(第198話)
その場にいる全員が息を呑んだ。特にハモンの受けた衝撃は大きかった。
“癒やし人”故に、その命は細い。恐らく長くは生きられない事は、それまでの“癒やし人”の生涯を考えるとハモンにも分かっていた。ジェルミナはソニアの命を諦めないと言ったが、それはハモンとて同じだ。そんな儚い宿命を生きるソニアが、人生の最初に命を脅かされていたとは一一。
スティーブンは顔を上げてハモンを見た。ハモンは唇を引き結んでスティーブンの目を真っ直ぐに見返した。
「総督の細君は、首の骨を折って即死だったそうだ。地面に横たわる体はピクリとも動かず、頭が有り得ない方向に曲がっていたからな。そして……抱えられていた赤ん坊……ソニアちゃんは、母親の体の下敷きになっていたんだ。俺の目に映ったのは……地面と母親の胸の部分からはみ出ていた……血の気のない、小さな手だった……」
「司令……」
ウォルターが絞り出すような声で呟く。ソニアの母親が自殺した事は周知だったが、まさかそれが我が子を巻き込んだ無理心中だったとは一一彼の脳裏に、優しく微笑むソニアの顔が浮かぶ。もう手の届かない存在になってしまったが、やはり想いは募る。
「まさかソニアちゃんが助かるなんて思わなかった……子供の俺にも、どう見ても赤ん坊は死んだと思えたんだ。それから先はよく覚えいない。俺はすぐに母親にその場から連れて行かれたし、大人達が集まってきて……。数日経ってから知らされたんだ。ソニアちゃんが助かったって。奇跡的にかすり傷だけで済んだって……」
ハモンを見つめるスティーブンの瞳が潤んでいるように思えた。ハモンはスティーブンから、縋るような感情をひしひしと感じ取っていた。
「ソニアちゃんを護ってくれ。あの娘(こ)の命は奇跡の命なんだ。あの娘(こ)はこの世界に必要だから生かされた……俺にはそう思えてならない。もう俺達が護る事が出来ないから……ジェルミナ卿とあんた達で……あの娘(こ)を……!」
その必死の懇願に、ハモンは無言で頷く。言葉はいらない。だが命を賭して護る。その思いがスティーブンに通じたのか、彼は両手を伸ばしてハモンの肩を掴んで頭を下げた。彼なりの最大限の礼なのであろう。そしてきびすを返して飛空挺に向かう。その後ろ姿に向かって、ハモンが声をかけた。
「メイティを連れて行って下さい。リー議員の居場所に案内します。それから……メイティはここに残していきます。ガイナン・ドームを監視するのに必要でしょうから」
メイティの“遠目”でガイナン・ドームを見張れば、わざわざ危険を冒して部下を偵察に派遣しなくて済むだろう。ハモンの提案に、スティーブンは振り返り片手を上げて応えた。
その姿が飛空挺の中に消えると、ウォルターはハモンに笑顔で話しかけた。
「本当にありがとうございます。でもいいんですか?こんなむさ苦しい男ばかりの所に、メイティさんを残して……。その……危険はないとは思いますが、お美しい方なので……何かと……」
次第にしどろもどろな口調になってきたウォルターに、ハモンは笑いながら応えた。
「ヴァシュアの女性は、人間の男性よりも身体能力は上ですよ。先程スティーブン・ロイ司令が、ダイアンさんに求婚するのは命知らずだとおっしゃいましたが、ヴァシュアの女性に手を出すのも命知らずだと思いますが……。最も、メイティが望めば止めはしませんが……」
「は?」
ウォルターが思わず訊き返した。その視線が、メイティのそれとぶつかる。メイティは微笑みながら彼を見つめていた。その妖麗さに、またもウォルターはどぎまぎしてしまう。すると、そっぽを向いていたヴィクトールが忌々しそうに呟くのが聞こえた。
「淫乱女が……」
その呟きに、メイティは冷たい視線と侮蔑を含んだ口調で応えた。
「本当に下品な男だこと……こんなのがハモン様の側近だなんて情けないったら……」
今度こそ、掴み合いになるか一一ウォルターはメイティの前に出て身構えた。応酬はどっちもどっちだが、女性は護らねばならない。
だがヴィクトールは、憎々しげにメイティを睨み付けただけでそっぽを向く。メイティはふっと笑って、ウォルターに向かって会釈した。それは、自分を庇う行動に出たウォルターに対する感謝の意であろう。それを受けたウォルターは、気恥ずかしくなった。
(俺なんかが庇ったって、ヴァシュアに敵う筈もないのにな……)
さぞかし滑稽に見えただろうと思う。そのウォルターに、ハモンが申し訳なさそうに詫びた。
「申し訳ない……お恥ずかしいところをお見せしました。ヴィクトール、メイティ!いい加減にしろ!お前達ふたりは、俺の部下であると同時に、ジェルミナ卿の臣下でもあるんだぞ!お館様のお顔に泥を塗るような行動は慎め!さもなくば、両者共、即刻処断する。分かったな!」
それまでの穏やかな口調が一変、ハモンは部下であるふたりを厳しく叱咤する。それは、容赦ない響きを含んでいた。処断とは間違いなく命を奪うという事であろう。
ヴァシュアの主従関係は絶対一一。
ハモンの叱咤を受けたヴィクトールとメイティが、その場に片膝をついて深々と平伏した姿を見たウォルターは、ひしひしとそれを感じた。
ハモンはふたりを一層厳しい目で見やると、おもむろに指示を下す。
「メイティはここに留まり、全面的に協力をする事。定期的に連絡員を寄越すから、細かな報告を頼む。ヴィクトールはメイティの自動走行車で、すぐ動ける連絡員を、居城に帰還するように手配する事。奥方披露の会での護衛の任にあたる」
ヴィクトールとメイティが立ち上がった。互いに目は合わせなかったが、ふたり共ハモンに一礼する。すぐさま動いたのはヴィクトールだった。メイティの乗ってきた小型自動走行車に駆け寄る。その背中に向けて、ハモンが付け加える。
「あと……グリーグ卿の動きを探れ!あの方は、必ず会に現れる。それを阻止するんだ。だが無理はするな。少しでも危険を感じたら逃げろ。命まで賭ける必要はない。あの方……いや、ゼナファンと対峙するのは俺やキリア、レステラだ。いいなヴィクトール……無理はしないように」
最後の方は部下を心配する口調になったハモンに、ヴィクトールは笑みを浮かべて手を振る。そしてすぐに乗り込み、走り去っていった。
ハモンはそれを見送ってから、ウォルターを見る。穏やかに微笑んでいる。だがその目は、油断なく光っていた。ウォルターは思う。この人はまさしく人の上に立つ人物だ。だがその上には更に主(あるじ)がいる。ソニアの夫であるジェルミナ卿一一。
(どんな方なんだ……)
二年前は、信じがたい程の美貌に驚愕しながら眺めていただけだった。
ソニアが選んだ男一一会って話したい。
「では私は居城へ戻ります。もうすぐカガミが参りますから、補給を受けて下さい。ここに滞在中の物資は全てこちらがみます。では、司令官によろしくお伝え下さい。メイティ、頼むよ」
ハモンは早口でそう言うと、乗ってきた自動走行車に飛び乗った。同時に発進する。スピードを上げたそれは、見る見るうちに地平線の向こうに消えた。ウォルターは、何も言う間もないハモンの素早い行動に、呆気に取られていた。それを見たメイティが、クスクス笑いながら言った。
「まるで疾風のようでしょう?いつもあんな調子なんですよ。じっとはしておれない方で……」
そしてメイティは、眼鏡越しに熱い視線をウォルターに向けた。ウォルターはまたも胸が高鳴る。決して好みではない。彼はソニアのような優しい雰囲気の女性が理想なのだ。だがそれとこれは別なのか。美女の前では理想も忘れる。
「先程は……庇って下さってありがとうございます。お優しいのですね」
そう言ってにっこりと微笑むメイティの前で、ウォルターはまるで思春期の少年のように赤くなってしまった。
(情けねぇ……俺……)