ムシウタ
炯様リクエスト
愛され大助が『土師』になったことで周りが大騒ぎする
なんだかギャグちっく




それは穏やかな病室で起こった。
起こったというか、起こされたので故意の事件であるが、犯人である一名を除いてまったく予想していなかったのだからやはり起こった、と形容していいのだろう。
「そういえば言い忘れていたんだけど」
元“かっこう”こと薬屋大助が安静にしている病室中央に置かれたベッドの周囲には、彼を慕う少年少女で囲いが出来ていた。分かりにくいツンデレだったりヤンデレだったり無自覚だったりしたが、“虫”が消滅した今、全てが等しくただの十代未成年でしかない。死線を潜り抜けて度胸と勇気と戦闘能力を兼ね備えた、厄介な若者たちだが。
そんな室内で唯一成人している土師圭吾といえば、彼らから一定の距離を置き、窓辺にパイプ椅子を設置して何かの本を読んでいたところだった。
学校が終わり見舞いと証したたまり場扱いを重ねるのも恒例となっている今日この頃、虫関連の事後処理で忙殺されているはずの特環職員が当たり前のように病室にいる光景はなにやらあくどい匂いがするが、「まぁ支部長だし」で済んでしまえる男である。一度目の驚き以降は、誰もが彼の存在をスルーしていた。
和気藹々(中心である大助は、傍若無人な見舞い人たちのパワフルさに辟易していたが)とした会話が途切れた一瞬を、まるで狙い澄ましたかのように滑り込んだ声に誰もが反応せざるを得なかった。治療具塗れの大助に向いていた視線が一瞬男に集中する。
人の視線に晒され慣れている男はいつも通り何を考えているのか分からないような、でも絶対悪いことを考えているんだろうと分からせる笑みを貼り付けたまま言葉を続けた。
「僕と彼はそりゃあもう恥ずかしいぐらいの相思相愛カップルだから、彼のことは皆諦めるようにね。彼が退院し次第、名前も土師大助になって同棲開始だからそのつもりで」
沈黙である。
無駄に美声で告げられた宣告に、誰もが脳の主電源を無理やり落とされた。コンセントを引っこ抜かれた電気製品の気分だ。言葉は無意味に空っぽの脳内に反響するばかりで、一向に意味を吸収しようとしない。
十秒か、それとも一分か。揺れるカーテンだけが時間が動き続けている事を証明している自主的フリーズの中悲しい事に一番に再起動したのは、中心人物だった。何せ今日は不在の妹を除けば、あくどい大人と付き合いが一番長く濃いのだから。
「――――――っ!」
まるで虫と同化している時に発せられた怒りや衝動の咆哮に似た絶叫とともに、彼の身体を支えていた枕の一つが人の囲いの隙間から男に襲来した。
投擲とか、飛来とか、とにかく人間が肘からのワンスナップで投げたものには似つかわしくない表現が似合うのは、悲しいかな“虫”の名残である。加えて厳しい戦闘訓練の証でもあった。
枕は男の顔が一瞬前まであった場所を貫き、全開になっている窓から脱出していった。これから室内を渦巻くだろう空気を儚んだ身投げのようであった。
男はどこか誇らしげに口を開く。
「君達見たかい。これが本当のツンデレだぜ」
「ばば、ば、ばっっっっかじゃねぇの! 馬鹿! くそ、く、くたばれ馬鹿!」
どちらかというと童顔の丸い頬を真っ赤にして、悲鳴と羞恥を何とか怒りに変換して意識を保とうとしている大助は、周囲に自慢(なのだろう。大助には分からないが、声が妹を紹介するときのように幾分誇らしげだ)する友人……保護者……恋人? に貧困な罵声を浴びせた。
確かに大助は土師圭吾とそういった仲である。
おはようからおやすみを経由して愛してるまで言い合う仲だったりする。長くご無沙汰であるが、することもしていた。
自分でもびっくりするくらい、時折おいおいまじかよと引くぐらい圭吾のことが好きで、依存して、執着しているが、同性(というより土師圭吾という個人)と恋愛関係になっている以外はきわめて常識的な大助だ。同性愛という事実を吹聴するべきでもないことは自覚しているし、中庸、平凡を化けの皮に選んできた彼にとってそれは秘匿するべき真実だ。
間違えても見舞いに来てくれた、大助の表も裏も知りながらも慕ってくれる(同情してくれる)彼ら彼女らにカミングアウトすることではない。
まさかこの場にいる全員が「同性愛者なんて気持ち悪い」なんていって大助を見限る事はないと思っているが(そしてたとえそうなったとしても自分は大勢の彼らより、一人の圭吾を選ぶのだろうが)だからといってライオンにわざわざ餌を与えるようなマネをする圭吾が憎く、射殺さんばかりで睨みつける。
「え、あの……え?」
硬直から回復した詩歌の戸惑うような声は、いたって普通の反応である。知り合いがいきなり同性愛をカミングアウトしてきたらこうなるだろう。敬愛や慈愛を彼女に注ぐ大助としては、もし見限られれば少し寂しい。
「まじかよおおおおお“かっこう”手前、もう食われてんの? ファック、いつだ!? どの時期だ!?」
「アンネさん「食う」なんて言葉がはしたないです。ここは可愛くソフトににゃんにゃんと言いましょう。“かっこう”さんも表現は統一でお願いします」
天を仰いで「オーマイゴット!」とか言いそうなほど(予想とは違う)ショックを受けているアンネリーゼと、淡々と嗜めながらも実は内容は変わっていない愛理衣の言葉に、大助は本日二度目の硬直を味わう。
同世代の美少女に性生活を聞かれるなどと、早々あるはずがない。ないというのに何故ここで起こっているのか。しかも食うだのにゃんにゃんだの……キスやハグではない露骨な内容を指していることは明白だ。
諸悪の元凶が口を開いた。
「彼が中学にあがってしばらくした時だね」
「うわあああこいつショタコンだあああああああああ!」
「ちょ、うるさいよ、御嶽さん!」
アンネリーゼの絶叫に、ようやく止まっていた有夏月が反射的に抗議の声を上げる。
「いやだってまじかよ! ……そういえば初めて会った時も何か一緒にいたよな、お前ら」
「“霞王”を捕縛した時は勿論覚えているよ。彼の力を持ってしても欠落者にならなかったほど強力だったからね。それで僕に被害が行かないか緊張していてね。君を連行した後は彼から引っ付いて心音を聞くなんて可愛い安心の仕方を」
「うわあああああああああああああああ! うわあああああああああああああ!」
「か、“かっこう”落ち着け! さすがに傷に障る! 大丈夫だ、聞かなかったから! 俺たちは何も聞いていないから!」
東中央支部でも数少ない、“かっこう”に物怖じしない虫憑きであった“兜”こと倭は、その強面とは相反する心配そうな声を出してなだめる。
決戦で受けた怪我は勿論、一度は欠落者になった衝撃に長年夢を消耗してきた衰弱。眼帯の下で青みがかった瞳はそれだけではない他の理由も含んでいるが、それを公開するのはまだ少し後のことなので割愛。ともかく心身ともに比喩でなく瀕死状態である大助が、一時の興奮で暴れるなど自傷行為に等しい。
すでにぜいぜいと息切れを起こしている彼の肩をやんわりと、しかし有無を言わせぬ力強さでベッドに戻してやりながら、倭は自分の常識人さと生真面目さを呪った。
彼は功労者たる大助に対して純粋な敬意や労わり以外の思慕を持っていないが、一癖も二癖もある人物に思いを向けられていることには合掌するしかない。さすがに自分の上司である支部長のショタコン疑惑には胃が痛いし、下世話な話思春期の身として身内の性実態を無意識下で想像してしまう本能が恨めしかった。ナチュラルに大助を「下」にして想像してしまったことも心苦しかった。というかもし万が一逆の立場だったとしてももう考えたくもなかった。
「シャイな彼のために黙っておこうとは思ったんだけど、よく考えなくても、組織だ夢だしがらみだの何のなくなった君達がこれから少女マンガレベルの青春を謳歌すると思うと、さしもの僕も不安でね……釘を刺しておこうと思って」
とんでもない理由である。
一回り年下の少女達(この場にいないが一部少年達が含まれるところに、まぁ気苦労があるのかもしれない)に向かってそれはもう大人げない宣戦布告だった。
恋に盲目といえば可愛らしいが、やっている事がえげつなさすぎる。
「へぇ?」
明確な敵意に最も早く反応したのは、他でもないアンネリーゼだ。元お嬢様の面影は外見にしかない。口調も目付きもそれこそ悪魔染みた凶悪さで光っている。
「おいおい天下の土師支部長様とは思えない必死さじゃねぇか……好奇心だの気の迷いで”かっこう”に手を出したならぶっ殺そうかと思ってたんだがよぉ」
「心外だね。あらゆる悪事を結果の理由にしてきた僕だけど、彼を裏切った事は一度もないだけが自慢の男だ」
「おうおう、ノロケてくれるじゃねーか。つまりあれだろ? 俺らにツンドラな“かっこう”がお前の前ではデレデレにゃんにゃんなことに優越感を抱いてんだろ?」
「”霞王”先に言っておこう……彼の甘え方は君の想像以上の破壊力を持っている」
「なん、だと……?」
「いや、何言ってるんだお前ら両方落ち着けよ。一回深呼吸してそこの窓から飛び降りてみたらどうだ? な?」
「大助くんも混乱してるよ」
やんわり言い切った大助に、ようやく回復した詩歌が困ったように笑う。どこまでもふんわりと柔らかな物言いに、大助も目を伏せた。
なんというか、彼女は純粋で無垢で、ただただ天使のように綺麗なものだと大助は思っているからばつが悪い。考えすぎで神聖化しすぎだとは分かっていても、彼女が常に潔く白くあり続けたのは真実だ。
そんな彼女の前で男同士の性事情など、もはや刑罰に処される蛮行に違いない。
けれどひたすら縮こまる大助の前で、詩歌はふんわりといつもの笑顔で微笑んだ。
「大助くんにはもう大切な人がいるんだね」
「え、あ……う、うん」
彼女に抱いた気持ちに恋愛感情がない、わけではなかったと思う。しかしそれよりも同じ道を行く同士や、近さで言えば家族に対する気持ちが強い。
自分が幸せにしたいとも思うが、それ以上にもっと素晴らしい人と幸せになってほしいと思う。
大助は誰より自分の醜さも矮小さも理解していた。
「そういう風に思える人がいるって、すごく素敵なことだね」
「あ、ありがとう、詩歌……」
彼女との会話はいつも自分の中の淀みが浄化されていくような気がする。まっすぐな心で見返してきてくれる彼女の言葉はいつだって大助の背中を押してくれる。
「えへへ、どういたしまして」
「ざまぁ、目の前で浮気されてるぜ」
「幼稚園児同士が手を繋ぐ事に嫉妬するほど矮小な大人じゃないんでね。実に微笑ましいじゃないか」
「つまり支部長は幼稚園児相手に発情しているという見解でよろしいのですか?」
「お前らは黙れ」
外野からちょっかいを出してくる三人を睨んでも、どこ吹く風である。
場の空気が当然のように大助と圭吾の恋愛関係を許容している事が異質だと思ったが、自分からつつく勇気もなく、黙秘に徹した。黙秘してもおちょくられるだろうし。
「二人きりの彼はすごいよ。口は悪いし無愛想なのに絶対傍を離れないんだ。ソファは横か足元。お風呂での背中流しっこは楽しかったな」
「つまり”かっこう”さんは猫属性だと?」
「くじけそうになった時はこっそり布団に入ってきた事もあったかな……弱さを僕にだけ見せてくれる彼に、僕も大人気なくその日は燃え上がったさ」
「ほほう……おもしれぇ。詳しく聞いてやるよ、そのノロケってやつをな」
「おいやめろおおおおおおおおお! お、お前俺のそういう……その、話なんて聞いてもしょうがねぇだろ! 興味ないだろ! な?」
「いや、興味あるね! お前のエロさとやら、とくと語ってもらおうじゃねぇか」
「お嬢さんには少し刺激が強いかもしれないが、そこまで啖呵をきられたら僕も黙っているわけにはいかないな。男の矜持にかけて」
「お前ら馬鹿! 本当に馬鹿! 馬鹿ばっか! 十八歳未満にしていい話じゃねーよ!」
「……そもそも未成年との性交渉は合意の上でも犯罪なんだけど。もうアウトだよ、うちの支部長……というか、十八歳未満にしてはいけない話の内容をしたんだ……そうなんだ」
「やめろよ! その温い目はやめろよ!」
有夏月の温い目から逃れるように自らの顔を両手で覆って悶絶している大助はついにシーツに潜って丸くなった。重症で動けないために逃げる事が出来ないからだろうが、女性陣からすればそんなところがかわいいと盛り上がられる所以だろう、と男達は思った。思えたところで大分洗脳というか、汚染されている。
外の世界を拒絶してしまった大助にかける言葉などなく、何とも言えない沈黙を保っていた二人の耳には、さらなる試練のように言い争いが飛び込んできた。
「いやでも略奪愛って燃えるよな。問題無い、問題無い」
「愛は根深く強かです」
かっこいいような馬鹿らしいような不屈の闘志を見せてくれた二人だったが、突如振り返って大助を見ると親指を立てて決めポーズを作る。シーツはめくられて奪われた。
「とりあえずアリスとかにもチクっとくな!」
「なんでややこしくなりそうなところから攻めてくんだよ!」
おせっかいが心情の少女に知られれば、扉を蹴破って問い詰めてくるに違いない。何がどうしてそうなったのかは不明だが、彼女は大助をまるで弟か何かのような「不出来な不器用」だと思っている節がある。彼女の前で無様な言動を取った事はあるが、だからって何故大助の周りにはこうも過剰な人間が集まるのだろうか。
再びなにやら不穏な会話の応酬というか会話のドッチボールをし始めたところで、ふと大助はとある考えに行きついた。
じわじわと脳を蝕む脅威に、大助はうろうろと視線をさまよわせて、ようやく決心した。
「なぁ、おい」
大助は彼と同じくぎらつく二人に引いていた倭と有夏月をこっそりと呼んだ。場の空気を乱したくなかったので、二人とも静かに大助に耳を寄せる。
大助は思いのほか真剣な……深刻な顔をしたまま押し殺した声を出す。
「愛とかなんとか言ってるけど、あの……あいつらって圭吾の事好き、なのか?」
瞬間二人は温い眼をした。
死んだ目といってもよかった。
呆れられているような気がしたが、大助にとってかなり死活問題である。
大助としては自分に人を引き付けておけるような魅力がないことは知っているし、圭吾に大切にされているのは理解できても、何故自分など好きになったのかいまだに理解していない。毛色の違う物珍しさだと言われても納得できそうだ。
アンネリーゼも愛理衣も相当な美少女だ。年齢が離れている事に関しては、そもそも中学進学と同時にAもBもにゃんにゃんも教えられた大助にとって何の障害でもない。自分が捨てられたらどうしよう――必要とされる居場所を無我に欲する大助にとって、見捨てられる事ほど恐ろしい事はない。
だというのに相談を持ちかけた二人は大助を哀れむような、呆れるような目をするばかりだ。いままでの意趣返しだろうか。
「……“かっこう”、それはないよ。正直引くよ」
「……まぁ、これはひどいな」
「え?」
二人は深い溜息を吐くばかりである。
「君がそんなんだから二人がああなるんだよ」
「支部長はお前の事だけはなんというか……あくどいからな」
「え?」
強かな大人が、たとえ悪逆だと罵られても手に入れたいと望むらしい相手はそのことをさっぱり理解していない。魅力といえば魅力なのだろうが、振り回されるポジションにしかなれない(かといって争奪戦に乗り込みたくもない)人間にとっては、いい加減自覚しろと言いたい。
ここらあたりではっきりといわないことが、結果的に優しさであり、甘やかしなのだろうけど。綺麗なものには綺麗でいてほしいという、穢れた人間の一種の願望だろう。
「その心配は杞憂だから大丈夫だよ薬屋。あ、土師って呼んだ方がいいのかな……まぁ、そのあれだ。す、末永くお幸せに」
「幸せの形は人それぞれだからな……何か犯罪臭が漂った時は極力協力しようと思うから安心してくれ」
「なんでお前ら微妙に優しくなるんだよ」
やんわりと肩を叩く手の温さに、必要以上の同情と労りを感じて首を傾げる。
柔らかい風が外の生きた匂いを運んで大助の髪を揺らす。世界に死の匂いは無く、ただただ優しかった。