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1600には届かない

何を考えているのかわからない人が好きで、目に力がある人が好きで、瞳孔も分からないような真っ黒な瞳の人をこの前見かけて、あの人のことは好きだけど大嫌いだなと思った。

すくいとって突き刺してあげる

生産性のないことが嫌いだ。その癖、生産性のない生活をすることが大好きだ。生産性のない僕らには生産性のない時間しか過ごせないし空っぽな隙間を埋めるためだけに存在しない愛を疑似的に見出して生産性のない点検作業のようなセックスをしてたわいもなく笑いながら先の見えない夢の中で生産性のない関係を続けていく。決して交わることはないしそこから正しいものが生まれるなんて傲慢なことを考えちゃいけない。正しさなんてひとつもないし、正しくあっても幸せにはなれない現実から逃げられないんだから。

空っぽだとかそういうことじゃなくて、ただそこには元から何もなくて埋まっているフリをしていた結果、僕らは赤い糸でお互いを縛り付けあって咀嚼して抱きしめあって生産性のない夜明けを作り合う。そこには正しさなんてないし答えもない。渇き、疼き、慰めあって。九ミリの孤独が蔓延する部屋の中で贖罪への点検作業をしよう。嘔吐まみれの昨日の亡霊は一突きにして殺してあげるからどうかそのままの世界でいて。


愛も夢も何もいらない。欲しいのは空に浮かぶ金色の孤独だけ。淡く確かに輝き続ける永遠の姿だ。




煙草を吸う。一週間ぶりの煙は胸をちりちりと焦がす。毎日吸っていても寿命はたったの十年しか縮まないらしい、と言っている人がいた。体に悪いと言われながらもそれだけしか縮まないなんて意味ないし早く死なせてくれればいいのに、と微笑みながら。そうですねと言いながら電子ライターをつける。回転する瞬間の火花が好きだ。ジリッと音を立てて火が付く。生産性のない行為の一つだ。キスする時に苦いから煙草は嫌いと言っていたので会う日は一日禁煙。会っている時は口さみしくなることもないから吸わなくても生きていける。飲み物が欲しいと言えば必ず口移しで一口、二口と分け与えてくれるところが好きだ。腰を折り曲げて欲に塗れた顔になる瞬間が堪らなく愛しくなる。それでも、「煙草をやめないともう会わない」と言われても吸い続けるとは思う。目の前で吸うことはしないけど、かなしくならないためにはもう必要不可欠なわたしの構成物質の一つだから。吐き出した煙はどこにいくのだろう。生み出せなかった正しさの元で確かに届いてくれればいいとは思う。


自分の言葉が他人に届いてそれがまた新たな形を与えられて他人に届けられるところを見た。戦えば必ず何かは出てくるのだと実感した。わたしは幸せなのだ。幸せは壊してしまいたくなるけど、こうやって書くことはどこかで誰かに作用しうるものなのだ。


風邪が治ったら浴びるほど酒を飲むと決めたのでさみしくなる前に一口ちょうだい、とねだりにいこうと思う夢を見たんだった。

排他的行為

どんなに毎日バイトをして連勤生活を送っても大丈夫なのに、環境の変化に弱いのか、はたまた人と会うことに耐性がないのか分からないけれど、三日続けて遊ぶだけで体調を崩す。

今回も例に漏れずそのパターンで風邪を引いた。
久しぶりに喉からくるタイプのやつを貰ってきたらしく、咳が止まらない。音で言うと、「ゴホッゴッウッゴホゴホッウーッゴッオエッグッホッオッオェッ」といったもので咳き込みすぎて最終的にえづく。出ない時は全く出ないのに、一度出ると止まらないので厄介だ。今日も帰り道ゴホゴホしながら走っていたら、本当に死ぬんじゃないかと思うくらい長く咳が出て知らないお兄さんにチラチラと見られた。


体が弱ると心も弱る。

基本的に一人で大丈夫なタイプなのに、一人が苦手だ。特に今日みたいな日はさみしくてさみしくて誰これ構わず連絡を取りたくなる。欲求不満なのか、と聞かれたら多分その通りでだからこそ人と会いたくなるのかもしれない。でも、嫌われるのが嫌だからそろそろ咳き込みすぎて割れそうな腹筋を撫でながら黙って白湯を飲み込むのだ。言葉も薬もやり場のない気持ちも一緒くたに体に取り込めば明日は必ずやってくるから。











仮にこれが何かの報いだとしたら心当たりが多すぎるので、そろそろ沈静化させてくださいね神様。

大人になれば微笑みあえるよ

「悪い女だね」とパンケーキを食べながら言われた。何が悪いの、と聞き返せばうまく言えないけど何となくだよと笑われて、明確な答えはないんだろうなと思いながらそっかと一緒に笑った。


たわいもない話をした。
音楽のこと、言葉のこと、昔の話、これからの話。流れるBGMが心地よかった。大して好きでもないコーヒーを片手に目の前の人を見る。ぼんやりと明日は雨なのだろうかと考えながら最後の一口飲み干した後は、本屋に行って二冊目の詩集を買った。



正しく生きていこうとずっと思っていた。その正しさの証明とは何かを追い求めていた。
正しさなんてひとつもなくて境界線がそこにはあるだけで、そんなこと、元々知っていたのに知らないふりをしていたのは自分だった。



やさしさにあふれていたら、だれかを傷つけなくて済むのかって言われたらそんなことはなくて、やさしさに傷つけられるから流されて止まれない。



罪悪感を飼いならすと空っぽな心が埋まった。
世界としての正しさと私としての正しさはどっちが本当に救われるのだろう。


私が悪い女でも悪い人でしょう、と微笑めばそんなことはないけどそうかもしれないね、と笑ってくれるから多分幸せなのだ。
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