二人は暫く抱き合っていた。静寂の中で約束の花が揺れる。その静寂を破ったのは、ミリアムの楽しそうな声だった。
「ピート。今から結婚式をしよう」
「結婚式?」
ミリアムの思わぬ言葉に、ピートは目を丸くした。だがすぐに、ミリアム同様楽しそうに笑った。
「ここで?この格好で?それはまた、変わった結婚式だなぁ」
「お前の事は公に出来ないから、結婚式は挙げられない。だから今ここで、二人だけで挙げよう。服装なんかどうでもいいさ。ガウン姿の花婿花嫁もなかなかいいぞ」
ミリアムはそう言って立ち上がった。ピートもそれに続く。だが楽しそうな表情の裏側で、ピートの気持ちは少し沈む。
(ウェディングドレスを着て……周りに祝福される結婚式を挙げられる筈なんだ。俺を選ばなきゃ……)
だがミリアムは自分を選んでくれた。ウェディングドレスよりも両親が着ていたお揃いのガウンを、約束の花の前での二人きりの結婚式を選んでくれたのだ。
ピートはそれを、誇りに思う。
「えっと……リタの結婚式に出たから誓いの言葉は覚えてるぞ。お互いにこう言うんだ」
ミリアムはそう言ってピートの手を引いて、二人で植えた花の前に立った。そしてピートを見上げて口を開く。
「私、ミリアム・D・ガイナンは、ピート・リットンを夫とし、良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います」
一気にそうまくし立てると、ミリアムはひと息ついてピートを見上げて促した。
「さあ、お前も同じ文面を言うんだ。名前は逆にするんだぞ」
だがピートはそれには応えず、首を傾げてミリアムに質問してきた。
「ミリアム……“D”って?それが正式な名前?“D”はミドルネームだね。何て名前?」
荒野の民には殆どなかったが、ドームに暮らす人々には名前が2つある事は知っていた。それを頭文字で略す事もだ。ミリアムにもあるのなら、その名前が知りたかったのだ。
だがそれを聞いたミリアムは、微かに肩をすくめて首を振って返した。
「何て名前なのかは知らないんだ。私の名前は母さまが付けた。ミリアムっていうのは、母さまが小さい頃に大切にしていた人形の名前なんだが……」
「人形?」
「悲しい時や辛い時には、いつも抱いて寝ていたそうだ。母さまが10歳の時に、母さまの父さま……つまり私のお祖父様が、汚いって捨ててしまったそうだ。その時誓ったそうだ。将来自分に娘が生まれたら、ミリアムって名前にしようって。面白いだろう?」
ミリアムは愉快そうに笑った。人形の名前を付けられて、不快そうな様子はない。ミリアムの母親はその人形を、余程大切にしていたのだろう。生まれた娘にその名前を付ける程一一それは母親にとっては、何よりも大事な宝物なのだ。だからミリアムは不快ではないのだろう。それでは“D”は?
「母さまに“D”は何という名前の頭文字だと訊いたら、悲しそうに笑って……」
『母さまの大切な大切な親友の名前よ。約束したの。お互いに娘が生まれたら、お互いの名前をミドルネームにしましょうって……』
「でも、名前は教えてくれなかった。おかしいだろ?そういう約束をしたのなら、隠す必要はないのに……」
ミリアムの話に、ピートは頷いた。確かにおかしい。名前を言えない事情でもあるのか。一瞬、罪人なのかと思ったが、即座に否定する。そうは思いたくなかったのだ。
「でね、多分“D”は……リタの母親じゃないかと思うんだ。いや、間違いなくリタの母親だ」
「リタさんの?」
ピートの脳裏に、蜂蜜色の髪を持つ姿が浮かんだ。ミリアムを大切に思う、優しいジェンダの母親一一。
「リタには母親がいない。父親のアントニーに育てられたんだ。母さまが母親代わりをして、私とは姉妹同然に育ったけどね」
アントニー・ロイ。寡黙な名総督と讃えられた二代目総督である。
「だけどリタの母親は生きているんだ。アントニーが生きている時は、定期的に荒野に食料を運んでいた。今はハモンが運んでいる。だけどリタは母親に会わせてもらえない。アントニーに訊いても、ハモンも、答えてはくれないんだ。リタの母親に何があったのかはわからない。だけど“D”がリタの母親なのは間違いないんだ」
「どうしてそう思うの?」
リタの生い立ちに秘密があるらしい事は分かった。だが今は、“D”について訊こうとピートは思った。一度に聞くには、事情が複雑過ぎた。また追々聞けばいい。
「リタの正式な名前は、リタ・ソニア・ロイなんだ。母さまは“お互いに娘が生まれたら、お互いの名前をミドルネームにしましょう”って“D”と約束したんだ。だから“D”はリタの母親なんだ。何て名前なのかは分からないけど……」
ミリアム・D・ガイナンとリタ・ソニア・ロイ一一遠い昔の約束が、二人の名前の中に息づいている一一ピートは会った事のないミリアムの母親とその親友に思いを馳せた。が、その時、
「ピート!」
感慨に耽っていたピートの耳に、少し苛立ち気なミリアムの声が響いた。我に返って前を見ると、ミリアムが唇を尖らせて彼を見上げていた。
「お前も誓いの言葉を言うんだ。結婚式の途中なんだぞ。他の事は考えなくていい」
「あ……はい……えっと、何て言うんでしたかね」
ピートがしどろもどろに応えると、ミリアムはますます唇を尖らせたが、すぐに諦めたように首を振って苦笑いを浮かべた。
「やっぱり止めようか?こんな結婚式は馬鹿らしいかな?」
寂しそうな口調だった。ピートは慌てて否定する。
「そんな事ない!嬉しいんだ!嬉しいんだけど、結婚式なんか出た事ないから、一回聞いただけじゃ、誓いの言葉を覚えきれないです……すいません、馬鹿なもんで……」
すると今度は、声を荒げてミリアムがピートを叱咤する。
「自分を卑下するな!お前は私が選んだ男なんだぞ。馬鹿なんかじゃない!今度言ったら、許さないからな!」
「は、はい……」
ミリアムの勢いに押されて、ピートはたじたじとなる。
ミリアムは暫くピートを睨みつけていたが、やがて唇を噛んで俯くと、消え入りそうな声で謝った。
「すまない……こんな風だから、私は可愛げのない女だと言われるんだ。嫌いになったか?」
「い、いえ!そんな事ない!嫌いになんかならない!」
年若い身で総督という重責を背負ったミリアム一一決して弱音を見せない事を、厳しく自分に律したのだろう。気が強くなるのは当然である。
だがピートは、ミリアムの可愛さを知っている。そしてそれが、本当の姿である事も分かっている。だからこそ、惹かれたのである。
「ミリアム……悪いけど、誓いの言葉をもう一度言ってくれないか?出来れば文を区切って……そしたら俺が、その通りに言うから……」
ピートはミリアムの肩に優しく触れてそう懇願した。ミリアムが顔を上げて、そこに穏やかな笑みを見つける。途端にその美しい顔(かんばせ)が明るく輝いた。
「じゃあ、私に続いて言うんだ……私、ピート・リットンは、ミリアム・D・ガイナンを妻とし……」
「私、ピート・リットンは、ミリアム・D・ガイナンを妻とし……」
「良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も……」
「良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も……」
「死がふたりを分かつまで……」
「……」
それまで、ミリアムの言う通りに復誦していたピートの声が止まった。不審そうに見上げたミリアムは、そこにピートの悲しそうな表情を認めてはっとする。
「ピート……?」
「“死がふたりを分かつまで”……嫌な言葉だな……“死”は、永遠の別れなんだ……二度と会えない別れ……」
「ピート……それは……」
「総督さん……お願いだ……」
絞り出すようなピートの声が、ミリアムの耳朶に届く。胸が締め付けられるような、悲しい声だった。
「あなたより先には死なない。それは約束する。だけど、あなたが死んだ後、何十年も独りで生き続けるのは無理だ。だから……」
ピートは少し考えるように言葉を切ったが、すぐに続けた。少し震える声で一一だが強く、懇願する。
「俺と縁(えにし)を結んでくれ」
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暗闇でダンス 第4部ー75
暗闇でダンス 第4部ー76
幕間のご挨拶〜26〜リタの母親