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すべてを受容する世界




こんばんは、楓です。
私のこのブログは、私の内にある鬱憤や考え方を、吐き出し、 文字にする事で昇華するためのものです。私の思想が一般的だなんてこれっぽっちも思ってなんかいないし、寧ろずれてる事があるのは自覚しています。誰かに認めて欲しいだなんて、そんな高望みしない。

だけど、やっぱり誰かに受容して欲しいだなんて思ってしまうんだよなあ。講読してくださる方には本当にありがたいなあ、と思っています。どんな方かも分からないのに、自身が受け入れてもらえているような。そんな不思議な感覚。世の中に、私に対して興味や関心を抱いてくれちいる人がいるという事よ喜びすら感じてしまいます。
こんな思考、普通に生活している中で他人にさらけ出していく機会なんてあまりないでし、受容してもらえなかった時の事を考えると、その後に関係を保つのが面倒になってしまいそうですし。

こんな私すら受容した上で関係を築いていける人と過ごせたら、それがベストなのでしょうけれども。まあ、難しいですよね。


どうでもよい話でした。
どうしても私は損な役回りのようです。色々と面倒なのに、誰もやらないので私がやるしかないようです。人に押し付けるくせに、簡単な事もやらないなんて。何を考えているのだか。

苦い思い出もある

昨日、今日とセンター試験でした。受験生の皆様お疲れ様です。特にαさん、本当にお疲れ様です。とりあえず、一段落…かな?残りの日々を大切に過ごして下さいね。

私にもセンター試験を受けるほど、若い頃がありました。今でもあの日々の事は忘れられませんね。志望校には落ちてしまいましたが、あのように勉強をして、努力した日々は二度と来ないでしょう。私にとってはいい思い出です。


携帯をスマホに変えましたが、なかなか使い勝手が分からず悪戦苦闘中です…。しばらくは不自由な思いをする予感。

そんな訳で今回はこれにて失礼致します。

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不安定に揺れる




深夜更新こんばんは、楓です。
卒業論文が終わったにも関わらず、徹夜をしているのは何故でしょうか。それは友人達が課題をするために我が家に集まるからです…いや、いいのですが。うん、「自分の家より落ち着く」らしいです。物が多いからかもしれません、というか絶対そうだと思います。

最近、以前程ではありませんが若干不調です。食べ物が飲みこみにくい。去年これで一切食事が出来なくなってしまい、病院に行ったことがあるのですが…結局の所「ストレス」の一言で処理されてしまう訳でして。根本的な改善を図るのが難しいことは分かっているのですが。最近は卒業が近づき旅行の計画など楽しいことも多いのですが、やはり今後の事が決まっていないというのが最大の悩みですね。結局、勉強を続けなければならない事に変わりはなさそうなのですが、要領は悪いし、人の何倍もやらなければならない苦痛を味わうのはやはり苦痛です。そして、何より勉強のみに専念できない状況も苦痛。卒業論文が終わったにも関わらず、まだ出される課題。私はもう卒業論文ですべて出し切ったと思っているし、就職が決まっていない人達のことを考えていない教員達にも苛立ちを覚えます。

愚痴ばかりですね…。
楽しい話をしますと、旅行は九州から旅立ち、関西へ向かいます!父親にも会う予定です。ほぼ赤の他人状態の人間に会うのは面倒ですが、血を分けているのでこればっかりは仕方ありませんね。とりあえず、その他を友人たちと楽しみたいと思います。


とりあえず、発表があるので頑張ります。



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栄華を掴め、この手で




こんばんは。楓です。
卒業論文が終わったにも関わらず、最終章に書いた「おわりに」における課題を後期の終わりの論文で書かなければならなくなりました。教授、鬼畜。もう終わりだと思って壮大な事を書いてしまっていた。また図書館に引き籠ることになりそうです。卒業論文発表会もあるし、なんだかんだ言いつつ卒業まで多忙を極めそうな予感です。

そして風邪を引きました。


卒業論文についてです。
興味がある方だけお読みください。

卒業論文は
『大鏡』の研究
  ―花山天皇の『大鏡』における役割―
という題目です。
『大鏡』という作品は、全ての記述が『大鏡』の最終的な目的とする「道長の栄華」を描くために配置されています。「道長」という模様を具現化するために、ひとつひとつの記述が格子のように折り重なっているのです。だからこそ、この花山天皇という人物にも「役割」が担われているはずという(仮定に基づいて)題目を決定しました。
平安時代には神以上の存在として考えられていた天皇であるにも関わらず、『大鏡』の花山天皇は常軌を逸した行動をとる人物として描かれています。加えて、天皇をこのように描いた例は『大鏡』ではみられません。しかし、その姿とは対照的に『大鏡』では「風流者」という言葉を使って花山天皇を表現しています。実際に、史的にみても花山天皇は風流心に富んだ人物であったことが理解されており、特に和歌を中心として先駆的な役割を担っていたとされている程です。
しかしながら、帝紀に描かれる花山天皇は、道兼の裏で手立てした兼家の謀略によって「すかしおろし」、ここでは騙して出家させられた悲嘆に満ちた人物といった印象すら与えられる記述です。この対照的な姿は非常に興味深いですね。

この「すかしおろし」によって兼家へと政権が渡り、兼家の死後には直接的に花山天皇を「すかしおろし」を行った兼家の二男である道兼に引き継がれるかと思われました。しかし、長男の道隆(私が一番好きな人ですw)に渡ってしまい道兼は憤慨し、兼家の喪にも服さなかったといわれています。そんな最中、道隆は花山天皇が関係する事件によって左遷されます。この事件によって道兼が関白へとなるのですが、彼は着任から7日で死亡。そのような思わぬ出来事の積み重ねによって、道長へと政権が渡るのです。

道長へと政権が渡り、栄華を掴むに至る事件には全て花山天皇が関係しています(勿論、それだけではありませんが)。そのため『大鏡』では花山天皇の関する記述は道長の栄華へと繋がっていくのです。



当初『大鏡』がこのように緻密に構成されたものだとは思っていませんでしたが、花山天皇という一人の人物に着目するだけでも、どれだけの細やかな記述がなされているかが理解できます。高校時代などに読んだ『大鏡』は一場面を切り取ったものであり、ここまでを理解することは不可能です。しかし、卒業論文を通して『大鏡』を研究することとなり、未熟ではありますが、古典の真髄へと近づくことができたように思います。非常に面白かったです。

二度と書きたくはないです←

簡潔に記述してみましたが、卒業論文は結果的に字数は三万字を超え、膨大なものとなりましたが。それでも、歴史は流れているため花山天皇の箇所だけを切り抜いて記述するとなると、不十分な箇所は多かったです。前後の流れを入れるとなると…あはははははwww無理無理wwとなります。良い経験となりました。はい。


最後まで読んで頂いた方、ありがとうございましたー!
まだ、しばらく卒論から離れられないようです。

果たされない約束




明けましておめでとうございます。
昨年に引き続き、この御縁を大切にしたく思う次第でありますので、本年もよろしくお願いいたします。当サイトは自身の捌け口であるため、不快に感じる方もいらっしゃるかと思いますが。その点に関しましてはご了承下さいませ。

さて、前回の記事の裕の件ですが。
結果的に会うことはできませんでした。約束当日の朝方にメールで「体調が悪いので無理っぽい」との連絡があり、「お大事にね。」と返事をしたっきりです。その日に合わせて帰省するよう予定していたので、結果的にその日に帰省する理由もなくなってしまいました。

彼の為に塗ったネイルも。
我慢していた煙草も。
全て無駄になりました。

で、とりあえず予定通り帰省したら、彼を見かけました。どうしてでしょうか、ね?いくら何年も会っていないとはいえ、特別だと思っている相手を見間違えることはありませんよ。結果的に、彼は私には会いたくなかったということかしら。あちらから約束を取り付けてきたのに、ドタキャンな上にそれですか…。さすがの私も落ち込みましたよ。おかげさまで年末年始は安定の引き籠りで、集まりという集まりを断り続けました。まあ、元々あまり気乗りしない集まりだったのでかまわないのですが。今更、取り繕うかのような人間関係を必要とはしていないですし。

きっと彼と「約束」をする日は来ないのではないかと思っています。



新年早々、このような記事で申し訳ありません。
今年はどのような年になるのでしょうか。
不安の方が大きくもありますが、日々精進する次第であります。




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