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消えた女性

【消えた女性/ピクシー物語・1】

 「お一人ですか?」
 不意に女性の声が中田の耳に飛び込んできた。
 中田が振り返ると、水色のワンピースに白いショールを肩に掛けた女性がにこやかな目を中田に向けていた。
 「隣に座らせて戴いても構いません?」
 中田の返事を待たずに女性は中田の横に腰を降ろした。
 中田は京都某所の方丈の廊下に座り、庭を眺めていたのだ。
 中田は独りで旅をするのが好きだった。
 中田はその寺で音もなく流れる時間を楽しむべく、今日も朝から名神高速を使い、その寺に来たのだった。
 中田は三十歳を前にした頃から、セールスマンという仕事の将来に不安を感じ、仕事を辞めようと考え出していた。
 そして、その頃から坐禅に関心を持ち、近所のお寺で開かれている日曜朝の座禅会に参加するようになっていたのだ。
 中田と女性は黙したまま庭に目を向けていた。
 「落ち着く庭ですわね。」
 しばらくして、女性が呟くように言った。
 中田は返事をすることなく静かにその場を離れた。
 そして、廊下の隅に行った中田は、カメラのファインダー越しに女性を見た。
 中田は寺院の建物や庭の写真を撮ることを旅の楽しみの一つにしていた。
 波模様に掃かれた白砂の中に無作為に置かれた数個の石で造られた庭と黒く光った廊下、そこに座るやわらかな水色の女性の後ろ姿が絵になっていた。
 構図を決め、中田はシャッターを押した。
 次の瞬間であった。
 中田の目が止まったのだ。
 ファインダー越しの風景の中から一瞬にして女性の姿が消えたのである。
 中田はカメラから目を離した。
 しかし、やはり、方丈の廊下に女性の姿は無かったのである。
 「あれもピクシーだったのか」と、中田は心の中で呟いた。
 ピクシーとは、中田の前に時々現れる妖精である。
 それが現実に存在する妖精なのか、それとも中田の脳裏に潜んでいる幻影なのかは定かではない。
 しかし、中田はピクシーを信じていたのだった。
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