アントニーの乗った自動走行車が遠くなっていく。リタは一歩前に進み出て、じっと見送っていた。
行かないで一一そう言いたいのかもしれない。だがこの少女は、一度も自分から父親に何かを頼んだ事はないのだ。
その、蜂蜜色の髪を風が揺らす。幼い少女の、諦めたような表情を、シャンティは痛ましく見つめた。
その時、この場の静寂を破る声が夜空に響く。
「リタちゃんとミリーちゃんに、いいものをあげるわ!」
シャンティが振り返ると、レステラがにこにこ笑って、リタとミリアムを見つめていた。
「なあに?いいもの、なあに!?」
すぐにミリアムが反応する。嬉しそうにレステラの足にしがみつく。リタも、遠慮がちながら、どことなく期待するような目で、レステラを見ていた。
レステラはポケットを探って、何かを取り出した。そしてその場にしゃがみ込み、まずミリアムの首に手を回した。
シャンティが身を乗り出して見ると、レステラがミリアムの首につけているのは一一。
「首飾りか?へぇ……パワー・ストーンだな」
ミリアムの首に細い鎖が下がっている。その先端で輝いているのは、小さなミリアムの小指の爪位の大きさの、緑色の石だった。
治療師が指輪に付けている色とりどりの石は、パワー・ストーンと呼ばれている。治療を補助する力を持つらしいが、最近はこの石が、一般の女性達に人気なのである。 それは一一。
「瞳の色と同じ色のパワー・ストーンを身につけると、愛する人と必ず結ばれる!」
レステラがそう言って、ミリアムの頬にキスをする。ミリアムはパワー・ストーンを嬉しそうに握りしめた。
レステラの言った言葉は、この石にまつわるまじないである。数年前から、若い女性達の間で、このまじないが流行っているのだ。発端は、ミリアムの母親であり、総督夫人であり、“癒やし人”として、人々の敬愛を一身に受けているソニア・ガイナンである。彼女が唯一身に付けている装身具が、その瞳の色と同じ緑色のパワー・ストーンが嵌った指輪であった為、このまじないが生まれたのだ。
総督夫妻の仲の良さは語り草になっている。絶世の美貌を誇る総督、ジェルミナ卿は、妻であるソニアを深く愛していた。その愛情の深さは尋常ではなく、ジェルミナ卿にとって、ソニア以外の女は皆、芋かカボチャにしか見えないのではないかと揶揄される程である。
それにあやかる為に言われ出したのが、このまじないなのである。
レステラは、喜ぶミリアムを離してリタを見た。リタはミリアムの首から下がる緑色の石を、目を輝かせて見つめていた。
パワー・ストーンは希少価値のある石である。数は少ない。だから望んでも手に入れる事がなかなか出来ないのだ。その上、自分の瞳と同じ色でなければならないとなると、ますます入手は困難となる。それが故に世の女性達は、こぞって手に入れたがるのである。
幼い少女であるが、リタはまじないの事を知っていた。そして、ソニアの事を慕っていた。
そのリタにレステラが近づき、目の前に膝を付いてその瞳を覗き込んだ。
美しい琥珀色の瞳一一。
その瞳の前に、ふいと同じ色の石が現れた。
「あ……」
リタの前に翳されたレステラの手から、細い鎖が下がり、その先に琥珀色の石が輝いていたのだ。
「これ探すの大変だったのよ。なかなかなくてね、この色。すっごい貴重よ、リタ」
レステラはそう言いながら、鎖をリタの首にかけた。
「うん、似合う似合う。素敵よ、リタ。これでリタは、必ず愛する人と結ばれるわ」
リタは、自分の首から下がった石を、じっと見つめていた。その頬が紅潮している。そして顔を上げると、真っ直ぐにレステラを見つめる。はにかんだような笑顔はいつものままだったが、おどおどとした様子は消えていた。
「ありがとう、レステラさん。大切にします」
そのリタの元に、ミリアムがすり寄ってきた。リタが見ると、ミリアムは嬉しそうに自分の石を指さしてから、リタの石を指差して言う。
「リタ!お揃いだよ」
リタがミリアムに優しく笑いかける。
「うん、お揃いだね。ミリーちゃんの石、綺麗だよ」
その様子を、一歩下がってにこやかに見ているレステラに、シャンティが声をかけた。
「よく手に入ったな。前にソニアから頼まれてたんだよ。ミリーとリタのパワー・ストーンが欲しいってな。最近じゃ、なかなかないんだよな」
レステラはシャンティをちらっと見た。その表情は勝ち誇っているようであった。
「ふふん、私も頼まれていたのよ。治療師の方が石探しは得意よ。でも確かに、最近はないわねぇ……特に、リタのはなくてね。ある娼婦から譲ってもらったのよ」
「よく譲ってくれたなぁ」
シャンティが驚くと、レステラは少し悲しそうな顔をして、
「先が長くないのがわかっていたのよ。娼婦にしては珍しく、想い人と結ばれた女(ひと)でね。それが石のお陰だって……。同じ瞳を持つ娘が、自分と同じように幸せになってくれるならって、譲ってくれたのよ」
と応えた。その口調から、石を譲ってくれた娼婦が、既にこの世にいない事を、シャンティは察した。
シャンティは、嬉しそうに石を手の平に載せて眺めているリタに目を向けた。いつもひっそりと佇むこの少女の、こんな嬉しそうな笑顔を見るのは、久しぶりであった。
「だったらリタは、絶対に幸せになるぞ。想いの籠もった石だ。好きな奴と必ず結ばれる。どんな奴かなぁ、リタを手に入れる奴ってさぁ……リタはすっげえ美人になるだろうからさ。ラッキーだよな、そいつは。心根も優しいしさ」
シャンティがそう言うと、レステラはクスクスと悪戯っぽく笑った。
「あら、案外すぐ側にいるかもよ」
どういう事だ、と尋ねようとしたシャンティを牽制するように手を振ると、レステラは無邪気に喜ぶふたりの少女の元に、歩み寄った。
「さあさあ、明日海で遊ぶなら、もう寝なきゃ駄目よ。お風呂に入ろうね」
「シャンチィと入るぅ!」
ミリアムがそう叫ぶと、シャンティに駆け寄ってしがみつく。シャンティはその小さな体を抱き上げると、リタに言った。
「リタも一緒に入るか?」
するとリタは、真っ赤な顔をして首を振った。
「私……レステラさんと入る」
するとミリアムが、
「やっぱりレチィと入る!」
と、すぐに変える。シャンティは苦笑いを浮かべて、ミリアムの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「何だお前……真似っこだな」
「女は女同士よね、ミリーちゃん、リタちゃん」
またも勝ち誇った表情でリタの手を取り、スタスタと家に入ろうとしたレステラが、振り返って言い放つ。
「はい、さっさと入る!アルフレッドが独りぼっちになってるわ」
そう言われて、シャンティは肩をすくめた。
「やれやれ……リタに振られて、ミリーにも振られちまった」
そんなシャンティの頬を、小さな右手でピチピチと叩いてから、ミリアムも言い放つ。
「女同士なんだよぉ」
シャンティは声を上げて笑う。そしてミリアムを抱いて家に入ろうとしたが、ふと振り返って彼方を見やる。
アントニーは今頃、荒野をひた進んでいるのだろう。
(見せてやりたかったな。リタの嬉しそうな顔を……)