じっとしている。

「いい眺めだ……それにしても君は、恥ずかしがり屋なのか大胆なのか、よく分からないな」

 ジェルミナのその言葉に、ソニアが振り向く。彼はベッドの上で組んだ足に頬杖をして、ソニアを見ていた。
 ソニアははっとして、レースのカーテンを掴み、体に巻き付ける。全裸であったのだ。

「隠さなくていいのに……」

 ジェルミナがそう言うと、ソニアは真っ赤になって、彼を睨み付けた。

「意地悪……」

 ジェルミナは笑いながらガウンを羽織り、ベッドから降りる。そして、彼がさっき床に投げ捨てたソニアのガウンを拾い上げて、窓に向かい一一顔を紅潮させて、俯いているソニアの体に巻きついたレースのカーテンを外すと、ガウンをかけた。

「いい眺めだから、ずっと見ていたいけど、風邪をひいたら大変だからね。本当に君は、いきなり行動を起こすから、びっくりするよ」

 そして、ソニアの頭越しに窓の外を覗いた。

「何を見つけたんだ?」

 ソニアがジェルミナの手を引いて、バルコニーに出た。窓の外のバルコニーは、ソニアの部屋のような広い空間になっていて、テーブルセットが置かれている。ここは1階なのだが、少し高い位置にあって、左右に庭に降りる階段が延びていた。
 ソニアは空を見上げる。ジェルミナもつられて空を見た。

「星……星なの……満天の星!」

 ソニアの嬉しそうな声が響く。
 ふたりが見上げるドームの夜空に、散らばるのは輝く星の数々一一。

「ああ……星か……」

 ジェルミナが呟く。ソニアは、そんなジェルミナに訊いた。

「ヴァシュアの夜は漆黒の闇だって言ってたわね。それって真っ暗闇って事でしょ?星はない筈よね?」

 ジェルミナがソニアに笑いかける。

「ああ、そうだよ。ヴァシュアの夜は真っ暗闇だ。ヴァシュアの母星がそうなんだよ。“沈黙空域”という空間が母星の周りを覆っていて、それが星々の光を遮っているって聞いている」

「“沈黙空域”?」

「詳しい事は知らないんだ。母星の話はタブーらしい……だけど、それ故にヴァシュアのドームでは、夜は漆黒の闇……ヴァシュアは故郷の空を、ドームに再現しているんだよ。それは人間も同じだよね」

 ソニアは頷く。人間のドームの空は、故郷の惑星の空を再現している。夜明けから日没まで一一そして、星々の輝く夜空を一一。

「じゃあ、何故ここには星が?」

 ここはヴァシュアのドーム一一。漆黒の闇である筈の夜空に星が輝くのは何故?

「前領主と奥方が、人間をドームに受け入れたっていうのは話したね。その人間達の為に、あちこちに人間のドームと同じ環境の温室を造った事も……。それと同じだ。漆黒の闇は人間達を不安にさせる。その様子を見たアテナス卿は、夜空に星を再現したんだ」

 ジェルミナの説明に、ソニアが首を傾げる。

「でも、それじゃあヴァシュアが不満なんじゃない?」

「それがね……意外と抵抗はないらしいんだ。マリカなんかは、綺麗だって気に入っているみたいだよ。星の煌めきは、ヴァシュアにも受け入れられたみたいだね」

「そうなの……綺麗ね……」

 ソニアが感嘆した口調で空を見上げる。だがすぐに、少し落胆したように呟いた。

「月はないのね……」

 ソニアは月が好きだった。よく部屋の明かりを消して、差し込んでくる月光を愛でていたのだ。故郷の夜空に輝いていたという月の光は、人間の心に安らぎを与えてくれる一一ソニアはいつも、そう思っていた。
 するとジェルミナが、ソニアの肩に手を廻して、自分の方に引き寄せた。そして、その耳元で囁く。

「月を見せてあげるよ」

 ソニアがジェルミナを訝しげに見た次の瞬間、ふたりの周りを光の輪が囲った一一。



暗闇でダンス 第2部ー41


(第107話)


 仰向けになったソニアの胸に、ジェルミナが頭を乗せている。その柔らかい金色の髪に指を絡ませると、ジェルミナが身じろぎして、ソニアを見上げた。

「重い?」

 ソニアはそんなジェルミナに、首を振って笑いかける。

「大丈夫よ。でも、一晩中はきついかも……」

「柔らかくて気持ちいいんだ……ずっと枕にしていたい……」

 そう言って乳房に頬ずりするジェルミナに、困ったような笑いを浮かべて、ソニアが言う。

「目覚ましの次は、枕代わり?お次は何かしら」

 それを聞いたジェルミナが、突然ソニアを抱えたまま、クルリと仰向けになった。

「きゃっ……」

 今度はソニアがジェルミナの胸に、頭を預ける格好になる。ジェルミナは腕を回して、ソニアを抱(いだ)いた。

「今度は掛け布団だ」

 ソニアがクスクス笑う。そして、ジェルミナの胸に頬を預けた。心臓の鼓動が、耳に心地よい。

「この指輪は……レステラが?」

 ジェルミナが、ソニアの手を取って、指輪に触れた。

「ええ、レステラさんから貰ったの」

「治療師が、パワーストーンを手放すなんて、滅多にないんだよ」

 それを聞いたソニアは、顔を上げて、慌てて言った。

「大変!大切な物だとは思ったけど……。どうしょう……」

 オロオロするソニアに、ジェルミナが笑いかける。

「パワーストーンを贈るという事は、それだけレステラが、君に惹かれたという事だよ。参ったな……君は一体、何人を魅了したんだ。おちおちしていられないよ」

 ジェルミナの口調には、嫉妬じみたものが含まれていた。ソニアは、ジェルミナの顔を両手で挟んだ。
 美しい顔一一。
 本来なら、嫉妬心に苛まれるのはソニアの筈だ。ジェルミナが歩くと、すれ違う女性(男性も)の殆どが見とれるだろう。
 なのに、ジェルミナは余裕がない。もっと自信を持ってもいいのに一一。

「ジェルミナ……愛しているわ。あなただけを、愛しているのよ」

 それを聞いたジェルミナの動きが止まった。銀色の瞳が、驚いたように見開かれる。だがすぐに、その表情が、嬉しそうな満面の笑みに変わる。

(何か……変な事、言ったかしら?)

 ジェルミナの手が、ソニアの髪に触れた。そして、愛しげに櫛けずる。

「初めて……愛しているって言ってくれた……初めて……」

 ジェルミナの声は、震えていた。

「え……?そうだったかしら?」

「大好きとは言われた事あるけど、愛しているは……ないよ……だから、不安で……」

 言葉にしなければ伝わらない一一。
 そんな簡単な事に気付かなかったなんて一一。

 ソニアはそう思いながらも、少し不満げに言った。

「だって……言わせてくれなかったじゃない……求婚の返事もいらないって言われたし……そうだ!」

 ソニアが気付いたように叫んで、身を起こす。驚いてジェルミナも起き上がった。

「どうした?」

「私……返事をまだしてないのよね」

 首を傾げながら、からかうように言うソニアに、ジェルミナは慌てて、

「まさか……今更……」

 と、青ざめる。するとソニアが、にっこりと笑って、

「もう一度、言ってくれる?お返事したいの」

 と、ねだる。ジェルミナは困ったように唸ると、苦笑いを浮かべた。

「あの言葉は、あんまり好きじゃないんだよ……う一ん、仕方ない……」

 観念したように呟くと、ソニアの手を取って、甲にくちづけした。そして、おもむろに言う。

「私に……子供を授けて下さい」

 ソニアの身が震えた。ふと、2年前の事を思い出す。あの時は迷いがあった。だが、今は一一。

「何人でも……」

 子供は好きだ。将来はたくさんの子供達に囲まれて過ごすのが、ソニアの夢なのだ。

 だが一一。

「いらない……」

 ジェルミナの口から、苦しげな呟きが漏れた。 見ると、苦悩に満ちた表情で、小さく首を振っている。

「ジェルミナ?」

「子供は……いらない……」

「えっ……?」

 ソニアが思わず訊き返すと、ジェルミナが腕を伸ばして、強くソニアを抱き締めた。痛いほどの強い力で、ソニアを掻き抱(いだ)く。そして、苦しげな呟きが、ソニアの耳に届いた。

「母上は……僕を産んでから、急速に衰えていった……だから、子供はいらない……君の命を脅かすものは、一切いらない……」


 子供なんて、望まなければよかった一一。


 そう叫びながら、母は自分にナイフを突き立ててきた。ソニアにも言えない、あの時の母の言葉は、ジェルミナを毎夜、夢の中で苦しめてきたのだ。
 だが、ソニアと共寝した昨夜は、その悪夢を見なかった。

 愛しいソニア一一。

 この世で最も愛する女(ひと)を、どんな事があろうとも一一喪う訳にはいかない。



暗闇でダンス 第2部ー40


(第106話)


 身を震わせて果てたハモンが、体の上に倒れ込んで来ると、レステラは背中に腕を回して、強く抱きしめた。
 息が整うまでその姿勢のままじっとしていたが、やがてハモンの体がレステラから離れて、傍らにドサリと仰向けになった。
 そのハモンに、レステラが寄り添う。

「あんたとは、体の相性は抜群にいいのにね」

「言ってろ……好みが全然違うじゃないか……」

 そう言うハモンの脳裏に、またもソニアの姿が浮かぶ。するとレステラが、ハモンの頬に手を添えて、自分の方を向かせた。

「何だよ」

「女とベッドを共にしている時に、他の女の事を考えるのは、マナー違反よ」

 ハモンの顔が紅潮する。

「なっ……!」

「ようやく巡り会えた理想の女(ひと)は、主(あるじ)の奥方様……まるで、芝居のストーリーね」

 そう言うレステラに、何も言い返せず目をそらしたハモンは、頭の中のソニアを打ち消した。この想いは一一洒落にもならない。

「諦めなさい。あのお二人の絆は大層な強さよ。特に、ジェルミナ様のソニア様に対する愛情は、強烈な独占欲も伴っているわ。あんた、殺されちゃうわよ。ジェルミナ様じゃなくても、あのキリアにね」

 レステラがブルッと身震いする。自分を殺そうとしていたキリア一一その氷の様な黒瞳を思い出したのだ。

「しかし……さっきのキリアな、あんな顔は今まで見た事ないぞ」

 ハモンはそう言って、首を傾げた。さっき一一というのは、レステラとハモンを粛清しようとした時ではない。この部屋一一レステラの私室一一に戻って来た時の事である。
 半ばレステラに引きずられるように二階に上がってきたハモンは、ふと、廊下の先に二つの影を認めた。レステラも、気付いて足を止める。
 二つの影は一一キリアとダイアンであった。

「おい、あれ……」

「しっ!」

 ハモンの言葉を制して、レステラは大きな円柱の影にハモンを引いて隠れた。どうやら盗み見を決め込むらしい。
 耳をすますと、二人の会話が鮮明に聞こえてくる。距離はかなりあるのだが、ヴァシュアの血は、人間より抜群の聴力を、ハモンとレステラに与えていた。

「このフロアは従者の居住区なのね」

 そう尋ねるダイアンに、穏やかに微笑みながら、キリアが応える。

「ええ……アテナス卿の時代には、20人は下らない従者がいましたので、部屋数もたくさんあります。今は3人なので、実に閑散としていますが……」

「3人?4人じゃない」

 キリア、ハモン、レステラにシャンティ。
 従者は4人である。

「シャンティはこのフロアには住んでいません。隣の召使いの棟に部屋があるんですよ」

「召使いの棟?何故?ずいぶん、扱いが違うのね」

 そう不愉快そうに顔をしかめたダイアンに、困ったように笑いかけたキリアの表情を見たレステラは、ハモンの袖をグイッと引いて囁いた。

「見て、あの顔……あいつのあんな顔、見た事ある?」

 ハモンも驚いていた。キリアは、いつも穏やかな表情であったが、あまり感情を表に現さないのだ。だからその笑顔は、どうしても心の底からのものとは思えなかった。だが、今浮かべている笑みは、まるで恋人を見るような親しげな、愛情に満ちたもののように見える。

「シャンティが望んで住んでいるのですよ。こちらに移るようにと言ったのですが……広い部屋は嫌だと言って、きかないのです」

 キリアがそう言うと、ダイアンは赤面して俯いた。

「そうなの……ごめんなさい。誤解してたわ。シャンティだけ、仲間外れなのかと思っちゃった……」

 そんなダイアンの顔を、腰を屈めて覗き込んだキリアが、にっこりと笑った。

「あなたは本当に優しい方ですね、ダイアンさん」

 これにはレステラは、飛び上がらんばかりに驚いて、思わず後ずさった。ハモンも目を丸くしている。

「あいつ……ひょっとして口説いてるの!?」

 少し陰のある雰囲気に惹きつけられるのか、下手をするとジェルミナより異性に(そして同性に)モテるであろうキリアは、しかし、こと恋愛に関しては、全く興味がないように見えた。教育をレステラに受け、初寝の相手もレステラで、恐らくは、様々な相手と肌を重ねたであろうが、誰か特定の相手と続いた事はない。

「あいつが人間とな……意外だ」

 ハモンも驚きを隠せない。
 歩く凶器一一ヴァシュアでのキリアの呼び名である。“空気の刃”の使い手は少ない。その希有なる中でも、キリアのそれは最強クラスだ。それが故に幼い頃から、《キメラ討伐隊》に参加していた。大人のヴァシュア一一それも、最高級の戦士達から一目置かれる存在一一そして、恐れられている存在がキリアなのである。
 だから、ヴァシュアは彼とは接触したがらない。彼の方も、敢えて自分から他のヴァシュアに近付く事はしなかった。ましてや、彼が人間と接触する事は少ない。
 キリアにとっては一一ジェルミナ以外の存在は、ないに等しいように思えた。彼に惹かれる女性達も、穏やかな態度の裏側の冷たい何かに気付いて、離れていくのかもしれない。
 そんな彼が、思いもよらない態度で話しかける人間一一ダイアン。
 思わず、顔を見合わせるハモンとレステラであった。

「あの時……ソニア様を見た時のキリアにも驚いたが……何かが、変わりつつあるのかな……」

 現れたソニアを見たキリアから、一瞬で消えた殺気一一それを思い出したハモンが呟く。その横顔と、仲睦まじく会話するキリアとダイアンを見比べながら、レステラもまた、変わりつつある何かを感じていた。



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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型