この季節が好きじゃない理由はたくさんあって、その中のひとつが出会いと別れを一緒くたに味わうからだ、ということに最近ようやく気づいた。
人見知りで他人と上手く接するのがいたく苦手な私にとって出会いは拷問そのものだし、反対に別れは天国、とはいかず同じくらい辛くて苦しい。
独占欲が強いのではなくて、好意という名の依存性だ。
「はじめまして」の一歩は重くて躊躇するけど、踏み出すと意外にもすんなりいけていつもびっくりする。
いつまで経っても「さよなら」「またね」は心と裏腹にすぐ口から飛び出していくのだろうなあ。
終わりにするのは自分自身だ。
見た目でよく判断されること。
・チャラそう
→地毛がこげ茶で痛んだ毛先が金髪だっただけです
・頭良さそう
→高校は2ばかりでした、好きなことには真面目です
・バンド組んでそう
→トロンボーンしか吹けません
・ボーカル、もしくはベースをやってそう
→そうだったらいいのにな(迫真)
・只今の時間は禁煙席のみのご案内ですがよろしいでしょうか?
→寧ろ嬉しいのですが?
・「鈴華君、はい灰皿」「煙気にしないから遠慮しないで吸ってね!」
→煙草は嗜んでおりません
別にいいんだけどさ。
自分の性格として、手に入らないものは欲しくなって近くにあるものに興味を持たなくなることがある。
多少上の表現に誇張はあれど、自分の悪い癖だと思う。
追いかけるより追いかけたい。
追いかけられるのは好きじゃない。
でも、見向きもされないことはもっと嫌で。
全体が10だとしたら9:1、9.5:0.5くらいで自分と対象の関係が築けるのが多分ちょうどいいんじゃないかなと思うくらい、加減が面倒な人が私です。
片思いが一番楽しいのは、きっとその関係が成立した上で良好なままでいられるからだと思います。
愛されたいなら愛せよ、ととある神は仰ったそうですが本当のところはどうでしょうかね!
春が好きになれないのは抗えないからだ。
他人の涙はどうでもいいものなのに、不思議とみていると自分の視界が揺らぐから苦手だ。
不可抗力で顔面をべちょべちょの状態にすることの何が楽しいのか。
「夜桜は死体を吸い込みそうで、綺麗だね」
「42214219?」
「そうだなあ、遠慮しておくよ」
本音の言えない子は可愛くなれないから、ソメイヨシノの下で一生を迎えたい。
詩を勉強すればするほど、言葉も文章も不自由で下手くそになれるね。
まるで、まほうみたい。
次にうまれかわったら哲学科で勉強してゆっくりと自殺するためにいきることを考えたい。
人生そのものが何も考えようとしていない自殺だ。
今夜の夢は静かに沈んで消えていくものになれたらいいな。