とあるアパートの一室で男女の死体が発見された。
男はとある大企業社長の御曹司で、女はこのアパートの住人であった。
警察に呼ばれ、現場に赴いた私は彼らにまとわりつく念を見て『怨み殺し』だと告げる。
人と云うのは自分の許容量以上の怨みや妬み等の負の念を向けられると身体を患う。
その症状は大概、一時的な吐き気や頭痛等の軽い風邪のようなものであるが、強烈な負の念を受けると身体が急速に黒ずみ、肉体を蝕んでゆく事もある。
そうして死んだ人の身体は真っ黒になり、腐ったようにぐずぐずになってしまうのだ。
足元の二人も余程強烈な負の念を受けた末に死んだのか、折り重なるように倒れていた彼らの身体は、ぐずぐずと黒ずんで床に赤黒い染みを広げていた。
近隣の住人によれば昨日の夕方までは生きていたようだし、この状態を見る限りはこれでまず間違いないだろう。
私は未だに二人の身体に残る念を読み取る事にした。
男女が言い争っている。否、女が一方的に食って掛かっていた。
一見、身なりの整った如何にも裕福そうな二人だったが、女の方はその上品そうな顔を般若のように醜く歪め男に何やら喚いている。
『何であんな女!』
『貧乏人のくせに!』
そんな暴言を次々と目の前の男にぶつけていく。
男は冷めた目で女の見つめており、そして真一文字に閉ざしていた口を開いた。
『君のそう云うところが嫌なんだ』
本心から放った言葉だったのだろう。酷く冷たい声だった。
それと同時に痛い程の負の念が身体を貫いてくる。
それには恋人に嫌われてしまった事への悲しみなどは一切含まれておらず、ただただ濃厚な怨みだけが感じられた。
許さない…ゆるさない…ユルサナイ…!
『成る程ね』
どうやら、よくある痴情のもつれのようだ。
恐らく、恋人から愛想を尽かされた女がこの二人を殺したのだろう。たった一晩で彼らが腐敗する程の強烈な負の念で。
これ程の怨みだ。相手を蝕むには飽き足りず、怨み殺した本人自身も負の念の跳ね返りによって無事ではないだろう。
彼女の気持ちは分からなくもないが怨み殺しとは云っても実際は呪いと同じである。
人を呪わば穴二つ。自業自得だ。
そう思うほどに女の念は醜いものだった。
私は二人が死してもなお彼らの身体にまとわりついている負の念を祓うと一息吐いた。
それから程無くして携帯が鳴る。
どうやら負の念により死に掛かっている人間が居るようだ。
本当にこの世は負の念に取り憑かれた人間が多い。
面倒に思いつつも受けた仕事の依頼は素早くこなすのがプロというものだろう。準備を済ませ依頼主の元へ急行する。
依頼主の家はこの国の人間なら殆どが名前くらいは聞いた事があるだろう某高級住宅街にあった。
如何にも高額そうな住宅が建ち並ぶこの場所には不似合いな無骨なデザインのワゴン車でこの土地に乗り入れると、とある一軒の純日本風の家の呼び鈴を鳴らした。
『祓い屋です。ご依頼を受け参りました』
暫くすると家から出てきた年配の男性が門を開け、中へ迎えられた。どうやら依頼主本人のようだ。
今回の依頼主はとある財閥の子女の父親である。
生まれた時から裕福で恵まれた人生を送り、且つ才色兼備である娘を誰かが妬み蝕んでいるのだと涙ながらに語られた。
格差社会になりつつある現代ではありがちな話だ。
やたら長い廊下を歩きながら如何に自分の娘が素晴らしいかを聞かされた後、通された部屋に彼の娘が寝かせられていた。
その身体は顔や服の襟元等の肌が見える部分全てが黒ずんでおり、本人も苦しげに喘いでいる。
素人目で見ても分かる程、早急に何とかしなければ、いつ死んだって可笑しくはない状態だった。
本来ならある程度のカウンセリングをして、負の念を完全に祓えるようにするのだが今回はそんな暇は無い。
取り敢えず強制的に念を祓い、本人の症状が改善してから改めて一からやるしかないだろう。
私は仕事道具の大幣を持つと、ここで漸く彼女の顔を覗き込んだ。
『ん?』
その顔には見覚えがあった。
つい最近…否、さっき見たばかりだ。
表情が違う為、瞬時には分からなかったが間違いない。
先程念を読み取った、あの二人を怨み殺した張本人だ。
と云う事は負の念の跳ね返りがあったのだろう。それも自身を蝕むほどの強烈な跳ね返りが。
予想はしていた…と云うよりも分かりきっていた事だったが改めて思う。自業自得だと。
ふと視線を上げると彼女の頭上に空気の淀みが見えた。よく見ると歪んだ二人の人間の顔が空を漂っている。
負の念の跳ね返りと、その発生元に気付いたさっきの男女の念だろうか。男の方は見覚えがある。
じっとりと淀んだ目をしているそれを見た瞬間、これは手に負えないと思った。
取り敢えず今死んでも困るので軽く念を祓い、少しだけ落ち着いた娘に問いかけてみた。
『…何故、自分が苦しんでいるか分かりますか?身に覚えがある筈です』
しかし私の問いに対し、娘が首を振る。まぁ認めたくはないだろう。
ちらりと視線を彼女の父親にやると『何を云っているんだ』と云いたげな顔をしていた。
『祓い屋の私には分かります。貴方のソレは負の念の跳ね返りです。誰を怨みましたか?云いたくないですよね?まぁ云われなくとも私には分かっていますが。本人達も此処にいるんで』
そう云った瞬間、娘の目がカッと見開いたかと思うと何かを探すようにキョロキョロと目玉を動かし始めた。
ガクガクと震え、声にならない声を上げて怯えている。
そんな娘の姿に動揺したのか父親が私に詰め寄る。娘に何を云っている、何をしたのかと。
『さっき、怨み殺しで亡くなった男女にまとわりついていた負の念を祓いに行きました。恐らく男性の方は貴方もよく知っている人です。名前が出るかは分かりませんが、事件自体は夕方のニュースにはなると思いますよ』
そして再び娘に向き直ると悲鳴なのか『ひぃ』小さな声を上げた。
『人を呪わば穴二つと云う言葉は知っていますか?怨み殺しとは云いますが実際は呪いと同じです。今、貴方を蝕んでいるのは跳ね返ってきた呪いと、死んだ両名の怨念です』
私が祓えるのは生きている人間の念だけだ。死んだ者の念までは祓えない。
ならば他の専門家に…と思うだろうが、二人の怨念は彼女自体の負の念を取り込み、見ているだけでも充てられてしまいそうな程強力になっている。
これではそんじょそこらの拝み屋、或いは神社や寺でも完全に祓えるかどうか怪しいところだし、時間を掛けて完全に祓うにしても彼女の命がもつかすら分からない。
『助かる見込みは低いですが、他の専門家に頼んだ方が幾分マシだと思いますよ。申し訳ありませんが、この件は辞退させていただきます』
そう云って、立ち上がろうとするとなけなしの力を振り絞って娘が服を掴む。
助けて…嫌だ。
死にたくない…死にたくない…。
掠れたその声に気付いたのか父親が唯一の出入口の前を塞ぐと、その場で床に額を擦り付けて何とかしてくれと声を上げた。
面倒だなぁ…。
思わず声に出したが誰も気付いていないのか、どうにかしてくれと云う目でこちらを見ている。
『分かりました。絶対に助かる保証は無いですが、助かる可能性がある方法を試してみましょう』
その方法とは二人の怨念が完全に取り込んでしまう前に娘自身の負の念を全て祓い、これ以上力を付けさせないようにする、それだけだ。
これをするだけでも死ぬまでの時間稼ぎが出来るので、その間にお祓いではなく浄霊を行い、少しずつ二人の怨念を浄化していく。
時間が勝負の面倒な方法ではあるが、確実ではないにしろこれなら助かる見込みはある。
それから丸一日掛けて娘自身の負の念を完全に祓うと、次の日には知り合いから紹介された寺へ娘を預けた。
あれから二週間程が経ち、娘の様子を見に行った。
久々に会った彼女は顔色が悪いものの、初めて対面した当初より少しは元気になったようだ。
ただ…
彼女の頭上には、あの時見た空気の淀みが未だに漂っており、その中の男女の表情は相変わらず歪んだままだった。
住職もそれが見えているのか、苦い表情で私を見ている。
彼女が完全に助かる見込みは、きっとこの先無いだろう。
遅かれ早かれ、こうなった原因のツケを払わせられる日が確実に訪れる筈だ。