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俺の剣道物語 高校篇その四

第5章 俺の剣道物語 高校篇その四


真夏の暑い灼熱の剣道合宿が始まった。

期間は1週間。。携帯の電波はあやふや。長野県のとある田舎町に缶詰になって行われる。埼玉、神奈川、群馬といくつかの高校で合同に行う。とにかくキツイ合宿である。

毎朝起きてすぐに早朝練から始まり、合宿場に戻り、朝食。そのまま軽く休んで午前練習。再び合宿場に戻り昼食後、午後練が日没まで続く。

1日が長い。。とにかく長い。。

そして内容がハード過ぎる。常に体の各部位が悲鳴をあげる乳酸地獄。。。

二人一組になって、おんぶをしてのランニング、腕立て、バック走などの基礎体力トレーニングから始まったかと思えば、いざ竹刀を持ったら、合宿の参加人数×10本、大体毎年1000本を軽く越える通称「全員素振り」。しかもこれは竹刀を二本使い、なおかつ持ち手を逆に持つ。(バカじゃないの?笑)

これを数セット行うので、初日でほとんどの剣士の両腕の筋肉は破壊される。しかもクーラーなどない真夏の体育館である。熱中症にならないのもおかしい。

ちなみに素振りの間はサボりなんて決して許されない。他校の怖い怖いOBが見張っているから。声が小さいとその場で即10本追加。終わりが遠ざかる。

死にそうになりながらなんとか乗り越えて、やっとやっと、、面付けである。正直こんな疲弊してる状態でフル装備でまともな稽古出来るわけがないだろ。

面を付けたあとも体育館のフロア全域をフル活用しての追い込み稽古。これで足の筋肉もボロボロ。

最後は自稽古や試合練習。日が沈んでやっと合宿場に帰れる。空腹で夕飯が待ち遠しいが、腕の筋肉がプルプル震えて箸が上手く持てない。ご飯が畳に落ちる落ちる。まともに飯を食えないなんて、どんな合宿だよ。。。頭おかしいだろ。

ちなみに俺は一年の時と二年の時、両方とも、、夜に他校のOBの部屋に呼び出しをくらい、声が小さいだの、試合中の態度が気にくわないだのの、説教を二時間受ける羽目にもなった。途中胸ぐらを掴まれたり、ローキックを食らったりもした。なんなんだよまじで。くそが。

ひょろひょろの人も、体力がない人も、みんな一生懸命素振りを頑張っているのに。横であんな偉そうに振舞われたらそりゃ試合中に態度悪くもなるだろうが。ざけんなくそが。

夜は布団でぶっ倒れながら死んだように眠り。繰り返し、繰り返され、やっと長い7daysが終わった。もはや忍耐力を鍛えるため以外の何でもない合宿。笑

途中。

乱暴な文章になってしまったことを深く謝罪する。

でもあの合宿をみんなで乗り越えたときの達成感は計り知れなかった。一生の財産として墓場まで持っていくつもりである。

感動とか絆とか。。。そんな綺麗な言葉じゃなくて、それ以前にそこに生存出来ている喜び。

忘れないよずっと。
みんな大好きだぜ。



この合宿を乗り越えてようやく俺たち8人は「入部バッジ」を手に入れた。


夏が終わり新学期になって


俺たちは誇らしげにそのバッジを学ランの首元に付けた。




ちなみにまだ俺はこの時点では

精神世界の闇のドン底には落ちていない。

この後である。


負のスパイラルが待っている。





〜続〜






俺の剣道物語 高校篇その三



第4章 俺の剣道物語 高校篇その三






今思えばあれくらい思い上がるのも、勢いがあってフレッシュでいいことなのかもしれないが、その後の未来を知ってる俺本人からしたらとんだ笑い者である。




入学式で俺はこの三年間に必ずレギュラー入りするぞと一人胸に誓った。

そのまま5月のGWに神奈川の強豪校で行われる合同合宿に一年生の中から三人行ける枠に選ばれた。

俺以外の二人は中学時代、一人は個人県二位で全国大会へ出場、もう一人は団体で関東大会へ出場しているかなりの実力者。

ぶっちゃけこの二人には勝てないと思った。というのも彼らは小学生の頃からのスター選手だったから。サボりまくりの小学時代の俺とは育ちが違う。初めて会話した時はかなり緊張した。


合宿では俺は1番下のランクのチームで出場。無名剣士だし、まあ当然か。勝率は悪くなかった気がする。この頃の俺はいろいろと勢いがあった。

とりあえずはこの合宿の参加枠に入れたこと自体が大きな収穫であった。

そして、合宿が終わって夏を迎える前に通過儀礼があった。

それは、この部活独自の言葉遣いや礼儀作法を先輩方から後輩に徹底的に叩き込む「説教」という儀式である。

後ですぐにわかったことだが、それは何十年も受け継がれてきた剣道部の伝統行事だったらしい。

練習が終わったあと、説教係と言われる怖い先輩の周りに正座し、一人一人、言葉遣いの間違いを注意される。部活中だけでなく、学校生活において、先輩への挨拶を怠ったケースも全て記憶されていて、注意を受ける。怖い。練習中の意欲のなさを疑われた日はかなりヤバイ。


その儀式は全員が礼儀作法をマスターするまで続く。俺たちの代はだったの8人しかいないが、10日から2週間程続いた。


この高校はとにかく先輩との上下関係が厳しかった。近年でも珍しいくらいに。

その厳しさは、剣道の強さ、母校の中学が同じ、兄弟、、、一切関係ない。



俺がこの高校を卒業して約三年半後、大学四年生の時に教育実習で再び訪れた時も、その伝統は受け継がれていた。

なんてゆーか、その時は感動した。伝統ってすごいなーと。


通過儀礼を終えても、剣道部の証である「入部バッジ」はまだもらえなかった。。。。



もらえるのは


夏の



地獄の合宿を



乗り越えた者のみである。



〜続〜

俺の剣道物語 高校篇 その二



第3章 俺の剣道物語 高校篇 その二




前もって言っておきますが、高校篇は精神世界の描写が多くなります。当時の自分の勝手な誤解、解釈や被害妄想も多く含まれます。時に暴力的な発言もございます。ご了承下さい。


高校篇は




長くなります。。。









高校の入学式は体育館が改装工事中だったので、町の中心の大きなホールのような場所で行われた。

確かに中学の卒業前、稽古に参加させてもらうとき、なんで剣道場がプレハブの仮設体育館なんだろうと疑問を持っていた。




古い伝統校だから

体育館を建て直してるのか。






さあ入学式!

一組から新入生の名前がフルネームで順に呼ばれていく。

俺はその声を一つ一つ聴き分け、県内の剣道の強豪選手がいないかチェックしていた。

知ってる名前が出たら配られた進行表の紙の裏にメモをしたのだ。


何故だろう。


あの頃は

多分意地があったのだろう。


ここにいるどんなやつらよりも俺は早くから、ここの剣道部の練習に参加している。なんてったって中学の卒業前からだぞ。

今は絶対的に強い国体強化選手の先輩達がいる。

だが、その先輩達が引退したら?

わからないんじゃないか?

俺でももしかしたらレギュラーになれるんじゃないか?







長い長い時間をかけて、俺を含めすべての新入生の名前が読み上げられた頃、




俺はニヤついていた。








俺が知る。














強い奴が



















多分

























三人。。。。







剣道のレギュラーは5人、補欠入れたら7人。。。











ふ。





ふふふっ。


はっはっはっ


はーはっはっはっは





いける。








この代は埼玉国体の翌年に三年生になる代。




つまり。


すべての標準は


一つ上の代。

どうりで二年生がドリームチームなわけだ。





俺らの代は









そんなに選手は集められなかったんだ。。。










今は無理でも


俺の代になったら?


もしかしたら。



こんな何も持たない田舎剣士が





覇道の道を行けるかもしれない。







そんな若さ故の淡い野望を抱いていた少年が


そこにいた。。。




そして



三年間が始まったのだ。











〜続〜

俺の剣道物語 高校篇 その一


第2章 俺の剣道物語 高校篇




今はもう違うかもしれないが、

当時

その高校はただただ強かった。


強豪の中のさらなる強豪。
天の上の頂。

つまり

全国レベルだった。


何でこの人がレギュラーじゃないの?え?この人県大会で入賞してた人じゃないの?あれこの人も全国大会出た人。。。あれあそこにも。。。

え?やばくない?何ここ。


そんな感じで県の有名選手がひしめく、熾烈なレギュラー争いを日々繰り広げるまさにコロシアムだった。

当時数年後に控えた、ホームでの開催の埼玉国体に備えて、その監督でもある顧問の先生が県内からさまざまな強豪選手を呼び寄せていたのである。


俺は通常の校内推薦でこの高校に合格したので、決して剣道の実力で来たわけではない。ただ、隣町で近いという理由と、父親と兄貴も行っていた母校だから、間違いないという母親からの勧めからだ。

合格が決まってから、中学の卒業前なのにも関わらず、顧問の先生の誘いで練習に混ぜてもらっていた。


正直言おう。三年間練習のメニュー自体はあまり体力的にきつくはなかったと思う。

量より質を追求し、短時間に一気に集中する稽古だった。



だがしかし俺は自らの存在理由を見失い、精神世界の迷宮に迷い込むこととなるのである。。。。



迷いは剣に現れる。

中学の時とは比にならないくらいの

負のスパイラルにはまることとなる。。。




〜続〜

俺の剣道物語 中学篇

この歳になって「剣道」を考える。

ちょいと長いがごめん。

過去との決着を付けさせてくれ。


第1章 俺の剣道物語 中学篇


俺は小学生の頃から高校卒業時まで剣道をやっていた。9年間。(ちなみに大学4年間はダンス)←笑

始めたきっかけは、兄が町の剣道教室みたいなとこで先にやっていて親が迎えに行く時にいつもついて行って、弟のお前もやってみたら?と言われたいう単純な理由である。


小学生の時は何度も何度もサボったし、正直適当な気持ちでやっていた。勝ちたいとか、剣道をやる意味とか、深く考えずに同じ動きを毎回、ただただ繰り返すだけだった。(確か一回だけ町内大会で何故か二位になったっけ)

やがて中学校に入学し、仮入部で陸上部に行ったりもしたが、結局深い意味もなく、今までやってきたしと、別にいいか、とそのまま剣道部に入部。

5つ上の兄貴も剣道部だったらしい。家に賞状がたくさん飾ってあったことから、多分それなりに強かったのに、どうやら真面目に部活動に行っていなかったらしく、使っていた防具がそんなに痛んでいなかったため俺がお下がりでそのまま使った。

俺の三年間が始まった。



一年時の夏に三年生の副部長に偶然勝つ。

二年生の次期部長(この人はマジで怖くて厳しかった)にも夏の終わりに部内戦?で何故か勝利。。

その頃から二年生で別の道場にも通う当時最強の先輩(違う町の剣道道場に通う別格に強い先輩。普段はあまり部活に来ないが、大会前に合流、大会では無双的な無敵な強さを発揮する先輩)に目をつけられ、お前も俺の道場に来ないか?と誘いを受けるも、断り、新部長の下で厳しい練習に耐え抜く。その別格に強い先輩は方向性の違いを理由に部活から離脱。。。

俺が二年生になった時から、お前が次期部長だと言われるようになった。理由は剣道の強さではなくて、朝練で指導しに来てくれている外部コーチに気に入られていたからではないだろうか。部長にもコーチにも毎日、余計に厳しく指導され、次第に剣道と真面目に向き合うようになる。(小学生の頃もっとちゃんとやっていれば良かったと反省)

当時は顧問の先生が剣道未経験者で、その外部コーチが朝練だけ来てくれるので、午後は自分達でメニューを考えて練習していた。

今になって考えると、ほとんど先生が見にこない午後の無法地帯をここまで厳しく、規律と礼儀作法をもってまとめ上げた部長は本当にすごい。一つ上とは思えない、波動というか、オーラでめちゃくちゃ怖くて、みんなビクビクしながらも尊敬していた。みんなその言葉や言動にすぐに動いた。その代は県内でも強豪多い地区大会で優勝までしてしまった。


そして時がたち
俺が二年生の夏。

俺が部長になった。


なってしまった。。。




俺が部長になった後の部は正直ガタガタだった。
練習はちゃんとしていたけど、俺の強さが安定しない、ってか弱いせいで、みんながついてこない。周り全体のやる気が下がっていた。

部内戦でも俺はまったく勝てなかった。副部長は小学生の頃からちゃんと勝ちにいく剣道をしてたやつだったから副部長の方が勝率が安定。


俺に威厳や発言力なんて全くなかった。

新人戦も団体は地区でベスト8、個人は二回戦敗退というカスっぷり、副部長はたしか三位。。


部活はそのままぐっだぐだ。。。

俺はもうどうすればいいんだと、それでも練習するっきゃないと、家に帰ってから夜に一人重い木刀を振ったり、片手で素振りしたり、町の道場の先生方に稽古してもらったり、自主練習をしまくったが一向に強くはなれなかった。

なんだかんだで時が流れて、、

俺が三年生になったときに

県内でも有名な実績のある先生が転勤してきたのである。

そのままうちの顧問になってくれて、よっしゃーと思っていたら新しい副顧問の先生もなんと剣道経験者のしっかりとした人がついてくれた。

朝練は外部コーチ(OBね)。午後はその新顧問の先生方というスペシャルなメニューで部活が再始動した。

部活の雰囲気も新顧問がビシッとまとめ上げてくれて、引き締まって、練習に身が入り、土日もしっかりとした練習試合や合宿などを組んでくれた。
俺の勝率も安定し、新顧問は俺のポジションを中堅から大将にしてくれた。

やがて迎えた夏の大会では団体で地区大会三位になり、県大会に出場。県大会ではすぐ負けたけど、もっと早く今の顧問に会いたかったという気持ちと、自分一人では部をまとめられなかった時の悔しさとか、心の弱さとか、いろいろが溢れ出してひたすら泣いたのを覚えている。

三年生の初夏に小さな大会ではあったけれど、郡の大会で個人優勝することが出来た。親に数少ない俺の名前が入った賞状を持ち帰ることが出来たので、本当に良かった。

珍しく親がにこやかに笑っていた。

そんな感じで夏の終わりに中学の剣道部の引退を迎えた。



いろいろあったけれど、

最後に剣道が楽しい、

剣道が好きだと思える終わり方で本当に良かったと思う。



以上が

俺の剣道物語中学篇。。


そして、物語は

波乱の

高校篇へ続くのだ。。。。笑



〜続〜