【共感の心も/〔パラミタスクール〕】
(五)
「みなさんのそれぞれに何菩薩を目指すのかという目標が決まったところで、次の話に移りますね。
次は〔六波羅蜜〕というテーマです。」
私が言うと、
「ロクハラミツ?
何ですか、それって。何かパラミタに似てるみたいですが…。」
と、阿椰が言った。
「はい、六波羅蜜の波羅蜜は、パラミタのことで、パラミタを達成するためには、六つの実践すべき課題があるってことなんですよね。」
と、私は応え、言葉を続けた。
「如何なる菩薩になるにしても、みんな六種類の実践に取り組まねばならないということなんですよね。」
「六つの実践?
それって、滝に打たれるとか、険しい山道を歩くとか、暗い洞窟で坐禅を組むとか?」
阿椰の発想は面白い。
実践というと、そういう山岳修行、修験道みたいな修行を想い浮かべるのが普通なのかも知れないなと私は思った。
「確かにそういう修行もあるかも知れませんが、それは特殊な修行であって、誰もが追求できる菩薩への道である六波羅蜜にはそういうものは含まれてはいないんですよね。」
と、私は言った。
「私の場合、書道を追究し、書道菩薩になることが目標だとして、そのためには必須の実践なんですね?」
朝かが訊いた。
私は頷きながら、話を進めた。
「六つの実践を列挙しても意味がありませんので、その一つ一つについて考えていきましょうか。
その第一は、〔布施〕という実践です。」
「布施って、法事に来たお坊さんに渡すお金のことだよね。」
と、阿椰が言う。
「それもお布施って言うけれど、布施の心って言葉があるくらいだから、そうじゃなく、ボランティア精神みたいなことしゃないのかなぁ。」
と、薬師野が呟くように言った。
「私、聞いたことあるんですが、笑顔で対応するのも布施の一種みたいなんですが…。」
そう言って日霞が私を見た。
「此処では余り仏教的な教義などに囚われずに勉強したいと思っていますので、大まかにお話しますが、布施というのは、薬師野さんのが言ったようにボランティアに近い感じですね。
困っている人たちのために寄付をする、募金をするといったことも布施になりますし、実際に現地に行って具体的に作業を手伝うのも布施になります。
その場合、自分の持っている職人的な技術や能力を提供することも布施ですね。」
「困っている人の役になるってことだね!」
わかったとばかりに阿椰が言った。
「その時にね、よく見かけるでしょう?
何十万円、何百万円寄付しましたって渡しているところの写真が新聞に載っているの。
あれはね、寄付が目的ではなく、寄付している私や私の会社や団体、組織を見て下さいと言っている訳で、いわゆる売名行為に思えるんですが、あれは布施には当たらないんだと思いますね。」
「そうそう、何か汚い臭いがプンプンするのよね。」
と、日霞が同調した。
「何か、昔、CMがありましたよね、男は黙って…ってヤツ。
それですね。」
そう薬師野が笑って言うと、
「それって、ビールか何かじゃなかったかしら?」
と、日霞が笑い返した。
「CMの話はともかく、その行為の中に、打算とか損得とか、そういった思惑があっては布施にはならない、そういうことですね。」
と、私は言った。
「さっき、日霞さんが言った笑顔も布施だというのはどうなんですか?」
阿椰が訊いた。
「笑顔にも通じるんですが、悩んでいる人、落ち込んでいる人の傍に居て、話を聞いたり、一緒に泣いたり、或いは病気で苦しんでいるひとの背中を撫でてあげたりなど、不安とか怖れとかを和らげてあげる行為も大事な布施になるんですね。
「何だか観音様みたいだわ。」
と、阿椰が言った。
「書道菩薩になるにも観音ざまのような心がいるってことですね。」
と、日霞が言うと、阿椰が
「家事をするにもね!」
と、笑って言った。
「ご存知かも知れませんが、観音様が祀られているお寺の御朱印などに〔大悲殿〕などと記されているのがあるんですが、その〔悲〕というのは悲しいという意味ではなく、共に悲しむ、共感するという意味で、観音様のことを指しているんですが、そういった慈悲の心も布施に当たるでしょうね。」
「そうかぁ、菩薩になるには、利己的ではダメで、常に困っている人の心に寄り添っていくってことかぁ。」
と、私の言葉に薬師野が天井をみながら、また自分に言い聞かせるように呟いた。
(つづく)