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まほろば死街譚 第1章ー45



 男はにやりと笑った。見ると、上げられた右手に一枚のカードを持っている。

「それは……」

 アルフレッドは胸のポケットからカードを取り出した。砂漠の砂時計――同じ絵だった。

「アイゼンシュタインの旦那から頼まれました。運び屋0909です。いやあ、感動ですな。あの有名なアル・ロイ補佐官を目の前にしてるなんて……。こりゃ、暫く話題に事欠かないや」

 男は満面の笑みで腕を下ろして右手を差し出した。アルフレッドは警戒しながらも、握手に応じる。そしてカードを手渡した。

「なかなかいい絵だな。実に幻想的だ」

 そう言うと、男は心底嬉しそうに笑った。

「これは自分が描いたんでさぁ。こう見えても画家崩れでね。昔取った杵柄ってやつでさ」

 男はそう言いながら、アルフレッドの荷物が乗ったカートを押して歩き出す。アルフレッドも横に並んで進んだ。

「それにしても、噂に違(たが)わぬいい男だねぇ。こりゃ、綺麗どころの踊り子を独り占めしかねないや」

 そう言ってしげしげとアルフレッドを眺める男であったが、その目に隙はなかった。笑いながらもアルフレッドの全身を油断なくチェックしている。

(さすがに辺境の運び屋だな。ただの中年男とは訳が違う)

 そう思いながらも、アルフレッドの方も油断はしなかった。長身の彼より頭ひとつ低いが、見た目より鍛え上げられた体をしている。全身に武器を仕込んでいるのも分かる。腰にチラチラ見える熱線銃や、胸に差した小剣など隠そうとはしていない。辺境に生きる者は、爪を隠していては生きていけない。見せた爪の奥にもうひと並び爪があるのは当たり前。更にその奥にも尖った爪を持つ。
 やがて目の前に一台の自動走行車が見えてきた。男はカートごと荷台に荷物を詰め込む。そしてアルフレッドを席に案内した。
 自動走行車は大体10人乗りが多い。つまり相乗りになるのだが、この日、この運び屋はアルフレッドひとりを乗せているみたいだった。

「乗客は俺ひとりか?」

「へぇ、アイゼンシュタインの旦那から相乗りは避けてくれって言われてますんで……」

「そいつぁ、料金が嵩みそうだな」

「料金ならもうアイゼンシュタインの旦那に頂いてますぜ。まあ、天下のアル・ロイ補佐官を乗せるんだ。かなりおおまけにまけましたがね」

「ポールには頭が上がらなくなりそうだ」

 アルフレッドはそう言って苦笑する。男はにやりと笑って運転席に潜り込んだ。運び屋の自動走行車は運転席と乗客の席が、防熱ガラスで仕切られている。危険な運び屋も多いが、それ以上に危険な乗客も多いのである。だが男は、防熱ガラスを閉めなかった。
 第5ドームまでの道のりは約3日間。その間、男とアルフレッドは当たり障りのない会話をしていた。だが男は、時折探るように核心に触れてくる。アルフレッドはその度に笑ってはぐらかしていたが、話をするにつれて、この運び屋が辺境でも指折りの実力者だという事が分かってきた。ポールがひいきにする筈である。付き合い方次第で、強力な味方になる。
 3日後、目の前に目的の第5ドームが見えてきた。元ヴァシュアのドームだというそこは、案の定、黒い外殻に覆われている。
 人間のドームは白い外殻、ヴァシュアのドームは黒い外殻――そう決まっていた。ヴァシュアのドームの多くは廃墟となっているが、いくつかの小さなドームは辺境にまだ点在していた。そこには貧しい人々や流れの芸人などが暮らしている。だが、第5ドームは、かなり巨大なドームである。こんな大きなヴァシュアのドームが使われているとは、中央でも知られていなかった。無理もない。ここは辺境の果ての果て――。何人(なんぴと)たりとも近寄らない忘れ去られた地域なのである。

「旦那、この第5ドームってのは変わっててね。とりあえず荷物は無人走行車が持っていきましたが、人間の乗った自動走行車はドームに乗り入れる事が出来ないんでさぁ。だから歩いて行ってもらう事になるんだな」

 運び屋がすまなそうにアルフレッドに言った。それを聞くと、アルフレッドは遮蔽マントを身につけながら、男に笑いかける。

「何……構わんよ。それぞれのドームにはそこの流儀がある。新参者はとりあえずそれに従うさ。後は遣りやすいように変えればいい」

 男は嬉しそうにアルフレッドを見上げて手を叩いた。

「さすがアル・ロイだ。そうでなくちゃな。あんたはきっとこの辺境を変えてくれるに違いないや。これからもご贔屓、頼みますぜ」

 そう言って男は、一枚のカードを差し出した。今度のカードは、果てしなく広がる荒野に稲妻が走る絵が描かれている。電磁嵐であろう。

「いつでも呼んでくれ。運び屋宛の定期便はこのドームにも寄るからな。0909を指名してくれたら、すぐに飛んでくるよ」

 アルフレッドはカードを受け取って大事そうに仕舞った。そして男に手を差し出す。男がその手を力強く握りしめた。

「旦那は不思議なお人だねぇ。最初は中央の人間なんて信用出来るもんかって思ってた。アイゼンシュタインの旦那を信用出来るようになるまで1年以上かかったんだ。だが旦那は3日で充分だったよ。頼りにしてるよ。辺境を変えてくれ。だが……」

 男は目の前の黒いドームを見て恐ろしげに言う。

「まずはあそこを攻略しないとな。死人の街……“死街(しがい)”を……」






 その街は存在していないようだった――。






 暗いドームの発着口でアルフレッドを迎えたのは、白髪の小柄な初老の男だった。男は上品な顔立ちに、にこやかな笑みを浮かべてアルフレッドに頭を下げて告げた。

「ようこそおいで下さいました。私は副長官の……」

 にこやかな笑みの向こうは、明かりもまばらな街の入り口――。

「……ジョルジュアと申します。」





『まほろば死街譚』第1章
――End――



第2章へ続く――




まほろば死街譚 第1章ー44



 定期便が巡礼の地に到着すると、全ての乗客が下車した。ここは定期便の終点である。巡礼に来た者は、祈りの巡礼を終えるとまた定期便に乗って引き返す。辺境の奥に進む者は、ここで運び屋を雇う。
 アルフレッドは運び屋の詰め所に向かった。歩きながら、胸のポケットからポールに渡されたカードを出して眺める。
 これと同じカードを持つ運び屋が、ポールが手配した者だ。乗客はそうやって運び屋を見分ける。カードを持たない者は、運を天に任せるしかない。どの運び屋に当たるかわからないからだ。運がよければ無事目的地に着くだろう。悪ければ、永遠に目的地に着く事はない。
 辺境を旅する者は大概、馴染みの運び屋がいる。運び屋は乗り降りの度にカードを変えるのだが、それは同じカードを使って客を横取りされない為である。実は運び屋は、次に乗る時に顔が変わっている場合が多い。変装であったり整形であったりするが、ずっと同じ顔でいる運び屋は少ない。
 名前を変え、自動走行車を変え、姿形を変えて運び屋は危険な辺境を走る。だから見分ける為にカードを使うのだ。ポールの言うように、自分の妻や恋人の裸の絵を使う運び屋が多いのだが、それも乗り降りの度に違う女になる。運び屋は関わる女性も次々に変えるのだ。
 アルフレッドは横を走る亀裂に目を向けた。今でもあちこちの大地で、突発的に発生する亀裂――。だが、この亀裂は特別だった。向こう側まで約5メートルあまり、それ程巨大な亀裂ではない。大きなものになると、向こう岸が遠く霞む。この亀裂は、長さもあまり長くはない。規模が小さな亀裂――。だが一瞬で割れた大地は、人々の希望をその深淵に飲み込んだ。

 “癒やし人”ソニア・ガイナンの終焉の地――。

 ふと見ると、一カ所に固まってうずくまっている一団がいる。祈りを捧げている者もいれば、パズの草を植えている者もいる。一説には、あの箇所でソニアが亀裂に落ちたと云われていた。
 アルフレッドは、亀裂に沿って設置されている柵の手すりを掴んで下を覗き込んだ。足元にはパズの草が点々と生えている。ヴェラニーナから預かったパズの草は、もう少し育たなければ植えられないらしい。
 暗く深い底からは、時折風が吹き上げてくる。覗いていると、引きずり込まれそうな感覚に襲われたアルフレッドは、顔を上げて向こう岸を見た。そしていつの間にか正面に立っている人物と目が合う。

(さっきまでは誰もいなかった筈……)

 アルフレッドは思わずその人物を凝視した。それ程、変わった出で立ちであったのだ。
 全身がすっぽりと漆黒のマントで包まれている。長時間浴びていると有害な太陽光から身を守る為の遮蔽マント――アルフレッドも身につけているが、あそこまで体に巻き付けてはいない。まるで姿を晒すのを避けているように、隙間なく巻き付けられたマント――。
 目を凝らすと、口と顎の部分だけが覗いていた。漆黒の中で、そこだけ白く浮かび上がる。
 目は見えないが、視線を感じる。その人物は、じっとアルフレッドを見ていた。
 ひしひしと感じる圧迫感――だが、敵意は感じられない。寧ろ見守られているような感じがする。
 アルフレッドは確信する。

(ヴァシュアのダンピール……)

 5人の中で、漆黒がトレードマークなのはキリアとゼナファン――。
 キリアは、遮蔽マントを身につける事がなかったと伝えられている。
 背格好からも、女性である事が伺えるこの人物は――。

(“光のゼナファン”……)

 漆黒の人物の口元が笑ったようだった。全身を黒で包まれているゼナファンが、なぜ“光のゼナファン”と呼ばれているのか――。それは誰も知らなかった。容姿さえも伝えられていない。従者の中でも謎が多い人物である。
 暫く見つめ合っていたが、やがて漆黒の人物はきびすを返して歩み去る。その後ろ姿を見送るアルフレッドであったが、ふたりの間を自動走行車が通り過ぎた。すると――。

(消えた……)

 もうもうと立ち込める砂埃の後に、もう漆黒の影は見当たらなかった。驚きはしない。相手はヴァシュアのダンピールである。シャンティやハモンを思い浮かべて苦笑する。しかし、あの人物――おそらくはゼナファンであろうが――は、かなり雰囲気が違っていた。

(背負っているものの……種類が違う……)

 なぜそう感じるのかは分からなかったが、シャンティやハモンとは違うものを感じたのだ。伝わってきたのは、絶望的なまでの孤独感――。だが悲壮感はない。望んで得た孤独のように感じる。不思議な感覚だった。
 アルフレッドは誰もいない向こう岸をいつまでも眺めていた。すると、

「旦那……アル・ロイ様ですかい?」

 と、後ろから声をかけられた。全身を緊張させて振り返る。そして後ろに立つ者を鋭く見やった。右手は腰に差した熱線銃にかかっている。

「やあ、剣呑剣呑……そんな恐ろしい目で見らんで下さいや」

 これといった特徴のない中年男が両手を上げて立っていた。アルフレッドは警戒を解かない。向こう岸に気を取られていたとはいえ、話しかけられるまで気付かないとは何たる不覚――。
 ここは辺境。一瞬の気の緩みが死を招く土地なのだ。



まほろば死街譚 第1章ー43



 第3ドームから巡礼の地への定期便の発着乗り場にアルフレッドは立っていた。ここからは地上を走る自動走行車での移動になる。
 彼の後ろにはポールとクラリスが立っている。見送りはいらないと言ったのだが、どうしても見送るとふたりがきかなかったのだ。

「アル、巡礼の地に着いたら俺の手配した運び屋が接触してくるから、そいつに乗ってくれ」

 ポールがそう言ってアルフレッドに一枚のカードを手渡した。

「そのカードと同じものを持っている。何人かの運び屋が接触してくるだろうから、見分けてくれ。運び屋の認識番号は0909だ」

 アルフレッドはカードを見た。荒涼とした砂漠の砂に置かれている砂時計の絵が描かれている。全体に暗いモノトーンだが、砂時計の中の砂だけが鮮やかな青色である。ガラスにひびが入っていて、青色の砂がそこからこぼれている。

「随分と幻想的な絵だな」

「大概は裸の女性の絵なんだがな。そいつは見た目と違ってロマンチストなんだ。信用出来る運び屋だ。これから使ってやってくれ。絵は乗り降りの度に変わるから、降りる時に次のカードを貰ったらいい」

「裸の女性の方がいいな」

 アルフレッドはそう言って、ポールの隣に立つクラリスにウィンクした。クラリスがクスリと笑う。

「こらこら!人の女房に色目を使うんじゃない!クラリス、気をつけろよ、こいつは見境ないからな」

 ポールがクラリスの肩に手を回して引き寄せる。アルフレッドは苦笑いしながら言った。

「おいおい、人聞きの悪い事言うな。俺は見境ない事はないぞ。魅力的な女性にしかアピールはせん」

「惑星上の男が、妻を誘惑される脅威に晒されないように、お前は早く身を固めなければいかん。お前の最初の仕事は結婚相手を見つける事だ」

「だから!人のものには手を出さん。全く、言いたい放題だな。お前、夕べとうとう俺に負けたもんだからひねてるな」

 どちらが先に潰れるか――たとえ、途中で目が覚めたとしても、酔いつぶれたのは事実だ。長年に渡る賭けはこちらの勝ちだ。アルフレッドは勝ち誇った様子でポールを見た。それを聞いたポールが、

「それは……あー、認める!確かに俺は酔っ払っちまった。仕方ない……本当にいい酒だった……久々に楽しかったんだ……」

 そう言ってアルフレッドに笑いかける。アルフレッドは無言でポールに右手を差し出した。ポールがそれを握る。

「また飲もうな。今度は俺のドームに来てくれ」

「ヴァシュアの亡霊を一掃してくれよ。そういうのは苦手なんだ」

 クラリスがそんな二人を潤んだ目で見つめる。そしておもむろにバッグから小さな巾着袋を取り出してポールに差し出した。ポールがそれを受け取って、握ったアルフレッドの手を開くと、巾着袋を手の平に置く。

「こいつは賭けの商品だ。約束してたからな」

 アルフレッドが巾着袋を開いて中身を覗き込んだ。途端に顔色が変わる。

「ポール!こいつは……」

 アルフレッドが手の平の上に、巾着袋の中身を乗せた。発着乗り場の鈍い照明がそれを照らす。

「アイスブルー・ストーン……」

 ちょうど手の平にすっぽりと嵌る大きさの石である。だが、ただの石ではない。希少価値のある鉱石――半透明の薄い青色――鈍い照明の中でも美しく輝く――金額にしたらとんでもない価値がある石である。そして――。

「アイゼンシュタイン家の家宝じゃないか!こんな貴重なもの、貰えないぞ」

 アルフレッドは慌てて石を巾着袋に収めて、ポールに差し出す。だがポールは受け取らない。隣でクラリスがにこにこと笑っていた。

「お前が勝ったらそいつを報酬として差し出す……俺が勝ったら、ロイ家で保管されている三枚の絵の原画を貰う……そういう約束だっただろう?」

 三枚の絵というのは、“救世主ジェルミナ”と“癒やしのソニア”そして“五人の英雄像”の事である。この三枚の絵の原画がロイ家に保管されているのだ。ジェルミナの直系であるガイナン家ではなく何故ロイ家に保管されているのか――アルフレッドはずっと疑問に思っていたのだが、それはシャンティによって解明された。絵の作者がロイ家の者――奇しくもアルフレッドと同名の人間である事がわかったのだ。
 アルフレッドは差し出した手を退かなかった。

「駄目だ。約束は反故する。これは……クラリスさんが受け取るべきものだ。クラリスさんと……生まれてくる子供のものだ」

「アル・ロイ様……どうか受け取って下さいませ。そして……将来、この子に……」

 クラリスは少し膨らんだ腹部に手を添えた。

「貴方がそれを渡してあげて下さい。何だか……そうした方がいいような気がするのです」

 ポールがクラリスの手に自らの手を重ねてアルフレッドを見て笑った。

「歴史に名を刻むような偉業を成し遂げてくれ。そして新たな英雄になるんだ。俺の子は、その英雄からそいつを受け取るんだ。希少価値は途轍もなく跳ね上がるぞ。単なる石の価値だけじゃないからな」

 アルフレッドは巾着袋を握りしめた。とんでもない預かり物だ。だが――。

「お前はこの石以上の価値のあるものを手に入れたんだなぁ、ポール」

 そう言うと、ポールは嬉しそうに笑った。クラリスも笑う。こんな風に笑ってくれる人々が、この辺境に増えてくれたらいい。いや、増やさなければならない。

「こいつは預かっていくよ。そしてアイゼンシュタイン家の跡取りに必ず返す。きちんと付加価値を付けてな。約束する」

「期待してるぞ。ああ、そうだ……運び屋の手配な、セイアスから書簡がきて、頼まれたんだよ……まあ、それがなくても手配はするつもりだったがな。今度は3人で飲みたいなぁ……ただし、奴はすぐに潰れるだろうが……」

 残してきた親友の顔が浮かぶ。セイアスは酒に弱い。2、3杯も飲めば潰れてしまう。よくアルフレッドとポールの事を、

『お前ら化け物か……』

 と呆れて言っていたものだ。
 アルフレッドはセイアスの心遣いが嬉しかった。

「ありがとう……」

 目の前のポールに向かって言う。そして同時に、遠く離れた親友にも――心のなかで伝える。

(ありがとう)

 巡礼の地行きの自動走行車に乗り込んだアルフレッドは、ふと振り返る。ポールとクラリスが寄り添ってこちらに手を振っていた。彼は手を振り返しながら――何故か思わずふたりに駆け寄りたい衝動に襲われた。
 もう一度、ポールの手を握りたい。いや、肩を抱(いだ)き合いたい。これが今生の別れではあるまいに、何故そんな衝動に襲われるのか――。
 アルフレッドは自動走行車が走り出しても、ずっと発着乗り場の方向を見つめていた。ふたりの姿はとうに見えない。だが目をそらす事が出来ない。

(いつから……俺はこんな感傷的な人間になったんだろうな……)



まほろば死街譚 第1章ー42



「はい、終わり。どうやら風邪は治ったようね」

 ヴェラニーナがそう言って席を立つ。上半身裸で椅子に座っていたセイアスは、やれやれとした様子でシャツを羽織る。

「ちょっと熱っぽかっただけだよ。ヴェラは大袈裟なんだから……」

 そう文句を言うセイアスを、ヴェラニーナは腕を組んで睨みつけた。

「すぐ肺炎になるくせに……ちょっとした風邪が命取りになる時もあるのよ。少しは立場を考えて頂戴」

 膨れて睨みつけてくるヴェラニーナの顔をちらりと見て肩をすくめたセイアスは、シャツのボタンを留めて上着を着る。

「昔ほど弱くはないよ。最近は熱の出る回数は減ってきた。肺炎だってもう何年も前だろう?」

「まあ!ほんの1年前に死にかけたくせに!あんな思いはもう二度とごめんよ!」

 ヴェラニーナがそう言って肩を落とす。その顔に浮かんだのは苦悩の色――。セイアスはすぐに後悔した。

「ああ……ごめん……でもあの時はヴェラのお陰で助かったんだよ」

 セイアスは慌ててヴェラニーナの肩に手をかける。細い肩は少し震えていた。

(ヴェラ……)

 セイアスはまたも抱き寄せたい衝動に駆られる。ここのところ頻繁に起こる衝動――。アルフレッドが居なくなると決まってから、それは起こり始めた。心の中にぽっかりと空いた穴を埋めるのは、ヴェラニーナしかいないのだ。
 ヴェラニーナはそんなセイアスの気持ちには気づかないのか、気づいても知らないふりをしているのか、深い溜め息をついてセイアスの胸をポンポンと軽く叩いた。

「あの時は本当に死んじゃうと思ったのよ。ちっとも熱が下がらなかったんだもの。手を尽くした後は、もう神頼みだったわ。医者としての限界を感じちゃったわ……」

 1年前に肺炎を起こしたセイアスは、1週間生死の境目をさまよっていた。高熱は下がらず、意識は朦朧状態――そんな中、他の医者が匙を投げてもヴェラニーナは諦めなかった。全ての手を尽くした後はひたすら呼びかけ続けた。
 その声が聞こえたのか、セイアスは奇跡的に意識を取り戻したのだ。それからの回復は、周りが目を見張る程であった。
 セイアスは確信していた。死の淵にいた自分を呼び戻したのはヴェラニーナだ。朦朧とした意識の中で、たしかにヴェラニーナの声を聞いた。

 会いたい――。
 ヴェラニーナに会いたい――。

 その一心で死の淵から舞い戻って来たのだ。

「とにかく……無理はしないでね。具合が悪かったらすぐに言う事。あなたはこの世界にとって掛け替えのない人なんだから……」

 君にとっては?――思わずそう訊きかけて言葉を飲み込む。そして想いを振り切るように、話題を変えた。

「今頃アルは、アイゼンシュタインと酒盛りかな?」

 そう言うと、ヴェラニーナはクスクス笑って答えた。

「ふたり共、お酒は底無しだものね」

「化け物だよ、あのふたりは……」

 遠く辺境に旅立った親友を思う。飛空挺は第3ドームまでしか飛んでいない。そこから先は、地上を自動走行車で移動する事になる。セイアスはアルフレッドの左遷先が第5ドームだとサモネから聞いた次の日に、第3ドームの長官であるポール・アイゼンシュタインに向けて書簡を送ったのだ。

 アルフレッドを第5ドームに安全に送り届けて欲しい――。

 第3ドームから巡礼の地までは定期便が出ているからそれに乗ればいいが、そこから先は“運び屋”の自動走行車を捕まえなければならない。
 “運び屋”とは辺境でありとあらゆる物を運ぶ者達の呼び名である。書簡から荷物、真っ当な物もあればヤバい物もある。そして人間も運ぶ。ところが、“運び屋”の選び方如何によっては、目的地に着く事なく行方不明になる場合もあるのだ。アルフレッドがそう簡単に行方不明などになるとは思ってはいないが、安全策を講ずるに越した事はない。
 だからポールに“運び屋”の手配を依頼した。アルフレッドには、かすり傷ひとつ負わずに第5ドームに到着して欲しい。こうでもしなければ、アルフレッドはポールにそんな依頼はしないだろう。自分で何とか出来ると思っている。だが彼が向かったのは辺境の果てだ。正に未知の世界なのだ。おまけにヴァシュアのダンピールの差し金ときている。
 セイアスは、自分の新しい主席補佐官を思い浮かべた。今もこの診療室の外の壁に寄りかかって彼を待っている男――。

(どこまで信用出来るかは分からないが……妙に人を惹きつける奴……)

 降って湧いたような主席補佐官を、最初は胡散臭そうに遠巻きにしていた周囲の者達が、いつの間にかあの男と親しげに話しているのを見た。
 不思議な男だ。話していると警戒心がなくなってくる。ヴェラニーナの事がなければ、セイアスももっと打ち解けていたかもしれない。
 そのヴェラニーナがドアを開けて、外に向かって話しかけていた。

「シャンティさん、お入りになりませんか?お茶をお入れしますよ」

 頭をポリポリ掻きながら入ってきた長身を、嬉しそうに見上げるヴェラニーナを眺めていると、抑えきれない焦燥感に襲われる。
 思わず睨みつけてしまうセイアスは、穏やかに笑いかけてくるシャンティの微笑みから顔を背けて、窓の外に視線を向けるのであった。

 見たくない――。
 親しげなふたりの姿など――。

 見たくない――。



まほろば死街譚 第1章ー41



 クラリスは深刻な表情になったアルフレッドをじっと見つめていたが、ふと時計を見た。もう日付が変わっている。

「まあ、もうこんな時間に……。ポールったらさっさと潰れてしまって……申し訳ありません。明日は……いえ、もう今日ですわね……自動走行車での長旅になります。乗り心地はお世辞にもいいとは言えませんから、もう休まれた方がよろしいでしょう。長々と私の話に付き合って下さいまして、ありがとうございました」

 そう言って頭を下げるクラリスに、アルフレッドもまた言う。

「いえいえ、こちらこそ……有益な情報をありがとうございます。実は……思い知らされました。自分は、今まで何も知らずに政治の中核にいたのだという事を……。中核から外れて初めて知るなんて情けない限りです」

 クラリスが慌てて頭を振る。

「いいえ、それは無理のない事です。中央と辺境の間には、目に見えない障壁があるのです。それを打ち壊すのは、貴方のような方なのですわ」

「もちろん……知ったからには最大限の努力をします。もうギルバートの奴には好き勝手はさせません。奴め、俺を辺境に飛ばしてしてやったりとほくそ笑んでるでしょうが、必ず後悔させますよ」

 アルフレッドの力強い言葉に、クラリスは安心したように笑った。だが、すぐに心配したように言う。

「貴方が赴任される第5ドームですが……実は辺境でもあまり知られていないのです」

「知られていない……」

 クラリスは頷いた。同じ辺境でもここは入り口。第5ドームは果てである。自動走行車で3日はかかる距離にある。

「かなり大きなドームなのですが……外部とあまり接触のないドームで、出入りが極端に少ないのです。あの周辺地域は、すぐ近くに“レステラの宿”のある小ドームがある関係上、閑散とはしていないのですが、あのドームには誰も近付きません。一説には……」

 クラリスは我と我が身を抱きしめた。アルフレッドにも彼女の恐怖感が伝わってくる。

「あそこは“ヴァシュアの墓場”なのだと……」

「“ヴァシュアの墓場”?」

 アルフレッドに力なく笑いかけたクラリスの顔は青ざめている。ヴァシュアというのは、人々の畏敬の的であると同時に、得も知れぬ恐怖の対象でもあるのだ。

「あのドームは元々ヴァシュアのドームだったのです。珍しいでしょう?ヴァシュアのドームは殆どが打ち捨てられて廃墟になっています。小さなドームは企業が使っていますが、誰も好んでヴァシュアのドームに住もうなどと思う者はおりますん……あ、ごめんなさい……」

 クラリスが突然謝ったので何事かと思ったアルフレッドだが、すぐに合点した。

「俺の中のヴァシュアの血は、殆ど残っていませんよ。気にしないで下さい」

 アルフレッドの祖先はヴァシュアのダンピールである。それは即ちヴァシュアの子孫という事になる。ヴァシュアの血は、今やガイナン家とロイ家にしか伝わっていないのだ。その祖先を――ついこの間目の前で確認したアルフレッドだが、ヴァシュアに対する畏敬の念は相変わらずである。あれ――ハモン――はあれ、これはこれである。

「ごめんなさいね、つい失念しておりました。でもロイ家とガイナン家は救世主と英雄のお血筋ですから……。あのドームでは……いまだにヴァシュアの亡霊がさ迷っているとか言われていますの」

「ヴァシュアの亡霊……それはまた古風な……」

 アルフレッドは苦笑した。シャンティが指定した赴任先――そこには謎の婆さんが待っているという。第5ドームを拠点に辺境をまとめ上げてくれという事だが、ヴァシュアの亡霊が彷徨いているとなると、穏やかではない。何かからくりがあるのか――クラリスの心配をよそに、アルフレッドは高揚感に包まれた。順風満帆は性に合わない。困難や謎があればある程、やる気が湧いてくる。彼はそういう男であった。
 アルフレッドは安心させるようにクラリスに言った。

「ヴァシュアの亡霊だかなんだか知りませんが、そんなものに俺の使命を邪魔させはしません。辺境はこれから変わるのです。いえ、変えなけりゃならん。第5ドームをその拠点にしてみせますよ」

 クラリスは頷く。やはりこの男(ひと)は強い。そして前向きだ。この姿勢が辺境を救う。しいては惑星を救うのだ。
 その時、テーブルにうつ伏せて寝ているポールが身じろぎした。クラリスはポールの肩を優しく揺らす。

「ポール、起きて。ここで寝入っちゃ駄目よ」

「俺が運びますよ」

 アルフレッドが立ち上がりポールの側に寄る。そして彼の片腕を自らの肩に回して抱え上げた。ポールが寄りかかってくる。その時アルフレッドの耳元に――。

「ありがとう……親友」

 ポールの小さい囁き――。

(寝てないのかよ)

 アルフレッドは片手を回してポールの肩を小さく叩く。そしてクラリスの開けたドアに向けて歩き出す。ポールを引きずりながら――。
 重い――。

(起きてるなら歩きやがれ)

 そう思いながらもアルフレッドは、肩に寄りかかる友の重みが嬉しいのであった。



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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型