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長い助走・2/その日に向かって

【長い助走・2/その日に向かって】

(一)
 「鍼灸の資格を取るにはね、三年間、専門の学校に行かないと駄目なんだって!」
 一九七五年の正月が過ぎたある日、食卓上の鉄板から焼きそばをつまみながら賢が言った。
 賢は香奈と結婚し、五年の年月が経っていた。
 その間、賢は企業内高校の教員を辞め、一生の仕事に出来る仕事ではないと感じながらも学校の教員などに世界大辞典や文学全集などの書籍を販売する仕事に就いていた。
 教員を辞めたのは、務めていた紡績会社が倒産し、学校そのものが無くなってしまったからだった。
 賢は一生の仕事として、四十歳で死ぬかも知れないことなど忘れ、視覚障害を持っている自分には何が出来るだろうかと、常に悩んでいた。
 そして、偶然にも娘の通う保育園の父母の中に鍼灸師がいることを知り、その治療院に見学に行った。
 その鍼灸院の院長が賢に語った。
 「車は道路の上を走り、電車は線路の上を走るように鍼灸にはね、西洋医学とは違う独自のアプローチ法があるからね、勉強すればするほど自分の腕で患者さんと向き合えるし、僕は可能性が多い仕事だと思っています。」
 その言葉に感銘を受けた賢は、鍼灸は一生の仕事に値すると直感した。
 そしてその感動を香奈に伝えたのだ。
 「わかったよ。
 三年間、わたしが面倒みればいいんでしょ!」
 香奈は笑いながら応えた。

(二)
 「早くして下さいね。
 試験は来週の水曜日ですからね。」
 受話器の向こうで女性のはっきりとした声が聞こえた。
 賢が鍼灸の専門学校への入学方法を調べていた時、ある友人が
「和気さんみたいに眼が悪い人は盲学校で資格取れるって聞いたことあるよ」
と教えてくれたのだ。
 賢は一〇四で盲学校の電話番号を訊き、直ぐに電話を掛けた。
 話を聞いた賢は慌ただしく書類を揃え、盲学校の専攻科を受験した。
 そして、その年の春から、賢は盲学校高等部専攻科の学生として、三年間の学生生活を送ることになったのである。
 

縁・2/その日に向かって

【縁・2/その日に向かって】

(二)
 賢は文化センターの受付フロアにいた。
 テーブルを挟んだ向こうには気功教室タントウの事務員がいた。
 師から電話があった日の夜、賢は香奈に、師からの依頼の話をした。
 「出来るの?
 大丈夫?
 責任あるんでしょ?」
と香奈は、いぶかしげな眼を賢に向けた。
 「何とかなるんじゃない?」
と、賢は答えた。
 こんな人だったかなぁと香奈は思った。
 神経質で生真面目で、だから鬱病にもなるこの人が、何をしてよいかわからない分野に平気で飛び込んでいくなんて…。
 やはり、B型なんだわ。
 「香奈の不安げな顔は崩れては以内。
 「大丈夫だよ。
 二つ三つの気功は出来るし、経絡やツボの話はお手のもんだし…、何とかなるって!」
 賢は笑って言った。
 実際に林先生の教室で、先生がツボの話をされても、受講生の殆どは、その場所がわからない。
 そんな時は賢が周りの人たちの手足を取ってツボの位置を教えていたりしている。
 また、前年の秋に名古屋市一帯で開かれたデザイン博に出演するために、林教室において「大雁功前六十四式」という気功を特訓したので、それは覚えた。
 更に、師から太極気功十八式を創作された林厚省師の講習会に誘われ、その気功のための音楽テープも手に入れている。
 大丈夫だ。
 賢はそんな思いで事務員の前に座っていた。
 「高校の先生もしておられたんですね。
 なら、人前で喋るのは慣れてらっしゃいますね。」
 事務員は賢が差し出した履歴書を見ながら呟くように言った。
 講師料の話や事務的な打ち合わせは終わった。
 「では、明後日からよろしくお願いします」
と、事務員が頭を下げた。
 いよいよ賢の講師姿が見られるのだ。

縁/その日に向かって

【縁/その日に向かって】

(一)
 賢は治療室の大きな窓を開けた。
 大きくあくびをする。
 朝の春色の空が始まったばかりの新年度への希望と意欲を膨らませてくれた。
 賢がやわらかな風邪を頬に受けながら寝台のシーツを交換していた時だった。
 事務机の上の電話が鳴った。
 予約の電話かな?
 それとも断りの電話かな?
 「はい、和気です。」
 賢は、いつものように身構えることなく受話器を取った。
 「あっ、和気さん?
 林でございます。」
 何と受話器から聞こえて来たのは気功の師である林茂美先生の声ではないか!
 一九九〇年四月十日の朝のことだった。
 「お願いがあるんですが…、」
 師の声は続いた。
 「和気さんに気功教室の講師を引き受けて欲しいんだけど…、」
 「僕にですか?」
 賢は師の教室を訪れて一年半しか経ってはいない。
 言ってみれば、まだ新米のひよっこだ。
 賢がそう伝えると、
「他の人たちにも頼んでみたんですが、みんなに断られてね、もう和気さんしか残っていないのよ」
と告げられたのだ。
 師に頼まれては、義理としても断る訳にはいかない。
 賢は引き受けることにした。
 賢の中では、教室が始まるのは、早くても三ヶ月後くらいの話だと思っていた。
 その間に少しの準備は出来るだろう。
 「で、何処でいつからになるんでしょうか?」
 「実は…、今週の金曜日からなんですよ!」
 「えっ!
 すぐじゃないですか!」
 師の話はこうだった。
 熱田神宮の隣にある熱田の森文化センターの気功教室の先生が、四月から始まったばかりの第一週めが終わった後、急に来られなくなったというのだ。
 師が依頼されている教室なので、困っている様子だ。
 「はい、わかりました。」
 こうして賢は何の方針も計画も、さほどの決意もなく、流れに身を任せるように気功の講師活動に入っていったのである。

長い助走/その日に向かって

【長い助走/その日に向かって】

(一)
 賢の検査結果を見た三田村の頭に一つの病名が浮かび上がった。
 彼は本棚からぶ厚い医学辞典を取り出した。
 ドイツ語の辞書だった。
 彼は本をめくり、その病名の記されている頁で指を止めた。
 三田村はそこに記されている文字を食い入るように見た。
 「間違いない。
 賢の病はこれだ!」
 三田村は自分に言い聞かせた。

(二)
 「君は精神的に強い人だと思いますから、隠さずに放しますね。」
 一週間の検査入院を終え、検査結果を聞くために来院した賢に向かって三田村は言った。
 入院中、男女合わせた数人の医学生たちが取り囲むベッドの上にパンツ一枚で寝かせられ、三田村がドイツ語混じりで彼らに説明したり、田舎の両親が呼び寄せられて検査を受けたり…と、普通の病気ではないだろうと感じていた賢は、覚悟とは行かないまでも、それなりの心の準備はしていた。
 「君の病気は進行性の血管腫の一種でね…、」
 三田村の宣告が始まった。
 「君の体には脂肪を分解するある種の酵素が無くてね、血管壁に脂肪が蓄積され、そこがもろくなっていって破れていく病気なんです。
 今は皮膚の毛細血管が破れていっているだけだから何の症状も出ていないけれど、進行性の病だから、やがて脳や心臓の血管が破れてくると致命的になるんですよ。
 大体、四十歳くらいまでしか生きられないと思っていて下さい。」
 大学を卒業して一年も経っていなかった賢は、四十歳くらいまでしか生きられないと言った三田村の言葉の意味を実感として理解できずにいた。
 何かそれに匹敵する症状が出ていたならば実感を持てたかも知れないが、賢は至って健康だったのだ。
 大学を卒業し、名古屋市近郊の町で紡績会社が営んでいる企業内高校の教師として働いていた賢の元に、正月が過ぎたある日、三田村という医師から
「気になることがあるから一度来院されたし」
というハガキが突然送られてきた。
 皮膚科の医師であった。
 皮膚科?
 賢にはその意味が解らなかった。
 一日の休暇をもらい、三田村の元を訪れた賢に向かって、彼は少しの診察をした後、
「一週間の検査入院をして下さい」
と、三田村は穏やかな口調で告げた。

(三)
 「君の病気は遺伝性のものだから、出来れば結婚はしないで、子どもも作らない方がいいですね。」
 三田村の宣告は続いていた。
 しかし、賢には既に、彼女以外には考えられない結婚相手がいたのだ。
 香奈である。
 賢から三田村の話を聞いたが、香奈はさほど驚きもしなかった。
 「四十歳くらいまでは生きられるんだよね。」
 香奈は賢に向かって訊いた。
 「四十歳まででも充実した人生が送られれば、生きていく意味はあるんじゃない?
 わたし、賢と一緒に歩いて行くよ。」
 人生の意味については賢も同じような考えを持っていたので、二人は三田村の助言を無視し、その年の秋に結婚式を挙げたのである。

発進2/その日に向かって

【発進/その日に向かって】2

(二)
 「今日からですか?」
 賢がカルチャースクールの受け付けで教えられた教室に行くと、入り口の下駄箱の前で小太りの中年女性が彼に声を掛けた。
 「はい、よろしくお願いします。」
 賢は靴を脱ぎ、教室に入ると、広いフロアに敷かれたマットの上では数人の男女が座り、準備体操をしたり、世間話をしたりしながら講座の開始を待っていた。
 賢は教えられた更衣室にて軽く動ける服に着替え、受講生たちの座っているマットの片隅に腰を降ろした。
 新聞にあった〔中国健康法・林茂美〕の講座を開講していたカルチャースクールに電話を掛け、それが気功法の講座であることを確かめた賢は、直ぐに受講の申し込みをして一九八八年十月の第一週から、毎週土曜の朝にその講座に通うことになった。
 「では始めましょう。」
 開始のチャイムが鳴り、受講生の前に立ったのは、入り口で賢に声を掛けた中年女性だった。
 えっ!
 あの人が林先生?
 賢は自分の想像していた先生との余りにもの違いに驚いた。
 鍼灸師で、専門誌に論文を寄稿する人物で、しかも中国伝来の気功を指導する人なのだから、何となくではあるが、林茂美という先生は男性だろうと決めつけていたのだ。
  そして、賢は林茂美先生を最初の師として気功の道に飛び込んだのである。
 彼が四十歳の時であった。
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