プリンが無い。

ある日、犬の散歩から帰ってきて冷蔵庫に向かった私は、その扉を開けたまましばらく固まった。プリンが無い。


その日は、学校の給食のデザートにプリンが出た日だった。


幼い頃から好きなものには食べ物でも何でも目が無かった私は、大抵の食べ物やデザートなら我慢できずすぐに食べてしまう子供だった。

しかしプリンだけは違った。

小さな透明の容器の中に慎ましく収まっている姿。蓋を剥がす時にほんの一瞬だけ知覚する仄かな甘いにおい。そして、蓋を剥がし切ってついに登場する、その上品に美しく輝く、どこまでも等しく黄色い、ああ考えるだけでよだれが。


それはともかく。


食べ物には手が早い私が唯一、大事に大事に取っておいてじっくり味わいたいと思う食べ物がプリンであった。
「楽しみはあとに取っておく」という概念を、彼(?)との出会いで初めて知った。

その概念を胸に、給食の時間の最中、幸せそうにプリンを頬張る同級生達を目に入れないようにし、「食べないなら俺に(私に)くれよ」と執拗にプリンを狙ってくる同級生達の魔の手をかわし、家に持ち帰って一人でゆっくりとプリンを味わう至福の時を楽しみにしながら必死で我慢していた。
そして、その甲斐あって無事にプリンとともに帰宅することに成功した。


解放(開封)の時を今か今かと待ち受けるプリンはひとまず冷蔵庫の中で鎮座願いましまし、解放(散歩)の時を今か今かと待ち受ける犬を散歩に連れて行った。
学校から帰ってきたらまず犬を散歩に連れて行ってやるのは、当時の私の自分ルールの一つだった。

近所を小一時間ほど散歩し、ようやく家に帰ってきた私はすぐさまキッチンへ向かった。

おざなりにうがいと手洗いをし、「プリン♪プリン♪」と左手にスプーンを握り締めながら笑顔全開で冷蔵庫を開けた。そして固まった。あれぷりんがみあたらないんですけど。

愛しのプリンはどこにもいなかった。初めからそこに存在しなかったかのように忽然と姿を消していた。
私は固まり、そして事態を理解した。
私は動揺した。そして泣いた。これでもかというくらい泣いた。


種を明かせばなんてことはない。
当時、家には祖父が住んでいたのだが、祖父も私と同じで食べ物、特に甘いおやつには目が無かった。
彼からすれば、口寂しさに冷蔵庫を開けたらおいしそうなおやつがあったので食べただけである。


オチも何も無い話しだったが、この経験から私の自分ルールに新たなルールが追加された。
「楽しみは味わえるうちに味わっておけ」である。

目先の快楽を第一に求めてしまう今の私の人格形成は、今思えばここに起源があったのかもしれない。

続きを読む