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呪縛

夏休み課題で出た「新作十編の詩を書く」という終わりのみえない作業に対して、泣き言をつぶやいたら、
「仕方ないよ、言葉を出産しているんだからしんどくて正解」
みたいなことを返されて納得しました。あと三人も産むのはちとつらいけど。



その言葉と同時に思い出したのが、吉野弘の書いた『I was born』という作品。ネットで検索すればwikiでも何でも出てくる世界なので本文は割愛。教科書にも載っているようなので、もしかしたら読んだことある方もいるのかな。

母のほっそりとした喉元に詰まる自分。蜉蝣の傾向摂取に向いていない口。卵。そして、うまれるーー




能動的に、いきることをしたい。
そんな夏のおわりです。

Entschuldigung


季節の節目とか新年度という響きに、何となく背筋を伸ばさなきゃいけない感じが苦手。

周りがいつも以上にキラキラして見えて、自分だけくすぶっててダメな奴認定を勝手にしては悲しんでいる人生を辞めたい。

この先あと何年あるかはわからないけど、ずっと死ぬまで一緒なのは他でもない自身なのだから。
もう少しだけ優しくしてあげたいね、この体を。




別に何かに期待するだけムダ、ということではないのですが。

意外とこれはこうしたい、といった欲求がたくさんあるタイプの人間なので、我慢したりまあ仕方ないよねと諦めることは得意です。

本当はそんなの得意じゃなくて素直にきちんと伝えられる人の方がずっとずっと素敵なのですが、性格はすぐに直せるものでもないのでどうしようとない。


しかし、事ある毎に無意識のうちではありますが、どこかこうなる筈でこうなればいいのにと考えてしまう自分もいる訳です。





「貴方はさ、勉強は出来るし何事もそこそこできるけど、人間として酷く生きにくい存在だよね」





21歳になった夜、久々に無意識的感覚で少しだけ泣いた。

ホッとしたのか疲れたのか、はたまた嬉しかったのか。
どれでもない感情にびっくりして滑稽な自分を笑った。





きっとこうやってまた誤魔化すことと欺くこと、ついでに進んでいくことが上手くなるんでしょう。

桜が散るのと同じように、ゆっくりと突然この人生も終わりが来るのだろうね。








「私の欲しいものはそんなものじゃない。いつだって届かないくらいがちょうどいい。だから、さようなら」


新月は誰を守ろうとしているのか、答えがわかったら誰か教えてね。

猛毒サイズトランスミッター


この季節が好きじゃない理由はたくさんあって、その中のひとつが出会いと別れを一緒くたに味わうからだ、ということに最近ようやく気づいた。


人見知りで他人と上手く接するのがいたく苦手な私にとって出会いは拷問そのものだし、反対に別れは天国、とはいかず同じくらい辛くて苦しい。

独占欲が強いのではなくて、好意という名の依存性だ。

「はじめまして」の一歩は重くて躊躇するけど、踏み出すと意外にもすんなりいけていつもびっくりする。
いつまで経っても「さよなら」「またね」は心と裏腹にすぐ口から飛び出していくのだろうなあ。


終わりにするのは自分自身だ。






見た目でよく判断されること。

・チャラそう
→地毛がこげ茶で痛んだ毛先が金髪だっただけです
・頭良さそう
→高校は2ばかりでした、好きなことには真面目です
・バンド組んでそう
→トロンボーンしか吹けません
・ボーカル、もしくはベースをやってそう
→そうだったらいいのにな(迫真)
・只今の時間は禁煙席のみのご案内ですがよろしいでしょうか?
→寧ろ嬉しいのですが?
・「鈴華君、はい灰皿」「煙気にしないから遠慮しないで吸ってね!」
→煙草は嗜んでおりません


別にいいんだけどさ。











自分の性格として、手に入らないものは欲しくなって近くにあるものに興味を持たなくなることがある。

多少上の表現に誇張はあれど、自分の悪い癖だと思う。

追いかけるより追いかけたい。
追いかけられるのは好きじゃない。
でも、見向きもされないことはもっと嫌で。
全体が10だとしたら9:1、9.5:0.5くらいで自分と対象の関係が築けるのが多分ちょうどいいんじゃないかなと思うくらい、加減が面倒な人が私です。


片思いが一番楽しいのは、きっとその関係が成立した上で良好なままでいられるからだと思います。

愛されたいなら愛せよ、ととある神は仰ったそうですが本当のところはどうでしょうかね!






春が好きになれないのは抗えないからだ。

他人の涙はどうでもいいものなのに、不思議とみていると自分の視界が揺らぐから苦手だ。
不可抗力で顔面をべちょべちょの状態にすることの何が楽しいのか。



「夜桜は死体を吸い込みそうで、綺麗だね」
「42214219?」
「そうだなあ、遠慮しておくよ」

本音の言えない子は可愛くなれないから、ソメイヨシノの下で一生を迎えたい。



詩を勉強すればするほど、言葉も文章も不自由で下手くそになれるね。
まるで、まほうみたい。






次にうまれかわったら哲学科で勉強してゆっくりと自殺するためにいきることを考えたい。
人生そのものが何も考えようとしていない自殺だ。


今夜の夢は静かに沈んで消えていくものになれたらいいな。

くちびるにはうたを


三寒四温なこの時期になると服装をどうしていいかわからなくなって、結果、どうせ予定もないからどうでもいいやと寝巻きのまま一日中過ごしてしまう。
バイトも来週いっぱいまで休みなのもあり、完全オフの日は100歩いくかいかないかくらいの運動量で日が暮れている。
だから太るんですけどね。
















素直な気持ちをもっと上手く伝えたい。

仮にも文学、言葉を学んでいるはずなのにどうして私の口も指も言いたいことをきちんと言えないのだろうか。



「どうして甘えないんだ」「もっと弱みを見せればいいのに」と言われてもこっちの身としてはどうしてそんなことしなくちゃいけないんだ、という発想だからしていないのだ。


昔、好きだった人に「化粧は女性のマナー」と教えられた。
だから私は絶対化粧は基本的にするものだと思っているし、それを崩すようなことをしたくない。

本当は、言いたいことを全て言ったら泣いて化粧がボロボロになった自分なんて見られたくないからだ。
自分のこういう無駄に高いプライドが最高に嫌いです。









思っていたことが現実になるのは怖いし、もやもやしていた気持ちが形になるのはいつまで経っても慣れない。

泣きたくないのに止まらない涙は不便だ。








死にかけ音楽は聴いて欲しい人には届かないのかな。

明日が来なくてもいいのにな。





なんてね、おやすみ世界。

モノクロックの秒針


好きだったものがふと気付いた頃には普通かそれ以下に変わっていることが少し怖くなった。

大きく思っていた自分の手のひらは、しわくちゃで何も掴めてはいない。
それを悔しいと思いながらもどこかで無理だと諦めて、自己否定にならないための理由としている。


「まだ○○歳なのに〜」という言葉はあまり好きではない。
昔の人生プラン通りなら既に折り返し地点は過ぎた筈だから。








書店や図書館といった、所謂思考の死体が眠る場所が好きです。
いくらでも時間をある程度までタダで潰せる場所だと思う。
服屋みたいに店員さん来ないから自分のペースで見れるし、何よりも空気が落ち着く。
インクと紙、そして湿気の匂い。
死体たちは誰かが欲するまでじっと身をそのまま埋めている。


変わらない何かなんてものは殆どなくて、求めても手に入れてはいけないものなんだろうな。


今日ふと入った書店の一角に「受賞作コーナー」がありまして。
様々な賞の作品が平積みしてあるコーナーを見て、ぶるっと震えた。

圧巻されたのだ。
表紙に、タイトルに、気力に。

「小説家も評論家もタイトルを付ける瞬間だけは皆詩人」というのが私の教授の教えなのだけど確かにそうだなと思いました。
とにかく、小説を書こう。







大嫌いなものが普通かそれ以上に変わる経験はほぼ無に近いので一回くらいは味わいたいかもしれない。

そういや一年半が経ったそうです。
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