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舞い上がれ愛しく儚く。



Bolero/東方神起

何かグロ画像みたいになっていますが、ランタンフェスティバルに飾ってあったものですwwお供え物、のようです。


昨日の突撃電話★で、見事に恋気分、な私ですが。それもよくある話。少し落ち着きました。あの後、吐いたり何だりして大変でしたが、まあ過敏な胃ですね!程度にスルーしておきます。


さて、これからは通常運営致しますので!時々病んだりするとは思いますが、これからもよろしくお願いします。


今週は雪が降るようですね。寒くなりますが、皆様体調にはお気をつけて!


追記にてお返事です(*゚゚)
more...!

短すぎた季節の中で。


Rainy〜愛の調べ〜/Janne Da Arc


前回を最後にしようと思っていたのだけど…
やっぱり書きたい事って次から次へとw
時間の膨大さを感じずにはいられませんね笑い
お付き合い頂きありがとうございます!

多分「共有」した時間としては、らすと。


2011年。
忘れもしない9月1日。
私、この時(元)バイト先の彼に告白しよう、と決めていたのです。ちょうど、私がこの日で退職だったので、バイト先の彼と大学生(男)と私で飲みに行ったのです。しかしですね、(元)バイト先の彼には彼女さんがいたのです。勿論私にもwだけど、やっぱり「好き」って気持ちを持てた事に変わりはなくて。想いを伝えたのです。

全力酔っ払いで←

本当に情けない話なのですが、死ぬほど弱るか、酔いに任せないと人に素直に気持ちを伝えたり、頼ったり出来ないのです。もう最低ですよね。誰か殺して!!←
まあ、この話は今回は趣旨と外れますので割愛しますね。でも、いつか「残しておきたい」と思った時に書き残しておきます(手書きの日記を処分する時等w)


その酔いに任せた夜、
私は裕に電話したんです。
(只の酔っ払いです、どうもw)
 臨場感を味わって頂くため、
 絶賛方言ばりばりです。
 九州地方です、すみません。


「失恋したああwwww」

「まじで?!今日俺もしたああww」


お互いに失恋の夜という奇遇←


「ねえ、私さ、裕の事だいすきやったと!」

「知っとるよw」

「え、知っとったと?なんそれー!!
 あ。でもね、愛してたが正しい。」

「ちゃんと分かってる笑」

なんだ。分かってたのか。ま、そらそうか。という感じでしたけども。自分で、考えすぎていただけで。彼には漏れていたようです。でも、それが私が「裕と付き合いたい」と言っているのではない、というのは彼も分かっていたのでしょうね。それ以上は何も言われませんでした。てか、突拍子もない事言いすぎw


ただ、彼が私の事を
愛していたかも分かりません。

酔っていましたが、意識ははっきりしていましたので、彼が「愛していた」とは言っていない事は確かです。何だが自分ばっかり想っているみたいで悔しい気もしますが。彼はずるいですね。


それから、カラオケに行った時にJanneの「Rainy〜愛の調べ」を歌ってくれた日の話をしました。あの日の事ちゃんと覚えてるの?って聞いたら、

「ちゃんと覚えとるよ。
 あの時は本当にお前に惚れてた。
 お前だけの為に歌ったよ。」

って。私、正直覚えてると思っていなかったんですよ。だって、3年も前の事だし。私だけ思いあがって、この歌を大切にしていたのかなあ。なんて思っていたくらいですから。だけど、彼は本当に「私だけの為に歌ってくれた」という事実が本当に嬉しかったのです。「愛していた」って言っていない彼はずるい、って私は言いましたが、もう、この事実だけで十分だったのです。

「東京来たら付き合えるのに。」


なんて、言うから。
ただの酔っ払いに対する戯れ言かもしれないけど。


「遊びにおいで。泊めてあげるよ。」

「じゃあ、ちゅーも付けてくれます?笑」

「楓が望むのならば笑」


本当なら、お互いの初めてのキスはあなただったのかもしれないのにな。この年になると、キスなんて安売りできちゃうよね、なんて思いながら。電話越しで泣く私がいたのです。だけど、これだけの言葉が私の8年には十分過ぎるほどだったのかもしれません。もう、この時に私は死にたかったくらいに。「幸せ」を抱きしめていました。


結局、今の所、私達が
「共有」できた8年間はこれくらいなのです。

おもしろくもないオチで申し訳ありませんが、触れることも、彼を感じる事もないまま過ぎ去った8年間だでした。きっと『叶わない』と分かっていたから「愛し続けた」8年間なのです。お互いのどちらかが「もうこの人なしでは生きていけない」と思えば、きっとその距離は埋めれた事は確かだと思います。だけども、『叶わない』から相手を「理想の相手」に出来た。とも言えます。言ってしまえば、そんな相手に「答え」なんてないのです。
だからこそ、彼の戯れ事すら私には「幸せ」に感じられたし、どんなに昔の「好きだった」事実すら私を喜ばせる。本当に私はくだらない人間なんです。目の前の「愛」を愛せないでいて、過去の人に引きずられているような人間なのです。だから、今、愛してくれる人という人物をないがしろにして、浮気したり、不倫したり、していた事もあります。それに意味がない、「刹那」という事に気がついた自分も遥か過去にいます。だから、「刹那」ではない。自分の気持ちにしがみついているだけなのかもしれません。


私は裕を「特別」な人と呼び、
「最も愛した人」とする。

多分、これからも変わらない事だと思います。そうする事で、自分が人を「愛していた」事実を持っていたい自分本位な形でもあります。だけど、それで今、自分が整理が付いている以上は仕方がないと思います。この膨大な時間を「形」にするのは難しいです。


結果的に私達はこの関係を続ける事かと思います。きっと何の変動もなく。お互いが例え結婚しても、「最も愛した人」という私の中の事実は変化しないと思います(勿論変化できるのがベストですけれども)。彼の中で、私という存在がどんな存在か、は分かりませんが。いいと思っています。





▼突拍子もないseries←

エムブロに書いていたら、声を聞きたくなったので、ちょもらんまより高いプライドを捨てて(嘘)電話してみました!!私から電話する事ないのでww出なかったので「何の用もないよ!笑」って送りつけておいたら、折り返し電話掛かってきましたwやばい、死ぬ!って感じ。

「どがんしたと!?」

「なんもなかよー笑」

と、言うところから近況を少しばかり。「彼氏とまだ別れとらんとや!」と怒られました(知り合いはだいたい現在の彼とのお付き合いは反対していますw)。んー怒られるのもいいなあ、なんて思いました(死)

「裕、彼女おるとー?」

「おるよー笑」

「聞いてないんですけどおー?」

「最近っちゃもん笑」

彼は、自分が「幸せ」だと、私には連絡を取らない事は重々承知なんですけどね。分かっていましたよ、なんとなく。最近ではないだろうなあ、と。

「結婚式来てねー笑」

「えー笑
 私と結婚してよー笑」

「こっち来たら考えんくもない!」

「絶対じゃないのかよー笑」

私の気持ちを分かっていながら
酷な事を言う奴ですw
突き離したいのかな、と思いながらも、そうでもない雰囲気が、辛いです、正直ww明日にでも死んでやりたい気分です。死にませんけど。寝れそうにはないかも。がんばりますw


書き損ねはぼちぼちあるとは思いますが、共に過ごした時間も、言葉も、そんなに多くないので、こんなものかと思います。

私と裕の8年間でした。

御清聴ありがとうございました!
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想い出は遠い空。


こんばんは、楓です。


大学に進学して、しばらくして裕に彼女ができました。その事は某サイトで知ったし、プリとかも載せていたので。のちに連絡を取った際に「彼女出来たんだー」と彼から聞いたと思います。第一、私は彼の友人とお付き合いしていた訳ですし、色々言える筋合いはないのですけれど。私は2009年、その裕の友人であった「渉」と別れ、中学〜高校時代に付き合っていた現在の彼氏と復縁しました。理由はさまざまですが、『幼馴染』という気楽さ、私に対する理解が深かった事が大きかったかと思います。現在の彼氏とは小学3年生の頃からの付き合いで、もう彼此14年目の付き合いに突入しています。その間には、本当に色々ありましたが…今回は割愛w


そして2011年。
私も彼も成人式で地元へと戻りました。成人式の前日、彼と会ったのです。2人きりで。ただ、本屋に行ったり、お茶をしたり。ただそれだけでした。だけど、そのわずかな時間で私は「もう付き合う事はないなあ」と思ったのです。何故かは分からなかったし、彼とのその時間を遡っても理由は見つからないけれど、ただそう感じたのです。1つはあまりに離れた距離のせいかもしれません。私の知らない、「共有」出来ていない時間、「知らない裕」が多くなりすぎていたのかもしれませんが…。だからと言って彼への想いは変わらなかったと思います。現在と同じです。高校生の時点で、彼への想いはだいぶん整理が付いているようにも思います。

2011年春。
私の同級生が亡くなりました。
初めて裕と出会った時に一緒にいた友人でもありました。そして現在の彼氏の幼馴染でもあります。しかし、お葬式に行った際、私、彼氏に丸投げされたんですよね。「1人で帰るんでしょ?」みたいな感じです、簡単に言えば。正直、1人になりたくなかったのに。私、亡くなった彼が自殺する1週間前にメールしていたのです「大丈夫だから、心配すんなよw」ってメールをした矢先に同級生は亡くなり、「どうして私は気づいてあげれなかったのだろう」という罪悪感に駆られていました。本当に。まあ、それは仕方ない事なのかもしれませんが…。もうわんわん泣きながら帰っていまいた。バスもないしwそこで裕に電話したんです。『泣きながら』初めて。絶対弱みを見せたくない主義なんですけれども、それどころではなかったのですよね、気持ち的に。
それぐらい弱ってないと電話出来ないのか!と思います…情けないorzだけども、彼の声は偉大でした。おかげで私が死なないで済んだと思います。何かしら救われた気がします。私から電話なんて、滅多にしないんです。というか、出来ないんです。辛くて。でも、この時、本当にしてよかったと思います。
不眠はおそらく、
この事がキッカケだったのかな
と思わなくもないです。
お葬式の翌日から学校開始だったため、とんぼ返りだったし、学科全体の交流会の司会進行を務めたり、おまけに気管支炎になったのがトドメかと。いや、それにも関らず、煙草吸ってたのが悪いんですけどねw時々ブログに出てくる将来の話とか。色々積み重なったのは事実です。

もし、あの帰り道。
彼の声がなかったら、と考えると。
やっぱり力強いですよね。

人を愛する事君が教えてくれたから。


桜/Janne Da Arc

そして大学受験が終わった頃、ようやく裕も携帯を購入し、簡単に連絡を取れるようにはなりました。しかし、当たり前で自業自得とは思いますが彼の「友人」と付き合っているので、どこかギクシャクしていて。そんな中、彼氏の渉と、裕と、また共通の友人のカラオケに誘われ、私も参加しました。約束していた『卒業アルバム』を持って。寄せ書き、を書いてくれると。
だけど、逢ってもなんだがぎこちなくて。
うまく「私」でいられない。
だけど、やっぱり私たちには「本」がありました。
本屋で、2時間も3時間も喋っていました。
もうお互いの事には触れず、一定距離で。
寄せ書き、は書いてもらえないと思っていたのですが、
彼氏が先に帰宅した後、書いてくれました。
だからこそ、素直に嬉しかった。
彼の字、彼の言葉が残っているという事実が。


「いろいろ書きたいことはあるんだけど。
まあ、思い出がセピアっぽくなった頃に
またちゃんと書くから、沢山スペースあけとくように!笑 裕」


嬉しかった、だけどこれを見る度に
当時の私と同じ事を想う。


『いつか思い出にされるんだなあ』


きっと、どんなにスペースをあけていても
裕が書いてくれる日はこないと思う。


当時の日記というのは赤裸々すぎて、気持ちがストレートすぎる。
第一、手書きの日記は誰かに見せるものではないからいいのだけど。
見返すたびに苦しくなる。


『私達の関係っていうのは、
 やっぱり過去の通過点で
 これ以上はどうしようもないのかな。
 ただ過去があるから、
 普通に会って前に進んでるって
 自覚出来るのかな。とか考えてみたり。
 ただ、愛すのを今辞めても、
 裕だけはまたいつか愛すだろうな。
 私はいつも、答えを求めすぎた。
 答えが出なくてもいいんじゃないかな、
 って思いだした。
 答えが出ないものを求めるから、
 悩むのかな。って。
 出ないのなら、出さなければいい。
 裕を‘愛す’かどうかは、
 きっと答え出ない。』

 

これが私が出して、
構築された「恋愛論」だと思う。
「恋愛には答えはない。」


彼は、2009年春。
日本の西の端から、東京へ旅だち。
私はその場に立ちつくしました。


きっと彼は「遠距離」では
私を大切に出来ないから、というだろう。
遠距離でも、近くでも。
もう裕が愛してくれてる、という事実だけが
真実だけが欲しいのに。

 

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君との想い出だけは。





高校時代の私は一言で言うと「心荒んでる」って感じでした。その時に支えてくれたのが、当時の部活顧問でもあった『先生』です。当然自分が一番ではない事を知りながら、尽くしていました。多分、誰かに「必要」とされたかったんだなあ、と思っています。若かりし自分乙w(3股かけられていましたので)。
結果的に先生が他県に転勤になった事を機にその事に気づき、他の男性とお付き合いしていました。それが、他高の先輩とネットで出会った「秋」です。この当時お付き合いした人の中でも「秋」は兎に角大切な存在の人物です。彼との想い出に関しては本当に「奇跡」と言わざるを得ません。

 
高校3年になり、最後の高総体間近になり始めた頃、久しぶりに裕と会いました。その頃の私は、だいぶん大人になってきていて、裕への気持ちの形にも整理が付き始めていました。合計4人でカラオケに行き、彼が一言耳元で「お前の為に歌うからな。」と言って歌ってくれたのが
Janne Da Arc「Rainy〜愛の調べ〜」



歌詞を全て覚え、私の目だけを見て歌ってくれた曲でした。悲しくて、辛くて、切なくて。だけど、幸せで。目を逸らしてPVを見ていた。本当はその視線が嬉しかったのに。涙が隠せなさそうで、苦しかったから。

私はその日、裕に告白しようと思っていました。「愛してる」は重いから「好き」でも、自分の気持ちを伝えたかった。だけど、そんな事を決心していた私に向かって彼は「遠距離は無理かな」と。大学生になった今では、当時の距離は大したことありませんが、高校生の私たちにとっては立派な『遠距離』だったのです。ああ、無理なんなんだな、と思いながら。だけど貴重な2人きりの時間を大切にしよう。と思っていた…気もしますwだけど、多分私はそれどころではなかったなあとwwその時、気持ちを伝えればよかったな、とか。手を繋げばよかったな、とか。色々考えました。

だけども、帰り道にも終わりがあるから。


でもね、帰宅した後とかにメールしてたら(彼は当時もpc)、すごい想いが伝わってくるんですよ。本当に。私は大好きなのに。それが辛くて「思わせぶりな事言わないで」って言ったと思うんです。私は気持ち伝えてないくせに。そしたら、その時の返事が。


「俺はただ最近すごいきつい事多くて、そんな時むっちゃ明るい楓に会って、結構楽になれて、この子の彼氏になれてよかったなぁて思ってたんよ。んで、やっぱ好きなんだなぁっておもったけど、でもやり直そうなんて言えるほど思いあがってないです。思わせぶりなこと言ってごめんねー。」


原文のまま!!笑
これを私が保存しているという事は、相当嬉しかった。だけど、どうして好きなのに付き合えないのか。という気持ちと葛藤していたと思います。私、基本的に恋愛で泣いたりすることがないのですが、この時、私は号泣して、挙句に学校を3日程休んだ覚えがあります。Janneを聞き、とりあえず泣き倒しました。どんな理由を付けて学校を休んだのかも覚えていません。

あ、当時の私によると(手書きの日記が残っていましたw)、「結局私ばかりが好きで、前に進めてないんだよね」なんだそうです。彼は彼で、今の私のように私との恋愛に整理を付けていたのでしょうね。私が子どもすぎたのです。


本当に胸糞悪い話なのですが、私はヤケクソ起こしてしまいまして…。その時、カラオケに一緒にいった「渉」と付き合う事になりました(最低)。しかも、渉は裕と同じ高校なのです。どの道、遠距離なのに、どうして私は押し切って裕と付き合わなかったのだろう、と考えてしまいます。

寂しさを埋める為に。
裕を嫉妬させる為に。

そんな気持ちで付き合っていました。渉も携帯を寮へとは持っていけなかったので「文通」をしていましたwwしかし、渉は私が裕の事を忘れられない、と知った上で付き合ってくれていたので様々な理解があり、長く付き合う事になりました。(結果的に大学1年夏頃まで1年半ほど)

渉と付き合う事になって知ったのですが、裕は寮の部屋に唯一の私との2ショット写真を飾ってくれていたそうです。しかし、私が渉と付き合う事になったのを機に外したようでしたが。嬉しい、けれど辛い。だったら、それだけの言葉が欲しかったから。「言葉」に頼るなんでまだまだ私も子どもでしたね。



彼が遠距離を拒んだ理由は「彼女」も「勉強」も両方、同じように大切にしてあげれないから。「彼女」を幸せにしてあげれないから、だそうです。彼らしいと言えば彼らしい愛し方ですね。

「俺は裏切られるのは構わないんだけどね、そういう覚悟で付き合うから。でも俺が裏切っちゃうことを考えたら、それは辛いなーと。誰かさんに教えてもらいました。結局人間は自分本位な生き物だから、自分が辛いことは避けるんですかね…。」


そんな「誰かさん」、はね。
裏切られたなんて思ってないよ。
これだけ愛せる人なんて人生で
多分もういないと思う。
それがあなたならいいの。


長くなりましたがwBでした。
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