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暗闇でダンス 第3部ー90

 
(第200話)


「ソニア……あの……ごめん……」

 ジェルミナが口ごもりながらそう声をかけると、驚いたような表情でソニアは、

「えっ?何?何故、ジェルミナが謝るの?」

 と、訝しげに訊いてきた。ジェルミナは手摺りに置かれたソニアの手に、そっと自分の手を重ねて答える。

「嫌な事……思い出させちゃったかな……このバルコニーの造りは……」

 それを聞いたソニアは、にっこりと笑って首を振る。

「そんな事ないわ。ジェルミナ……考えてもみてよ。私はもう何年もあの部屋で過ごしているのよ。今更、似た構造の場所にいたって嫌な事ないわ」

 そう、ソニアは母親が自殺した場所に、進んで寝泊まりしていたのだ。最初、それを聞いた時にジェルミナは、随分と奇異に感じたものだった。だがその理由をソニアから聞かされた時に納得した。納得はしたが、辛くなった。それはあまりにも悲しいソニアの思いからきていたのだ。


 子供を残して自殺するなんて……私は理由が知りたかったのよ。誰も教えてくれなかったし……ニーナが言うには、精神的に病んでいたって……。でもそんなの納得出来なかった……だからあの部屋を自分の部屋にして、数ヶ月はあちこち探っていたわ。遺書でも隠してあるんじゃないかって……。結局、何にも見つからなかったけど、私はあの部屋に居続けた……非科学的だけど、幽霊でもいいから、お母さんに会いたくてね一一。


 ジェルミナの心配そうな顔を見たソニアが、クスクス笑う。

「馬鹿みたいよね、幽霊なんて……。でも変なのよ。誰に訊いてもはぐらかされる。さすがにお父さんには訊けなかったけど……。あの時あの場には、ニーナとお父さん、ダイアンのお母さんのプティおば様……そして、ハーミリオンおば様が居た……それはニーナから聞いたわ……」

「ダイアンはもう、生まれていたんだな」

「ええ、ダイアンは私より三ヵ月お姉さんよ。その場にいた人達の中で、話してくれたのはニーナだけだったわ。まあ、私が無理やり聞き出したんだけどね。その時私は、ニーナに抱かれていたそうよ。ニーナは、お母さんが飛び降りた瞬間、私に見せまいと顔を胸に押し付けたんだって……。おかしいわね、まだ生まれて三日の私が見たって、記憶には残らないのにね」

 そう言って肩をすくめたソニアが、ジェルミナに腕を回して引っ張った。

「暗い話はここまで!中庭を案内して、ジェルミナ」

 暗い話一一そういえばソニアはあまり自分の事を話さなかった。どちらかというとジェルミナの話をいつも聞いてくれていたのだ。ジェルミナはそんな事を思いながら、ソニアに引っ張られて階段を降りて中庭に出た。
 ヴァシュアのドームは太陽が出ない。昼間はいつも曇り空である。太陽光が全く射さない訳ではないが、植物が生育するには足りない。だから、植わっている植物や木々は、太陽光が少なくても生育出来るように改良されている。

「確かに……温室に比べたら殺風景ね」

 ソニアがそう言いながら辺りを見回す。何本かの木々が見えるが、彩りがない。木々の根本には、緑色の植え込みが、地面を這うように生えているのが見えた。

「ここは庭師が定期的に手入れをしているんだ。温室の方は、殆ど野放しだけどね。管理は両方共、ジョルジュアがやっている。僕らには分からないように出入りしているよ」

「分からないようにって……。ここは外から入れないって言ってたじゃない。どこから出入りするの?」

 中庭に出るには、寝室からしか出来ない。領主の居住区への入り口は、ひとつしかないのだ。
 ジェルミナはクスリと笑ってソニアを誘導するように歩き出した。木々の間をすり抜けて、中庭の奥へと進む。やがて、その歩みが止まった。
 目の前には蔦が絡まった岩肌がある。そこで庭は行き止まりなのであろう。
 ジェルミナがその岩肌に手を押し付けた。そしてソニアに笑いかけた。ソニアはきょとんとしてジェルミナを見ている。

「このどこかにドアがあるんだ。ドアの向こうには細い通路があって、直線ドームの外に出られるようになっている。いざという時に領主の家族を逃がす脱出口だよ。領主は領民を見捨てては行かないけど、家族は逃がす必要があるからね。戦争時代の名残だ。ジョルジュアはここから出入りしている。庭師もだ。但し庭師は目隠しされてね。ここの鍵はジョルジュアが持っている。ドアの場所も、ジョルジュアじゃないと分からない」

「そうなの……戦争時代の名残ね。何だか悲しいわ……」

 話を聞いたソニアが、辛そうに俯く。それを見たジェルミナが、慌てて続けた。

「それだけじゃないんだ。この居城の脱出口は、とてもロマンチックな使われ方をしていたんだよ、ソニア」

「ロマンチック?」

 ソニアが首を傾げると、ジェルミナはにこやかに笑って話し始めた。

「僕の養母であるアテナス卿夫人とアテナス卿は、その婚姻を反対されていたんだ。理由は身分の違い……アテナス卿夫人は最高議会の議長で、ヴァシュア最高の貴婦人。一方のアテナス卿は、貴人ではあるが、中央からはほど遠い位置にある方だった。だが、アテナス卿夫人は諦めずに情熱的に卿を愛した。そして遂に、議会や貴人の方々を説得したんだ。そして、晴れて二人は縁(えにし)を結ぶ。この通路はね。そこに至るまでの間、アテナス卿夫人が密かに卿に会いに来ていた時に使っていたんだよ。ステラから聞いたんだけどね。アテナス卿はここを……“恋人が来たる小道”って呼んでいたらしいよ。勿論ステラが来た時には、アテナス卿はとうの昔に亡くなられていたんだけど……多分、叔母上から聞いたんだね」

「まあ……」

 ソニアは感嘆して岩肌を眺めた。
 遠い一一遠い昔一一この場所で愛しい女(ひと)がやってくるのを、ひたすら待ち続けた貴人がいた。あまりにも身分が高い女(ひと)故に、自分からは逢いには行けない。だからひたすら待つ。ドアが開き、かの女(ひと)が現れるのを、待ち続ける。


 遠い、遠い昔の恋物語一一。


「いつか、近い将来に……」

 ジェルミナの声が続く。ソニアは傍らに立つ、愛しい夫を見上げた。いつ見ても、思わず見とれてしまう程の美しさ顔(かんばせ)は、これから先もずっと自分に向けられているのだろう。ソニアはそれを幸せに思う。そして、感謝する。愛される事に一一感謝する。

「この中庭に……小さな足音が響く日がきっと来るよ。僕達の大切な天使は、どんな風に恋人と出会うのかな?アテナス卿と夫人のように……僕と君のように……幸せな出会いだといいね」

 ジェルミナの顔がぼんやりとしてきた。涙がその姿を霞ませているのだ。ジェルミナはふっと笑って、ソニアの瞳に浮かんだ涙を拭った。

「泣き虫ソニア……そんなんじゃ、天使にも言われちゃうぞ。母さまは泣き虫だねって……」

 ソニアはジェルミナの胸に顔を寄せる。ジェルミナがその体をそっと抱き締めた。
 幸せな時間は心地よく過ぎる。このまま穏やかに時が流れればいい。他には何も望まない。何も欲しくない。


 だが一一。


 二人はまだ知らない一一。

 あちこちにばらまかれたパズルのピースの如き真実が、集まって完成した時に現れる悪意と憎しみを一一。


 そして一一。


 自らが重要なピースの1枚である事を知らない男が、居城を目指し荒野をひた走る。


 忠誠を誓う主(あるじ)を護る為一一。

 秘かに愛するその妻を護る為一一。


 ハモンは荒野をひた走り、居城を目指していた。



 奥方披露の会まで、あと少し一一。



 運命の歯車は歪な音を響かせて、回り始めていた一一。







『暗闇でダンス』第3部
一一End一一



第4部へ続く一一。
 
 
 

暗闇でダンス 第3部ー89

 
(第199話)


 居間のドアを開けてジェルミナが入ってきた。マリカが振り返る。手にはヴェルナールが置いていった薬瓶が握られていた。

「ソニアは?」

 テーブルの上には、ダイアンから贈られた花の鉢が置かれたままである。ソニアの姿はどこにもない。

「ソニア様なら、寝室でお休みです。まだ、眠気があるみたいですね」

「まだ?いくらなんでも長引き過ぎだ。薬が強すぎるんじゃないか?そんなに強くて、ソニアの体に支障はないのか?」

 ジェルミナが心配そうにそう言うと、マリカは手にした薬瓶を示した。

「このお薬は眠気が来ないそうですよ。お昼の後に飲んで頂かないと……」

 ジェルミナは頷いて、寝室に向かった。心配で居てもたってもいられない。一時でも、離れていたら不安になる。今まで何年間も離れ離れだったのが信じられない位だった。よくも耐えられたものだと思う。
 寝室のドアをそっと開けてベッドを見る。そこにソニアの姿はない。

「ソニア……」

 そう呟いて、ジェルミナはソファーに歩み寄った。そして覗き込んで微笑む。そこには、彼の最も愛しい存在が昨夜同様、体を丸めて横たわっていた。
 少し青白い頬に赤い髪がかかっている。ジェルミナが指でそっとその髪を退かせると、ソニアが身じろぎをして目を開けた。

「ジェルミナ……」

「ごめん……起こしちゃったね」

 ソニアは小さく首を振って、ゆっくりと身を起こした。ジェルミナがソファー回り込んでその隣に腰掛ける。

「いいのよ……あんまり寝てたら頭が痛くなりそうだから……」

「大丈夫?気分は悪くないかな?ヴェルナールかレステラを呼ぼうか?」

 ジェルミナの心配そうな問いかけに、笑いながら首を振ったソニアは、そっと頭を彼の肩に預けてきた。その体を、ジェルミナが腕を回して抱きしめる。

「気分は悪くないわ。痛みもそれ程じゃないし……障りがこんなに軽いなんて初めて……」

 そう言って自分を見上げるソニアに、ジェルミナはくちづけた。深く、息が詰まる程に、ジェルミナはソニアの唇を求める。愛しさは日に日に募ってくる。いつも触れていたい。抱きしめたい。その抑えきれない衝動から、ソニアの体を押し倒し、首筋へと唇を這わせる。そこでソニアが抵抗した。ジェルミナの肩を押して、困ったような笑いを浮かべて言う。

「駄目よ、ジェルミナ……あの……暫くは……」

 恥ずかしそうに口ごもるソニアに、ジェルミナは微かな溜め息をもらして笑いかけた。

「分かってるよ。勉強したって言っただろ?暫くは我慢だ。ああ……もう仕方ない!君が隣にいて、抱けないなんて……毎晩、拷問を受けるみたいだよ……」

「じゃあ……別々に寝る?」

 そうソニアが提案すると、ジェルミナは、とんでもないというように激しく首を振って、ソニアの胸に頬を押し付けた。

「冗談じゃない!僕はもう、この枕じゃないと眠れないんだ……」

 すると弾かれたようにソニアが笑った。高い歌声のような笑い声だとジェルミナは思う。

(何て美しい声だろう……)

 ソニアの声は、耳に心地よく響く。それは決して、自分のひいき目ではないと思う。普通に話していても、心を落ち着かせてくれる響きなのだ。それが“癒やし人”特有のものなのかは定かではない。例えそうであろうとも、ジェルミナには関係なかった。ここにソニアがいて、自分に笑いかけてくれる一一それが何よりも幸せだったから。
 ジェルミナは体を起こした。ソニアがそれに続く。顔色は若干青いが、確かに気分はよさそうな様子である。
 ジェルミナは安心した面もちで、ソニアに尋ねる。

「ヴェルナールが新しい薬を用意しているよ。それは眠気がこないそうだ。昼食の後に飲むようにだって……食べれる?」

「あまり食欲はないわ……」

 ソニアがそう応えると、ジェルミナは眉をひそめて立ち上がり、ソニアの手を引いた。

「朝もスープだけだったじゃないか。それじゃ駄目だよ。温室で散歩しよう。少し動けば、お腹も空くよ」

 ソニアは立ち上がったが、首を振った。その手が髪に触れる。

「髪も乱れてるし、肌だってカサカサよ。こんな姿で温室には行けないわ。昼間は出入りが自由なんでしょ?誰かに会うのは……」

 ジェルミナはソニアを眺めた。いつもの綺麗なソニアだ一一特に見苦しいところなどないと思う。だが、ソニア自身はそうは思っていない。それなら一一。

「じゃあ温室じゃなくて、中庭を散歩しよう。まだ出た事ないだろ?温室に比べたら殺風景だけど、誰も入って来れないから安心だよ。中庭に出るには、この寝室を通るしかないからね。行こう」

 そう言って、有無を言わせずソニアの手を引いてバルコニーに出る。ソニアは黙って付いてきた。
 バルコニーには、星を発見した時に出ていたが、夜だった為あまり様子は分からなかった。ソニアは周りを見回す。そして、少し驚いたように言った。

「私の部屋のバルコニーに、作りが似ているわ」

 ガイナン・ドームのソニアの部屋の外には、広いバルコニーが備え付けられていた。そして、サイドには階段があり、中庭に降りられるようになっていた。他の家にはない、珍しい造りだった。

「ここを初めて見た時に、僕もそう思ったよ」

「似せて造ったんじゃないの?居間だって……」

 てっきりそうだと思った。居間の内装が、ソニアの部屋の雰囲気に似せているらしいから、ここもそうしたのだと一一。

「確かに居間は改造したよ。居心地がいいようにね。だけどここは、何もあたっていないよ。ヴァシュアでは、よくある造りだと思う。父上の居城にもあったし……」

 では、ソニアの部屋のバルコニーがここに似ているのだ。ガイナン邸は、ロベルト・ガイナンが総督に就任してから建て直された。偶然か、はたまた親ヴァシュア派の父親が、ヴァシュアの建築を真似たのか。
 ソニアはバルコニーから下を眺めた。ガイナン邸の部屋は二階にあった為、高さがあるが、ここは一階だから、地面がすぐそこに見える。
 バルコニーの手摺りを握ったソニアの手が、微かに震えているのにジェルミナは気付いた。そして、はたと思い出す。

「ソニア……」

 ガイナン邸のソニアの部屋。それはかつて、ソニアの母親の寝室であったという。そしてそのバルコニーから、母親は一一。


 飛び降りた一一。


 生後三日にしかならないソニアを残して一一。 
 


暗闇でダンス 第3部ー88

 
(第198話)


 その場にいる全員が息を呑んだ。特にハモンの受けた衝撃は大きかった。
 “癒やし人”故に、その命は細い。恐らく長くは生きられない事は、それまでの“癒やし人”の生涯を考えるとハモンにも分かっていた。ジェルミナはソニアの命を諦めないと言ったが、それはハモンとて同じだ。そんな儚い宿命を生きるソニアが、人生の最初に命を脅かされていたとは一一。
 スティーブンは顔を上げてハモンを見た。ハモンは唇を引き結んでスティーブンの目を真っ直ぐに見返した。

「総督の細君は、首の骨を折って即死だったそうだ。地面に横たわる体はピクリとも動かず、頭が有り得ない方向に曲がっていたからな。そして……抱えられていた赤ん坊……ソニアちゃんは、母親の体の下敷きになっていたんだ。俺の目に映ったのは……地面と母親の胸の部分からはみ出ていた……血の気のない、小さな手だった……」

「司令……」

 ウォルターが絞り出すような声で呟く。ソニアの母親が自殺した事は周知だったが、まさかそれが我が子を巻き込んだ無理心中だったとは一一彼の脳裏に、優しく微笑むソニアの顔が浮かぶ。もう手の届かない存在になってしまったが、やはり想いは募る。

「まさかソニアちゃんが助かるなんて思わなかった……子供の俺にも、どう見ても赤ん坊は死んだと思えたんだ。それから先はよく覚えいない。俺はすぐに母親にその場から連れて行かれたし、大人達が集まってきて……。数日経ってから知らされたんだ。ソニアちゃんが助かったって。奇跡的にかすり傷だけで済んだって……」

 ハモンを見つめるスティーブンの瞳が潤んでいるように思えた。ハモンはスティーブンから、縋るような感情をひしひしと感じ取っていた。

「ソニアちゃんを護ってくれ。あの娘(こ)の命は奇跡の命なんだ。あの娘(こ)はこの世界に必要だから生かされた……俺にはそう思えてならない。もう俺達が護る事が出来ないから……ジェルミナ卿とあんた達で……あの娘(こ)を……!」

 その必死の懇願に、ハモンは無言で頷く。言葉はいらない。だが命を賭して護る。その思いがスティーブンに通じたのか、彼は両手を伸ばしてハモンの肩を掴んで頭を下げた。彼なりの最大限の礼なのであろう。そしてきびすを返して飛空挺に向かう。その後ろ姿に向かって、ハモンが声をかけた。

「メイティを連れて行って下さい。リー議員の居場所に案内します。それから……メイティはここに残していきます。ガイナン・ドームを監視するのに必要でしょうから」

 メイティの“遠目”でガイナン・ドームを見張れば、わざわざ危険を冒して部下を偵察に派遣しなくて済むだろう。ハモンの提案に、スティーブンは振り返り片手を上げて応えた。
 その姿が飛空挺の中に消えると、ウォルターはハモンに笑顔で話しかけた。

「本当にありがとうございます。でもいいんですか?こんなむさ苦しい男ばかりの所に、メイティさんを残して……。その……危険はないとは思いますが、お美しい方なので……何かと……」

 次第にしどろもどろな口調になってきたウォルターに、ハモンは笑いながら応えた。

「ヴァシュアの女性は、人間の男性よりも身体能力は上ですよ。先程スティーブン・ロイ司令が、ダイアンさんに求婚するのは命知らずだとおっしゃいましたが、ヴァシュアの女性に手を出すのも命知らずだと思いますが……。最も、メイティが望めば止めはしませんが……」

「は?」

 ウォルターが思わず訊き返した。その視線が、メイティのそれとぶつかる。メイティは微笑みながら彼を見つめていた。その妖麗さに、またもウォルターはどぎまぎしてしまう。すると、そっぽを向いていたヴィクトールが忌々しそうに呟くのが聞こえた。

「淫乱女が……」

 その呟きに、メイティは冷たい視線と侮蔑を含んだ口調で応えた。

「本当に下品な男だこと……こんなのがハモン様の側近だなんて情けないったら……」

 今度こそ、掴み合いになるか一一ウォルターはメイティの前に出て身構えた。応酬はどっちもどっちだが、女性は護らねばならない。
 だがヴィクトールは、憎々しげにメイティを睨み付けただけでそっぽを向く。メイティはふっと笑って、ウォルターに向かって会釈した。それは、自分を庇う行動に出たウォルターに対する感謝の意であろう。それを受けたウォルターは、気恥ずかしくなった。

(俺なんかが庇ったって、ヴァシュアに敵う筈もないのにな……)

 さぞかし滑稽に見えただろうと思う。そのウォルターに、ハモンが申し訳なさそうに詫びた。

「申し訳ない……お恥ずかしいところをお見せしました。ヴィクトール、メイティ!いい加減にしろ!お前達ふたりは、俺の部下であると同時に、ジェルミナ卿の臣下でもあるんだぞ!お館様のお顔に泥を塗るような行動は慎め!さもなくば、両者共、即刻処断する。分かったな!」

 それまでの穏やかな口調が一変、ハモンは部下であるふたりを厳しく叱咤する。それは、容赦ない響きを含んでいた。処断とは間違いなく命を奪うという事であろう。

 ヴァシュアの主従関係は絶対一一。

 ハモンの叱咤を受けたヴィクトールとメイティが、その場に片膝をついて深々と平伏した姿を見たウォルターは、ひしひしとそれを感じた。
 ハモンはふたりを一層厳しい目で見やると、おもむろに指示を下す。

「メイティはここに留まり、全面的に協力をする事。定期的に連絡員を寄越すから、細かな報告を頼む。ヴィクトールはメイティの自動走行車で、すぐ動ける連絡員を、居城に帰還するように手配する事。奥方披露の会での護衛の任にあたる」

 ヴィクトールとメイティが立ち上がった。互いに目は合わせなかったが、ふたり共ハモンに一礼する。すぐさま動いたのはヴィクトールだった。メイティの乗ってきた小型自動走行車に駆け寄る。その背中に向けて、ハモンが付け加える。

「あと……グリーグ卿の動きを探れ!あの方は、必ず会に現れる。それを阻止するんだ。だが無理はするな。少しでも危険を感じたら逃げろ。命まで賭ける必要はない。あの方……いや、ゼナファンと対峙するのは俺やキリア、レステラだ。いいなヴィクトール……無理はしないように」

 最後の方は部下を心配する口調になったハモンに、ヴィクトールは笑みを浮かべて手を振る。そしてすぐに乗り込み、走り去っていった。
 ハモンはそれを見送ってから、ウォルターを見る。穏やかに微笑んでいる。だがその目は、油断なく光っていた。ウォルターは思う。この人はまさしく人の上に立つ人物だ。だがその上には更に主(あるじ)がいる。ソニアの夫であるジェルミナ卿一一。

(どんな方なんだ……)

 二年前は、信じがたい程の美貌に驚愕しながら眺めていただけだった。
 ソニアが選んだ男一一会って話したい。

「では私は居城へ戻ります。もうすぐカガミが参りますから、補給を受けて下さい。ここに滞在中の物資は全てこちらがみます。では、司令官によろしくお伝え下さい。メイティ、頼むよ」

 ハモンは早口でそう言うと、乗ってきた自動走行車に飛び乗った。同時に発進する。スピードを上げたそれは、見る見るうちに地平線の向こうに消えた。ウォルターは、何も言う間もないハモンの素早い行動に、呆気に取られていた。それを見たメイティが、クスクス笑いながら言った。

「まるで疾風のようでしょう?いつもあんな調子なんですよ。じっとはしておれない方で……」

 そしてメイティは、眼鏡越しに熱い視線をウォルターに向けた。ウォルターはまたも胸が高鳴る。決して好みではない。彼はソニアのような優しい雰囲気の女性が理想なのだ。だがそれとこれは別なのか。美女の前では理想も忘れる。

「先程は……庇って下さってありがとうございます。お優しいのですね」

 そう言ってにっこりと微笑むメイティの前で、ウォルターはまるで思春期の少年のように赤くなってしまった。

(情けねぇ……俺……)
 
 

暗闇でダンス 第3部ー87


(第197話)


 ウォルターがそう説明すると、ハモンは素早くヴィクトールを見た。ヴィクトールは頷いて懐から書類の束を取り出した。

「最高議会の派閥関係は報告を受けています。これは早急にお伝えする事項ではありませんでしたので後回しにしていましたが……」

「いくら情報収集が連絡員随一でも、それをハモン様にお伝えしなければ宝の持ち腐れだわ。本当に役立たずなんだから……」

 すかさず棘のある言葉を投げかけてきたメイティを、ヴィクトールは再度睨みつけて一歩前に進み出た。それをハモンが、肩を押さえて制する。

「今は諍いをしている場合じゃない。報告には優先順位があるんだ、メイティ。今回、リー議員がドームから出ていた事は知っていたのか、ヴィクトール?」

「いや……それは知らない筈だ。リー議員が工場ドーム視察を行うのは来月の予定だったんだ。それが急遽繰り上がった。俺達が出陣してから2日後に出発された。だよな、ウォルター」

 確認を求めてきたスティーブンに、ウォルターは頷いて応える。

「ええ。工場ドームの生産計画予定が早まったって事で……。これには何の裏もない筈ですが……。ドームが封鎖される3日前になりますね」

「そうだ。これは偶然だ。偶然、リー議員が不在中にドームが封鎖された。いや……不在中だから……何かが起こったのか……」

 スティーブンが腕を組んで考え込んだ。ドーム封鎖の原因が分からない以上、様々な可能性が考えられる。ロベルト・ガイナン派の有力議員が留守、第1部隊も遠征中。その機会を捉えて、クーデターが起こった可能性もある。考えたくはないが、これが一番有力なのだ。

「とにかくだ!リー議員を保護せねばならん!中央政府に拉致される前にだ!ウォルター、準備しろ!俺が議員を迎えに行く!まだ気力のある、生きのいい奴を2、3人見繕ってくれ。すぐに出発だ!」

 そうまくし立てて軍用自動走行車に向かおうとしたスティーブンの腕を掴んで、ウォルターが懇願した。

「司令!その前に体を洗って身綺麗にして下さいよ!リー議員は神経質な方なんですよ。失礼があっちゃならない……おい、お前ら!残った水をかき集めて風呂を準備しろ!それから、生きのいい……ガンナとトムソンも準備しろ!早く!」

 風呂の準備の指示と生きのいい部下の選定を素早く済ませたウォルターは、スティーブンの腕を掴んだまま振り返って、ハモンに会釈した。

「情報をありがとうございます。助かりました。リー議員が中央政府に連れて行かれたら、総司令官にどやされちまう……あの中にいる総司令官に……あの人がいるから、大丈夫ですよ、司令……」

 最後の方は、スティーブンに向けた言葉だった。ガイナン派の有力議員は締め出しをくらったが、あの中にはガイナン総督にとっては最高の護衛であり、最高の補佐官がいるのだ。未だ封鎖が解かれていない状況は、その補佐官の無事さえも危ぶまれる事を意味しているのだが、ウォルターには考えられなかった。あの補佐官一一フレドリック・ロイは不死身だ。ロベルト・ガイナンを護る為なら、火の中にだって飛び込む。そして無傷で戻ってくる。その身に何かが起こるなどと一一絶対に有り得ない。
 スティーブンはゆっくりと振り返ってウォルターを見た。彼にとってのフレドリック・ロイになりたい一一それがウォルターの目標なのだ。いずれ総督となるこの男の、最高の補佐官になる。その為にはどんな事だって耐えてやる。それ程ウォルターは、スティーブン・ロイという男に惚れ込んでいた。
 スティーブンはウォルターの肩をポンと叩いて、ハモンに向き直った。

「協力を感謝する。どうやら俺達だけじゃ、どうにもならない事態になっちまってるみたいだ。ジェルミナ卿の助けがいる。ソニアちゃんが奥方になったしな。もう同盟を結んでるようなもんだ。これからも……協力をお願いしたい」

 それは要請だった。もちろんハモンにとっては願ってもないことである。早くドーム封鎖の原因を突き止めねばならない。あの女(ひと)に憂いを与えては断じてならないのだ。
 そのハモンの心の内を知ってか知らずか、スティーブンが言いにくそうに続けた。

「まだ時間はあるな……ソニアちゃんの事だが……聞いているか?彼女の母親の事は……」

 ソニアの母親一一ロベルト・ガイナンの妻は、ソニアを産んだ三日後に飛び降り自殺をした。ハモンは沈痛な面もちで頷く。詳しい事は聞いていないがジェルミナから説明はされている。恐らくジェルミナも、あまり詳しくは知らないのであろう。

「ソニアちゃんの命は“奇跡の命”なんだ……」

「えっ……?」

 スティーブンの言葉の意味が分からなかった。ウォルターも訝しげに彼を見ている。
 スティーブンは視線を地面に落とした。その表情が沈んでいる。周りの者には分からない、暗い影がその瞳に浮かんでいるように、ハモンには思えた。

「俺は……あの時、バルコニーの下の中庭にいたんだ。10歳だった。突然頭上が騒がしくなって見上げたら、いきなり人間が落ちてきた。ソニアちゃんの母親だ。あまり会った事がない女(ひと)だった。ずっと家に閉じこもっていた……総督の妻としては、社交性がない……印象の薄い女(ひと)だったよ。その女(ひと)が……髪を振り乱して落下してきた……」

 それは衝撃的な告白だった。10歳の少年にとっては、あまりにも悲惨な情景。そしてスティーブンの口から次に出た言葉は、その場の空気を凍らせるに足りるものだった。

「ソニアちゃんの母親はひとりで飛び降りたんじゃないんだ。その腕には……生後3日にしかならない……赤い髪の赤ん坊が抱えられていた……あの母親は、ソニアちゃんを道連れに飛び降りたんだ!あれは、無理心中だった……!」
 
 
 

暗闇でダンス 第3部ー86

 
(第196話)


「同盟は必要だ。人間とヴァシュアは手を取り合っていかなければ、双方とも滅びる。中央政府の馬鹿共は、目先の利益しか見ていないんだ。だから俺達が礎(いしずえ)になる。かなり苦労するぞ。戦争にもなるかもしれん。ソニアちゃんは苦しむ筈だ。だから、同じ立場にダイアンがいるのは力強い。ダイアンにもそれは分かっている。自分が立つべき場所はな。だから心配なんかしてない。必ず戻ってくるからな」

 ヴィクトールは何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。それ程、スティーブンの自信は確固たるものだった。だがハモンは懸念する。浮かぶのは、キリアを前にしたダイアンの紅潮した顔だった。

(あれは……恋をしている顔だ。ダイアン嬢はキリアに恋慕している。それは間違いない。この男はそれを知らない……知ったら……)

 それこそ、今すぐにでもダイアンを迎えに行くだろう。ハモンはヴィクトールを見た。キリアがダイアンに言い寄っている事を話してしまった。それをスティーブンに伝えられたら面倒な事になる。
 だがヴィクトールはその事には触れなかった。この男は、時々突拍子もない事を言い出して、ハモンを困惑させるのだが、今回はこれ以上場を乱すつもりはないらしい。
 その時、黙って立ち尽くしていたカガミが、

「ハモンさん!あれ!」

 そう言いながら、ハモンの腕を掴んで後方を指差す。ハモンが振り返ると、地平線から近付いてくる1台の小型自動走行車が目に入った。

「メイティさんですよ。どうやら居てもたってもいられなくなっちまったらしいですよ。という事は、うちの補給トレーラーもこちらに向かっている筈だ。ちょっくら迎えに行ってきますわ」

 ハモンが頷くと、カガミは自分の自動走行車に走り寄って乗り込んだ。すぐにエンジンをかけて発進する。向かった先は、近付いてくる小型自動走行車の方向である。途中、すれ違いざまにクラクションを鳴らすと、カガミの車は猛スピードで地平線の向こうに消えていった。代わりに、小型自動走行車が到着する。
 ドアが開いて、降りてきた人物を見たウォルターが思わず、

「へぇ……」

 と嘆息した。
 現れたのは、年の頃20代の半ばと見える女性だった。明るい栗色の髪を後ろですっきりとまとめている。瞳の色は緑がかった灰色である。荒野で太陽に晒すのがもったいない程の白い肌に、細身のすらりとした肢体を銀色の遮蔽マントで包んでいる。少々目尻がつり上がり気味の為、きつい印象であるが、どう見ても標準を遥かに超えた美貌の持ち主であった。
 女性はにっこりと笑って、スティーブンとウォルターに会釈すると、ハモンの前に進み出て一礼した。

「ハモン様。ご報告がありまして、急ぎ参上致しました。待機とのご命令を遵守出来ず、申し訳ございません」

 それに対してハモンは、首を振って女性の肩に触れて応えた。

「構わないよ、メイティ。もう交渉は成立したんだ。スティーブン・ロイ司令官は、我々の提供する物資を受け取って下さるそうだよ」

 それを聞いた女性一一メイティは、スティーブン達を振り返り、またも魅惑的な笑みを浮かべた。ウォルターはすっかりどぎまぎしてしまったが、隣のスティーブンは全く動じる気配はない。

(司令は……ダイアンさん一筋だからなぁ……。どこに行ってもモテるのに、見向きもしない……この人に、色仕掛けは通用しない)

 別にメイティが色仕掛けをしているとは思わないが、普通の男なら見とれてしまう美女にも、スティーブンは全く反応しないのだ。生理的欲求から娼婦を抱く事はあっても、入れ込む事はない。ダイアンと結婚したら、正に愛妻街道まっしぐらに違いない。
 今のスティーブンのメイティを見る目は、新参者に対する観察眼だった。それに気付いたのか、ハモンがメイティを示して言った。

「私の部下のメイティです。今回、カガミ氏と補給トレーラーを誘導してきました」

「初めまして、メイティと申します。以後よろしくお願い致します」

 そう言って微笑むメイティに、ウォルターは見惚れてしまう。背後にいる隠れた部下達も、色めき立っているらしく、ザワザワとした気配が感じられた。

「君も……ヴァシュアなんだな。同じ部下でも、そちらとは違って礼儀正しいな」

 その微笑にも全く反応しないスティーブンがそう言うと、メイティは素早く振り返り、彼女が到着してから憮然とした表情をしていたヴィクトールを睨みつけた。

「ヴィクトール。あなたまた、ハモン様にご迷惑をかけたのね。スティーブン・ロイ司令官に何を言っていたのよ。ハモン様が困った顔をなさっていたわ。本当にどうしようもない男ね」

 そう言われて、ヴィクトールが眉をひそめる。そして、ぼそりと呟いた。

「覗き見か……」

 そのやり取りを聞いていたウォルターは、ふと疑問に思い口を挟んだ。

「あの……ここにいなかったメイティ……さんが、何でハモンさんが困った顔してたって……」

 そう一一メイティは、まるで傍(そば)で見ていたような言い方をしたのだ。
 その問いかけに、メイティは一度ハモンを見て、主(あるじ)が頷くのを確認してから応えた。

「お分かりでしょうが、私はヴァシュアです。ヴァシュアには、特殊能力を持っている者がおりまして、私は“遠目”という能力を持っておりますの。この“遠目”は、遠距離まで見れる能力です。私には、この無礼者のヴィクトールが、何か失礼な事を言っていたのが見えたのですわ」

「へぇ!そりゃまた、便利な能力ですねぇ」

 ウォルターが感心したように言うと、メイティはクスクス笑いながら、マントの中から何かを取り出した。太陽の光に反射して光るそれは一一。

「眼鏡……?」

 メイティは丸い縁なし眼鏡をかけた。その美貌にそぐわないものである。

「この眼鏡は“遠目”の能力を封じます。この能力者は、普段これをかける事が義務づけられています。いつも見られているという不安を、与えない為ですわ」

「メイティ、報告は何だ?何か見たのか?」

 眼鏡をかけたメイティに、ハモンが問いかけた。メイティは再びハモンに向き直り、自分を睨みつけるヴィクトールをちらりと見てから報告を始めた。

「つい先ほどですが……ガイナン・ドームに……どうやら締め出しをくらってしまったらしい一団が到着しました。が、中には入れて貰えなかったらしく、今は近くの小ドームに向かっています。かなり重職な人物らしいのですが……」

「ウォルター!リー議員だ!しまった!そういえば、工場ドームの視察に行っていたんだ……こいつは困った……よりにもよってリー議員とは……」

 スティーブンがそう焦燥感も露わに叫んで頭を掻く。すると垢じみた髪が、ますます手のつくようもなくはねる。だが、最早ウォルターは気にしない。そんな事はどうでもよくなったのだ。スティーブンと同じく焦りの表情を浮かべていた。

「どうしたのですか?リー議員とは?最高議会の方ですか?」

 そうハモンが訊くと、

「リー議員とは最高議会議員で、議会の中ではロベルト・ガイナン派の有力者です。彼が締め出されてしまったという事は、最高議会は反ロベルト・ガイナン派の筆頭であるバンタン議員が最高有力者になってしまう……総督の立場が危うい……」



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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型