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灯籠流し〜夏のショートストーリー『黄泉の優しい渡し守』その1

 

ゆらりゆらゆら
水面(みなも)に揺れて
ゆらりゆらゆら
いのちの灯(ひ)
おしょろうさんが川を来る
あの世の川からこの世の川に
ゆらりゆらゆら
流れ来る

おしょろうさんが還って来る






(人の出入りする音が煩い)

 歩美は腕の中のモノを強く抱きしめた。
 この三日間、日頃は家族三人しかいないこの家に、入れ替わり立ち替わり人が出入りしている。
 歩美は二階の自分の部屋に閉じこもって、人の気配を感じていた。

(今年は翔太の初盆だから仕方ない) 

 歩美は嘆息して、腕の中のモノを更に強く抱きしめた。







 歩美と二つ違いの弟一一翔太は、半年前に死んだ。
 家族旅行の自動車事故一一高速道路での玉突き事故に巻き込まれて、翔太だけが死んだのだ。
 まだ10歳一一。
 明るく賢い弟の死に、両親は嘆き悲しんだ。

(あたしが代わりに死ねばよかったんだ)

 歩美はそう思う。

(だって、お父さんもお母さんも、あたしより翔太が好きだったんだもん)

 小さい頃からそう感じていた。両親は自分より弟を可愛がっている。だっていつも、翔太の味方ばかりしていたのだから。

(あたしじゃなくて、翔太が死んだんで、がっかりしてるんだ)

「それは違うよ、あーちゃん」

 その声に顔を上げると、目の前に一一。

(おばあちゃん)

 歩美の祖母がちょこんと座っていた。

「お父さんとお母さんは、あーちゃんもしょうちゃんも二人とも大好きなんだよ。だからそんな事、言っちゃ駄目だよ」

(あれ?あたし、心の中で思ってたんだけど、知らない内に、喋ってたんだ)

 優しい祖母は、歩美と翔太をとても可愛がってくれた。歩美はこの祖母が大好きだった。

(おばちゃん……だってね、翔太が死んでから、お父さんとお母さんはあたしを無視するんだよ)

 歩美がそう訴えると、祖母は悲しそうに俯いて、着物の袖を目頭に当てた。
 それは本当だった。翔太が死んでから、両親は歩美に話しかけてこなくなったのだ。夜になると仏壇の前に座って、二人して泣いている。昼間は毎日出かけている。歩美を一人残して一一。
 だから歩美は、部屋に閉じこもるようになった。ずっと学校にも行っていない。

「それは何だい?」

 祖母が訊いてきた。どうやら歩美が抱きしめているモノの事らしい。
 歩美は自分の腕の中を見た。抱えているそれは、ぼんやりとした丸い形をしている。何であるのか、歩美にも分からなかった。

「ああ……それが翔太君だね」

 歩美は弾かれたように顔を上げた。突然、祖母とは違う声が耳に飛び込んで来たからだ。

(誰っ!誰なの!?)

 歩美はまなじりを吊り上げて、前方を凝視する。すると、ちょこんと座った祖母の隣に、もう一人座っているのに気がついた。
 小柄な祖母より高い位置に頭がある。目を凝らすと、どうやら若い男である事が分かった。
 それにしてもどうした事か。この部屋は、まるで霞がかかったようになっている。こんな風に目を凝らさないと目の前がよく見えないのだ。
 歩美はその男に違和感を覚えた。正確に言うと、その男の顔にだ。
 すぐに違和感の原因が分かった。男の右目の上が、薄汚れた布に覆われているのだ。どうやら頭の後ろで結ばれているらしい。布の上には、ボサボサの前髪が垂れていた。
 男は歩美に笑いかけた。歩美は警戒心丸出しで、男を睨みつける。そして腕の中のモノを、守るように抱きしめる。

「そんなに睨みつけないで……。僕は怪しい者じゃないよ」

 そう言われたが、どう見ても怪しい風貌である。目を覆う布もそうだが、服装も普通ではない。男が着ているのは、着物なのである。今時、若い男が着物姿というのも変であるが、その着物がヨレヨレで右目を覆った布と同様に薄汚れているのも頂けない。
 歩美は男の顔を見た。片目は見えないが、残った顔(かんばせ)は優しい表情を称えている。悪い人間には見えない。

「歩美ちゃん。抱えているものをよく見てごらん」

 男からそう言われて、歩美は腕の中のモノを見下ろした。

 丸い形のそれは一一。

(サッカーボール……翔太のサッカーボールだ)

 翔太の将来の夢は、サッカー選手だった。毎日、地元の少年サッカークラブで泥だらけになりながら、サッカーに打ち込んでいたのだ。試合のある日は、両親と一緒に試合を観に行っていた歩美だったが、本当は行きたくなかった。両親はいつだって、翔太の為ならなんでもしたからだ。父親は仕事まで休んでいた。

「翔太君のサッカーボールだね。それが、翔太君の御霊なんだ」

 男の言葉に、歩美は首を傾げた。

(みたま……?)

「魂の事だよ。事故が起こった時、翔太君の魂がそのサッカーボールに移ったんだ。だから翔太君は目を覚まさない。体が生きていても、魂がないからね」

(目を覚まさない?どういう事?翔太は死んだのよ)

 男の言う事は、訳がわからなかった。ふと見ると、祖母はボロボロと涙を流して歩美を見ていた。
 男が立ち上がった。そして歩美に向かって右手を伸ばしてくる。

「おいで、歩美ちゃん。本当の事を知ろう。いつまでも、こんな所にいちゃ駄目だ。おばあちゃんが心配してるよ」

(おばあちゃん)

 だが一一男の隣に座っていた筈の祖母は、いつの間にかいなくなっていた。
 歩美は恐る恐る男の手を握った。暖かい温もりが伝わってくる。そこで気づいた。自分の手が、痛いくらい冷たくなっているのを一一。

「こんなに冷えて……早く渡らないと、凍えて氷霊になってしまうよ」

(こおりだま?)

「魂が凍ってしまって、その場から動けなくなってしまうんだ。未練や執着心は魂を凍らせてしまう。そうなったらもう、向こう側には渡れない」
 本当に男の言う事は、意味が分からない一一そう思いながら立ち上がった歩美が周りを見回すと一一。

(あれ?)

 そこは、今までいた自分の部屋ではなかった。相変わらず霞みがかった視野一一その向こうに見えるのは一一。

(お父さん、お母さん……)

 父親と母親の背中が見える。歩美は声をかけようとして、すぐに止める。このところずっと、両親に話しかけるのを躊躇していた。何故かは分からないが、どうしても言葉が出てこない。
 どうやらここは、仏間のようである。初盆なので、両脇には盛り籠が置かれている。仏壇の側には、盆の最終日に川に流す灯籠が置かれていた。
 この地方では、お盆の13日にご先祖様を迎えて、15日に送る風習がある。その時に、川に灯籠を流すのである。日本全国で似通った風習がある事を、歩美は祖母から聞かされていた。祖母はご先祖様の事を、“おしょろうさん”と呼んでいた。

(お盆は魂の帰省ラッシュ……おばあちゃんはそう言ってたっけ)

「魂の帰省ラッシュ?上手い事言うね」

 男がそう言って、その場に正座した。そして目の前の仏壇に向かって両手を合わせる。目の前の両親も、手を合わせていた。

(おばあちゃんが言ったの。おばあちゃんはどこ?)

 歩美が祖母の姿を探して周りを見回すと、男がそっと腕に触れてきた。

「あそこ……見てごらん」

 そう言って指差す方向を見ると、何枚かの写真が並んでいた。歩美の祖父や曾祖父母の遺影である。祖父は戦死したので、写真は若い。そして祖母は一一。

(おばあちゃん?)

 祖父の写真の隣に飾られているのは、さっき歩美の前にちょこんと座っていた祖母の優しい笑顔の写真だった。

「おばあちゃんは3年前に亡くなったよね」

(だって……さっきいたもん……座ってたもん)

 歩美は狼狽した。腕に抱えたサッカーボールを胸に押し付けて、男を縋るように見つめた。男は静かに頷いて、今度は正面を指差す。
 目の前には、仏壇の前で手を合わせている両親の姿。そして仏壇にかざられているのは、亡くなった翔太の写真一一。

(違う……翔太じゃない……あれは……あれは……)

「そうだよ。あの事故で亡くなったのは翔太君じゃないんだ。亡くなったのは……」






(あたし……?)
 
 
 
 
 
【続き】
 


灯籠流し〜夏のショートストーリー『黄泉の優しい渡し守』その2

 

 運転していた父親が気づいた時は遅かった。目の前には玉突き事故を起こした車が数台。そこに猛スピードで突っ込んだのだ。
 後部座席で、歩美と翔太は喧嘩の最中だった。言うことをきかない翔太に腹を立てて、歩美はサッカーボールを取り上げた。それを取り返そうと翔太が身を乗り出した時に、車が衝突したのだ。 運転席と助手席は、衝撃でエアバックが膨らんだ。翔太は背中を運転席の座席にぶつけて後頭部を強打。そして歩美は一一。

(投げ出されたんだ……翔太のサッカーボールを抱えたまま、車の外に……)

 衝突のはずみでドアが開いた。そこから投げ出された歩美は、道路に叩きつけられて即死だった。
 歩美はペタンと座り込んだ。死んだのは自分の方だった。それを初めて自覚した瞬間だった。

「君に訪れた死はあまりにも突然だったから、自分が死んだ事が分からなかったんだね。だからここに留まった。それを心配したおばあちゃんが、渡し守の僕に君を連れて行きたいって頼んできたんだ。だから僕はここに来た……君を迎えに来たんだよ」

(おばあちゃんが?渡し守って何?)

 茫然としながらも、歩美は男の説明に耳を傾ける。ふと傍らを見ると、そこにはいなくなった筈の祖母が、またちょこんと座っていた。

「あーちゃん……あーちゃんがいつまでたっても渡って来ないから、お盆の帰省船の渡し守さんのこの人に、連れて行きたいって頼んだんだよ。おばあちゃんが声をかけても、歩美ちゃんには聞こえないからね。渡し守さんがいれば、この世に留まる霊と話が出来るんだよ」

(帰省船の渡し守?)

 歩美は男を見た。男は穏やかに微笑んでいる。心が落ち着いてくるような、優しい笑みだった。
歩美の体から力が抜ける。

「命あるものは、死んだ後にあの世に通じる川を渡るんだ。僕はその渡し船の船頭だよ。最近じゃあの世の冥界も人手不足でね。僕は船頭の他に、君のような迷い霊を見つける仕事もしている。今回は君のおばあちゃんから依頼があったから来たんだよ」

(翔太は?翔太はどうなったの?このサッカーボールが翔太なの?)

 歩美は手にしているサッカーボールを男に示した。さっき男が言っていたではないか。事故が起こった時、翔太の魂がサッカーボールに移った。だから翔太は目を覚まさない。

「翔太君は、事故以来ずっと意識不明で病院にいるんだ。君のご両親は毎日病院に通っているよ。家に帰ってきたら、あんな風に仏壇の前で手を合わせて泣いているんだ。この半年の間、ずっとね」

 歩美は両親の背中を見た。心なしか細くなったように見える母親の肩が、微かに震えている。泣いているのだ。

「君に声をかけてこないのも当たり前だよ。だって君は死んでるんだから……。ご両親には姿が見えないんだ。でも君を思って……ずっとずっと悲しんでるんだよ。君はご両親からとても愛されていたんだ」

「子供を愛さない親なんかいないよ。二人共、心が押しつぶされそうになってるよ」

 祖母がそう言って着物の袖で目を覆った。
 男が歩美の持っているサッカーボールにそっと触れて諭すように話しかけてくる。

「歩美ちゃん。君を失って……ご両親は深く悲しんでいるんだ。この上、翔太君まで死んでしまったら、二人共立ち直れなくなるよ。それは嫌だろう?だから翔太君の魂を戻そう」

(どうするの?どうすれば、翔太の魂を戻せるの?)

 歩美は立ち上がって男の腕にすがりついた。自分は死んでしまったから、悲しいけど仕方ない。でも翔太はまだ戻れるのである。
 男はサッカーボールを指差して、にっこりと笑った。

「君は優しいね。簡単だよ。弟さんを思いながら、そのサッカーボールを投げるんだ。そしたら翔太君はきっと受け取ってくれる。大好きなお姉ちゃんからのパスだからね」

(大好きなお姉ちゃん?喧嘩ばっかりしてたのに?)

 事ある毎に衝突していた自分と弟を思い出す。弟が自分を好いていたとは思えない。

「翔太君はお姉ちゃんが大好きだよ。だから魂がサッカーボールから離れないんだ。自分がこの世に留まったら、君が独りになってしまうって思ってるからだよ。翔太君は君の側にいてやりたいんだ」

 そう言われて歩美はサッカーボールに目を落とす。事故に遭った時に付いたのだろう一一あちこちに傷があるが、潰れてはいない。

(翔太……)

 憎らしいばかりだと思っていたが、側にいないと寂しかった。隣にいるのが当たり前だったやんちゃな弟一一。

(ごめんね、翔太……お姉ちゃんはもう死んじゃったんだ。だからもう喧嘩も出来なくなっちゃった)

 歩美は、仏壇の前で手を合わせている両親の背中を見た。
 歩美を失った上に、翔太はずっと意識不明なのである。ふたりの背中は憔悴しきっていた。

(お父さん、お母さん……もう泣かないで……翔太を返すからね。もう大丈夫だよ)

 歩美は男を見た。男は笑っている。その笑顔を見ていると、不思議と穏やかな気持ちになってくる。
 次に祖母を見る。祖母は泣いていた。まだ子供なのに、死んでしまった歩美の事を思って泣いている。
 その時、祖母の隣に座る人影に歩美は気づいた。まだ若い男だった。あれは一一。

(おじいちゃんだ)

 戦死した歩美の祖父は、ボロボロと泣きじゃくる祖母の肩を優しく抱いている。そして歩美の視線に気づいて、笑いかけてきた。

「君はだんだん向こうに渡る準備が出来てきたんだ。だから、ほかの霊が見えてきたんだよ。おじいちゃんの他にも、ご先祖様がわんさか還ってきているんだ。賑やかだよ」

 男がそう言って両手を広げた。すると歩美の耳にたくさんの人の話し声が聞こえてくる。ふと傍らを見ると、5歳位の小さな着物を着た女の子が、歩美を見上げていた。歩美が見つめると、女の子はにっこりと笑った。

「その子はおばあちゃんの妹だよ。小さい頃に病気で死んだんだ」

 祖母がそう言うと、女の子は歩美の手を握って、

「お姉ちゃん、遊ぼ」

 と甘えたようにすり寄ってきた。

(おばあちゃんの妹からお姉ちゃんって呼ばれちゃった)

 歩美は嬉しくなった。悲しいのに嬉しい一一不思議な気持ちだった。
 徐々に周りの様子がはっきりしてくる。仏間の中には色々な時代の服装をした、老若男女がたくさん集まっていた。


 お盆は魂の帰省ラッシュ一一。


「歩美ちゃんはラッキーだね。お盆の灯籠流しと一緒に向こう側に渡れる。賑やかだよ。寂しくないよね」

 男がちょっとおどけた口調で言うと、周りから笑い声が起こった。歩美も釣られて笑う。

「さあ……翔太君にボールを投げてあげよう。お父さんとお母さんに翔太君を返そうね」

 男の言葉に歩美は頷く。そして目の前の両親の背中に向けて、手にしたサッカーボールをポンと投げた。



 刹那一一。



 仏壇の向こう側に、体中にチューブを刺されてベッドに横たわる翔太の姿が垣間見えた。



 そして一一。



 その横たわる体の上に、体が透けた翔太の姿が見えた。


(透け透け翔太……命を返すよ。お父さんとお母さんを頼むね)

 透けた体の翔太が、空中から現れたサッカーボールを受け取る。途端にその姿が掻き消えた。ベッドの上の姿も、歩美の前から消える。



 そして一一。



 電話のベルが鳴り響いた。






 気がつくと、そこは川べりだった。いつの間にか移動したようである。
 周りには人がたくさんいた。歩美は不安になって辺りを見回す。と、歩美は肩をポンポンと叩かれた。振り返るとそこにはあの男一一渡し守と祖母、若い姿の祖父に仏間にいたたくさんのご先祖様達が、歩美を囲んでいる。
 渡し守は川を指差した。見ると何艘かの小さな船が浮かんでいる。

「渡し船だよ。もうすぐ灯籠流しが始まるんだ。ほら、歩美ちゃんのお父さんとお母さんもいるよ。どうやら病院から駆けつけたらしいね」

「病院から?あ……」

 歩美は口を押さえた。今まで心の中で思っていた言葉が、口をついて出てきたのだ。

「歩美ちゃんは“精霊”になれたんだ。だから言葉が出るようになったんだよ。もう僕がいなくても、おばあちゃん達と喋れるよ。よかったね」

「あーちゃん……やっと向こうに渡れるね。“おしょろうさん”になれたんだ。ほら、船に乗ろう」

 祖母が歩美を促す。横に立っている若い祖父は、照れくさそうに歩美に笑いかけている。無理もない。祖父は歩美どころか、息子である歩美の父親の顔も知らないまま戦死したのだ。
 歩美は川に浮かぶ船を見た。そして不安になる。船は小さかった。とてもじゃないが、この人数が乗れるとは思えない。
 歩美の表情に気づいた渡し守が、安心させるように船の縁に手を乗せて、歩美を導いた。

「大丈夫だよ。見かけより広いんだ。大勢乗っても、沈みゃしないよ」

 歩美は導かれるままに、船に足を踏み入れた。すぐに他の者も乗り込んでくる。渡し守の言う通り、何人乗っても船は満員にはならない。
 どうやら全員が乗り込んだらしい。見ると、ほかの船にも人影が乗り込んでいく。

「ほら、歩美ちゃん。お父さんとお母さんが君の灯籠を流すよ」

 最後に乗り込んできた渡し守が、櫂を手にして向こうを指差す。歩美が見ると、川べりに集まった人々が、それぞれ手にした灯籠を流し始めていた。その中に、歩美の両親がいる。二人はほんのりと灯火(ともしび)の灯った灯籠を持っている。そして、大事そうに二人で抱えた灯籠を、そっと川に流した。


ゆらり一一。


 たくさんの灯籠が川を流れる。渡し守は船を出して、その中を進む。


ゆらゆら一一。


「病院から来たって言ってたね。翔太は目を覚ましたんだね」

 櫂を漕ぐ渡し守に歩美が尋ねると、あの一一心が穏やかになる笑みと共に答えが返ってきた。

「うん、もう大丈夫だよ。まだここには来れないけどね」

「よかった……でも、あたしはお別れなんだ……」

 歩美は流れてくる自分の灯籠と、遠くなっていく両親を交互に見て、寂しそうに俯いた。その歩美の隣に、いつの間にか若い姿の祖父が立っている。歩美が祖父を見上げると、そこには優しい笑みがあった。父親によく似ている。その傍らにいた祖母が、小さく首を振って言う。

「さよならじゃないよ。また来年還ってくるんだ。だからね、あーちゃん……」

「また、来るよ……」

 それは祖父だった。照れくさそうにやっと絞り出したような声だった。

「また……来るよ……」

 歩美が呟く。


 また来年一一。
 また来るよ一一。
 また……還って来るよ一一。


「還ってくるのが魂の帰省ラッシュなら、今は魂のUターンラッシュだね。来年も是非、僕の船に乗船して下さいな」

 渡し守がおどけた口調で言うと、周りから笑いが起こった。歩美も笑う。祖母も若い姿の祖父も笑う。
 賑やかに賑やかに、この世の川からあの世の川に、渡し船はゆっくりと進む。






ゆらりゆらゆら
水面(みなも)に揺れて
ゆらりゆらゆら
いのちの灯(ひ)
おしょろうさんが川を行く
この世の川からあの世の川に
ゆらりゆらゆら
流れ行く

おしょろうさんが黄泉に向かう




また還って来るよ一一。






       ―完―
 
 



【あとがきのようなモノ】
 


灯籠流し〜夏のショートストーリー『黄泉の優しい渡し守』その3

 
【あとがき一一のようなモノ】


灯籠流し〜夏のショートストーリー『黄泉の優しい渡し守』は、★ケータイ小説blog交流館★〜あとまふ堂〜様にて開催されている、《第二回Emerald☆Contest》のエントリー作品です。

テーマは夏。
夏といえばお盆。

本日、ワタシの家でも迎え火を焚いてお墓参りに行きました。

“おしょろうさん”のご帰還です。

地方によっては呼び名が違いますが、お盆の3日間はご先祖様をお迎えしますね。

最近は核家族化が当たり前になって、こんな風習も廃れているのかしら。
会社の若い子は、ご先祖様は勝手に仏壇に還って来るなんて思っていたらしいですが(だからお墓参りは1回しかしないと)、ちゃんと迎えに行ってあげないと、ご先祖様は自力では還っては来ません。迎えに行くお墓参りの帰りと、送って行くお墓参りの行きは、寄り道をしてはいけないと言われていますが、これはご先祖様が迷子にならない為なんです。
ご先祖様は方向音痴なんですね(笑)

さて、この作品は、ワタシの別の創作シリーズの1作として書きました。
それが、『黄泉の優しい渡し守』です。
だから説明されてない事も多々あります。

渡し守の右目は何故、布で覆われているのか、その他細かい設定など。


一応、独立して読めるようにはしてあるつもりですが。

お盆に“おしょろうさん”(私の住む地域では、ご先祖様の事をこう呼びます)を迎えて、家で寛いでもらう一一これは日本のとても優しい風習だと思います。
私達はそれを廃れないように、子孫に伝えていかなければならないでしょう。


拙い文章に付き合って下さり、ありがとうございました。



     月乃みと 拝
 


【追記】

灯籠流し(灯篭、精霊流し)とは、ご先祖様を送る送り火です。

今年も御巣鷹山の裾野の川に、たくさんの灯籠が流れていきました。

長崎でも、精霊流しの灯がたくさん下っていきます。

仄かに灯る灯火は、この世で一番優しい灯り。

それは命の灯りです。


長崎といえば一一。

この時期になると、思わず口ずさんでしまうのが、さだまさしさんの『精霊流し』です。
この悲しく切ない、それでいて心が温まるような歌詞と曲は、毎年私の心を震わせるのです。



線香花火が見えますか
空の上から一一。
 
 

『私は彼を知っている』〜バレンタイン・ショート・ストーリー


 私は彼を知っている。
 彼の全てを知っている。

 彼の誕生日。
 彼の血液型。
 彼の家族構成。
 彼の好きな食べ物、嫌いな食べ物。
 彼の友達。
 彼の得意な科目、苦手な科目。
 彼が登校してくる時間。
 彼が下校する時間。

 彼の癖。
 彼の仕草のひとつひとつ。
 
 私は彼を知っている。
 高校の入学式で初めて彼を見た瞬間から一一。
 この2年間、ずっと彼を見つめていたから一一。

 彼が登校してくる時間に私も登校する。学校の手前20m一一私は彼の後ろからついて行く。そのほんのわずかな間が、1日の内で一番幸せな時間。



「ねぇ、今年はチョコレート渡すんでしょ?」

 その声に顔を上げると、親友の佳奈が私をのぞき込んでいた。

「どうしようかな……」

 躊躇いがちな私の言葉を聞いて、佳奈が呆れたように言う。

「駄目よぉ、ちゃんと渡さなきゃ……。去年なんか、せっかく手作りしたのに、結局渡さなかったじゃない。今年こそは渡さなきゃ!」

 彼を知ってから、2度目のバレンタイン・ディがやって来る。去年は徹夜で手作りしたチョコレートを、どうしても渡せなかったのだ。

「佳奈はどうするの?やっぱり手作り?」

 そう尋ねると、佳奈はにこにこ笑いながら頷いた。
 幼なじみの佳奈には、高校に入ってから知り合った、ひとつ年上の彼がいる。生徒会長をしているその彼は、全校の女生徒の憧れだ。だが、佳奈をやっかむ者はいない。何故なら、佳奈はとても綺麗だからだ。しかも性格もよくて、面倒見がいい。同性からも異性からも親しまれている。二人はみんなが認めるベストカップルなのだ。
 佳奈は私の肩をポンポン叩いて激励する。

「頑張りなよ。あたしも協力するからさ。あんた可愛いんだから、きっと両想いになれるよ」

 私は力なく笑う。親友の励ましによって、私は力づけられるどころか、ますます後ろ向きな気分になった。私はこんな風に、いつも自分に自信が持てない。


 私は彼を知っている。

 気がつくと、いつも彼の姿を目で追っている。

 切ない切ない片思い。


 バレンタイン・ディ当日。
 私は昨夜の内に作ったチョコレートを持ってきた。だけどやっぱり渡せない。チョコレートは鞄に仕舞われたまま、時間は刻々と過ぎていく。
 終礼のチャイムが鳴り、周りの生徒達が慌ただしく動き出す。中には意中の相手に、チョコレートを渡す段取りをしている者もいる。だけど私はチョコレートを仕舞ったまま、帰り支度を始めた。

 その時一一。

 後ろから肩を叩かれた。振り返った私の目に映ったのは、満面の笑みをたたえた佳奈だった。

「チョコレート持ってきたんでしょ?ちょっとおいでよ」

 答える暇(いとま)も与えてくれず、佳奈は私の手を引いて教室から連れ出した。

「ねぇ、どこに行くの?」

 佳奈に手を引かれながら、不安に駆られた私はすがりつくような口調で佳奈に尋ねる。佳奈は黙って早足で進んでいた。
 やがてたどり着いたのは、校舎の裏手の中庭である。そして、そこには一一。

「呼び出したのよ。ほらぁ、チョコレートを渡しなさいよ」

 いつも見ている彼の姿が、中庭の真ん中にぽつんとあった。私は驚いて声も出ない。

「ちょっと、どうしたの?」

「……駄目……足が動かない……」

 やっと絞り出した声は震えていた。佳奈は固まってしまった私を見て、肩をすくめる。そして突然、私の鞄の中に手を突っ込んで、包装したチョコレートの包みを取り出した。

「あ……」

 私が止める間もなく、佳奈はチョコレートを手に、彼に近づいていった。彼が佳奈に気づく。佳奈がチョコレートを差し出しと、彼は驚いた顔をしてそれを受け取った。
 すぐに浮かんだ嬉しそうな笑顔を、私は見つめる。

 私の大好きなその笑顔は一一。

 佳奈が私を指差して何かを言った途端に、掻き消えた。
 佳奈が笑いながらこちらに戻ってくる。相変わらずの綺麗な顔。

 私は一一。

 その時初めて、佳奈に憎しみを感じた。

 私は後ろを振り返る。佳奈の呼びかけが聞こえたが、無視して逃げるように その場から走り去った。


 私は彼を知っている。

 彼の全てを知っている。

 だって、ずっと見つめていたから。

 彼の一一好きな人も知っている。

 いつの頃からか、彼は私の方を見つめていた。彼の視線を感じた私は、思わずときめいた。
 だが、ついとその視線が外される。

 そして私は気づいてしまった。
 彼が見つめていたのは、私ではなくて、私の側にいた一一。

 佳奈一一。




 私は彼を知っている。

 大好きだから、何でも知りたかった。

 ただ見つめるだけで、幸せだった。

 でも一一。



もう明日からは、彼を見つめる事は出来ない。



       ―完―
 

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プロフィール
月乃みとさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 12月15日
系 統 普通系
血液型 O型