「めりー・たなばたでーい!!」
仕事から帰ってきて玄関の扉を開けた瞬間、そんなふざけた歓声と共にパンッ!と何かが弾ける音と目の前にクラッカーを人様に向けながら何故か赤い帽子を被った、どこからどう見ても季節感とイベントをごった煮にしているとしか思えない奇手烈なエセサンタ女が「してやったり」とでも言いたげな誇らしげな顔をして立っていた。
怒濤の勢いで押し寄せた視界の暴力と聴覚へのダメージ、ついでに鼻を付く火薬臭さに一瞬思考が固まり、げほっと咳き込みながらずるずると脱力する。
というか、人に向けてクラッカー発砲するんじゃないこの馬鹿は。
「....また来たんかい」
「んっふふー、驚いた?驚いたね?
去年はクリスマス一緒に過ごせなかったからさー、今年の七夕はいっそコラボレーションしてみたらどうかと思いこうして実行してみました!わたしったらなんて天才!」
まるでほめてくれと言わんばかりのキラッキラした憎たらしい表情のエセサンタに怒る気力も無く、溜め息をつきながら靴を脱いで上がる。
とりあえず部屋着に着替えようと寝室へ向かうが、その間も「メリバター!メリバター!」と一人バタバタ走りながら騒ぐ声が廊下を響いて耳に届く。メリバタって何だメリバタって。
「おいこら不法侵入者」
「あーもう遅いよー着替えるの!
ほらほらご飯にするからうがい手洗いしてきなさーい!今晩はクリスマスチキン代わりにみんな大好きケンタッキーよん!」
「黙れ不法侵入者」
えぇーきっこえっませーん、と実に腹立たしいテンポでのたまうエセサンタ。
お前をクリスマスチキンにしてやろうか。この住所不定無職の不法侵入者め。
「ほおーら!ほんとに今日が終わっちゃうから早くおいでー?」
人の気も知らないでのほほんと笑う彼女に何か言い返したくなったが、結局何も言葉が出てこずおざなりにうがいと手洗いを済ませ食卓につく。
「え、うわなにこの料理のチョイス」
「いやー七夕らしい雰囲気出したかったんだけどさー、正直なんにも思いつかなかったのですこーしクリスマスカラー多めに出してみました!」
「いやこれまんまクリスマスでしょ」
みんな大好きケンタッキーにピザにフライドポテトに極めつけのホールケーキ(ちなみにチョコレートで出来たプレートには「お誕生日おめでとうなつちゃん」の文字が書かれているが私は誕生日ではない)。
夏真っ盛りだというのに、既に今年の冬を先取りしてしまった感満載だ。
いーじゃんほら食べようよいっただっきまーす!と合掌もそこそこにチキンにかぶり付いたサンタを見ていたら、クリスマスツリーや冬のイルミネーションなど、これ以上見えてはいけない幻覚まで見えそうになり思わず頭を振る。
何が現実で何がおかしいのか、境界が曖昧になってしまいそうだ。
今、夏。今日、七夕。七月七日、よし、よし、大丈夫私は冷静です。落ち着いた、落ち着いてる、落ち着いてる、おちついてる。
彼女が用意したクリスマスフルな料理をもそもそと食べながら、くるくると表情を変え話題を変える彼女をぼんやりと眺める。
ああ、久しぶりだな。
こんな風に彼女と過ごすのは、過ごしたのは。
いつまでも黙り込んだまま彼女を見つめる私に、始めはマシンガンのように喋り続けていた彼女も不思議そうにこちらを見つめ返してきた。
「──、どうしたの?」
「──ぁ....」
名前を、呼ばれた。
彼女の唇が私の名前を紡いだことに、突如、狂おしい程の苦味を覚えた。
今、私が頬張っているケーキは、苦味なんて感じようもないくらい甘ったるいショートケーキなのに。
どうしてだろう。口の中が、脳内が、胸の奥の奥が、じんわりと広がる甘い痺れと苦味に侵される。
頭が、喉が、上手く働かない。
「あ、あ....」
熱に浮かされたように、言葉にならない塊がぽろぽろこぼれ落ちる。
その塊を、どうにかして繋げようと内心もどかしさを覚えながら喉を震わせる。
「....あい、たかった」
少し心配そうに私を見つめていた彼女の肩が、ぴくりと震えた。
「あいたかった、ずっとずっと、あいたかった」
まるでその言葉しか知らない子供のように、同じ言葉を何度も繰り返す。
止まらない、止められない。
「は、はじめは、逢いたくて堪らなかった。
でも、貴女がまた私の前に現れて、嬉しくて、『逢いたくない』って思った」
あの日。
突然、私の前から居なくなってしまった貴女に。
例え幻でも幽霊でもいいから、もう一度逢いたいと願ってしまった。
彼女が小さな頃から大好きだった、七夕の日のお伽噺。
七夕の伝説なんて信じていなかったけれど。
一年に一度の逢瀬を守り続ける天の恋人たちを愛していた彼女なら、逢いに来てくれるのではないかと思ってしまった。
遠い夜空から、一年に一度だけ渡される白銀の道を標に、私の元へ還ってきてくれますようにと願ってしまった。
“やっほー!呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん!ってかお久しぶりだねー元気してたかーい!?”
初めて彼女が私の元へ還って来たとき、身勝手を承知で正直死ぬほど驚いた。
本気で幽霊か、下手すれば私が都合の良い幻でも作り出しているのではないかと疑った。
というか、今でもその辺りのことは判然としない。
ただ、生前と変わらない彼女に再び逢えた喜びで、その戸惑いはすぐに塗り潰された。
彼女がこうして戻ってきたのだ。幽霊でも何でも、また一緒に暮らせるのならばそれ以外のことなんてどうでもよかった。
織姫と彦星に感謝さえした。
私はとんでもない間抜けだった。
七夕の伝説なんて、その結末は誰もが知っているのに。
知っていた上でそれでもと願った筈なのに。
「貴女にまた逢えて、世界に色が戻ったような気がしたんだ。
貴女がまた傍に居てくれるなら、生きていけるって、そう思った。でも」
でも、の先に言葉が続かない。
息が苦しくて、視界が滲む。
天の川を渡って還ってきた彼女は、その川に拐われ再び逝ってしまった。
また来年の今日、逢いに来るから。
そう言い残して、花が咲くように笑ったまま。
一日一日を、こんなに永く感じる日が来るとは思わなかった。
逢いたくて、逢いたくて。
逢えないもどかしさと、やっと逢えても数時間の後に引き離される絶望、いつかこの逢瀬が突然途絶えてしまうのではないかという恐ろしさに、やり場の無い不安と憎しみが募っていった。
あまりの苦しさに、気が狂いそうだった。
だから、逢いたくなかった。
せめてその日までは忘れていたいと、毎年、当日にならなければ彼女を思い出さないようにと必死で自分を騙していた。
そんなもの、こうして彼女を前にすれば何の意味も無いのに。
「....わたしも、最初はびっくりしたよ。
でも、何より奈都にまた逢えて、こうしてまたお喋りだって出来て、本当に嬉しかったんだ」
ごめんね、と、彼女の方から聞こえた言葉に、涙でぼやける眼をそちらに向ける。
「一年に一度しか、逢いに来れなくてごめんね。
....先に逝っちゃって、ごめん」
グッ、と喉が詰まったような音が出る。
分かっている筈なのに、こうやって事実として突きつけられるのは、どうしようもなく悲しい。
「....本当だよ、この馬鹿」
「あはは、うん。ごめん」
いつもは生まれてこの方悩みなんて抱えたことも無いようなアホ面をしている癖に。
こんな時だけふんわりと微笑む彼女を、憎みたくても憎めない。
彼女には、敵わない。
「わたし、また来年の今日も奈都に逢いに来るから。
奈都が、わたしに逢わなくてもいいって思えるまでは、絶対に絶対に逢いに来るからね」
「....うん、うん。ありがとう。
....ごめんね、たくさん心配かけて。
来年も、待ってるからね、菜々」
それまで笑みを刻んでいた彼女の表情に、パッと、驚きの色が灯った。
数瞬の後、またふうわりとした笑みに朱を指した彼女は。
ありがとう。
そう、一粒の雫とその言葉を残して、空に還っていった。
──しん、と部屋が静まり返る。
うるさい程の静けさに耐えきれなくなり、テーブルの上に残る逢瀬の余韻を視界に捉え、これは夢なんかじゃないのだと自分を落ち着かせる。
....大丈夫。
「さて、来年はどんな風に還ってくるのかね」
いつか、私が逢いに行くまで。
二人だけの七夕ごっこに、どうかお付き合いください。
「....メリバタ」
──遠くで、メリバター!と嬉しそうな声が聞こえた気がした。