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おはようからおやすみまで

あたたかいというより、身体を覆うじんわりとした暑さをつめたい風が吹き飛ばすような日々だ。


元気にしてますか、会いたいです。

そんな一言を打ち込んでは消して、消してはうごめいていく左胸の痛みは正しく世界を理解して私を傷つけてくれる。
どこに行くにも切符が必要で、本当も何にでもなれることも知りながら来ない連絡を待ってるね。
好きな人でもないのに「好きだよ」と言いたくなるのはもはや病気だ。
心の隙間の埋め方を二十年以上生きてもわからないなんて。











友達という名の恋人みたいな人ができて、お互いに過去にみっともなくすがりついている。
答えはわかりきっているのにやめられないのはいかがなものか。
多分さみしいからとかそういったものではなく、底が似ている二人なのだろう。
いつまで経ってもあと一口が飲み込めないのと一緒で、真綿で首を絞めあって依存しているだけだ。

街の明かりは誰にでもやさしくしてくれるけど未来を照らしてはくれなかった。
切れない電話の相手が願う人じゃないのが真実なことにホッとしている。

なかないで、と夢の中で

酷く無気力な状態が続いていて、毎日毎日だいたい泣いて起きるくらいには慢性的な辛さが続いていて、明日も頑張らなきゃいけないな頑張らなきゃなと誤魔化し誤魔化しで過ごしている。

与えるのが愛ならすべては愛で満ち溢れているから、わたしたちはやさしい生き物なのだろう。
静かに流れていく脈絡のない戯れはとても心地よくて反吐が出そうだ。













とまらないもの、とめたいもの、とめなきゃいけないもの。

選択を迫られている訳じゃないのにめまぐるしく世界は急かされてぐるぐるしていく。
許してあげるから痛めつけてほしい。
シナプスすら正常に働かない私を裁断機で切り捨ててくれ。
強さはなくとも次会える時に笑えるくらいには生きていきたいよ。

痛いのが気持ち良くて、限りなく終わりに近いあの瞬間だけを求めているから「もうやめて」がいつまで経っても言えない。
誰かと過ごした次の日の夜はどれだけ積み重ねてもさみしくてさみしくて、名残を求めて無性に悲しくなる。
そんな資格なんてないのに。









買い物に付き合ってもらい、仕事用の服を買って、二人でソフトクリームを食べて、どうでもいい大して面白くもない映画をぼんやりと観て、おしゃれなバーで少し飲んでから水タバコを吸う。
そのまま閉店間際のマックに立ち寄ってどうでもいい話をしながらポテトを買って家に帰って、一緒にひとつの布団で身を寄せ合って寝て、起き抜けにタバコを吸い、ご飯を作ってのんびりテレビを観ながら食べる。

他人から見たらどう映るのかなんてのは、とっくの昔にどうでも良くなった。
お互いに違う人を見ているもんだから心地良く甘えられてさみしさを埋めようとする。
それでも一向に埋まりそうもないのは、やさしくできなくてちゃんと立てないでいるからだ。
おわりがないからはじまりもない。
そう望んできたのは自分なのに。













「人はずっと一緒にいられないなんて、そんなルール、守らないから」という君は一体何があったのだろう。

好きな人でもできたのか、悲しいことでもあったのか。
尋ねることすら許されないから残酷だ。


少なくとも悲しまないように祈れる分だけ祈るから、指先のぬくもりを交換するために私とキスしてたまに笑ってほしい

わけあってイン・マイガール

ある程度の覚悟はできていたけれど、社会も小さな箱庭なのだと感じた。
住み心地を決めるのはどう足掻いたって自身に決まっている。
決まっているからこそ、どうしようもないことなのであって、それでも生きていかなきゃいけない。





いつまでも学生気分じゃいられないのにな、と思いながら我が振りを反省する。
決して完璧ではなくても、ある程度は広い視野を持てばできるはずなのだ。
周りがどうであろうとそこには関係ないので、どんなに大勢が分担することがなかろうが、公共的に考えてどうだろうが、そこはしっかりと見極めていきたい次第である。










「もういっそさ」
「なに」
「わたしたち付き合っちゃう?」
「絶対ないでしょ」
「知ってた」
「だって上手くいく訳ないんだから無理だよ」
「好きな人いるしねぇ」
「そうそう」
「そももそ幸せになろうとしてないんだもんね」
「そうだよ」
「幸せなんてなれるはずもないもんね」
「なれたら苦労しないし、世間が求める幸せでなれたらとっくに幸せだよなぁ」



ここ最近、何故かめちゃめちゃ傷の舐めあいの延長でよく一緒にいる。
お互いにとって都合のいい関係だからか、はたまたなんとなくさみしいからなのか、餌付けのようにご飯を作って食卓を共にして、ベランダで煙草を吸って、狭いベッドで無意識にはぐれないように手を繋いで寝てを繰り返している。

それがいいことなのか悪いことなのかで考えたらきっと悪いことなんだろうけど、落ちるところまで落ちていけばいつかは陽の目を見るかもしれないなと考えてしまう辺り、おおよそ間違いなのだろう。



好きな人が自分のことを好きになってくれることが何故こんなにも難しくてつらいことなのか、一回解説をご教授願いたいです神様。

めぐりめぐって春

あっという間に大学時代が終わってしまった。


嫌なところはたくさんあって途中は本当に学校に行こうと思うだけで吐き気がして何度もやめたいと思うこともあったけど、思い出補正もありやっぱりこの四年間は無駄じゃなかった、楽しかったんだって思えるような卒業だった。

入社が三日付けということもあり、あと少しだけはのんびりとしながら慣れない新生活を営んでいる。
妙に狭い部屋も、洗面台もなく正方形の湯船なお風呂も、食器が足りない台所も、無駄に虫の多い喫煙所と化している川沿いに面したベランダも、スプリングが良すぎて寝た気がしないベッドも、割と全部気に入ってはいるのだ。

ここ数日、だいたい誰かしらと夜を明かしていたもんだから、何と無くさみしくて、何と無く色々を掘り返してる。











やさしいだけの関係は本当にやさしいだけだから誰も救われないなんてわかっていたのにな。
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