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終わったり始まったりもしない




感情に任せて書いたので閲覧には注意が必要です






こんなにつらい思いをしなければならないのなら記憶ごと消し去りたいね、、、こりゃトラウマのはじまりかね、、、
昔に住んでいた町をグーグルマップで散策しました。きっかけは閉鎖的な村についてのなんかのまとめサイトを見て、ああそういえば私の町は…?と思ってグーグルマップ。
こんなに悲しいやりきれない気持ちになるとは思わなかった。私が住んでいた家も私が通っていた小学校も見慣れた風景もなにもなくなっていた。田舎の町だし、友達も多くないし、さっさと都会に出たいと思って思い入れもないと思っていたのに、いざ失ってみるとこんなにつらいものなのか。もうなくなってから3年も経っているのに。そこに住んでいないのが悔しい。住んでいたって何もできないのに。なくなってから気づく大切さってか。かなしい。持っていても必要ないよって本当に思う、いらない物なのになくなったらこんなに苦しい。そんなのずるい。 それがふるさとってか。
二番目の街が私のふるさとになりつつあって、もう忘れかけていたのに、思い出しちゃう、かなしい。
唯一の希望は中学生の時に埋めたタイムカプセル、、果たしてみんな集まるのか、果たして覚えている人はいるのだろうか、昔の同級生の情報ってググっても出てくるもんでもないから知りようがないからどうにも苦しい。聞く友達もいない。
たまに震災の、津波の動画をぼんやり見てしまうことがあったけど、自分の町を思い出すことも危険だと思った。悲しくてやりきれない。
結局、今住んでいるところなんて今までの私の人生に全く関係がない。
いわゆる実家も育った街ではない
本当のふるさとは波とともに消えた
むなしい


虚しすぎて死にたくなる、この憂鬱に人を巻き込むのがどうにも虚しいし、身勝手だから感情にまかせてキーボードたたいた、前よりもタイピング早くなったから、パタパタ打てて心地が良い、ここで吐き出すのもある意味身勝手かねえ

何も考えたくない、かなしい記憶なんていらない。

「しあわせに育ってきたんでしょ」かあ、人のかなしみって比べられないね、比べられたら楽になるのかな
目で見えた方がかなしむのもがんばるのも楽にできるのかな
わたしにとっての最大のかなしみ、あの子にとっては?
あの子にとっての最大のかなしみ、わたしにとっては?
全部「自分の」だからかなしみはかなしみになる、ひとの記憶なんて自分のものにできない

そうね





鉄壁
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