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それいゆ







上から内藤ルネ、藤井千秋、中原淳一です。

わたしは藤井千秋先生の絵が好きです。繊細な線と、滲むような透明感ある水彩の色使いが素敵で素敵で、戦後の作品とは思えない時代を問わない素敵がそこにある。



BB風の表紙の手帳を持ち歩いているのですが、よく「似てる!」って言われてそれはとても嬉しい。目指してるわけじゃなかったけど好きな絵だから。








本当はいなかった

精神蝕んでるときのことを私は「詩人」って呼んでるんだけど躁鬱とか統合失調症手前っぽい症状に引き攣った笑顔で!というか私の解釈だと精神に異常を来した人物は万物を理解してしまい世界から殺(解放)されて次へのステージアップかステージダウン寸前の言いようもない奇妙な人々に便宜上の概念を持たせるべく精神疾患の名前を付けたんじゃないかっていう長年オカルトマニアやってる私がひっそり思ってることなんですけど如何ですかね?冨樫義博のレベルEを読んで成る程と思った高校生の直感です!私の思念を言語化すると途端にチープになるオプションは単に語彙や知能が足らないからだろうか。読書してないのばれる。


こうして接続詞で文を続けるとあたまが弱そうで残念ならない。


私がブログを書きたい!と思ったのは精神美人論について。

人にビジュアルを評価されるような仕事やってるんですけど、どうもメンヘラな自分が私生活に滲み出ると周囲から容姿を褒められるようになる。メンヘラな精神状態になると美人になってるんじゃないかなって私思うんです。しかも自分は愚かにも本心では自身をメンヘラじゃないと思ってる。その割合部分9:1。客観視した結果1だけメンヘラっぽいじめっと感否めないなーって感じ。

メンヘラの生命力のなさ正気のなさ、とろい仕草が上品に捉えられるとか解釈様々。メンヘラは可愛いのだろうか。



まあ褒めてくれる人っていうのは今日の感じだと、通りすがりの金持ちそうなファッショナブルマダム数人、、


職場で可愛いなあって思ってる女の子が「人生でなかなか可愛いって言われたことない」と言うそれは、真実に可愛いくて綺麗な人には中々可愛いとは言えない、日本人ってそういうものなんだよ。私は人生で可愛いって色んな人に言われたし、私が言われる可愛いは本質的な可愛いさじゃないのだろうというのも分かってる。でも通りすがりのマダムがおっしゃる「あなた素敵ね」だけはすごく縋りたい。挨拶がてら感性のままの発言だろうから。


あ、あとライブ会場では(わたしが一番まともじゃね...!?)っていう錯角に陥るあるあるをしょこたんと共有した。



わたしは家の中の自分はお姫様だし最高に可愛い9歳児で、ふかふかの毛布にくるまるときは美少女すぎて美少女なんですよ。現実は寝る寸前の疲れ果てたババアなんですけど。精神だけは美少女なんです。お仕事してるときの自分は最高にブスです!そんなブスを褒めちぎるマダム達って本当に何者なのだろう。我らゆとり世代を差し置いて生活にゆとりはありそう。褒めてくれるのはお父さんと通りすがりのマダムと初対面の男くらいなもんで、目的は明確。その他は社交辞令。



精神美人と外面ブスの高低差についていけないときがメンヘラであり自己愛発生して「あれ???わたしって本当は可愛いんじゃね?容姿に価値があるんじゃね?」って状態になってるだけだとおもう。メンヘラの可愛いは思い込み。

せめて夢の中では美少女でいたいものですよ。
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