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空色のけもの 3〜『箱庭の中で金褐色の花が咲く』27

 

 ピートがミリアムの手を掴んだ。

強く縋るように――。

 そんなピートに、ミリアムが笑いかける。少し悪戯っぽい笑みだった。

「お前、人の話聞いてないな。言っただろ?ヴァシュアの血は三代目になると消えるって」

「えっ……」

 ピートが拍子抜けしたように返す。そのピートの様子を見て、ミリアムがクスクス笑った。

「ヴァシュアの能力はないって言っただろ?だから、縁(えにし)も結べない」

「あ、ああ……そっか……」

 ピートは合点して、所在なさげにポリポリと頭を掻いた。

「そっか……残念だな……」

 勢いよく懇願してしまった。それを軽くいなされた形になって、少し恥ずかしいような気分であった。そして、強く掴んだ手を離そうとしたが、ミリアムの次の言葉に、その動きが止まる。

「“縁(えにし)を結ぶ”必要はないんだ」

「え?」

 ミリアムの顔から、笑みが消えていた。

「ヴァシュアは寿命が長い。愛する人が亡くなった後、長い長い年月を……自分の半身を失った悲しみに耐えながら、生きなくてはならない。何百年も……ずっとずっと……」

 ミリアムは淡々と続ける。だがその言葉の端々から滲み出るのは、深い悲しみ一一。

「ミリアム……」

「だから縁(えにし)を結ぶんだ。それが耐えられないから。あるヴァシュアが、私にそう教えてくれたんだ。だけどその時の私は、父さまと母さまに見捨てられたと思っていたから、聞く耳を持たなかった。でも今なら分かる」

 ミリアムの手が、離れかけたピートの手を握り返す。

「私だって、もしお前が先に逝ったら……一分一秒だって生き続けるのは嫌だ。耐えられない。結べるものなら結びたいさ、縁(えにし)を……」

 ピートを見つめるミリアムの瞳が、悲しげに潤む。たまらずピートがミリアムを抱きしめようと、空いた手を伸ばした時、ミリアムの表情が一変した。
 ミリアムは笑っていた。先程のような悪戯っぽいからかうような笑みではなく、優しい穏やかな笑顔だった。それを見たピートは、心が落ち着きを取り戻していくのを感じた。不思議な感覚だった。
 ミリアムは癒やし人ではない。だが、癒やし人であった母親から、素質は受け継いでいるのかもしれない。そう思い、即座にピートは否定する。

(優しいんだ。本当にミリアムは優しいんだ。だから俺は惹かれたんだ。そして周りの人も、領民も、世界中の誰もが惹かれる。そんな女(ひと)なんだ)


「お前と別れた後、色々思い出した……」

 ミリアムが淡々とした口調で話し出す。ピートは黙って耳を傾けた。

「辛い事も多いけど、楽しい事も沢山。そして、不思議な事もあった。それは母さまが死んでしまった後の、父さまの奇異なご様子だ」

「奇異?」

「母さまが死んだ後、父さまは総督を辞してずっと私の側に居てくれた。沈んだご様子だったが、酷く嘆く事はなく穏やかに笑顔さえ浮かべていた。周りの者達の目には、悲しみに堪えて私の為に気丈に振る舞っていると、そう映ったのだろうな。だけど何日か過ぎると、周りのその印象が明らかに変わったんだ」

 淡々と語りながら、ミリアムはピートの胸に頭を預けた。ピートはその肩をそっと抱きしめる。

「私は……母さまの亡くなった次の日には、父さまの様子がおかしい事に気づいていた。目覚めた私に“おはよう”と笑いかけた父さまは、背後を振り返りこう言ったんだ……」

 ミリアムが顔を上げてピートを見た。真剣な眼差しだが、何故かピートには少し悪戯めいた眼差しにも見えた。

「“ソニア、ミリーが起きたよ。おはようのキスはいいかい?”」

「えっ?」

 ピートは思わず声を上げた。するとミリアムの唇の両端が僅かに上がる。その表情はますます悪戯めいたものとなる。明らかにミリアムは楽しんでいた。話の内容が、亡き両親との記憶であるにも関わらずである。

「ミリアム?」

 ピートが戸惑いながら呼びかけると、ミリアムはにっこりと微笑んだ。優しい笑顔だった。

「私はそれを聞いて、キョトンとしたよ。父さまが何を言っているのか理解出来なかった。だって母さまは死んだんだ。もういない。なのに父さまは、そこに母さまがいるかの如く、自然に呼びかけたんだ。それだけじゃない。父さまと私の二人きりなのに、母さまが居るかのように話しかけたり、何もない空間を抱きしめたり……奇異だろう?」

 そう訊かれたピートは、頭をボリボリかいて困った面持ちになった。

(それは……つまり……)

「つまりだ。父さまは母さまを失ったショックで、気が変になった。周りの反応もそうだ。“お気の毒にジェルミナ卿は、奥方を失った悲しみに耐えられず、気が触れられたのだ”そう判断して、まるで腫れ物に触るように父さまに接していたよ。かくいう私もそうだ。時間が経つにつれて慣れてはきたが、やっぱり気味が悪かった。私にとっては二人きりなのに、父さまにとっては常に母さまを交えた三人なんだ。奇妙な日々だったよ。だけどね……」

 ミリアムの悪戯めいた表情が、急に真剣なものになる。

「今になって思うんだ。ひょっとしたら父さまには母さまが見えていたんじゃないかとね」

「見えて……いた?」

「おかしく思わないでくれ。あの頃、時々感じていたんだ。ふと辺りに漂う懐かしい香り……母さまの香りだ。微睡んだ私の頬に触れ、髪を撫でてくれた父さまとは違う柔らかい手の感触……あれは母さまだ。母さまは側にいた。目には見えないけど、私の側にいたんだ。そして父さまには母さまが見えていた。見えていただけじゃない。触れる事さえ出来た。それが……それが、“縁(えにし)”じゃないかと思うんだ」

「“縁(えにし)を結ぶ”……という事?」

 ピートの問いかけに、ミリアムは力強く頷く。そして確信めいな口調でこう結論づけた。

「母さまが死んだ瞬間、父さまもまた半分死んだんだ。上手くは言えないけど、母さまは死んで“あちら側の人”になった。そして父さまは半分“あちら側の人”になったんだ。だから父さまにとって母さまは、確かに存在していたんだ。決して気が触れた訳じゃない。それが当たり前の現実だったんだ。だから嘆き悲しむ事はなかった。だって父さまにとって母さまは生きていたんだから。それが“縁(えにし)”なんじゃないかな。長き時を生きるヴァシュアが拠り所にしている“縁(えにし)”……。ピート、この意味が分かるか?」

「え?」

 ミリアムの問いかけに、ピート、は首を傾げる。無理もない。突拍子もない話である。とっさには理解出来なかったのだ。

「つまりだ。“死は永遠の別れ”じゃない。また会えるんだよ。何年後か何十年後かには確実に会えるんだ。ヴァシュアにとっては再会まで途轍もなく長い年月になる。だから“縁(えにし)”を結ぶ。でも人間はそんなに長くは生きない。すぐに会える。ほんのちょっとのお別れだ。だからこの誓いの言葉は間違ってる。“死が二人をわかつまで”じゃなくて……そうだな。“死が暫しの別れになろうとも”に訂正だ。さあ、もう一度誓いの言葉だ」

「死が……暫しの別れになろうとも……」

 戸惑いながらも、ピートはその言葉を口にする。

「愛し慈しみ貞節を守ることを」
 ミリアムが続ける。

「愛し慈しみ貞節を守ることを」

 ピートが復誦する。そして、

「誓います」

 二人同時に発すると、互いの体をひしと抱きしめた。
 他には誰もいない、二人きりの結婚式。かけがえのない時間は、穏やかに過ぎる。
 ふと、ピートは気づいた。いつの間にか、周りがぼんやりと明るくなってきている。


「夜明けだ」

 ピートの胸に顔を埋めていたミリアムが、周りを見回した。明るさはどんどん増してくる。だがヴァシュアの夜明けは、人間の世界より緩やかで薄暗い。そのささやかな明かりの中に、ミリアムが見つけたものはーー。

「ピート!花だ!花が咲いてる!」

 ピートが弾かれたように後ろを振り返る。そこにはミリアムと二人で植えたあの花が10本、僅かに花弁を綻ばせていた。

「花が……開く……ミリアムの花が……」

 咲くとは思っていた。いや、咲いて欲しいと願っていた。それはすぐではないかもしれない。だが必ず咲けと強く願っていた。

(奇跡……かもしれない……)

 子供の頃、自分が救われたのも奇跡。
 ミリアムとの出会いも奇跡。
 こうして結ばれたのも奇跡。

 二人に言葉はなかった。ただ強く手を握り合いながら目の前の奇跡を見つめる。
徐々に明るくなっていく中庭に、決して華やかではないが可憐な花が、金褐色の花弁を開いていく。

 この奇跡の光景を、決して忘れないーー。

 

空色のけもの 3〜『箱庭の中で金褐色の花が咲く』26

 

 二人は暫く抱き合っていた。静寂の中で約束の花が揺れる。その静寂を破ったのは、ミリアムの楽しそうな声だった。

「ピート。今から結婚式をしよう」

「結婚式?」

 ミリアムの思わぬ言葉に、ピートは目を丸くした。だがすぐに、ミリアム同様楽しそうに笑った。

「ここで?この格好で?それはまた、変わった結婚式だなぁ」

「お前の事は公に出来ないから、結婚式は挙げられない。だから今ここで、二人だけで挙げよう。服装なんかどうでもいいさ。ガウン姿の花婿花嫁もなかなかいいぞ」

 ミリアムはそう言って立ち上がった。ピートもそれに続く。だが楽しそうな表情の裏側で、ピートの気持ちは少し沈む。

(ウェディングドレスを着て……周りに祝福される結婚式を挙げられる筈なんだ。俺を選ばなきゃ……)

 だがミリアムは自分を選んでくれた。ウェディングドレスよりも両親が着ていたお揃いのガウンを、約束の花の前での二人きりの結婚式を選んでくれたのだ。
 ピートはそれを、誇りに思う。

「えっと……リタの結婚式に出たから誓いの言葉は覚えてるぞ。お互いにこう言うんだ」

 ミリアムはそう言ってピートの手を引いて、二人で植えた花の前に立った。そしてピートを見上げて口を開く。

「私、ミリアム・D・ガイナンは、ピート・リットンを夫とし、良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います」

 一気にそうまくし立てると、ミリアムはひと息ついてピートを見上げて促した。

「さあ、お前も同じ文面を言うんだ。名前は逆にするんだぞ」

 だがピートはそれには応えず、首を傾げてミリアムに質問してきた。

「ミリアム……“D”って?それが正式な名前?“D”はミドルネームだね。何て名前?」

 荒野の民には殆どなかったが、ドームに暮らす人々には名前が2つある事は知っていた。それを頭文字で略す事もだ。ミリアムにもあるのなら、その名前が知りたかったのだ。
 だがそれを聞いたミリアムは、微かに肩をすくめて首を振って返した。

「何て名前なのかは知らないんだ。私の名前は母さまが付けた。ミリアムっていうのは、母さまが小さい頃に大切にしていた人形の名前なんだが……」

「人形?」

「悲しい時や辛い時には、いつも抱いて寝ていたそうだ。母さまが10歳の時に、母さまの父さま……つまり私のお祖父様が、汚いって捨ててしまったそうだ。その時誓ったそうだ。将来自分に娘が生まれたら、ミリアムって名前にしようって。面白いだろう?」

 ミリアムは愉快そうに笑った。人形の名前を付けられて、不快そうな様子はない。ミリアムの母親はその人形を、余程大切にしていたのだろう。生まれた娘にその名前を付ける程一一それは母親にとっては、何よりも大事な宝物なのだ。だからミリアムは不快ではないのだろう。それでは“D”は?

「母さまに“D”は何という名前の頭文字だと訊いたら、悲しそうに笑って……」



『母さまの大切な大切な親友の名前よ。約束したの。お互いに娘が生まれたら、お互いの名前をミドルネームにしましょうって……』




「でも、名前は教えてくれなかった。おかしいだろ?そういう約束をしたのなら、隠す必要はないのに……」

 ミリアムの話に、ピートは頷いた。確かにおかしい。名前を言えない事情でもあるのか。一瞬、罪人なのかと思ったが、即座に否定する。そうは思いたくなかったのだ。

「でね、多分“D”は……リタの母親じゃないかと思うんだ。いや、間違いなくリタの母親だ」

「リタさんの?」

 ピートの脳裏に、蜂蜜色の髪を持つ姿が浮かんだ。ミリアムを大切に思う、優しいジェンダの母親一一。

「リタには母親がいない。父親のアントニーに育てられたんだ。母さまが母親代わりをして、私とは姉妹同然に育ったけどね」

 アントニー・ロイ。寡黙な名総督と讃えられた二代目総督である。

「だけどリタの母親は生きているんだ。アントニーが生きている時は、定期的に荒野に食料を運んでいた。今はハモンが運んでいる。だけどリタは母親に会わせてもらえない。アントニーに訊いても、ハモンも、答えてはくれないんだ。リタの母親に何があったのかはわからない。だけど“D”がリタの母親なのは間違いないんだ」

「どうしてそう思うの?」

 リタの生い立ちに秘密があるらしい事は分かった。だが今は、“D”について訊こうとピートは思った。一度に聞くには、事情が複雑過ぎた。また追々聞けばいい。

「リタの正式な名前は、リタ・ソニア・ロイなんだ。母さまは“お互いに娘が生まれたら、お互いの名前をミドルネームにしましょう”って“D”と約束したんだ。だから“D”はリタの母親なんだ。何て名前なのかは分からないけど……」

 ミリアム・D・ガイナンとリタ・ソニア・ロイ一一遠い昔の約束が、二人の名前の中に息づいている一一ピートは会った事のないミリアムの母親とその親友に思いを馳せた。が、その時、

「ピート!」

 感慨に耽っていたピートの耳に、少し苛立ち気なミリアムの声が響いた。我に返って前を見ると、ミリアムが唇を尖らせて彼を見上げていた。

「お前も誓いの言葉を言うんだ。結婚式の途中なんだぞ。他の事は考えなくていい」

「あ……はい……えっと、何て言うんでしたかね」

 ピートがしどろもどろに応えると、ミリアムはますます唇を尖らせたが、すぐに諦めたように首を振って苦笑いを浮かべた。

「やっぱり止めようか?こんな結婚式は馬鹿らしいかな?」

 寂しそうな口調だった。ピートは慌てて否定する。

「そんな事ない!嬉しいんだ!嬉しいんだけど、結婚式なんか出た事ないから、一回聞いただけじゃ、誓いの言葉を覚えきれないです……すいません、馬鹿なもんで……」

 すると今度は、声を荒げてミリアムがピートを叱咤する。

「自分を卑下するな!お前は私が選んだ男なんだぞ。馬鹿なんかじゃない!今度言ったら、許さないからな!」

「は、はい……」

 ミリアムの勢いに押されて、ピートはたじたじとなる。
 ミリアムは暫くピートを睨みつけていたが、やがて唇を噛んで俯くと、消え入りそうな声で謝った。

「すまない……こんな風だから、私は可愛げのない女だと言われるんだ。嫌いになったか?」

「い、いえ!そんな事ない!嫌いになんかならない!」

 年若い身で総督という重責を背負ったミリアム一一決して弱音を見せない事を、厳しく自分に律したのだろう。気が強くなるのは当然である。
 だがピートは、ミリアムの可愛さを知っている。そしてそれが、本当の姿である事も分かっている。だからこそ、惹かれたのである。

「ミリアム……悪いけど、誓いの言葉をもう一度言ってくれないか?出来れば文を区切って……そしたら俺が、その通りに言うから……」

 ピートはミリアムの肩に優しく触れてそう懇願した。ミリアムが顔を上げて、そこに穏やかな笑みを見つける。途端にその美しい顔(かんばせ)が明るく輝いた。

「じゃあ、私に続いて言うんだ……私、ピート・リットンは、ミリアム・D・ガイナンを妻とし……」

「私、ピート・リットンは、ミリアム・D・ガイナンを妻とし……」

「良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も……」

「良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も……」

「死がふたりを分かつまで……」

「……」

 それまで、ミリアムの言う通りに復誦していたピートの声が止まった。不審そうに見上げたミリアムは、そこにピートの悲しそうな表情を認めてはっとする。

「ピート……?」

「“死がふたりを分かつまで”……嫌な言葉だな……“死”は、永遠の別れなんだ……二度と会えない別れ……」

「ピート……それは……」

「総督さん……お願いだ……」

 絞り出すようなピートの声が、ミリアムの耳朶に届く。胸が締め付けられるような、悲しい声だった。

「あなたより先には死なない。それは約束する。だけど、あなたが死んだ後、何十年も独りで生き続けるのは無理だ。だから……」

 ピートは少し考えるように言葉を切ったが、すぐに続けた。少し震える声で一一だが強く、懇願する。

「俺と縁(えにし)を結んでくれ」







☆・゜:*:☆・゜:*:☆・゜:*:☆:*:☆
この話にリンクするストーリーはこちら↓

暗闇でダンス 第4部ー75

暗闇でダンス 第4部ー76


幕間のご挨拶〜26〜リタの母親


 

空色のけもの 3〜『箱庭の中で金褐色の花が咲く』25

 

 花を全て植え終えてから、二人は手を洗って階段に寄り添って腰掛けた。途中からミリアムも花を植えるのを手伝って、二人共、手が土まみれになってしまったが、ミリアムはそれが嬉しくてたまらなかった。幼い頃、ピートの祖父を手伝った時、手どころか全身土まみれになったミリアムを、笑いながら楽しそうに見ていた母の姿を思い出したからだ。それに土の感触は優しい。まるでピートの手に触れているようだった。
 そのピートの腕に自らの腕を絡ませて手を握る。ピートも優しく握り返してきた。目の前には、二列に植わった小さな花々が見える。まだ閉じた花びらが、背後の寝室からの明かりに照らされて、ミリアムの髪色と同じ色を放っていた。

「ピート……」

 ミリアムがピートに声をかけた。腕を絡ませ、体をぴったりと密着させている。それはまるで、何処にも行かないでと、縋りついているようだった。ピートはそんなミリアムの髪を、空いている方の手で撫でた。するとミリアムが甘えるように、ピートの肩に頬を擦り寄せる。

「何?」

 ミリアムの呼びかけにピートが応えると、ついと金褐色の頭が上がり、ピートの顔を緑色の瞳が捉えた。ピートははっとする。ミリアムが、思いつめた表情をしていたのだ。

「ピート……お願いがあるんだ」

 ミリアムの声は震えていた。絡めた腕に力が入る。ピートもまた、握りしめた手に力を入れた。

「私より……先に死なないでくれ。私を残して逝かないでくれ……頼む……」

「ミリアム……」

 荒野の民は、ドームで暮らす人々に比べて寿命が短い。それは仕方のない事だった。体に有害な陽光を浴び、乏しい食物で飢えを凌ぐ。幼い子供の死亡率も高いのだ。その上、荒野には人間を襲う肉食獣が多数いる。ピートが言うように、それらの獣と折り合いをつけて生活はしているだろうが、襲われて命を落とす者は少なくはないだろう。ピートは庭師を辞めないと言う。それはミリアムの望みでもあった。ピートをこの場所に縛り付けるつもりは毛頭ない。好きな仕事を続けて欲しいのだ。だがそれは同時に、危険な荒野を主な生活の場にするという事を意味する。ドームで暮らすより、格段に危険は増すのだ。

「私はこのドームから出られない。お前は私を後悔からを解き放ってくれたけど、この呪縛だけは解けない。私は死ぬまでこの中で過ごすんだ。このドームという名の“箱庭”で……」

「箱庭……」

 ピートがそう呟くと、ミリアムはにっこりと笑った。だがその笑みはどこか寂しげで、ピートは思わずミリアムを引き寄せて唇を重ねる。ミリアムはピートの首に両腕を回してそのくちづけを受けた。唇が離れてもミリアムは腕を回したまま、ピートの胸に顔を埋めた。ピートの腕が、ミリアムをそっと包み込む。

「私が死んだら……私の亡骸をこのドームから運び出して欲しいんだ。そして、お前がいつも花を採集して過ごしている山に埋めて欲しい……」

 死をもって初めてこのドームから出る事が出来る。それがミリアムの背負った宿命だった。
 ピートは言葉を発する事が出来ず、ただ頷いた。唇を引き結んで、何度も何度も頷く。愛する女(ひと)の切なる願いを、何が何でも叶えてみせる。そう決意して、抱きしめた腕に力を込めた。だが、ふとある事を思い出した。そして、ミリアムに尋ねる。

「あなたの父さまはヴァシュアのダンピールだろう?人間より遥かに寿命が長いよね。とすると、あなたも寿命は長いんじゃ……」

 ヴァシュアの寿命は、人間とは比較にならないくらい長いと聞いている。その血が四分の一流れているミリアムもまた、人間より長く生きられるのではないか。それだと、いくらピートがミリアムの願いを叶えたいと思っても不可能である。
 するとミリアムは小さく首を振って、ピートの胸にすり寄って答えた。

「ヴァシュアの血は、三代目になると殆ど消えてしまうんだ。だから私は、人間と同じ寿命だよ。ヴァシュア特有の能力もない。それに……」

 ミリアムは顔を上げてピートを見た。悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「主食も血じゃないよ。だから安心しろ。いきなり噛みついたりはしないから……」

 ピートが驚いて目を丸くすると、ミリアムはクスクス笑いながら再びピートの胸に顔を寄せる。そして小さく囁いた。


「ピート……お前の胸は暖かいなぁ……」

 ミリアムがピートの腕の中で呟いた。心底、安心しきった声であった。

「総督さん……あのさ……」

 ピートの呼びかけに、ミリアムが顔を上げてふっと笑った。そして、

「まだ“総督さん”って呼ぶんだな」

 と言う。だが不満そうな口調ではなかった。

「え……ああ、つい……嫌かな?」

 ピートがそう訊くと、ミリアムは小さく首を振って、

「いいんだ。お前のその呼び方は好きだ。初めてそう呼ばれた時、何だか嬉しかったんだ」





すいません、お嬢様なんて馴れ馴れしく……総督さんですね一一。





「どう呼んでいいのか分からなかったんだ。だからあんな風になっちまった。これからは名前だけがいいのかな?」

「いや、構わない。どちらでも、お前の気分次第で呼んでくれ」

 この時以降、ピートはミリアムの呼び方を使い分けるようになる。誰か他の者が居る時は“総督さん”。二人きりの時には“ミリアム”一一おそらく公の夫ではないという自分の立場からであろう。だがこれは計算してのものではない。ミリアムとピートの関係を知る者の前でも“総督さん”と呼ぶ。無意識にそう使い分けるようになるのだ。
 そしてミリアムもまた、ピートの呼び方を使い分けるようになるのである。二人きりの時は“ピート”、他の者の前では“庭師”。
 お互いに名前で呼び合うのは、二人きりの時だけ一一後に誕生した子供達の前でも、決して名前では呼び合わなかった。

「それで……何だ?」

 ミリアムがピートを促す。呼びかけを中断していたからだ。

「ああ……その……俺も頼みがあるんだ」

「何だ?私に出来る事なら何でもするぞ」

 ミリアムの目が輝いた。そして期待に満ちた表情で、ピートの言葉を待っている。愛する男の願いを叶える事は、何よりも嬉しい。そんな女心だった。それを見たピートが、困ったように頭を掻く。

「大した事じゃないんだ。その……髪を……」

 ピートの指が、ミリアムの髪に触れた。めったに見る事はない珍しい色合いの髪一一両親の髪色を混ぜ合わせた美しい金褐色の髪が、ピートの指に柔らかく絡みつく。

「髪を伸ばして欲しいんだ。駄目かな?」

 短い髪は、ミリアムの凜とした顔立ちに似合っていたが、やはり惜しいとピートは思った。長い髪のミリアムを見たい。
 するとミリアムは、より一層強くピートの首にしがみついて叫んだ。

「もう一生切らない!ずっと伸ばし続ける!」

「い、いや……一生じゃなくていいよ。あんまり長いと手入れも大変だろうし……背中くらいまででいい。リタさんの長さくらいで……」

「リタ?」

「うん。リタさんの髪も綺麗だ。見事な濃い金色だよね。あのぐらいの長さだと、髪の綺麗さが一番映える。だから……ミリアム?」

 ミリアムがピートの首に回していた腕を外した。そして上目使いでピートを見る。その表情は不満げで、唇を引き結んでいた。

「あの……ミリアム?どうしたの?」

「やっぱりリタみたいなタイプが好みなんだな……」

「えっ……?」

 ミリアムはピートを睨みつけている。それを見てピートは思い出した。前回ここで作業をしていた時、側にいるミリアムを意識しすぎてしまったピートが、それを紛らわす為にリタの事を話題にした。その時のミリアムの反応が、今と同じなのだ。
 これは悋気である。嫉妬しているのだ。

(こんな俺に……)

 自分には、嫉妬される価値などないとピートは思う。今でも、こんなに愛される事に戸惑いを感じているのだ。だが、ミリアムの想いは真っ直ぐだった。迷う事なくピートに向かっている。それが嫉妬という形でも現れている。

(この想いに……精一杯応えないと……)

 怒りを含んだ、だが不安そうな表情のミリアムに笑いかけて、ピートはきっぱりと言った。

「俺はミリアムが好きだよ。世界で一番大好きだ。ミリアム以外はいらない。ミリアム以外は好きにならない」

 それを聞いたミリアムの顔が、ぱっと輝いた。そしてピートにしがみついた。そしてその口から出た言葉に、ピートははっとする。

「好きって言ってくれた……初めて言ってくれた……嬉しい……」

 ピートは自分の想いを、まだ口にしていなかったのだ。ミリアムは、それを不安に思っていたのだろう。

「俺……口下手で……ごめん……」

 愛を囁くなど、した事がないのだ。だがミリアムはそれを聞いて小さく首を振って応えた。

「充分だ。どんな言葉よりも嬉しい……私を好きになってくれて、ありがとう……」

 ピートはミリアムを力いっぱい抱き締めた。愛しくて愛しくてたまらない。もう二人には、互いの想いを確かめ合う言葉は必要なかった。


 

空色のけもの 3〜『箱庭の中で金褐色の花が咲く』24

 

「これを着て……お前の方が背が高いから、ちょっと小さいかもしれないけど……」

 ミリアムがクローゼットから取り出してピートに渡したのは、見るからに高級な布地のガウンだった。ミリアムも同じ物を着ている。サイズは違うが、どうやらお揃いである。
 ピートは戸惑いながらガウンを受け取った。手触りは柔らかい。今まで手にした事のない、やはり高級品である。

「父さまのガウンだ。マリカが定期的に手入れをしているから綺麗だよ。それとも……亡くなった人の服は嫌かな?」

 そう言うミリアムの表情は寂しげだった。ピートは慌てて首を振る。

「嫌じゃない!嫌じゃないけど……こんな上等な物、着た事ないから……土いじりには向かないよ。汚してしまう……」

 今から花を植えるのだ。土で汚してしまうかもしれない。ミリアムの父親の形見なのだ。そんな事は出来ない。
 だがミリアムは肩をすくめて、事も無げに言い放つ。

「別に汚しても構わない。汚れたらまた、洗えばいい。仕舞い込んでいても仕方ないだろう。父さまはお前が着てくれたら喜ぶよ。これも母さまのガウンなんだ」

 ミリアムが自分の着ているガウンの襟を摘んで言った。このお揃いのガウンは、ミリアムの両親のものなのだ。

「喜ぶかどうかはわからないけど……お借りします」

 ピートがそう言って、ガウンに袖を通す。確かに袖と裾の長さが少し短い。着心地は良かった。やはり着た事のない、柔らかい肌触りである。

「さあ、花を植えよう」

 ミリアムがピートの腕を引っ張る。心底、嬉しそうな様子である。それを見て、ピートも嬉しくなった。
 バルコニーに置いてある下履きを履いて、中庭に出る。この下履きも、上等で履き心地がいい。だが庭仕事には向かない。ガウンにこの下履きでの土いじりは、傍目から見たら何という奇妙な光景だろう一一そうピートは思ったが、ここにはミリアムと自分しかいない。二人だけの世界なのだ。気にする必要はない。
 中庭に降り立つと、先程ピートが放り出したリュックと布袋が転がっていた。ピートは布袋を拾い上げると、括ってある紐を解いて、心配そうに中を覗き込んだ。ミリアムもまた、ピートの傍らで中を覗き込んでいる。

「大丈夫か?」

 ミリアムがそう尋ねると、ピートは布袋に手を突っ込んでゴソゴソしてから、ゆっくりと何かを手のひらに乗せて取り出した。それは更に薄い布に包まれている。ピートはそっとその布を取り払って、中の物をミリアムに差し出した。

「わあ……!」

 ミリアムの目が輝いた。ピートの手のひらに乗っているもの一一それは、根元に土の塊を付けた小さな花だった。
 土の塊から細い茎と葉が伸びている。その先端には、開いていないが確かにミリアムの髪色に似た花が付いている。

「夜は花びらが閉じているんだ。朝になったら開く」

「この中庭は昼間でも薄暗いぞ。ちゃんと開くのか?温室に植えた方がいいんじゃないか?」

 ミリアムが不安そうに言った。花は小さくか細くて、すぐに枯れてしまいそうだった。この中庭には根付かないのではないか。
 だがピートは笑みを浮かべて首を振る。その目は愛しそうに花を見ている。優しい眼差しだった。

「大丈夫。見た目より丈夫な花なんだ。元々日陰を好む花だし、ここの環境に合うように品種改良もしてある。成長期には人口太陽灯を定期的に当てる必要があるけど、きっと根付くよ。俺が保証する」

 ピートの力強い言葉に、ミリアムは安心した面もちで頷いた。そしてピートの前に両手を差し出した。ピートはその手のひらに、花を乗せる。
 土のひんやりとした感触が心地よかった。ミリアムは閉じた花に唇を寄せる。母がミリアムの為に依頼した花一一母の遺志が込められた花である。それを愛する男(ひと)が運んできてくれた。いや、この花が、母の想いが、ピートを自分の元に導いてくれたのだと、ミリアムには感じられた。
 ピートは袋から花を全て取り出して地面に並べた。ミリアムもその横に花を置く。全部で10輪だった。
 ピートは前に来た時に置いていった小さい道具箱を、階段の下から持ってきた。シャンティにこの花を植えてもらう時に必要だと思って置いた物だが、まさかまた自分が使う事になるとは一一不思議な縁(えにし)を感じて、傍らのミリアムを見た。彼の愛しい想い人は、目を輝かせて地面に並んだ花を眺めている。
 ピートは移植鏝を取り出して、地面を掘り起こした。ザクザクという土の音が、静かな中庭に響く。するとミリアムがピートに寄り添って、小さく囁いた。

「土の匂いが好きだ……土の匂いはお前の匂いだから……」

 ピートはミリアムを見た。ミリアムはピートの手元を眺めて微笑んでいる。美しい横顔だった。
 この世界の頂点に立ち、人々の敬愛を一身に受ける美しい女(ひと)一一だが今、ピートの傍らに寄り添うのは、小さな幸せを求める普通の女性だった。普通ではない、象徴としてのミリアムは個人のものではない。全ての人々のものである。だがここにいる、ごく普通の女(ひと)一一自分に甘えてくれるミリアムは、ピートだけのものなのだ。

(支えよう)

 花を一輪一輪、丁寧に植えながら、ピートは誓う。途轍もない重圧を、人々の希望を、その細い体で受け止め続けなければならないこの女(ひと)を、力の限り支えよう。これからの自分は、ミリアムを影から支える為に生きるのだ。

 


空色のけもの 3〜『箱庭の中で金褐色の花が咲く』23

 

「す……すいません……あの……まさか初めてだなんて思わなくて……痛かったですよね……」

 ピートのオロオロした声が寝室に響いた。ベッドに両手をついて、横たわるミリアムを見下ろしている。ミリアムは手を伸ばして、そのボサボサの髪にそっと触れた。

「破瓜は痛みを伴うものだ。仕方ないだろう……それとも、この歳で初めてなのが可笑しいか?」

 ミリアムがそう返すと、ピートはぶんぶんと首を振った。その様子が可笑しくて、ミリアムはクスリと笑う。
 ピートはミリアムの隣にどさりと体を横たえた。そして壊れ物でも扱うように、そっとミリアムを引き寄せた。裸の肌が触れ合う。ミリアムは腕を伸ばして、ピートにしがみついた。

「処女を抱いたのは初めてなんだ……だからその……痛くしたと思う……ごめん……」

 ミリアムはピートの胸に頬を押し付けて、小さく首を振った。

「大した痛みじゃない……」

 そしてピートを見上げて、悪戯っぽく笑った。

「二度目は痛くないんだろう?」

 するとピートは、慌てた様子で上半身を起こした。

「二度目って……」

「何だ?若いのに、一晩に一度が限界か?情けないな」

 そう強気な口調で言うミリアムだったが、その声が震えているのにピートは気付いた。常夜灯の下でも、頬が真っ赤に染まっているのが分かる。いじらしい程の強がりだった。
 ピートはミリアムの上にそっと覆い被さって、赤く染まった頬にくちづけた。そして熱く囁く。

「可愛い……すげぇ、可愛いよ……」

 技巧的な愛の言葉など知らない。気の利いた囁きなど出来る訳もない。だから思った事をそのまま口にする。只々可愛かった。精一杯強がるその姿が、愛しかった。

「ピート……」

 ミリアムがピートの背中に腕を廻して、不器用だが優しい愛撫に身を任せる。
 衝動的な最初の抱(いだ)き合いとは違う、ゆっくりと互いの温もりを確かめ合うような二度目の抱擁は、ミリアムを、そしてピートを、深い快感の渦に巻き込んでいった。






「正式な夫には出来ないんだ……」

 二度目の激情が通り過ぎた後、ピートの胸に抱かれたミリアムが、そうすまなそうに言った。

「身分違いなんて関係ないと思っている……だけど、総督としての立場がそれを許さないんだ……」

 ピート以外の男と添うつもりはなかった。だがピートを夫として公にする事は出来ないのだ。ミリアムは、それが歯痒くて仕方ない。
 するとピートは、穏やかな笑みを浮かべながら、ミリアムの髪に頬ずりして応えた。

「構わないよ。こうやって一緒にいるだけでも奇跡だ。それに俺は庭師を辞めない。これからも、あちこち荒野を飛び回る生活を辞めるつもりはないんだ……それでも……」

 ピートがミリアムを見る。見れば見る程、自分には勿体無い美貌である。やっぱり奇跡だ。夢なら覚めないで欲しいと思う。

「ここに……帰って来れるなら……あなたが“お帰り”って言ってくれるなら、俺はそれで満足だ」

「ピート……」

 ミリアムが泣き笑いの表情を浮かべた。

「私はお前に、普通の家庭を提供出来ない。家事は出来ないし、妻らしい事は何も出来ないんだ。しかも、正式に結婚も出来ない。それでもいいのか?」

 堪(こら)えきれず、涙が頬を伝う。こんなに愛しているのに、影の存在にしか出来ない。それは、男として馬鹿にした扱いではないのだろうか。ミリアムはそう思い、悲しくなった。
 しかしピートはにっこりと優しくミリアムに笑いかけて、流れる涙を拭った。

「だから構わないって。総督さんが待つ家に帰れる……それだけで幸せだよ。家族のいない俺に、家族が出来るんだ。影だろうと何だろうと、関係ないよ」

「ピート……」

 ミリアムがピートに強く抱きつく。ピートの胸は暖かかった。その温もりは、かつて幼い日々に、両親の胸に抱(いだ)かれて感じた安心感を与えてくれた。

「あっ!そうだ!」

 突然、ピートが声を上げた。ミリアムは驚いて見上げる。ピートは苦笑いを浮かべていた。

「あの花を持って来たんだ。すっかり忘れてた」

 ミリアムの母親が、ピートの祖父に依頼した花一一ミリアムの髪色と似た金褐色の花。シャンティに託すつもりで、植物を枯らさずに運ぶ特殊な袋に詰めたのだが、花だけでなくピートごとここに運ばれた。

「花!持って来たのか!見たい!」

 ミリアムが嬉しそうにそう叫んで身を起こすと、ベッドから飛び降りた。そしてピートの腕を取って引っ張った。

「今から植えよう!出来るんだろう?さあ!」

 そう声を弾ませるミリアムに、ピートは困ったように笑いかけた。

「出来るけど……総督さん、服を着なきゃ……」

 全裸のままピートを促すミリアムは、そのままの姿で中庭に出て行きかねない勢いであった。そう言われたミリアムは、ピートの腕を放して背筋を伸ばした。小ぶりだが形のいい乳房がピートの目を捉え、視線はミリアムの体の線をなぞるように下へと下がる。折れそうな程の細い腰にすらりとした足のつま先まで、ピートは感嘆した面もちで眺めた。
 それはまるで芸術作品のような美しさだった。その美貌に相応しい均整の取れた肢体一一その体を先程まで抱き締めていたのが信じられない。

「どうした?」

 ピートの視線を受けて、少し恥ずかしそうに身を捩ったミリアムからそう訊かれると、ピートは慌てて目を逸らすと、右手で頭をボリボリと掻いた。するとミリアムの両手が伸びてきてその右手を掴むと、自らの乳房に導いた。

「総督さん……」

 ピートの手のひらが、柔らかい乳房を包み込む。ミリアムはピートの手に、そっと自分の手を重ねた。

「全部お前の物だ……私の心も体も……全部全部お前の物……」

 ミリアムのその言葉を聞いて、ピートが空いている方の左手を伸ばした。そしてミリアムの腰を抱(いだ)いて引き寄せ、片方の乳房に頬ずりして言葉を返す。

「ありがとう……俺の家族になってくれてありがとう、ミリアム……」

「ピート……」

 ピートの言葉は素朴だった。そこに飾り気はない。だがそれがいい。着飾った賞賛の言葉などいらない。どんなに技巧を凝らした言葉よりも、ピートの心からの真っ直ぐな言葉が、ミリアムは何よりも嬉しかった。


 

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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型