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沈黙空域の彼方へ 序章〜邂逅〜1

 
(第1話)


 そこは地下深くにある神殿だった。辺境の部族が信仰する小規模な宗教の象徴である小さく質素な神殿は、他の部族の人々に知られる事なく、ひっそりと存在していた。
 少年がその神殿を見つけたのは偶然だった。叔父に連れられて訪れた、辺境の部族が暮らす小さな村一一そこで好奇心旺盛な11歳の少年が、この年頃にはよくある冒険心に駆られて入り込んだのは、地元の者さえ滅多に足を踏み入れる事のない、木々が鬱蒼と茂った深い森の中だった。


 そしてお決まりの如く、少年は道に迷う。


 右も左も木々が生い茂り、前に進めば進むほど、どんどん森の奥深くに吸い込まれて行くのだが、立ち止まる事も出来ず、ただひたすら前へと進む 。

「困ったなぁ……」

 歩を運びながら少年が呟いた。だがその口調は、それ程困っているようには聞こえない。よくよく見ると、少年の顔には笑みさえ浮かんでいる。もちろん不安ではあった。だがこの少年の好奇心は、その不安を上回っていたのだ。

「何か見つけたら、叔父さんに自慢出来るな……」

 少年の言う叔父さんとは、自分をこの辺境に連れてきた変わり者の考古学者である。少年は大層な名家の跡継ぎなのであるが、一族から疎まれているこの叔父が大好きであった。そして両親が止めるのも聞かず、学校が休みの時期には、いつもこの叔父に付いて辺境を廻っていた。
 考古学者といえば聞こえはいいが、要は定職に付かずにひたすら歴史的な遺跡を探して、実入りのない研究を続ける穀潰し一一名家の中での鼻つまみ者だった。
 だが、少年にとっての叔父はそうではなかった。名家の跡継ぎとしての英才教育を受けながら、幼い頃から常に重圧を受けていた彼は、この叔父の屈託のない性格に惹かれた。そして如何なる束縛をも受けないその境遇が羨ましかった。
 叔父の語る話は、少年の心をワクワクさせた。それは少年の教育係である高名な学者達よりも、数十倍も少年を魅惑した。いやそもそも、いわゆる高名で高学歴でおまけに高給取りである頭の固いお偉い学者達の話は、少年にとっては退屈極まりなく、一度とて興味を惹かれた事などないのであるが。
 時間の経過と共に、森は一層深くなる。だがそれでも、少年がその歩みを止める事はない。それどころか、まるで何かから逃げているかのように、その歩みは速くなる。
 いや、少年は確かに逃げているのだ。自分に絡みつく“名家の跡取り”という楔から逃げているのである。

「……!」

 少年の歩みが止まった。周囲から木々が消えている。いきなり森を抜けたのだ。だがあまりにも唐突すぎる。ずっと前を見据えて歩いていたのだ。森は遥か向こうまで続いていた。それは確かだ。
 そして少年は、背後を振り返って唖然とする。

「森が……ない!」

 今まで歩いてきた筈の森が消えていた。背後には、見渡す限り広大な草原が広がっている。それは眼前にも広がっていた。まるで一瞬の内に、違う場所に移動したようである。いや、そうとしか思えない。森がいきなり消えるよりも、自分が瞬間移動したと考えた方が合理的だ。

「森を消すより、僕を移動させた方が楽だもんな」

 少年はそう呟いて頷いた。そして何事もなかったかのように、再び前へと踏み出した。
 思考回路が普通と違う一一それがこの少年であった。普段から突拍子もない言動で、周囲を困惑させていたのだ。

「道がないなぁ……こりゃ森の方がよかったな。どこを目指したらいいんだろう……」

 森の中でも、ただ前に進んでいただけだったが、とりあえず道なりに進めばよかった。だが今少年が歩いているのは見渡す限りの草原一一道もない。そう思いながらも、躊躇う事なく少年は歩き続ける。

「またどこかに瞬間移動するのかなぁ……」

 少年はどこまでも呑気であった。むしろこの状況を楽しんでいるのであろう。足取りも軽い。唯一心配だったのは、先程から鳴っている腹の虫の音であった。

「お腹空いたなぁ……」

 空腹を抱えながら小一時間も歩いただろうか。今度は唐突ではなく、それは少年の視野に捉えられた。

「建物だ……」

 まだかなり距離はある。それでもそんなに大きな建物ではなかった。特に特徴のない、四角形の石造りの建物。
 少年はその建物を目指した。それしか選択肢はなかったからだ。もちろん好奇心はある。この広大な草原に、ぽつんと建つ箱のような建物は、妙に不自然に思えた。いやそもそも少年の置かれている状況が不自然なのであるが、そこは気にしてはいない。少年の関心は、目の前の建物に集中していた。

「ずいぶん小さいなぁ……うちの掃除用具入れと同じくらいかな」

 少年の自宅の中庭の隅に掃除用具入れがあった。彼は退屈な授業を抜け出しては、よくそこに隠れて本を読んでいたのだ。それと同じくらいの大きさ一一二メートル四方ほどの、小さな四角い建物だった。高さもそれ程高くはない。
 少年は建物の横に回り込んでみる。そしてそこに、小さなドアを見つけた。
 何の飾りもない普通のドアである。何の気なしにノブに手をかけた少年であったが、そこで初めて躊躇した。

「ここ開けたら、自分の部屋ってオチじゃないだろうな……」

 そしてそこには、目をつり上げた母親やてんこ盛りの課題を抱えた教師らが待ちかまえている一一いや、今自分は夢を見ていて、このドアを開けたら夢から覚めて、やはりてんこ盛りの課題とヒステリックな母親の小言が待っている。
 少年はぶるっと身震いしては、ノブから手を離した。そして徐に自分の頬を抓ってみる。

「いてっ……!」

 鋭い痛みが走った。とりあえず、これは夢ではないという事はわかった。少年は暫くドアを睨みつけていたが、意を決して再びノブに手をかける。

「神様……どうか僕の部屋に戻さないで下さい……」

 そう呟いて、ノブを回すと思いっきりドアを押した。

「あれ……?」

 ドアはびくとも動かない。少年は身を引いてノブから手を離した。すぐに笑みが浮かぶ。

「押すんじゃなくて……」

 三度(みたび)ノブに手をかけて回す。今度はそっと引いてみる。するとドアは音もなく開いた。何のことはない。少年は自分の部屋のドアが押して開くタイプなので、反射的に押していたのだ。
 開いたドアから中を覗き込む。中は真っ暗であった。ドアから差し込む光が唯一の光源になっている。その光に浮かび上がったのは、狭い部屋の床の真ん中に口を開けている四角い穴だった。
 少年は中に入ろうとしたが、後ろでドアが閉まろうとする。このまま中に入ったらドアが閉まってしまい、唯一の光源がなくなってしまう。いくらお気楽な少年でも、真っ暗闇に閉じこめられるのは嫌であった。おまけに得体の知れない穴があるのだ。そこからてんこ盛りの課題を抱えた教師が飛び出してくるかも一一結局少年の思考はいつもそこに行き着く。
 少年は足元を見回した。そして拳大の石を拾うと、開いたドアの下に置く。何とも心許ないストッパーだが、風がないので閉まる事はないだろう。
 ドアを固定して、建物の中に一歩踏み出した。さすがに警戒している。床は壁と同じ石造りで足音はしないのだが、そっと歩を運ぶ。そうして抜き足差し足で怪しい穴へと近づいていった。狭い部屋であるから、歩数は二、三歩といったところなのだが。
 少年は恐る恐る穴を覗き込む。ドアからの明かりも届かない暗闇に目を凝らすと、目に入ったのは下へと降りる階段であった。

「どうしようかな……降りるべきかな……引き返して叔父さんを連れて来るべきかな……」

 少年はぶつぶつと呟く。好奇心に溢れてはいるが、さすがにこれは迷ってしまう。だが引き返したとしても、再びここに辿り着けるかどうかは分からない。

「一か八か……危なかったら逃げりゃいいし……」

 少年は意を決して暗闇へ足を踏み出す。迷いより好奇心が勝(まさ)った。


 だが一一。


これが、自分の将来を決する第一歩になろうとは一一。




 少年、アルフォンス・アイゼンシュタイン一一後に改姓してバーナーズとなる一一は、知る由もなかった。

 

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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型