(注※ 長文の為“続き”あります)
物心ついた時から、母の髪は斑(まだら)色だった一一。
男なんかに負けるものか一一。
男なんか、汚らしい欲望の塊だ一一。
だから、仕事をしている父親は尊敬するけど、人間としては心底軽蔑する一一。
何故なら一一。
母が、妻がいながら一一他の女を抱き一一あまつさえ子供までもうけたから一一。
汚らわしい一一。
ダイアンはいつも不思議に思っていた。
(ママは何で、あんな髪なんだろう……)
ダイアンの母プリシラは、実に個性的美貌を誇っていた。父フレドリックは、ひとつ間違えると見られない顔のパーツだと揶揄していたが、ダイアンは母の顔立ちが好きだった。確かにバランスの取れた顔ではない。口が大きすぎるのだ。しかも母はよく、その口を大きく開けて豪快に笑った。しかしダイアンは、その笑顔が大好きだった。母のさっぱりとした性格が顕れているからだ。
ダイアンにとっては、非の打ち所がない一一みんなから好かれる母は誇りだった。
だが一点だけ一一。
ダイアンが、どうしても好きになれない所があった。
(赤……黒、茶、銀……)
母の頭には、ありとあらゆる髪色があった。あろうことか、母は髪を色々な色に染めているのだ。それも斑(まだら)にである。
それは異様な姿だった。屈託なく笑う母の頭に、不自然に乗った斑の塊一一。
そして何故か、周りの誰も母の髪色を咎めないのだ。
だが、初めて母を見たダイアンの友達は、その異様な髪色に目を見張り、ダイアンをからかった。それは、ダイアンの鋭い一瞥で止まるのだが、陰口を叩かれる。自分は何を言われても構わないが、母の悪口を言われるのは我慢ならなかった。
だから持ち前の気の強さに腕前を加えて、誰よりも上に立った。母の陰口など耳に挟もうものなら、出向いて行き力でねじ伏せた。
だが、何故母はあんな髪色なのか一一それを誰にも尋ねる事が出来ないまま、数年が経ったある日の事一一。
ダイアン、11歳の春。
その日は朝から、親友のソニアが遊びに来ていた。ドームの最高指導者であるロベルト・ガイナンのひとり娘ソニアは、生まれた時からずっと、ダイアンの一番近しい存在だった。ダイアンにとっては、最早ただの友達ではなく、姉妹以上に結びついた間柄である。
だがこの日はもうひとり、邪魔な存在が来ていた。ダイアンがこの世で最も忌み嫌う一一。
「トニー、ソニアから離れなさいよ」
ソニアの傍らにぴったりと張り付いているひとりの少年一一黒髪に黒い瞳を持つ少年は、ダイアンをじろりと睨みつけた。その顔立ちは、どことなく自分に似ている。ダイアンはそれが、堪らなく嫌だった。
少年の名前はアントニー・ロイ。ダイアンの“3日違いの弟”である。もちろん双子などではない。
「お前こそ近づくな」
少年の口から発せられた言葉に、ダイアンは激昂する。だがすぐに、その怒りを抑えつけた。少年の傍らの、憂いを帯びたソニアの顔を見たからだ。
少年一一アントニー・ロイはダイアンの異母弟である。そう、父親は同じだが、母親が違うのだ。ダイアンが産まれて3日後に産まれた庶子なのである。
母親は父フレドリック・ロイの秘書をしていたという。いわゆる不倫の関係である。
ダイアンはアントニーを睨みつけると、ぷいとそっぽを向いて、部屋から出た。すると後からソニアが追いかけてきた。
「ダイアン……怒らないで……」
心配そうにそう言うソニアに、ダイアンは笑いかけた。
「ソニアに怒ってるわけじゃないわ。あいつが嫌いなだけよ」
「トニーと仲良くしてなんて言えないけど……」
そう言って俯く親友の悲しげな表情に胸が痛んだが、アントニーを嫌悪する気持ちはどうしても抑えられない。
(卑屈な奴……!)
アントニーは、性格が捻れているとダイアンは感じていた。ソニアの前ではそんな様子は見せないが、いつも他人の上に立ちたがり、すぐに弱い者苛めをする。言い逃れが巧く、自分が悪い立場にならないように、根回しに抜かりない。
そのアントニーが、ソニアに恋をしている一一ダイアンはそれが気に食わなかった。
(あんな奴と結ばれちゃったら、ソニアが不幸になっちゃうわ。徹底的に邪魔してやる!)
ダイアンは傍らのソニアに笑いかけた。つられて笑顔を浮かべたソニアの、その優しい瞳を愛しげに見つめる。
ダイアンはソニアを愛していた。それは恋愛感情だと一一ずっと思っていた。だから護る。誰があんな卑怯者に渡すものか。
その時、玄関の方から甲高い声が響いてきた。女の声である。随分とヒステリックであった。
「何かしら?」
ソニアが声のする方に向かおうとした。ダイアンは妙な胸騒ぎを感じて、ソニアの肩に手をかけて制する。
「ここにいて、ソニア。あたしが見てくるから……」
何となく、ソニアには見せたくない一一そう感じたのだ。ヒステリックな声はまだ続いている。心配そうなソニアにウィンクして、ダイアンは足早に玄関に向かった。
ダイアン達がいるのは二階である。玄関は階段を降りてすぐの所にある。ダイアンが階段に到達した時、その耳朶に鋭い女の声が突き刺さった。
「フレドリックに会わせてよ!」
階段から見下ろすと、広いホールにひとりの女が立っていた。応対しているのは、ダイアンが生まれる前からロイ家に仕えている古参の女中で、ダイアンは“ばあや”と呼んでいた。
“ばあや”は背筋を伸ばして、毅然とした口調で応えた。
「旦那様はお仕事に行かれていてお留守です。どうかお引き取り下さい」
それに対して、女は怒りも露わにまくし立てる。
「だったら、あの女を呼びなさいよ!フレドリックの女房面しているキチガイ女を!」
それを聞いたダイアンは、思わず階段を駆け下りた。そして足音も荒々しく女の前に走り寄る。
女は驚いた顔をしてダイアンを見た。だがすぐにニヤリと笑う。勝ち誇った笑いであった。
「あの女の産んだ娘ね。生意気そうな小娘だ事!」
ダイアンは女を睨みつける。そうしながら、一方では女を観察していた。
緩やかなカールのかかった金髪に青い瞳。すらりとしたスレンダーな体を、いかにも高そうなスーツで包んでいる。年の頃は母プリシラよりも少し上に見える。一般的な基準からすると、美人の部類に入るだろう。だが険のある表情が、その美貌を台無しにしているとダイアンは感じた。
(ママの勝ちね)
この女は、父親の愛人だ。即ち、アントニーの母親である。父親は、アントニーを身ごもったこの女を秘書の職から解雇したのだが、生活の面倒はみていた。アントニーが産まれると、ロイを名乗る事を許して、この屋敷への出入りも自由にした。だが愛人であった女とは、その関係を絶ったと聞いている。
だが一一。
(切れてないからここに居るんだ。厚かましくもママの暮らすここに!)
女はダイアンを見て、ふんと鼻を鳴らした。その仕草も、ダイアンには途轍もなく下品に映る。
「所詮、女の子よ。男を産んだのは私なのよ。跡継ぎを産んだ私が、フレドリックの妻になるのは当然じゃない!」
(何だと!)
ダイアンは怒り心頭になり、足を踏み出した。
(あたしがアントニーに劣っていると!?あいつが跡継ぎ!?)
だが言い返そうとしたダイアンを制したのは“ばあや”だった。年老いた女中は、ダイアンの肩に手を添えて優しい眼差しで制すると、目の前の女に有無を言わせぬ口調で言い放った。
「男であろうと女であろうと、ロイ家では差別は致しません。資質が全て……そしてロイ家の資質を受け継いでいるのは、ここに居るダイアンお嬢様です。残念ながら、あなたのお子様には資質がありません。ロイ家を継ぐのはお嬢様です。それは既に旦那様がお決めになっております」
「お黙り!女中風情が何を言う!フレドリックは男の子を欲しがっていたのよ!それを叶えたのは私よ!」
もう限界だった。この女を一発殴らなければ気が済まない。ダイアンが意を決して拳を握りしめたその時一一。
「みっともない真似はよしなよ。オヤジさんは、もうあんたとは縁を切ってるんだ。贅沢を出来る位のものは貰ってる筈だ。それ以上のものは求めなさんな。でないと自滅するぜ」
女の後ろから聞こえた声に、ダイアンは力を抜く。女はびくりと体を震わせて、ゆっくりと振り返った。
「スティーブン兄さん……」
ダイアンの傍らで、小さな呟きが聞こえた。見ると、いつの間にかソニアが隣に立っている。ダイアンがソニアの手を握ると、ソニアがにっこりと笑って握り返してきた。
(暖かい……)
ソニアに触れると、いつも安心出来た。この娘(こ)は、普通の人とは違う力を持っている。
ダイアンは再び前を見据える。女の後ろ一一開け放たれた玄関から入ってきたのは、背の高い男だった。優しげな表情とは裏腹の、剣呑さを持ち合わせた男は、ダイアンの父親の従兄弟の息子である。スティーブン・ロイ一一まだ21歳の若さではあるが、フレドリック・ロイの直属の配下で、このドームの私設軍の最高司令官である。
「引きな、キャシー・ブレナンさん。さもなくば、今の恵まれた境遇を失う事になるぜ。アントニーもここに出入り出来なくなる。全く……バンタン氏から何を吹き込まれたかは知らないが、馬鹿げた行動は控えた方が、あんたの身の為だよ」
スティーブンの声は穏やかだったが、口調には剣呑さが溢れている。女一一キャシー・ブレナンはスティーブンを睨みつけていたが、不意に目を背けると、ダイアンの背後に声をかけた。
「トニー、いらっしゃい。帰るわよ」
ソニアは振り返ったが、ダイアンは振り返らなかった。じっとキャシー・ブレナンを睨みつけている。
そのダイアンの側をアントニーがすり抜けていく。母親の元へ向かうアントニーの表情は、気遣わしげだった。彼はちらっとソニアを見た。そのアントニーを、ありったけの憎悪を込めてダイアンが睨みつける。
アントニーはぷいと顔を背けた。そして憮然とした表情で、母子は出て行った。
「奥様が買い物に出られていて、ようございました」
“ばあや”が溜め息と共にそう言うと、スティーブンが苦笑いを浮かべて返した。
「あの女には、常に監視を付けているんだ。バンタン議員の配下が接触したって報告があったから、嫌な予感がして来たんだが……大丈夫か?ダイアン」
最後はダイアンへの問いかけだった。ダイアンはにっと笑って、それに応じる。
「大丈夫、平気よ」
うん、声は震えてない。成功だ一一。
「ダイアン……」
でも、傍らの親友は騙せない一一。
心が壊れそうな程、怒りに沸騰している事を一一。
その夜、ダイアンを心配して泊まり込んだソニアと共に、“ばあや”から聞かされた話は、母親の斑に染められた髪の理由だった。
「旦那様は、奥様の髪をそりゃもう讃えていたんでございますよ。それは美しい金色の髪で……」
「金髪?ママは金髪なの?」
様々な色が斑に覆う母の髪は、元が何色なのか分からない。何しろ母は、眉毛まで染めているのだ。だがふと思う。あの斑の中に、金色はあっただろうか。
「おば様の髪……金色はないわ……」
ソニアがそう呟く。その通りだった。赤、黒、茶、白までも彩る母の髪には、元々の色である金色がないのだ。
「あの女ですよ!奥様と同じ金髪を持つあの女が旦那様を誘惑して……同時期に身ごもった事を知った奥様は、ノイローゼになってしまわれて……」
ダイアンは昼間見たキャシー・ブレナンを思い浮かべた。緩やかな金色の巻き髪を一一。
「ある日、髪を真っ黒に染めてしまわれたのです!次の日には赤く、次の日には茶色に……そうしていく内に、あんな風に斑になってしまったのですよ。おいたわしい……」
ダイアンは息を呑んだ。父親が讃えたという美しい金髪一一夫の愛人が同じ色の髪を持つと知った時に、母の心は壊れたのか。
「お嬢様を出産されてからは、落ち着いたように見えたのですが……髪だけは戻りませんでした」
「戻るわけない。ママは父さんを許してないのよ。まだあの女を養ってるし、アントニーはこの家に出入り自由だし……傷が癒えるわけないじゃない!」
ダイアンは歯噛みした。怒りで体が震える。そんなダイアンに、ソニアがぴったりと寄り添った。
暖かい体温と甘い香り一一怒りは消えないが、ソニアの存在はダイアンの心を落ち着かせた。
可哀想なママ一一。
夫の愛人が自分と同じ髪色だと知った時、どんなに苦しんだだろう。
その裏切りの証が、自由にこの家を出入りしている。
未だに苦しみは続いているのだ。
(許さない……)
ダイアンは心の中で呟く。声にしたらソニアが心配する。だから心の中で呪詛する。
(父さんもあの女も……アントニーも許さない……)
呪詛はダイアンの心の中で、熾りのように沈み堆積していく一一。
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