【静観愚想/伊勢神宮・内宮(三)】
僕は伊勢神宮の内宮の中でも天照大神の和御魂(にぎみたま)の祀られている正宮より、荒御魂(あらみたま)が祀られている荒祭宮(あらまつりのみや)の方が好きである。
僕は神楽殿から正宮に向かう参道の途中から道を左に取り、足を荒祭宮に向けた。
その入り口には風日祈宮にあった杉の巨木に匹敵する大木があり、路にはみ出しているためか、大抵の人が、一旦足を止め、手を添えたり、もたれかかったりしている。
その為か元々そうなっていたのかは判らないが、木の根元は大人一人が包まれる程に、ゆりかご状に窪んでいた。
やがて道は正宮野裏に到り、道はそこから下りの石段になる。
やがて、向かい合った向こうの石段の上に、古殿地と並んで荒祭宮の社が木々の間から目に飛び込んで来る。
仏教で言えばこちらが外陣で、海を隔てた向こうの内陣の須弥壇の上に仏様が坐している、そんな形式である。
こちらが此岸で真ん中に海があり、向こうが彼岸といったところか。
その前に、つい見落とされがちだが、下りの石段の最後15段目あたりに〔踏まぬ石〕というものがある。
四角い石が三つに割れたような形の石だ。
大切な石だから「踏まないように」という風に考えられている人もいるが、神職の人たちが、荒祭宮に食事や捧げ物を持って、普通に降りていけば、絶対に「踏まない」ようになっていて、そういうところから「踏まぬ石」と名付けられているらしい。
神の降り立つところやパワースポット(ストーン)ならばしめ縄のようなもので囲われているか、立ち入り禁止になっているので、この【踏まぬ石】には深い意味はないが、僕は好きである。
【静観愚想/愛称・2】
僕の入学した大学の新入生歓迎コンパで出掛けていった東山動植物園に、僕がそれまで目にしたことのない「おむすび」を持ってきていた女性がいた。
彼女の田舎は北陸だそうで、聞くところによれば、その「おむすび」は彼女の田舎の方では普通によく作られるとのことだった。
僕の田舎は紀伊半島なので、位置的に僕の暮らした太平洋側と彼女の日本海側とでは、風習も食文化も全く違うのは当然かも知れない。
僕の田舎では、お祭りなどの時には「さんま寿司」も作れば、高菜の漬け物で巻いた「目張り寿司」も作るが、他の地方の人では知らない人もいて、珍しがられたものだった。
僕の通った大学は、福祉などの専門家を育成するという特殊な大学ということもあってか全国各地から集まっていて、だから、目にしたことのない「おむすび」にも出会えたのだ。
その「おむすび」というのは、ソフトボール大のまん丸の形をしていて、全体的に「とろろ昆布」デ巻かれたものだった。
その女性は、身長が150?程度の小さな人で、顔はまん丸の女性だったこともあって、お昼に、小さなリュックから大きなまん丸の不思議なおむすびを取り出したので、僕は驚きと同時に吹き出してしまったのだ。
彼女は、自分の姓と、当時、流行っていた白土三平の漫画のタイトルから、ニックネームを「ワタリ」と付けられたのだが、僕はそのワタリを一生の伴侶にすることになるのであった。