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創作《風の中で》/7

【11】

  伊勢神宮の月夜見宮と外宮への〔癒しと復活の旅〕の帰りの電車の中で、私は原さんという物静かな女性と隣り合わせになり、私たちは友達になった。
  彼女も乳ガンで、術後五年が経っていると教えてくれた。
  「でもね…」
と、彼女がゆっくりと話し出した。
  「五年というのは医者の側の統計的な生存率の目安でね、安全地帯に入ったという訳じゃないのよね。
  だからね、あなたと一緒で、ちょっと体に異常があるとね、再発かって、心はいつも怯えるのよね。
    でも、五年も経つとね、食事のことや運動のこと、生活のことなんかがいい加減になっちゃってね、わたし、月に一度の〔ホリスティック養生塾〕に行って自分を軌道修正してるのよね。」
  私は感心した。
 私なんか、病気のこと、忘れた方がいいと考えていて、食事なんかに気を使うのは病気を気にしているからだと、わざわざ体に良くないものも食べたりしているのに、原さんという人はガン患者の見本になるような賢い人だわと、私は思った。
 〔ホリスティック養生塾〕というのは医学的な難しいことを勉強する会ではなく、自分の心掛けているショクジノレシピを交流したり、ヨガや呼吸法、お灸の仕方などを教え合ったり、プロの先生に来てもらってワークショップをしたりする集まりだと言う彼女の話を聞いて、私にも構えずに参加できそうだと思った。
  そして、私は翌月から第一木曜日に開かれている〔ホリスティック養生塾〕の一員になったのである。



  この記事は和みが書いてまーす!

創作《風の中で》/6

【10】

  伊勢市駅前と外宮との間にある月夜見宮は、私が思った通りの癒しのスポットだった。
  12人で来た〔風の仲間の会〕の人たちも、社の前で一人一人手を合わせ、静かに参拝をした後、境内の横に立つ大きな楠にもたれたり、両手を当てたりしていた。
  「いい所ね。」
  私は楠の前に立っていた彼に近寄って囁いた。
  彼は黙って頷いただけだった。
 月夜見宮を出た私たちは神路通という道を歩いて外宮に向かった。
  「真ん中は歩かないようにねー!」
と、先頭を歩いていた彼が私たちを振り返って低いけれどよく通る声で言った。
  「どうしてですかー?」
  誰かが返した。
  「真ん中は神様が通るところだからだよー」
と、彼が応えた。
  「何と言う神様がお通りになられるんでしょうか?
」 尋ねたのは坂本さんだった。
  「先ほどお参りをした月夜見尊様がね、外宮にお奉りしている豊受大神様のところに通われるんですって!」
と、彼に追いつき通りの横に掲げられた案内板を見ていた誰かが言った。
 何の為に月夜見尊がこの道を通るのだろうと思っていた私は、それを聞いて、月夜見尊様って源氏物語の光源氏みたいだわっと、良からぬ思いが頭をよぎり、ニヤッと口元をゆるませた。
  すると、
「神様も男だねー。
 毎夜毎夜、この道を通って女神様のところに通うんだから…」
と、誰かが言った。
  みんなはドッと笑った。
  私は、彼が私のところにも通ってくれると嬉しいなぁと、不真面目な思いが頭に浮かび、自分の心に驚いたのだった。

創作《風の中で》/5

【8】

  室生寺への旅は楽しかった。
  室生寺裏の龍穴というやや異様な空間に行き、奇岩の上に乗って、龍の踊りというこれまた異様な動きの体操をした。
 龍穴神社という荘厳な空気の漂う場に佇んでもみた。
 女性に人気のある室生寺の一一面観音様や日本一小さな五重塔も拝観した。
 奥の院まで続く急な階段も息を切らして登った。
 その旅は、ゆったりとした時間の流れの中で身も心も癒されていく旅だった。
 私は、心の中に温かい幸福感が広がっていくのを感じた。
 私は、その旅を独りで〔心を癒す復活の旅〕と名付け、二ヶ月に一度開催されるその旅には欠かさず参加していったのであった。

【9】

  私が〔風の仲間の会〕に参加し一年も経たないうちに世話人に選ばれた。
  世話人は三人で、ほかに理事の独りとして世話人をまとめる係りとして彼が世話人会に顔を出した。
  彼は、私が〔風の会〕に入り、私の中の〔復活の旅〕にも出掛けるようになった要因を作った人だ。
  彼の話に勇気づけられていなければ、いまの私は無い。
  その彼と一緒に〔復活の旅〕の予定を立てたり、仲間のお世話が出来たりするなんて考えてもいなかったことだ。

  そして、新しい世話人による最初の旅は、滋賀県の坂本にある日吉大社に初詣に行くことに決まった。
  交通機関を調べ、日程を組み、案内を作り、参加者を募り、お金を集め、みんなの切符を買い、お昼の予約をする。
  みんなを連れて行くということは結構大変なことだった。
 しかし、私は彼と仕事が出来ることが嬉しく、充実した日々を送っていた。
  私たちは、日吉大社への初詣の後、三月に京都の南禅寺と平安神宮への旅を実施し、その後の後の世話人会で、私は伊勢神宮月夜見宮への話を持ちかけたのであった。

創作《風の中で》/4

【7】

  「新しい仲間を紹介しますね。」
  近鉄名古屋駅の改札口前には10人ほどの人が集まり、二人、三人と寄り添ってお喋りを楽しんでいた。
  世話人の浅井さんが軽く手を叩き、みんなの注意を引いてから少し大きめの声で私を紹介した。
  「田中さんです。」  「田中です。
  今日からお世話になります。」
  そう言って、私はぺこりと頭を下げた。
  「よろしくねー!」
  そう言って、みんなは笑顔で手を叩いた。
  私の緊張は一気に溶けた感じだった。

  〔風の仲間の会〕が奈良の室生寺に行くという通信が寄せられ、私は気晴らしに出掛けようと思い、事務局に電話をした。
  応対してくれた人は〔浅井〕と名乗り、自分が室生寺行きの担当者だと言った。
  その人の案内に従って、私は集合場所に行ったのである。

  指定された私の席の隣には上品な奥様らしき女性が座った。
 私たちは簡単な自己紹介をし合った。
 彼女は〔
「名東区に住んでいる坂本と申します。乳ガンで、切除後三年が経ちました」
と教えてくれた。
 私も乳ガンで切除して一年半くらいだと伝えた。
 坂本さんは、別れた夫の会社の社宅の奥様方とは違い、私の病気のこと、過去のことなどについて根ほり葉ほりとは訊いて来ない人で、私は安心した。
特急電車の中は賑やかだった。
  指定の座席に腰を降ろし、次の停車駅である桑名に着く手前くらいから、前から後ろから横からと、色んな飴玉やチョコレートが回ってきた。
  中学生の修学旅行のようだった。
  「こうやって騒いでいるけどね…」
と坂本さんが私に顔を向けて小さな声で言った。
  「みんなね、不安なのよね。
」 家で独りでいると、ちょっとした体の不調があるとね、それは再発じゃないかって思うのよね。
  だから、こうやって集まるとね、その不安を取り払うように騒ぐのよね。」
  私は坂本さんの言われたことがよくわかった。
  私も、その不安を抱えたままの生活から逃れたかったのだ。
  そして、いつしか私は、自分がガンになってから〔風の会〕にたどり着くまでのことを彼女に話していた。

創作《風の中で》/3〓

【6】

左乳房の摘出手術から半年が過ぎた頃、私は夫と別れ、独り暮らしを始めることになった。
ある7月の日曜日、お昼に素麺を作って夫と向かい合って食べていた。
私は少し襟刳りのあるワンピースを着ていたのだが、少し俯いて素麺を口にした時だった。
「食事中にそんなものを俺に見せるな!」
夫の声が突き刺さってきたのだ。
私の胸の手術痕が目に入ったらしいのだ。
私は声を失い、その場を離れた。
涙が止まらなかった。
手術後から夫は私の体には触れようとはしない。
おっぱいの片方が無い女なんて抱きたくもない気持ちはわかっていた。
でも、好きで手術をした訳じゃない。
好きでおっぱいを取った訳でもない。
仕方のないことなんだ。
それでも私は夫の前では笑顔を絶やさず、明るい声で接してきたではないか。
なのに、なのに、傷痕を見せるな?
故意に見せたか?
あなたの前で裸になったか?

私は離婚することを決めた。
 夫は一も二もなく離婚届けに署名、捺印をした。

 私は、寂しさよりも背から一つ荷物を降ろしたような安らぎを感じ、新しい人生を歩むことになったのである。
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