2015-1-13 20:18
最近いろんなマイナス感情が蓄積して、
自分で自分を押し殺していた。
「可能性」の言葉を忘れるほどに。
何をしても失敗するイメージが繰り返され。
それはまるでめくってもめくっても同じ絵ばかり出る紙芝居。
人前では笑っていて、なんてことないふりの猿芝居。
実際は暗い気持ちで満たされ、下ばかり見て歩く日々。
汚れのない靴で。
舗装された道を選んで歩いてきただけ。
空の色の移ろいになんて気付けない。
心に欲望の波はなく、だれかに小石を投げ入れられるのを待つだけ。
手に持つたいまつの火は消え、
抜けた洞窟の先でも冷めたリアクション、レスポンス、インプレッション。
さまざまな「対象」への距離に負け、勝手なイメージや固定観念に沈められ、あきらめる言葉の数々。
自分の手で自分の頭を水面で押さえつけて自殺するような。
崩落のステージ。
何やってんだよっ!
ざけんな
こんなものじゃなかったはずだろ。
結局のところ
言うほどできやしない。
言うほど強くもなくて。
影響力もない。
この一生のうちに出来ることなんてたかがしれてるんだよ。
勝手に酔うな。
ただの奢りだろ。
一番カッコ悪いパターンだそれは。
傷付いてるからって、義務から逃げれるのか?それで誰かに優しくされるのか?
情けない。。本当。死ねばいい。
視野を広くもっと受容的、寛容的にならなければ、人からも世界からも見放される。
傷付くこと恐れ、攻めを忘れ
感情表現が感傷表現になってんじゃねーか
攻めなきゃ忘れられんだよ!
攻撃は最大の防御じゃだめなんだ。
「防御」の言葉なんて、意味ごと消え去れ。
攻撃こそが表現であり、つまり忘れられないための、個の宇宙の中で埋もれないための生存方法なんだよ。
さまざまな目標への距離。
物理的距離を射程距離に変えろ。
変える力がないならば自ら走って近づくんだよ。
歳のせいだって息切らすことをためらってんじゃねー
むしろ今だから
いろんな距離を意識出来る今だから、
駆けずり回らなきゃいけないんだ。
横を走る車にしがみついて、引きずられてもいい。
足が折れても、千切れても
その手ははなしちゃいけないんだ。
2015-1-7 12:19
ようやく2014という響きや書体に慣れたと思ったら早くも2015年。
子供の頃思い描いていた2015年と程遠いが。
あの頃想像した未来に確かに今ここに生きている。
先日兄の結婚式があって
これまであまり理解してなかった兄がどんな旅をしていたか、青春をどんな友人達と過ごしていたか、はたして僕と似ているのかどうか。兄とは何だったのか。。いろいろ考え結果、兄を少しだけ尊敬できた1日であった。
お嫁さんは綺麗。人見知りなイメージはあったが、話してみるとすごく明るくて芯の強そうな方だった。
手作りのクッキーを披露宴で配っていて、それがまた上手くて。甘いものが苦手な僕もたくさん食べれた。甘味料なのかわからんが、緑色のカラーリングもなかなかNICE。
二次会で兄にまつわるクイズがあり、
そこで兄がこれまでに世界数十カ国を旅をしていたことを知る。そして旅の思い出を記録した本を出版していたことも。僕はクイズの景品でその本を入手し、その本の中で兄のハンドルネーム「 changes」を探した。旅の記録を読み、ワールドワイドかつバイリンガルかつトレジャーハンティングでインテリジェントな文にやられ、人生経験の濃さに圧倒されて悔しい。
僕のオタッキーなマニアックな狭き人生に比べ、
その歩数、キロ、マイル、里、酸素濃度、気圧全てを上回る旅路の数々に焦がれ、悔しい。
まあとにかく実家にまだ住んでいる頃、やたら兄が不在だった訳。その兄がたくさんの仲間たちに恵まれていたことを知った。喧嘩ばかりして嫌いな時もあり、すれ違いも多かったけど、少しずつまたいろんな話をしていこう。
僕は兄の二次会でこの人生最後になるであろうダンスをやったんだが見事に散りましたwww
ミスった時用の予備のヨーヨーを忘れてしまい、ヨーヨーは見事にミスってリカバリーに時間かかり、ダンスは緊張でぐだぐだ
また時間が許すなら見てくれ。
情けない動画。
youtu.be