スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

interlude


ここで間奏曲。



一休み。





なぜ俺が今回「剣道」について記憶の整理をしているのか?

少し書こうと思う。



最近はyoutubeなど動画配信サイトのおかげで、手軽に、中学、高校、大学などの剣道シーンを見ることが出来るようになった。早送り、巻き戻しも自由に。

インターハイや関東大会などの試合動画などもすぐにアップされ、再生ボタン一つで、いつでもどこでも剣道特有の瞬間の勝負、美しさを楽しめる。

素晴らしい時代になったものだ。

youtubeなんてない時代は試合者両者が光速の打突を放った時、自らの目が見逃したら、もうその瞬間は二度と見れなかった。ビデオカメラでも撮ってない限り。

俺の自論ではあるが、剣道の試合はこの世の勝負でもっとも美しい勝負だと思っている。

(男にはそれぞれに自分がもっとも綺麗で美しいと思う勝負があるはずだ。俺は生まれ変わっても剣道と言うぜ)

その世界で一番美しい勝負はDVDにもブルーレイにもならない。

そして現代の剣道のレベルの高さに圧倒された。

みるみるうちに10年ぶりくらいに剣道にのめり込んだ。実際に竹刀は握らないけれど。

ノートに現代の剣道シーンをまとめてくうちに自分が「ネット剣士」になっていることに気づいた。


ネット剣士でもいい、俺の心の中にまだ剣があったこと。それが堪らなく嬉しく。

「俺にとっての剣道とは何だったのか」


文章に残したくなったのだ。



もし俺が明日急に死んだとしても。


このネット世界のどこかに俺が剣道をやった証は残る。


まだ剣道物語は綴っている途中ではあるが、



その衝撃のラストを。。。


どうか飽きずに見守っていてほしい。






一つ言えることは



俺は何度生まれ変わっても剣道を選びたい。

剣道を心の底からリスペクトし、愛している。


スポーツとは思わない。人が生きるためのしるべ。

道だと思っている。



interlude 〜完〜

俺の剣道物語 高校篇その四

第5章 俺の剣道物語 高校篇その四


真夏の暑い灼熱の剣道合宿が始まった。

期間は1週間。。携帯の電波はあやふや。長野県のとある田舎町に缶詰になって行われる。埼玉、神奈川、群馬といくつかの高校で合同に行う。とにかくキツイ合宿である。

毎朝起きてすぐに早朝練から始まり、合宿場に戻り、朝食。そのまま軽く休んで午前練習。再び合宿場に戻り昼食後、午後練が日没まで続く。

1日が長い。。とにかく長い。。

そして内容がハード過ぎる。常に体の各部位が悲鳴をあげる乳酸地獄。。。

二人一組になって、おんぶをしてのランニング、腕立て、バック走などの基礎体力トレーニングから始まったかと思えば、いざ竹刀を持ったら、合宿の参加人数×10本、大体毎年1000本を軽く越える通称「全員素振り」。しかもこれは竹刀を二本使い、なおかつ持ち手を逆に持つ。(バカじゃないの?笑)

これを数セット行うので、初日でほとんどの剣士の両腕の筋肉は破壊される。しかもクーラーなどない真夏の体育館である。熱中症にならないのもおかしい。

ちなみに素振りの間はサボりなんて決して許されない。他校の怖い怖いOBが見張っているから。声が小さいとその場で即10本追加。終わりが遠ざかる。

死にそうになりながらなんとか乗り越えて、やっとやっと、、面付けである。正直こんな疲弊してる状態でフル装備でまともな稽古出来るわけがないだろ。

面を付けたあとも体育館のフロア全域をフル活用しての追い込み稽古。これで足の筋肉もボロボロ。

最後は自稽古や試合練習。日が沈んでやっと合宿場に帰れる。空腹で夕飯が待ち遠しいが、腕の筋肉がプルプル震えて箸が上手く持てない。ご飯が畳に落ちる落ちる。まともに飯を食えないなんて、どんな合宿だよ。。。頭おかしいだろ。

ちなみに俺は一年の時と二年の時、両方とも、、夜に他校のOBの部屋に呼び出しをくらい、声が小さいだの、試合中の態度が気にくわないだのの、説教を二時間受ける羽目にもなった。途中胸ぐらを掴まれたり、ローキックを食らったりもした。なんなんだよまじで。くそが。

ひょろひょろの人も、体力がない人も、みんな一生懸命素振りを頑張っているのに。横であんな偉そうに振舞われたらそりゃ試合中に態度悪くもなるだろうが。ざけんなくそが。

夜は布団でぶっ倒れながら死んだように眠り。繰り返し、繰り返され、やっと長い7daysが終わった。もはや忍耐力を鍛えるため以外の何でもない合宿。笑

途中。

乱暴な文章になってしまったことを深く謝罪する。

でもあの合宿をみんなで乗り越えたときの達成感は計り知れなかった。一生の財産として墓場まで持っていくつもりである。

感動とか絆とか。。。そんな綺麗な言葉じゃなくて、それ以前にそこに生存出来ている喜び。

忘れないよずっと。
みんな大好きだぜ。



この合宿を乗り越えてようやく俺たち8人は「入部バッジ」を手に入れた。


夏が終わり新学期になって


俺たちは誇らしげにそのバッジを学ランの首元に付けた。




ちなみにまだ俺はこの時点では

精神世界の闇のドン底には落ちていない。

この後である。


負のスパイラルが待っている。





〜続〜






俺の剣道物語 高校篇その三



第4章 俺の剣道物語 高校篇その三






今思えばあれくらい思い上がるのも、勢いがあってフレッシュでいいことなのかもしれないが、その後の未来を知ってる俺本人からしたらとんだ笑い者である。




入学式で俺はこの三年間に必ずレギュラー入りするぞと一人胸に誓った。

そのまま5月のGWに神奈川の強豪校で行われる合同合宿に一年生の中から三人行ける枠に選ばれた。

俺以外の二人は中学時代、一人は個人県二位で全国大会へ出場、もう一人は団体で関東大会へ出場しているかなりの実力者。

ぶっちゃけこの二人には勝てないと思った。というのも彼らは小学生の頃からのスター選手だったから。サボりまくりの小学時代の俺とは育ちが違う。初めて会話した時はかなり緊張した。


合宿では俺は1番下のランクのチームで出場。無名剣士だし、まあ当然か。勝率は悪くなかった気がする。この頃の俺はいろいろと勢いがあった。

とりあえずはこの合宿の参加枠に入れたこと自体が大きな収穫であった。

そして、合宿が終わって夏を迎える前に通過儀礼があった。

それは、この部活独自の言葉遣いや礼儀作法を先輩方から後輩に徹底的に叩き込む「説教」という儀式である。

後ですぐにわかったことだが、それは何十年も受け継がれてきた剣道部の伝統行事だったらしい。

練習が終わったあと、説教係と言われる怖い先輩の周りに正座し、一人一人、言葉遣いの間違いを注意される。部活中だけでなく、学校生活において、先輩への挨拶を怠ったケースも全て記憶されていて、注意を受ける。怖い。練習中の意欲のなさを疑われた日はかなりヤバイ。


その儀式は全員が礼儀作法をマスターするまで続く。俺たちの代はだったの8人しかいないが、10日から2週間程続いた。


この高校はとにかく先輩との上下関係が厳しかった。近年でも珍しいくらいに。

その厳しさは、剣道の強さ、母校の中学が同じ、兄弟、、、一切関係ない。



俺がこの高校を卒業して約三年半後、大学四年生の時に教育実習で再び訪れた時も、その伝統は受け継がれていた。

なんてゆーか、その時は感動した。伝統ってすごいなーと。


通過儀礼を終えても、剣道部の証である「入部バッジ」はまだもらえなかった。。。。



もらえるのは


夏の



地獄の合宿を



乗り越えた者のみである。



〜続〜

俺の剣道物語 高校篇 その二



第3章 俺の剣道物語 高校篇 その二




前もって言っておきますが、高校篇は精神世界の描写が多くなります。当時の自分の勝手な誤解、解釈や被害妄想も多く含まれます。時に暴力的な発言もございます。ご了承下さい。


高校篇は




長くなります。。。









高校の入学式は体育館が改装工事中だったので、町の中心の大きなホールのような場所で行われた。

確かに中学の卒業前、稽古に参加させてもらうとき、なんで剣道場がプレハブの仮設体育館なんだろうと疑問を持っていた。




古い伝統校だから

体育館を建て直してるのか。






さあ入学式!

一組から新入生の名前がフルネームで順に呼ばれていく。

俺はその声を一つ一つ聴き分け、県内の剣道の強豪選手がいないかチェックしていた。

知ってる名前が出たら配られた進行表の紙の裏にメモをしたのだ。


何故だろう。


あの頃は

多分意地があったのだろう。


ここにいるどんなやつらよりも俺は早くから、ここの剣道部の練習に参加している。なんてったって中学の卒業前からだぞ。

今は絶対的に強い国体強化選手の先輩達がいる。

だが、その先輩達が引退したら?

わからないんじゃないか?

俺でももしかしたらレギュラーになれるんじゃないか?







長い長い時間をかけて、俺を含めすべての新入生の名前が読み上げられた頃、




俺はニヤついていた。








俺が知る。














強い奴が



















多分

























三人。。。。







剣道のレギュラーは5人、補欠入れたら7人。。。











ふ。





ふふふっ。


はっはっはっ


はーはっはっはっは





いける。








この代は埼玉国体の翌年に三年生になる代。




つまり。


すべての標準は


一つ上の代。

どうりで二年生がドリームチームなわけだ。





俺らの代は









そんなに選手は集められなかったんだ。。。










今は無理でも


俺の代になったら?


もしかしたら。



こんな何も持たない田舎剣士が





覇道の道を行けるかもしれない。







そんな若さ故の淡い野望を抱いていた少年が


そこにいた。。。




そして



三年間が始まったのだ。











〜続〜

俺の剣道物語 高校篇 その一


第2章 俺の剣道物語 高校篇




今はもう違うかもしれないが、

当時

その高校はただただ強かった。


強豪の中のさらなる強豪。
天の上の頂。

つまり

全国レベルだった。


何でこの人がレギュラーじゃないの?え?この人県大会で入賞してた人じゃないの?あれこの人も全国大会出た人。。。あれあそこにも。。。

え?やばくない?何ここ。


そんな感じで県の有名選手がひしめく、熾烈なレギュラー争いを日々繰り広げるまさにコロシアムだった。

当時数年後に控えた、ホームでの開催の埼玉国体に備えて、その監督でもある顧問の先生が県内からさまざまな強豪選手を呼び寄せていたのである。


俺は通常の校内推薦でこの高校に合格したので、決して剣道の実力で来たわけではない。ただ、隣町で近いという理由と、父親と兄貴も行っていた母校だから、間違いないという母親からの勧めからだ。

合格が決まってから、中学の卒業前なのにも関わらず、顧問の先生の誘いで練習に混ぜてもらっていた。


正直言おう。三年間練習のメニュー自体はあまり体力的にきつくはなかったと思う。

量より質を追求し、短時間に一気に集中する稽古だった。



だがしかし俺は自らの存在理由を見失い、精神世界の迷宮に迷い込むこととなるのである。。。。



迷いは剣に現れる。

中学の時とは比にならないくらいの

負のスパイラルにはまることとなる。。。




〜続〜
<<prev next>>