話題:最近観た映画
久しぶりに映画館で観てきました。映画「伏〜鉄砲娘の捕物帳〜」
実はお店でずっとCMが流れていて、絶対観たいと思っていた作品でして。
原作自体が、「南総里見八犬伝」をモチーフにしてる、ということで歴史物好きにはたまらない。
実は中学生くらいのときに読んだんですが、江戸時代に流行った冒険活劇もの、というイメージだけが
残っていて、肝心の八つ宝珠云々は正直覚えてません(オイ)
とりあえず姫様が犬の嫁になるという冒頭の部分があまりに衝撃で、むしろそこしか覚えていなかった(苦笑)
しかしこの映画自体が、この人間と犬の子孫の話がメインだったので割と大丈夫でした。
原作がすごく読みたくて、でも映画は宮野さんが声だから観たくて。
しかし原作を読むとどうしてもメディア化が残念な印象になってしまうので悩みつつ。
結局映画公開前に原作は買い、映画を観てから読むためにとっておきました(笑)
観た結果…ちょっと詰め込みすぎた感があるけど画面は華やかで面白かった、と感じました。
後半のシーン展開にちょっと戸惑ったり、バトルと血の多さにおお?と思ったり。
悪い意味ではないですが、予想とは少し違ってました。
CMで、Charaさんの歌と共に初恋云々〜てナレーションが入るのでもっとラブ全開!かと思っていたら。
主人公浜路の恋も描かれるものの、脇役(主に浜路の兄ちゃん)の行動にもかなり時間を割いている印象が。
そこに割くよりも、もう少し”敵方”として描かれる将軍に力を入れた方が、後半の唐突感が減ってシンプルに
物語の筋が見えたんじゃないかなと個人的には思いました。
全体的には面白かったです。
ただ思ったよりもドタバタした印象が強く、心情描写は少ない作りなのでそこは自分で推測するしかないのが残念。
時間の関係か場面転換が早いので、じっくりゆっくり味わう暇が無いです。
もうちょっとエピソード削って、丁寧に描いたらもっと良かったのになと個人的には思います。
以下にあらすじを書いておきますが、完全ネタバレしてるので閲覧注意。
原作とは全く違うのですが、逆に映画のほうが分かりやすくてまとまっていたような気がします。
なお、原作小説の感想も入り混じっているので読みづらいかもしれません。
※健忘もかねて流れをほぼまとめてしまったので、完全ネタバレです。
まだ観てない方は楽しみが減るのでご注意ください。
↓
映画:伏〜鉄砲娘の捕物帳〜
以下、場面を追っただけの完全ネタバレなので閲覧注意。
読んだ後の苦情はおやめくださいね。
<あらすじ>
祖父が亡くなった狩人の浜路(ヒロイン)は、江戸で暮らす浪人の兄に呼ばれ上京するが、迷子になってしまう。
道すがら、”伏”と呼ばれる人間の生き胆を食べる化け物を殺す”伏狩り令”によって殺され晒し首に
された犬の首を見て、まだ子犬の首まで晒されていることに眉を顰める。
そんな中、追われている青年・信乃と出会い、猟銃を奪われ大立ち回りに使われてしまう。
追っ手を倒した信乃は猟銃を返すと、文字の読めない浜路を兄の住所まで送ってやる。
兄が浜路を呼んだのは、江戸の町を騒がせている伏を二人で狩って報奨金と、
あわよくば仕官の道を開くためだった。
浜路は男のような格好で野山を駆け回ってきた、女ながらに腕のいい狩人だった。
浜路は兄と共に”伏狩り”をすることとなり、江戸見物と称して兄は浜路を男の格好で連れまわし、
吉原へ行く。
人の多い吉原は”伏”が隠れているに違いないと二人は伏探しを始めるが、
兄は客引きされて浜路はまた迷子に。
そこで再び信乃に出会い、先日の猟銃の礼だと女用着物を買ってもらった浜路は気恥ずかしく、
嬉しそうに受け取る。
吉原の裏道を抜け、遊女の念で濁るお歯黒溝を渡りながら浜路は華やかな吉原の闇を垣間見る。
大手門で信乃と別れ、戻ってきた兄と共に太夫の花魁道中を見物していると、
浜路は狩人の嗅覚で太夫が”伏”であると見破り、正体のばれた太夫は衣を打ち捨て走り去ってしまう。
太夫を追いかけ、狩人と獲物の間の”繋がり”を逃さずに浜路は太夫を猟銃で撃つ。
とどめを躊躇した浜路に太夫は手紙を届けてほしいと託し、浜路の兄の手によって首を落とされる。
伏せ狩りの兄弟として名の売れた二人に城から報奨金が出るが、浜路は分割払いを希望し兄と喧嘩に。
今後は分かれて伏せ探しをすることとなり、浜路は瓦版を売る少女”冥土”と出会う。
彼女は”伏”の物語「南総里見八犬伝」の作者・馬琴の孫娘で、自分自身も”伏”にまつわる話を書いていた。
そんな時、浜路は見世物芝居に招かれ、冥土や長屋の人たちと共に若衆歌舞伎を観にいくこととなる。
芝居の内容は”伏”が生まれるきっかけとなった伏姫の物語だった。
それはある国の殿様が、敵の大将を殺したものに姫を嫁にやる、と言ったところ姫の愛犬である八房が首をとって帰り、
泣く泣く大事な姫を犬に嫁にやることとなり、そのとき伏せ姫と八房の間に出来た子供が、現在の”伏”根源である、という。
女よりも美しい伏姫の役者に浜路が見惚れていると、それは信乃で劇の後に裏の境内で逢おうと耳打ちされる。
その後浜路は境内で”伏狩り”に襲われた所を信乃に助けられ、目の前で人間の生き胆を食らう信乃が”伏”と知る。
浜路が殺した太夫の手紙の宛名は、信乃が世話をしていた太夫の息子であったが、
既に”伏狩り”で晒し首になっていた。
行き場をなくした手紙を握り締める浜路に信乃は「早くオレも殺せよ!」と怒鳴り去ってしまう。
江戸でただ一人生き残ってしまった伏”信乃”の孤独と、自分が命を奪った太夫、信乃に芽生えていた淡い恋心。
浜路は泣きながら、どこへとも知れず雪の中を歩き始める。
浜路に正体を告げた信乃は、”伏狩り令”を出した将軍に芝居一座として呼ばれるが、伏を殺す罠と知り、
悲しむ一座の仲間を後に襲い来る侍を殺しながら、将軍の首を目指して城を駆け上がってゆく。
そんな中、将軍は代々伝わる刀・村雨に伏を殺したことで認められ、最後の伏信乃を殺すために刀を握る。
村雨は元々、伏姫の父親の刀であり、娘を奪った八房の血を憎んでいたのだった。
一方、浜路は信乃の正体を知った日に冥土の家で手紙の中身を読んでもらい、
これはまだ渡すべき人が居ると駆け出し、信乃にもらった衣に着替え、猟銃を担ぐと江戸城へと急ぐ。
侍達に殺されかかる信乃を見て、「それはオレの獲物だ!」と叫びながら浜路は信乃の後を追う。
信乃は生き胆は食べずに、ただ行く手を阻む侍を殺し天守閣の将軍を目指す。
疲労が溜まり、人間の身体を保てなくなった信乃は最後白いおおきな犬になって将軍と対峙するが、
将軍を殺しても仲間は戻らないため、殺すことをやめて一人で死のうと天守閣から身を躍らせる。
しかしそこで、信乃の手を捕む浜路。
お前に渡さなくちゃいけないんだ、と手紙を渡そうとする。
手紙には、花魁と伸二郎が人間を食べないと我慢しあう内容で、人間と共存を願う伏の心が書いてあったのだ。
一人で死ぬな、信乃が、好きだと。浜路は天守閣から落ちかけながら告白する。
すると力強い力で信乃(人間体)に抱きしめられ、天守閣の上で心を通わせる二人。
食べたくなったら、私を食べてもいいから、一緒にいてよ。
浜路の言葉に信乃は短く答える。
「オレと、繋がってくれるか」
「うん」
次の日、川に掛かる橋の上で一人の浜路を見つけた冥土に浜路は言う。
「信乃は一人で行ってしまった」でもね、「私に字を教えて。信乃に手紙を書くから」
微笑みあって二人が空を見上げると、そこには鮮やかな虹が広がっていた。
一年後
少しだけ女らしくなった浜路は冥土に報告があると言う。
信乃から返事が来た、と彼女は告げる。
そのとき空一面に、鮮やかな花火が咲いていた。
〜おわり〜
…こんな感じの物語でした。
あらすじというか場面を全て追っただけですネタバレでごめんなさい。。
正直、映画だけ観たときは「ええ?」と村雨と将軍とか謎だったんですが、
原作も読んだ結果、映画のほうが個人的には好きかなという結論に。
小説は小説で良さがあるんですが、続編がないと物足りない終わりでして。
だだっとあらすじが流れているような印象で、構成の違いとネタの詰め込み具合の差なんでしょうが、
映画以上にサラサラな感じを受けました。
きっと小説のキーワードは映画と違い、”伏”という言葉だったからだと思うのです。
国に伏せ、民に伏せ…伏せと名づけられながらも、あらゆるものに属せない、孤高の異物としての
悲哀を帯びた生き物”伏”はきっと何かの比喩でもあるのだろう、と感じます。
それを描くには恋愛色はあまり必要の無かったのだろうなと。
一方の映画では、キーワードは”狩り”と”繋がる”で、浜路の初恋をメインに置いているので
理解しやすく、エンタテイメント性は高くなっています。
なお”伏”自体の扱いが小説と映画では違います。
しかし、よくよく辿っていくと表裏一体になってると、個人的には思うのですが。
小説では、あくまで彼らは”動物”であり、人間のような情はほとんどありません。
親子や仲間の死も残念に思っても受け入れてすぐに顔を上げられる。
常に孤独であり、群れで生きることのできない、短命の哀れな生き物として描かれます。
しかし、これはよく考えれば私たち人間にも当てはまるような気がします。
場に馴染むことがうまく出来ずに空虚さを抱えながら必死に生きて、苦しくても、
苦しさを忘れられるような何か自分にとって大切な”きれいなもの”を探して生きる。
”伏”の信乃の口から語られるそれは、浜路の心とも重なり合い、結局は
伏も人間も同じように孤独を抱えて、何かを求めて生きる点では何も変わらない同じものなんでしょう。
そのためか、映画では”伏”はずっと人間らしくなり、人間として生きるために苦悩し、
親子や仲間の情のために涙を流し、人間と情を育む”化け物”として描かれているのだと思います。
また、面白いことに”伏”信乃と浜路のラストシーンは小説と映画では全く違います。
しかし上記と同じように、どちらも伏と人間が通じるものであるからこそ、成り立つのではないかと。
信乃は原作では、「絶対に死にたくない」と浜路を突き飛ばしてでも助かろうとします。
これは人間的な情がないから、ではなく、人間的な情・生きる欲があるからこそ、人を犠牲にしても
自分の生を掴み取ろうとしたのではないかと私は思います。
それとは対照的に映画の信乃は「仲間が死に、自分が一人で生きていても仕方ない」死のうとします。
人間的な情として、大切なものを失ったからこそ死にたい、と生を放棄したがるのです。
どちらも人間の持ち合わせる側面ですよね。
結局”伏”の字のとおり、人間も犬人間も全然違うようでいて、同じなのではないか。
あくまでも私個人の解釈ですが、そう考えると二つの”伏”の物語を繋ぐなにかが見えたようで
面白いなと思いました。
…なんて無理やり道徳的な?解釈をしつつ感想書いてみましたが。
自分で深読みして味わないと、一度観ただけで両手離しに楽しめるかと言われると難しかったかも、
が私の正直な感想です。
わかりやすくエンターテイメントを求めたい気持ちで観ると所々であと少し!と感じてしまいました。
原作と映画をセットで観れば相違点や表現の違いで楽しめるのかもしれないです。
期待値が高すぎたのがいけなかったんですかね。。
好きなんだけど、少し惜しい。
小説・映画どちらも単品だけでは少し物足りないかと思います。
でも映画の総評としては映像も綺麗で、声のキャストも良く、音楽等のバランスも良かったので。
DVDが出たらもう一度観たいなと思うくらいに楽しめる作品でした。