話題:今日見た夢

とある宿を訪れていた。
平屋建ての其処は旅館というよりは野外活動で泊まるような施設だったり、素泊まりのみの簡素な宿といったような佇まいの施設だった。

施設内は古い木造の造りになっており、入口から入ってすぐの所にフロントがあり、其処から左手に曲がると浴場と娯楽室、右手に曲がって奥が客室となっていた。
客室は廊下と部屋を仕切る扉が全て襖となっていて、それぞれ部屋につけられた名前により柄が違っている。
例えば部屋の名前が『桜の間』であれば桜の花、『梅の間』なら梅の花が描かれている…といったような感じである。
しかし、フロントで宿泊の手続きをし、案内された一番奥の部屋は襖が無地であった。
名前も奥の間と、そのままというか適当につけられた感じが拭えない名前だ。

部屋は六畳と四畳半程広さの畳張りの部屋が二つ連なっており、思ったよりも広い。
襖を開けてすぐに目に入る大きめの座卓、元は白であったろう黄ばんだ壁紙や継ぎ接ぎした跡のあるカーテン代わりの障子、デジタルチューナーが接続されたブラウン管のテレビがこの部屋の年季を感じさせたが、掃除をしっかりとしているようで清潔感があった。
古い部屋独特の匂いがあるが、居心地はまあまあ良さそうである。
障子を開けると薄曇りの月夜に雪が舞い積もる景色が見え、眺めも悪くない。
明かりを消したら幻想的な眺めになるだろう…そんな事を考えると一旦、障子を閉めた。

次の日は早いからと早々に食事をとり、酒を飲んでいると眠気に襲われた。
眠い目を擦りつつ寝ながらさっき見た雪景色を楽しもうかと思ったが、寝室として割り当てられている隣の部屋には窓がないので、布団を移動する事にした。
座布団を除けると座卓の隣に布団を敷き、障子を開けると淡い月明かりの空を舞う雪を眺め、徐々に遠のく意識に身を任せた。

夜半、どれほど時間が経過したのか、ふと目が覚めた。
開けたままの障子の向こうはいつの間にかどんよりとした薄暗い空が広がっており、降り頻る雪や窓の際まで積もった雪が黒いシルエットとして目に入る。
何となく寒々しさを覚えると障子を閉め、もう一度眠ろうと布団を頭まで被ったがどうにも寝付けない。
まんじりともせず、布団の中でうだうだと過ごしていると部屋と廊下とを仕切る襖が開いた気配がした。
滑りつつも所々引っ掛かりを伴ったそれは、間違いなく襖を開ける音だ。
他の宿泊者が部屋を間違ったのかと思ったが、だとしたら入ってくるなり、部屋を間違えた事に気付いて去っていくだろう。
だが、襖を開けた張本人はぴくりとも動く気配が無く、それどころか部屋の中を伺っているようだ。

気味が悪い…そう思いつつ、襖を開けた本人と私とを隔てている座卓の足元からそっと様子を伺う。
膝から下の部分しか見えなかったが、室内をぼんやりと照らす常夜灯の橙の明かりが照らすそれは異様なまでに黒い。まるで影のようだ。
だが、その後ろに広がる闇に同化する事なく、ハッキリとした輪郭を保っている。

視線を感じる。
さっきまで無かった筈だが、どうやら私の存在に気付いたらしい。
部屋に入る事をそれはしなかったが、痛いほどの視線に目を瞑り、必死で寝たふりをした。
目を開けてしまえばこれ以上に見てはいけないものを見てしまいそうな気がした。

ふと気付くと、朝になっていた。
障子越しの光はまだ何となく薄暗いが、周囲が見回せるほどの光はホッとする。
布団から起き上がり、誰かが覗いていた襖を見ると半分程が開けたままになっていた。どうやらあれは現実にあった事らしい。
何事もなかったので良かったが、襖だけの鍵無しの部屋は防犯上、よろしくはないんだな…そう、ボンヤリと思った。

チェックアウトの際、昨夜の事をフロントに伝えると担当者が首を傾げた。
彼曰く、私以外の宿泊客は居ないし、施設を施錠した後はフロントの担当者も帰ってしまうそうだ。
安全面でそれは大丈夫なのかと思いつつも、それではあの人影は何だったのだろうと疑問が残る。
どうにも納得がいかない…そんな気持ちが顔に出ていたのか、担当者がああと小さく呟くと『もしかしたらミサオ様かもしれないですね』と云った。
それは何かと訊ねると、『この施設に昔から住んでいる何か』と答えた。
曰く、それは宿泊客が来る度に現れては部屋を覗き込むのだそう。
それ以外に何か悪さをするわけではなく、本当にただ覗き込むだけなのだそうだ。
覗き込む部屋は一晩に一部屋のみで、特定の部屋ではなく客が居る部屋をランダムに覗き込むらしいのだが、客が私一人しか居ない為に必然的に覗き込まれたらしい。

『お客様からしてみれば怖い思いをしたかも知れませんが、悪さをするわけではないですからねぇ』

そう云うとフロントの彼は柔和に笑んで見せた。