話題:地震

こんばんは。
1週間ぶりの日記です。
ようやく思考も落ち着いてきました。
被災10日間は安否不明や放射能で頭おかしくなりそうなくらいに張り詰めてました…日記を読み返すとかなり悲観的になってたなあと思います(苦笑)すみません。
簡単に健忘メモ

20日に津波に襲われた石巻から祖父と従姉妹が避難してきて、今日従姉妹は避難所へ帰りました。

今避難してきている私の祖父は、震災直後は行方不明でした。高齢なこともあり正直、安置所へ探しに行くべきかとまで考えていたので元気な姿で会えて本当に嬉しかったです。

実は震災3日目まで津波で浸水した家の2階に祖父は篭城していました。
祖父の家は元々土台が高かった為に、じわじわと床上浸水はしたものの家は倒壊しなかったので2階に物を上げ、たまたま置いていたストーブで餅を焼いて寒さを凌いでいたと聞きました。
4日目に自衛隊のボートに助けられ、避難所へ避難できたところで従姉妹と再会できたとのこと。

震災直後、避難所ではクッキー1枚とバナナ半分を2人で分けたものが食事だったといいます。
現在は改善され、汁物が振る舞われるまでになったようですが…
クッキー1枚を2人。
それを食事と呼ぶ生活。
被災地といえども沿岸ではなかった私は米やカップ麺を食べれる恵まれた環境にあったのだと身をもって感じました。

10日ぶりのお風呂、温かいご飯と布団…私ができることは準備をするだけでしたけど。
それでも元気な姿で生きて会えてよかったです。

PS>祖父が避難してきて数日後、疲れきってはいましたが父も1日だけ帰宅しました。22日?かな。仕事後、帰宅したら普通に家のコタツに入ってました(笑)
再会したら泣くかと思ってましたが…あまりにも突然帰ってきたので逆にあっさりした再会に。
次の日も私が仕事に行ってる間にいなくなったのであまり顔を合わせてはいませんが…生きて顔を見れることがこんなに嬉しいものだとは思いませんでした。

奇跡的に直系親類は生きていますが、はとこは祖母と波に掠われ亡くなったと聞きました。
自分だけ逃げれば助かったかもしれないけれど、祖父母家族の元へ向かって亡くなった方の話を沢山聞きました。
もし少し時期がズレていたら私がその立場だったかもしれない。
そう思う度に命ある幸せを感じます。