電車を待つホームにて寒さにガタガタ震えた後、新幹線にてトンネルを越えたそこは…

超あったか!!!!

なんだよ関東!!あったけえ!!
新潟の寒さと天気の悪さに比べてこの天気…う、うらやましい。おひさま出てるやん。ちっきしょう!うらやましくてむかつく(妬みすぎ)
謙信公が関東でお正月を迎えたがる気持ちわかるわ〜

冗談はさておき、ここ数日で嬉しいことや楽しみな事が一気に押し寄せたため、現在燃え尽き症候群のごとく消し炭となっている。
見たくてワクワクしている映画もしばらくないしね。
しかし折角の正月休みなので映画館へ行ってきた。

●来る
…「来る」がタイトル。ややネタバレ有かつただただ愚痴っているだけなのでお気を付け下さい。
映画化されると知る前に原作を読んでいたんだけど、これを映画化するとアメリカの悪魔払い映画とかゴーストとの対決みたいなスペクタクル霊能バトル映画になりそうだなぁ…ちなみに繰り返し読まなそうなので「売る」ボックス(古本屋に売る本を入れておく箱)に入れますか…という感想でした。それなりに面白くはあるけど私はそんなにハマらなかった。

さて映画の「来る」、何が来るのかは原作と映画で少し解釈を変えているような気がするし、制作側があえて隠しているようなのでたいしたことないネタだけど一応伏せておきましょう(攻撃的なモノ言い)
率直な感想を申しますと…つまらなかったのよ

後半のダラダラ長いの、もういいからサッサと終わってくれ。前半の幸せ絶頂の妻武器くん(すごい変換された)エピソードも、表と裏を描写するための演出とはいえ…長いよ。
「告白」の監督ということで、日常の大衆心理というか色々な気持ち悪い(と私は感じる)思想のようなものを皮肉った演出(と私は思った)にはニヤニヤしたけど、ホラーを期待してのこのこやってきた自分も皮肉られてしまった。
ちなみに色々物議をかもしているラストのオムライスだが、とあるブロガーさんが
「能天気な子供番組のような映像であるが、現実を逃避し、『オムライスの国に行ってみたいな〜』なんて大好きなオムライスだけの国を望むという心情にゾッとさせられる」
と書いていたがそれは考え過ぎだと思う。

「来る」のストーリーについてはめんどくさいので書かないが(←)
このテの「子供が悪霊・悪魔に連れていかれた、人質にされた」的展開ってホラー映画によくあるんだけど(アクション映画にもあるけどあれは別)、「この子を殺せば・あきらめれば物事は終結する」という時に、強硬派(手段を選ばず物事を終結することを目的とする側)と人情派(この子は絶対に助ける!誰も悲しませない!場合によっては自分を犠牲にして子供を救ったりする側)がバチバチせめぎ合うシーンとか……私超嫌い。
倫理的には自分の子だろうが他人の子だろうが「子供を守る」のが正しいとされている。それはわかっているが納得はできない。
そんなことを書くとまた母性がないとか人としておかしいとか非難されるから言わないけど、そうだねーっつってすんなり納得できる!?
だいたい強硬派は人情派の「愛」によって起こされた奇跡に目から鱗が数万枚こぼれ落ちるというのがお約束で、時には効率よく正しい判断を下している強硬派が策も無いくせに強情な人情派の為に犠牲となり、「愛と勇気で子供は救いました」エンドも良くある話しである。
人情派エンドでも巧いことハッピーエンドに持っていけばモヤモヤが残らずに劇終を迎えられるが、「来る」もそうだけど子供子供言ってる奴らのせいでものすごい人数の犠牲が出ていて尚且つ都合よく人の邪魔ばっかして口ばかりのヤツが最後は生き残ったりしてホントお前が死ねよ(おちつけ)
ということで、私は強硬派が好きです。
人情派は嫌いなのではなく、上っ面の「正しさ」のみをひけらかし言下において強硬派を「ひとでなし」と詰る姿勢が気に入らないだけです。 
犠牲者を出しても物事を終結し、責められる覚悟も持って事にあたる強硬派が「辛い気持が微塵もない」わけ無いのにね。
とりわけ自分を犠牲にして助けるエンドも独り善がりで周りへの配慮がなくて嫌いだ。自己犠牲って偽善の極み。

しかしこの映画のいいところは妻武器君の上っ面は調子いいクソ野郎の演技が最高。「本人に悪気は微塵もない」ノー天気さが素晴らしい。妻武器君ってほんといい芝居するわ。
そして松たか子さんの不自然極まりないハイパー霊能力者を自然に演技しちゃう迫力と、食ってたラーメンめちゃめちゃ美味そうだった綺麗な食べ方。 
この映画はちっとも恐くない。
いろんな意味で胸糞悪い。 ←これは褒め言葉。