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静観愚想/心と気功〔一〕

【静観愚想/心と気功〔一〕

◆法話や講演は役には立たない

 CDやYouTubeで仏教の様々な宗派の僧侶の法話や講演などを聴いた。
 大抵は、不安や焦り、怒りや悲しみなどといったような「心」を扱った話だ。
 要するに、自分の心の状態を如何にしてコントロールしていくのかという話なのだが、それを「考え方」や「心の持ち方」で解決しようとしているのだ。
 しかし、心は「考え方」や「心の持ち方」では解決出来ない。
 それは、仏教修行に用いられている言葉を見れば判る筈だ。
 その言葉とは、禅定で在り、涅槃で在り三昧である。
 それらは全て、仏教的な修行、即ち坐禅や瞑想による修行によって到達し得る心境なのだ。
 その心境を獲得するには「考え方」や「心の持ち方」は不要なのである。
 「考え方」や「心の持ち方」で心をコントロールしようとすれば、それは結局のところ、「こう考えねばならない」とか「こう思った方がいいんだ」と自分に言い聞かせ、自分の心を押さえ、自分を諦めさせるということにならざるを得ない。
 それはかえってストレスを生む。。
 つまり、心は「考え方」や「心の持ち方」では解決し得ない訳で、従って、法話や講演は、その場での理解と、少しの間の心の安定にはなったとしても、心をコントロールする決め手にはならないのである。
 要するに、コントロールしなければならないような心になるから、その心をコントロールしなければならない訳で、そのコントロールしなければならない心は「考え方」や「心の持ち方」ではコントロール出来ないということなのである。

静観愚想/伊勢神宮・内宮(三)

【静観愚想/伊勢神宮・内宮(三)】

 僕は伊勢神宮の内宮の中でも天照大神の和御魂(にぎみたま)の祀られている正宮より、荒御魂(あらみたま)が祀られている荒祭宮(あらまつりのみや)の方が好きである。
 僕は神楽殿から正宮に向かう参道の途中から道を左に取り、足を荒祭宮に向けた。
 その入り口には風日祈宮にあった杉の巨木に匹敵する大木があり、路にはみ出しているためか、大抵の人が、一旦足を止め、手を添えたり、もたれかかったりしている。
 その為か元々そうなっていたのかは判らないが、木の根元は大人一人が包まれる程に、ゆりかご状に窪んでいた。
 やがて道は正宮野裏に到り、道はそこから下りの石段になる。
 やがて、向かい合った向こうの石段の上に、古殿地と並んで荒祭宮の社が木々の間から目に飛び込んで来る。
 仏教で言えばこちらが外陣で、海を隔てた向こうの内陣の須弥壇の上に仏様が坐している、そんな形式である。
 こちらが此岸で真ん中に海があり、向こうが彼岸といったところか。

その前に、つい見落とされがちだが、下りの石段の最後15段目あたりに〔踏まぬ石〕というものがある。
 四角い石が三つに割れたような形の石だ。
 大切な石だから「踏まないように」という風に考えられている人もいるが、神職の人たちが、荒祭宮に食事や捧げ物を持って、普通に降りていけば、絶対に「踏まない」ようになっていて、そういうところから「踏まぬ石」と名付けられているらしい。
 神の降り立つところやパワースポット(ストーン)ならばしめ縄のようなもので囲われているか、立ち入り禁止になっているので、この【踏まぬ石】には深い意味はないが、僕は好きである。

静観愚想/伊勢神宮・内宮(二)

【静観愚想/伊勢神宮・内宮(二)】

 滝祭神から奥に続く林の中を行くと道は突き当たり、右に宇治橋に煮た小さな橋があった。
 風日祈宮(かざひのみのみや)に誘(いざな)う橋だ。
 風日祈宮橋と言う。
 五十鈴川の支流に当たる川を渡る。
 宇治橋が俗世間と聖域を分ける橋だとすれば、この橋は聖域の中の更に聖地に僕達を誘っている。
 そんな清らかな空気が漂っていた。
 橋を渡り切ると、道の傍らに杉の巨木がデーンと立っている。
 「これだな、この場の気を支配しているのは」
と、杉を見上げている僕の心が呟いた。
 風日祈宮も正宮と同じ時期に遷宮をする。
 その為に、現社の隣に、古殿地と呼ばれている同じ大きさの敷地がある。
 二十年ごとに新しい社を建て替える土地を用意させているなんて、伊勢神宮の神々たちは何と贅沢なのだろう。
 僕は、目印としか思えない小さな箱のような社が置かれているその古殿地の空間が好きである。
 風日祈宮の参拝を済ませ、元来た橋を渡り、直進すると、表参道に合流する。
 そこが神楽殿だった。

静観愚想/伊勢神宮・内宮(一)

【静観愚想/伊勢神宮・内宮(一)】

 「内宮だー!」
 五十鈴川に架かる宇治橋の大鳥居の前で僕の心は声を上げた。
 さぁ、内宮だ。
 僕は鳥居の下で拝礼し、聖域に入る。
 長い橋を歩く。
 五十鈴川を渡ってくる風が、俗界の中で汚れきった僕の体の中を浄化していく。
 宇治橋を渡り、表参道から離れて右手の植え込みのある道に入る。
 余程の物好きで無い限り、この道を歩く人はいない。
 青々した芝生と植え込みの木々が美しい。
 道は参道につながり、火除け橋を過ぎる。
 僕は手を浄めるために五十鈴川に降りていく。
 手前に御手洗舎もあるが、本当の川の流れで手を浄めるのが本来の仕来たりだと僕は考えている。
 ついでに、様々なパワーストーンで作られているブレスレットを手首から外して川の中でシャカシャカと洗う。
 そして、まず初めに川の畔に建つ滝祭神にお参りだ。
 この社は遷宮はしないが、社は新しく建て替えるようだ。
 柵で囲われた玉砂利の真ん中に黒い石が置かれていて、その石が五十鈴川の守神なのだろう。
 柵の細い隙間からそれは見える。
 滝祭神に手を合わせた後、、更に奥へと続いている細い道を行く。
 表参道の側道のようなものだが、人は余り歩いてはいない。
 さほど長くはないが、僕はこの道が好きである。
 そして、その道の先にあるのが風日祈り宮なのだ。

静観愚想/愛称・2

【静観愚想/愛称・2】

 僕の入学した大学の新入生歓迎コンパで出掛けていった東山動植物園に、僕がそれまで目にしたことのない「おむすび」を持ってきていた女性がいた。
 彼女の田舎は北陸だそうで、聞くところによれば、その「おむすび」は彼女の田舎の方では普通によく作られるとのことだった。
 僕の田舎は紀伊半島なので、位置的に僕の暮らした太平洋側と彼女の日本海側とでは、風習も食文化も全く違うのは当然かも知れない。
 僕の田舎では、お祭りなどの時には「さんま寿司」も作れば、高菜の漬け物で巻いた「目張り寿司」も作るが、他の地方の人では知らない人もいて、珍しがられたものだった。
 僕の通った大学は、福祉などの専門家を育成するという特殊な大学ということもあってか全国各地から集まっていて、だから、目にしたことのない「おむすび」にも出会えたのだ。
 その「おむすび」というのは、ソフトボール大のまん丸の形をしていて、全体的に「とろろ昆布」デ巻かれたものだった。
 その女性は、身長が150?程度の小さな人で、顔はまん丸の女性だったこともあって、お昼に、小さなリュックから大きなまん丸の不思議なおむすびを取り出したので、僕は驚きと同時に吹き出してしまったのだ。
 彼女は、自分の姓と、当時、流行っていた白土三平の漫画のタイトルから、ニックネームを「ワタリ」と付けられたのだが、僕はそのワタリを一生の伴侶にすることになるのであった。
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